第一話 9/9

 生と死は対なるものだ

生きるものすべて、いずれ死を迎える。


死して新たな命の糧となる 

死を恐れるのではなく向き合うことだ。


死とは、向き合ったときにそれを克服できる。


また新たな死と直面する…その時まで。


それこそが、この世界に流れる絶え間ない律動である。


――目が覚めると、そこは家の寝室だった。


□□□


冷たい風が、まるで刃のように肌を撫でていく。彼女の意識が微かに揺れる。


柔らかな手が頬に触れ、その温もりが全身に伝わる。彼女のことは何一つ知らないのに、まるで腕の中で守られているような、心地のよい安心感に心が満たされる。


気づけば、自分の体がふわりと宙を漂っているような不思議な感覚。潮の匂いも凄惨な記憶も、すべてが遠のいていく。


次に目を覚ましたとき、彼女は自宅の布団に横たわっていた。ぼんやりとした視界に映るのは見慣れた天井。


まるで怖い夢から抜け出してきたような、奇妙な倦怠感が全身を覆っていた。頭にはまだ、昨夜の聞いて、見て、触った、様々な色や音、匂いの記憶が残っている。


「カーチャ、もう起きなさい。朝ごはん冷めちゃうわよ。」


柔らかな声が戸口から届く。母の声だ――それに気づいた瞬間、彼女の胸に安堵が広がる。


が、それはすぐに不思議な感覚に変わる。昨夜の出来事は、一体何だったのだったのだろう。


重たく感じるまぶたをゆっくり開けると、朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中に優しい色をもたらしていた。


しかし、リビングから聞こえる声が彼女を不意に現実へと引き戻す。


母だけではない、聞き覚えのない、いや、どこかで聞いたようなハスキーな声が混ざっている。布団から顔を上げ、ドア越しに耳を澄ませる。


「アオキさん、うちの子がお世話になったって、本当にありがとうございます。」


母の柔らかな声が響く。続いて、その声に答えるのは低くてかすれた、少し乱暴な響きの声だった。


「あ、いや、気にしないでください。あんたの娘、しっかりしてるじゃん。なんか職業柄、ほっとけなくてさ。」


それと、あおきじゃあなくてあお。間違えないでね。

その声を聞いた瞬間、昨夜の記憶が一気に蘇った。暗い路地裏、青い影、そして――あの灰と赤。


あの時、怪獣をぶん殴り自分を介抱したのは確かに彼女だった。


彼女は布団の中で体を固くし、頭の中で記憶を整理しようとした。なぜ焚き火の女が自分の家にいるのか。どうして、こうなった?


リビングで交わされる会話が、心の中で静かに波紋を広げていく。


「あんたの娘さん、ヤバいのに絡まれてんで、ついね。でも、お母さん、大丈夫です。ヤバいのは消えました。もっとヤバいのはお役所の方の知り合いに引き取って貰いました。ご安心ください。それと、これからはウチが娘さんを定期的しゅういちでに見守ります」


「あら、優しいのね。うちの子ったら、ここに越して来てから、あんまり友達いないから心配してたのよ。こうして一緒にいてくれる人がいると、なんか、ほっとするわ。」


彼女の言葉に、母は照れくさそうにはにかむ。


 彼女は布団の中で、そのやり取りを黙って聞いていた。優しさの裏にある何か、言葉にしづらい絆のようなものが感じられた。


あの立入制限区域で出会った不思議な女性が、今こうして自分の母親と親しげに会話を交わしている。


その光景は、どこか非日常的で、安堵とともに、母が彼女と楽しそうに喋っていることが無性に気になって仕方ない。


窓の外では小鳥がさえずり、朝の淡い光が窓辺に伸びる。彼女は一度、布団の中で静かに目を閉じた。


霧の中、日常から離れた幽玄な場所から、こうして無事に帰ってこれたのは、不思議な縁のおかげだろうか。


(……おはよう)


彼女は心の中でそっとつぶやいた、朝靄の中で人々の日々の営みが始まって行くのを感じる。今日もまた一日が始まる。 


[第一話 了]

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廃墟の霧と狩猟譚 釣鐘人参 @taka29

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