謝罪衝撃波リーマン影山

小南葡萄

謝罪衝撃波リーマン影山

 「申し訳ございません……!」     

オレは先方に向かって、自分の足が床と並行に見えるようになるまで、直角九十度。深々と頭を下げた。 

自ら三点リーダーをつけに行くのが、謝罪のコツだ。                        今回はまだ、部下のミスだったから気が楽だった。でも、早くやめさせてくれ……。     

「……今回だけですよ」         

「ありがとうございます!」       

顔を上げ、わざとメガネを外し、潤んだ瞳で追撃する。                 顔を上げるまで二十一秒。先方も柔らかくなったものだ。             「失敗は誰にでもあるものだけど、信用問題に関わるんですよ」           「おっしゃる通りでございます」     

そんな文句はもう聞き飽きたので、右から左に受け流し、オレは手を揉み、わかりやすく目を垂らした。                       

「じゃあ僕はこれで、明日の会議、忘れないでくださいよ」             「本当に申し訳ありませんでした!」   

バタン。と先方よりも強めに扉を閉じた。 二度とくるな。               「……行きました?」          

「ああ」                                

「もぉぉマジでありがとうございます!マジ怖かったんすよ!いないことにしてくれてマジありがとうございました!」      

オレにできることはこれくらいだからな。なんて言えたらいいんだろうけど、高卒のオレにとったら本当にこれくらいしかできることがないので、何か自分を刺しているような気がして、口をつぐんだ。         

「今日飲みに行きましょ!奢りますんで!」

「おっ、オレもいい部下を持ったものだなあ」                  よしよし。                       

オレの謝罪はこれのためにあると言っても過言ではない。              「翔くん、影山課長酒癖悪いのよ?大丈夫〜?」事務の婆さんがニヤけずらを見せながらオレのことを煽ってきた。         

「うるさいなあ、いいだろう大事な部下が誘ってくれてるんだからさあ」      「大丈夫っすよ!俺酒強いんで!彼女とかの介抱もしょっちゅうなんすよ!」     「え〜?どうなっても知らないよお?」 

なんてイジりに対しても、笑って誤魔化せるくらい、オレは飲みに行くのが楽しみでしょうがなかった。                

 「ここ友達とよく飲みに行くんすよ!多分サービスしてもらえると思います!」   「いいねえセンスあるねえ」       

サービスという言葉に、思わずオレは部下の肩を抱きかかえて、勢いよく店に入って行った。                  

「二人!とりあえずビールで!」     

「課長まだ席着いてないっすよ!」    

と翔くんにイジってもらい、オレは高らかに笑った。お局の悪意あるイジりとは違って、部下はオレの意図を呑んでくれる。        

こういうしつこいギャグはギャグハラかナニハラか知らないが、オレは若さゆえの頭の回転の速さを、ついつい楽しんでしまった。 

ビールが来た瞬間、乾杯をして、一気に飲み干そうとするが、オレは半分ほどで手が止まってしまう。              

オレはただ、部下が気持ちよさそうに呑んでいるのを、ニコニコしながら見届けた。「ぷはー!って課長飲めてないじゃないですか!頼んじゃいますんで!ほら飲んで飲んで!」  

「お、おお」              

これはアルハラとか部下ハラみたいなやつではないのか。              若さに圧倒され、残りの半分を無理やり飲んで、ジョッキを上に掲げた。       「おかわり!」             

四十分だろうか、正確な時間は覚えていない。というか、ほとんど何も覚えていない。    

覚えているのは、この四分の一ほどあるビールが、まだ二杯目ということくらいだ。  部下の前には、何個もジョッキが並んでいる。                  楽しそうに飲んでいる姿に、なぜか笑いが止まらなくなってしまい、その瞬間になぜか辛い過去を思い出して、次はボロボロと涙が止まらなくなってしまった。          「そうよねえ、歳を取ると辛いことって忘れるって言うけど、増えていくだけなのよねえ」                  

あれ?オレはなんで、ピントのズレたメイクの濃いおばさんと飲んでいるんだ?部下は?翔ちゃんはどこだ?               

「誰探してるんですか?俺ならここっすよ」翔くんの声が反響している。場所が掴めない。                                

すると急に肩を叩かれ、振り向くと、ズレたピントが元に戻って、愛すべき部下と再会することができた。                    

「お前ええ!どこに行ってたんだよお!探したんだぞお?」             「俺ずっとここにいましたよ?」       

「もうサトちゃん返してあげた方がいいわ。普段こんなに飲む人じゃないのよ」    オレは「返す」という言葉に反応して、もう部下とサヨナラしてお酒が飲めなくなるという絶望に、拳を強く握った。そして、机に勢いよく叩きつけた。                   「なんだと!オレはまだ飲めるぞ!帰らない!帰りたくない!」          「もう!次叩いたら帰らせるって言ったでしょ?ツケでいいから、ほら帰った帰った」

「嫌だ!まだここにいる!」       

駄々を捏ねていると、誰かから羽交締めにされて、ママがどんどん遠ざかっていく。  「すみません、この人、日暮里まで」   

「ママァ!ママァ!」         

座らされ、バタンと急に閉められる音がした。                  タクシーか。閉められた方向を見ると、暗い場所で手を振ってる翔ちゃんの姿があった。「あっ、翔ちゃん!翔ちゃんだー」    

