血を吸うのが下手な後輩に、わからせられる吸血鬼の先輩の話
羽間慧
血を吸うのが下手な後輩に、わからせられる吸血鬼の先輩の話
今年の梅雨入りは、例年より遅い。六月中旬から冷房をかけないと熱中症になりかねない気温の高さは、夏の到来を不安がらせるのに十分な数字だ。
登校しただけで浮き上がる汗を、ルリアはハンカチで拭う。
「朝から干からびてしまいそうだわ」
「ルリアさん、水分をお取りくださいな」
一人の女子生徒が、肩までかかる髪を左に寄せた。セーラー服からのぞく鎖骨と首筋の白さに、思わずルリアの喉がこくりと動く。
「いけないわ。自分から差し出すなんて」
「申し訳ありません。ルリアさんが倒れてしまわれたらと思いましたの」
目を伏せた女子生徒のあごを、そっと持ち上げる。小さく開いた唇はさくらんぼのように潤っていた。
「わたくしはこちらから吸う方が好きなの」
唇を重ねようとしたとき、教室のドアが勢いよく開いた。
「おはようございます! って、すみません。ごきげんようでしたよね? まだ転校二日目だから慣れてなくて……?」
ルリアは手を離して、乱入者に視線を向けた。自分の背で何をしたのか見えていないはずだ。
ハーフツインの女子生徒は、キスシーンに居合わせたことを恥じらう素振りを見せなかった。後ろの掲示物に目が点になっていた。
早く立ち去ってくれないかしら。そう小言をまくしたてるのをルリアは堪えた。
「騒々しいですわ。昨日、一年に転校生が来たと伺ったのだけど。一年の教室ならもう一つ上の階ですわ」
「ありがとうございます! 失礼しましたっ!」
そんなに大声でドアを閉めないでくださる?
ルリアが止めるより先に、キスの途中だった女子生徒はまばたきした。
「あら? ルリアさん、わたくし一体何を?」
「少し立ちくらみをしていたのかしら。蒸し暑くなってきましたから、いつもより体を労わってくださいませ」
笑顔を浮かべながら、ルリアは両手を握りしめていた。
食事を食べ損ねてしまいましたわ。男を知らない乙女の血を。今日を逃してしまったら、月曜まで三日間も輸血パック生活ですのに! 許せませんわ、あの転校生! 放課後までに人間の血が吸えなければ、代わりに血を飲ませてもらいますわよ!
叫ぶ気力があったのは朝だけだった。
へとへとになって学級日誌を書き終えたルリアは、鞄に教科書を詰め込んだ。職員室に届けたらすぐ帰ってしまいましょう。
「結局、誰からも分けてもらえませんでしたわ」
女子高とはいえ、昼休みの特別教室や中庭はカップルに使われる。人目のつかない場所は朝か放課後くらいしかできない。吸血鬼だと隠している以上、自力で証拠隠滅できないところで吸血する訳にはいかなかった。
「そういえば。いつも侵入者が来ても迂回させるように結界を張っていますのに、転校生はなぜ弾かれませんでしたの?」
「そんなの、同胞だからに決まっているじゃないですか。
廊下の窓から転校生が顔を覗かせた。にししと笑い声を上げながら。ダンスのステップを踏むように、軽やかにルリアの目の前まで来る。
「今朝は挨拶していなかったですよね。
「わたくしを脅迫するつもりですの?」
気さくそうに話すあいみが怖い。間違えて教室に入ったのは、うっかりではなく策略だったのかもしれない。ルリアよりも格の高い吸血鬼なら、眷属にするために近づいた可能性だってある。氷の刃を作るために詠唱しようとしたときだった。
「灰音先輩、一生のお願いです! 私に血の吸い方を教えてください!」
ルリアの手をあいみが包み込む。
「うまく歯が立たなくて、ずっと甘噛みしてるって勘違いされるんです。すぐに記憶を消してあげましたけど、私の黒歴史は一生消えないじゃないですか! このままじゃ、輸血パックしか飲めません! ですから、先輩の体で練習させてくれませんか?」
な、なんて破廉恥な!
「初対面の人に随分強引ですのね? 吸血鬼同士でも血は吸えますから、人間の血を吸う前の練習相手としては最適ですけれど」
あなたに教えられることはありませんわ。わたくしだって上手くはないのです。ですが、もしあいみがコツを掴んだら。わたくしも、より長く人間の血を吸えるかもしれませんわね。
「あいみさん。わたくしでよろしければ、練習に付き合ってあげますわよ?」
ルリアは髪を結ぼうとした。あいみが血を吸いやすいように。その心遣いを理解できなかったのか、あいみはルリアの唇に吸いついた。
「座ったままでいてください」
「んふぅっ。あいみさ……ん、待って」
首筋に軽く歯を突き立てればいいのよ。
ルリアが人間とキスをするのは、血管を浮き上がらせるためだ。自分にはキスする必要がない。
こんなに連続してするなんて、鼻で息をしないと窒息してしまいそうだわ。
「あいみさん、聞こえていないの? お願いだから、これ以上はっ」
「やめません。灰音先輩のこと、気持ちよくしたいんです」
あいみの歯がルリアの舌の先を挟む。噛み跡を撫でるように舌でなぞられ、ゆっくりと吸われていく。
わたくしが教えることなんて、全然ないじゃない。気づけば両手を掴まえられていて、あいみから逃れられない。視界がにじんでいく。
「灰音先輩の血、美味しいです。輸血パックとは全然違う」
「当然ですわ。わたくしは誇り高き灰音家の長女。輸血パックもそこら辺の吸血鬼が飲むものとは質が違いますもの」
あいみの舌が離れ、ルリアは威勢を取り戻した。
今度はあなたがわたくしの練習相手になりなさい。
あいみの首筋に歯を突き立てようと、机から身を乗り出す。
「おねだりですか? 血を吸われるの、そんなに気持ちよかったんですね?」
「気持ちよくなんて……あうぅっ」
あいみはルリアの首筋に舌を這わせた。身震いした瞬間、あいみの喉が上下する。人間の血を吸うより、吸われるのが癖になりそうだ。
「ふぁっ。あいみさん、わたくしはもう……」
「練習は終わりですね。人間からそのまま直に飲むなんて、今後は絶対しないでくださいね。灰音先輩が穢れてしまいますから」
「はふぅう」
机に倒れそうになったルリアを、あいみが抱き寄せる。血を吸われていないのに、胸が熱くなる。
「先輩の血、服についちゃいますよ」
「それはやだぁ」
「くたって私に寄りかかってくれる先輩、可愛すぎます」
ちゅっと音を立てながら、あいみは雫を舐めとった。体がぐったりするのは、降り続ける雨がもたらす湿気のせいだけではないらしい。
血を吸うのが下手な後輩に、わからせられる吸血鬼の先輩の話 羽間慧 @hazamakei
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