第2話 俳優N
それでも翌朝は8時半に起きて、朝のワイドショーにチャンネルを合わせた。
画面には、いきなりマリコの歌っている姿が現れた。このような番組ではトップニュースであるらしい。
画面が変わった。驚いた。俳優のNが映っていた。記者団に囲まれてフラッシュの中、Nが何か話している。スーパーインポーズの文字が入った。「原因はNへの失恋か?」
Nだったのか!
Nは「禁じられた少女」に出ていた俳優だ。どちらかというと地味な感じのバイプレイヤーで、彫が深く一見目つきが鋭いのでヤクザとか悪役などが多い。年齢は40歳くらいだろうか。
Nはレポーターの質問に答えていた。
「ドラマで一緒になって、食事をしたりとか、家が同じ方向なので車で送ったりとか、そういうつき合いでした。僕の方はいい兄貴のつもりでいたんですが、自分で言うのもおかしいですけど、彼女の方には18歳の女の子の初恋みたいなものがあったのかも知れません。告白など受けたことはありません・・・」
テレビを見ながら、今まで何とも感じなかったこの影の薄い俳優の顔が、この先ずっと忘れられなくなるだろうと考えた。
この男とマリコの間に何があったのか?
大学のガイダンスが終わるとすぐ、四ツ谷の現場へ向かった。
大学は京王線の下高井戸駅にあり、新宿で丸ノ内線か中央線に乗り換えれば1時間くらいで四ツ谷へ行ける。
昨日ほどではなかったが、それでも数十人の若い男の子たちがいて、まだ残っている血痕のしみに目を落としていた。
驚いたのは、血痕の近くに花束が積み重ねられていて、山のようになっていることだった。他にもマリコの写真やレコード、本などが一緒になって置かれていた。訪れたファンたちが、天国へ旅立ったマリコへのはなむけとして、また自分たちの想いを捨てるために、家から持って来たのだろう。
現場の様子が一目見られたので帰ろうと思ったところで、横に山口がいるのに気付いて驚いた。
彼はさっきから知っていたらしい。
「何だ、また来てるの」
「君は今日も来ると思ってたよ。朝から待ってたんだ」
「僕をかい?」
「どうだい、お茶でも飲んで話さないか」
僕らは、どこの街にもあるオレンジ色の看板の喫茶店に入った。
「しかしショックだよね。生まれてから最大のショックかも知れない」
僕が言った。山口が煙草に火を点けて言う。
「世間一般から見ても衝撃的な事件だろうけど、俺らにとっちゃあ地獄だよな。マリコは俺らの気持ちを考えてくれなかったのかなあ」
18歳なのに煙草を吸う山口は、前から感じていたがアイドルファンには見えない。短く刈り込んだ頭と浅黒い顔がスポーツマンっぽくて、コンサートなどで見かける、(僕もそうだが)インドアでマニアックで根暗な男子とは違っている。
コーヒーがやってきた。二人ともアメリカンを頼んだが、僕は砂糖もミルクもたっぷり、山口はブラックだ。
「朝のテレビ、見たかい」
「うん」
「俺はあれ見て、Nを殺したくなったよ。あいつさえいなきゃマリコは死ぬことなかったんだ」
「でもさあ、マリコが死んだのって、それが理由だったのかなあ」
「違うのかい」
僕は自分の意見を言った。
「あこがれてた中年男に失恋したからって、それであの頭のいいマリコが自ら死のうなんて思うかな」
「じゃあ君は何が原因だと思うんだい」
「うーん、あいつが言ってた少女の初恋とかっていうんじゃなくてさ、何て言うかそれ以上の関係があったとか」
「違う!そんなことは絶対ない」
山口の声が高ぶった。
「君もそんな風に考えてるのか。世間の興味本位な奴らと同じじゃないか。マリコはそんな女じゃない。マリコが男なんか知ってるように見えるか。あんなキラキラした目をして、いつもおびえるようにして、きごちない振りで歌って、そんなマリコがどうして・・・」
「そりゃ、僕もそう思いたいけど」
「だったらそう思えよ。君はマリコが信じられないのか。せめて俺たちだけでもマリコのことを信じてやれなくてどうするんだよ」
山口の語調は強かった。
ひとつの推測をしてみただけだが、それをむきになって打ち消そうとする山口に圧倒された。見かけはスポーツマンだが、やっぱりこいつは正真正銘のアイドルファンだ。
しばらくの沈黙があってから、「ところで」と山口が言った。
「君、大学は何学部なんだい」
心理学だと答えた。山口は感心して、だったら人の心が読めるだろう、マリコの自殺の動機を考えてくれと言った。ボクは心理学は読心術じゃないと答えてから、
「でもマリコは躁鬱病的なところがあったようだね」と言った。
「躁鬱か・・・確かに気分にむらがあって、安定しない子だったらしいな。友だち同士でキャッキャ言いながら騒いでいたと思ったら、急に黙って一言もしゃべらなかったりとか」
「何か内にこもるタイプだったのかな。悩みがあっても誰にも打ち明けられなかったとか」
「それは人に自分を開くことが出来ない性格だったのか、ただ単に親しい友人がいなかったのか、わからんけどね」
「マリコはちょっと内気っぽいところが魅力だったよね。いつかのコンサートで一番前の列ですごく近くからマリコを見たんだけど、歌いながら足が小刻みに震えてるんだ。なんてかわいいんだろうと思っちゃった」
「マリコって、絶対に芸能界に向いた子とは言えないよな。あのまま普通の女の子でいればよかったんだよ、普通の女の子でさ。ねえ」
山口が同意を求めてきた。
「そうだね。ずいぶん親にも反対されたんでしょ」
「らしいね。テストの成績が一番になったら許してやるって言われて、マリコ一生懸命勉強がんばって本当に一番になって、親も約束だから仕方なく許したんだそうだ」
「マリコは頭がいいんだ」
「だから芸能界がバカらしくなったんじゃないかって。今日テレビで評論家か何かが言ってた。いわゆる実像と虚像というやつのギャップに苦しんだんじゃないかって」
「18歳の女の子がそんなことで悩んだりするかな。例えばハードスケジュールに疲れ切ったっていうのならまだわかるけど」
「それは無いってスターミュージックは言ってるけどね」
「マリコって華奢だろ。アイドル歌手の睡眠時間3、4時間とか、そんなスケジュール絶対きついと思うんだよね」
「言えてるな。最近のマリコ、かなり疲れた顔してたと思わないか」
「そう言えば目がトロンとしてるっていうか、昔のようにキラキラしてるような感じがなかったかな」
「殺人的過密スケジュール、これは一つの原因かもな」
「それに情緒不安定となれば、やっぱりこれは落ち込むよな」
僕らはひとつの結論を出しつつあった。
「でも今でこそ日本中マリコの話題ばっかりだけど、一週間、一ヵ月と経っていくうちに、俺たちファン以外の人からは忘れられてしまうんだろうな」
最後の山口の言葉には、まったく同感だった。
僕と山口は、コーヒーだけで3時間近く話し込んだ。店を出た時はすっかり暗くなっていた。
中央線で新宿まで一緒に帰った。別れ際、山口は言った。
「君はマリコのことをよく知ってるよ。今までマリコを一番知ってるのは自分だと思ってたけど、君の方が知ってるかも知れない」
山口はマリコについて詳しいけど、僕も彼には負けていない。でも山口は、僕に負けていると言った。何と返していいかわからなかった。どういう気持ちが、あんな言葉になるのだろう。
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