「お客さん、日暮里でいいの?」     

「んお、あんたオレの家よく知ってるねえ」

「こりゃ出来上がってんな」       

ブロロンという音を皮切りに、オレの愛しい部下が、だんだんと遠のいていっていしまう。翔ちゃんバイバイー。                         数分間、オレは照らしてくる光を、何回も目で追いながら、ぼーっと座っていた。                経験で、なんとなく帰らされているのがわかってきた。そして、そんな最低な翔に、怒りが沸々と湧き上がってきた。     

「あのバカがよ。オレが助けてあげたって言うのに」                「なに?後輩?」            

「使えないガキですよ。オレが謝るプロだったからよかったものを」         ああ腹が立つ。なんなんだあいつは。   

オレは腹いせに、ドアを部下に見立て、思いっきりぶっ叩いた。                  「もお壊れちゃうよ。ほら、着いたから。八千九百円」               「あ、あー、カードで……」       

ボーリングの玉のように重たい頭を持ち上げて、財布からカードを取り出して、爺さんに渡した。               

「はい丁度。気をつけるんだよ」     

カードを返してもらって、ドアが開かれると、やっと出れる!と、ゲージの犬のようにぴょんと飛んで、出れたと同時に、塀にそのままぶつかった。                小さくなるタクシーを見送ったあと、景色を見回して、見覚えのある道を歩く。    ああ知ってる。知ってる道だ。      

ぼんやりとした記憶を頼りに、千鳥足を上手く操縦して、オレは、ボロいアパートまでたどり着いた。                  

パズルにもふさわしい家の鍵を自力で開けて、「ただいまー」と誰もいない家にm寂しい声を響かせた。                

ハッ。いつの間にか寝ていた。     

涎を拭いて、オレはスーツから着替えていないことに気づく。               一応布団で寝たみたいだ。        

うっ。頭がいたい、こりゃ飲みすぎたな。 床から振動が伝わる。震源地を探すと、スマホが小刻みに震えていた。なんで。      

恐る恐る確認すると、一番見たくなかった連絡先が見えてしまった。先方だ。       「お、お疲れ様ですう」         

「何時だと思ってるんですか!みなさん影山さん待ちですよ?!」          「へ、へえ何にでしょう」        

「何って、ハア……会議が十一時にあること、言いましたよね?」         「えっ、あっ。申し訳ございまん!直ちに向かいます!」              電話を切ると、自分が汗臭いかを確認して、鏡に向かい、急いで歯を磨いた。三十秒ほどで終わらせ、ワックスを頭に塗りたくってオールバックにする。

律儀に洗面台に置いてあったメガネをかけ、バックだけ持ち、飛ぶように外に出た。一応鍵はかけた。      

 まずいまずいまずい。         

電車の一定スピードが、オレの焦りをさらに募らせる。早く、早くしてくれ!今日だけでいいから!早く!              

駅につき、ドアが開いた瞬間の隙間を縫って、目的地に急ぐ。               オレが寝坊したのも悪いが、そもそも十一時なんてあいつ言ってなかったよな。       先方への苛立ちが、革靴の痛みとともに徐々に芽生え始めた。              ウィーン。開いている途中の自動ドアを自力で開けて、エレベーターのボタンを力強く何回も押した。                    

早く、早くきてくれ。ピンポーン。    

エレベーターのドアが開き、すぐさま十階のボタンを押して、閉ボタンを連打した。               閉鎖空間ではどうにもストレスを発散できず、ずっとソワソワしながら上がっていくのを待つしかない。                 

上に行くにつれて、低気圧がオレに不安を煽ってくる。だんだん、お腹が痛くなってきた。                  

ピンポーン。              

着いた。最後の力を振り絞って、心の中で大好きなサライを流しながら廊下を駆け抜けた。                  

ガチャン!                

「遅れてしまい、大変申し訳ありません!」

顔を上げたくない。彼らは今どんな顔をしているのだろうか。相当お怒りなはずだ。オレはただ、「顔を上げてください」という言葉だけを待った。誰でもいい。誰でもいいから。                  

三分経っても、誰からも、一切言葉を掛けられない。                           焦らしているんだ、オレのことをみんなで滑稽にしているんだ。           オレにも非はあるが、元々時間を伝えていない先方が悪いんじゃないか?       限界だ。オレは鼻から雫が落ちた瞬間、顔を上げ、                 「遅れてしまったのは私ですが、そもそもあなたが!」               と反撃を開始しようとした途端、メガネ越しに、衝撃的な景色を見た。        穴が空いている……。          

オレの前が丸くくり抜かれていて、上から破片がポロポロと落ち、オレの目にはビル群と、綺麗な青空が映っていた。                  

「え、ええ?」見渡すと、壁に張り付いて、プルプル震えている禿げた取引先を見つけた。                    

「あ、あああ、あああああ」       

「な、なんですかこれ!?」       

「き、君がやったんじゃないか!」    

「オ、オレがですか?!」        

謝らなくては。そう無意識に取引先の方に振り向き、                「大変申し訳…」            

「や、やめてくれええええ!」

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謝罪衝撃波リーマン影山 小南葡萄 @kominamibudou

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