始まらない夢


「夏が終わっちゃったか」


 一人、ベッドから起き、枕元に置いてあったスマホを手に取り時刻を見る。

 9月1日、午前6時34分。

 目覚ましよりも早く起きてしまった。まだ夢見る猶予はあったよう。後悔をしている。


 電気代は勿体ないと冷房を切っていたから、身体はじわりと汗ばんでいた。

 だが、窓から吹き入れるほんのり冷たい風に、もうすぐ秋がやって来るのかと肌で感じられる。その前に秋風邪を引きそうだから毛布に引きこもり直す。


「またダメか。今年のわたしも引き止められなかったのね」


 ──もう、何年も前から夏になる度に、この夢を見返している。

 海に囲まれた学校で、二人きり。ある男子生徒と……昔のわたしに近しい人物。


「仕事、行かないと」


 一浪してから入った大学を卒業、入社してから三年目。

 昨日で26才になった。誕生日を実感するのは母親からのLINEのみ。

 ……もう一つあったか。それがこの夢見る夏世界。


 高校時代、名前も性格も何も知らない、ただ毎朝同じ時間、同じ電車の同じ車両、同じ扉の近くに立つ彼と同じ時間を過ごしていただけ。僅か10分とかそこらだろう。

 一目惚れ、と後付けするならそれしかないほどに目線を追ってしまうほどに気になっていたが──ある夏の日から彼は姿を現さなくなった。

 そして、クラスで交わされた会話を耳にした。

 塾で同じクラスのやつが交通事故で死んだと。屋上から海がかろうじて見えるあの高校の、と。

 直感的に彼だと思った。


 別の高校を理由に、声をかけなかったことを当時は酷く後悔した。

 もし勇気を出していたら彼のことをもっと知れたかもしれない。さらには、交通事故に遭う運命すら変わっていたかもしれないと。

 しかし、彼との間には何もない間柄。

 ただただ気になって、悪く言えば野次馬根性で事故現場に足を運んでしまった。

 そこには、多くの花と……きっと彼が好きだったのだろうラムネが供えられていた。残暑によって結露で浮かび上がった水滴が涙のように地面に流れていた。


 それからだ。夏の間は毎日同じ夢を見るようになったのは。バチが当たったのかもしれない。

 彼をよく知らないが故に、会うたびに性格や細かに顔が違っている。それに合わせて理想の姿と最善の行動を取ろうとする性格にわたしも変化する。

 時が経つにつれて段々と彼の記憶や情報が朧げになっていく。夢が夢であるように、私がこうあって欲しいと望む彼になっているだけなのだ。


「……また来年」


 そう呟くけども、来年のわたしはもうわたしじゃないかもしれない。見知らぬ男女の青春を体験して、灰色の現実に戻って来られるのだろうか。

 ……そもそもまた行けるの?


 冷蔵庫から取り出したラムネ瓶を飲み干して、コトンと、机に置いた。

 霞んだ色のビー玉がガラスを擦るノイズを立てた。

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君が夏を閉じ込めた。 杜侍音 @nekousagi

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