第四作 雨の夜

 家に帰れるギリギリまでお酒を飲んで、ハイエナのように飢えた目をしたお気に入りのホストに、手厚くて薄っぺらいお見送りをしてもらって、ホストクラブを出る。今年に入ってから九号目の台風が連れてきた雨雲は、この夜の街にも、土砂降りの雨を降らしていた。

 汗とお酒とタバコの臭いを、飽和するまで溶かしたようなこの街の空気も、今夜ばかりは清潔になっている。悪意の泡がはじける音のような、傘に当たる雨の音を聴きながら、「この雨がずっと続けばいいのに」と心の片隅で願った。


 真っ赤なネオンサインの門を、千鳥足で抜ける。目の前を通る太い車道にタクシーを探しながら、私はひたすらに五十音を唱え続けた。呂律が回らないままで、運転手と話すのは、少し恥ずかしかったから。


 ――そしてその時、不意に目が合ったんだ。


「僕、どうしたの?」

 面倒事は嫌いだ。今だって、本当は気づいていないふりをしたかった。だけど、その真っ直ぐな目は、私を捕らえて放さなかった。

「……お姉ちゃんを、待ってるの」

 その男の子の小さな頭は、煌々と降り注ぐネオンサインの光を、直に浴びていた。そう、その子は、傘を持っていなかったんだ。

「あの街で、働いてるの?」

 天国でも地獄でもない、目が痛くなるくらいカラフルな光にまみれている異世界を、指さして訊いた。

「うん、そうだよ。疲れた男の人に、マッサージをしてあげてるんだって」

 私は言葉を失った。そして、一歩二歩と後退った。

「ごめんね。おね……おばさん、もう帰らないといけないの」

 ちょうどよく来てくれたタクシーを拾って、乗り込む。さっきまでベロベロに酔っていたのが嘘みたいにスラスラと、私の口は、自分の住むアパートの名を発音した。


 右手に握ったビニール傘に目を遣る。そして、家に着くまでに私が歩かなければならない距離を考え、ホストクラブまで差していくのが、恥ずかしくなってくるような、その値段を思い出す。やがて、「あの男の子に、傘を渡しても、何の問題もなかった」という結論に至る。


 ――自己嫌悪と手を繋ぎながら、タクシーに揺られる。あの子のお姉ちゃんのような人たちが担う、あの堕落的な雰囲気に誘われて、自分があの街にいることを、あの子の成れの果てのようなホストたちに囲まれて、自分が偽物の幸せに浸っていることを、忘れたまま。

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めちゃめちゃ短い小説たち てゆ @teyu1234

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