さいごの電話

不知火白夜

さいごの電話

 初夏のある日のこと。朝起きてスマートフォンを確認すると、夜中に着信とメッセージが入っていることに気がついた。

 着信があった時間は夜の0時半頃で、自分はもう眠っている頃だった。

 友人とのチャット欄には不在着信があったことを示すシステム上の文章と、『ごめん』という一言だけが入っていた。

 それを見た青年――ブラム・ファン・ダーレンは、眠気が一気に吹っ飛ぶほどの強い違和感を覚えた。

 メッセージの送り主は、山岸やまぎし正嗣まさつぐという日本人の友達で、ブラムは彼を『マサ』と呼んでいた。

 正嗣は、ブラムが日本に留学していた際に大学で仲良くなった後輩だ。アニメやゲームといった共通の趣味で繋がり、ブラムがオランダに帰国してお互いに働き始めてからも定期的にやり取りをしている。

 彼は大人しく真面目な青年である。また、相手に対してかなり気を遣って行動する人であり、少なくとも事前連絡もなくいきなり電話をしてくるような人ではない。時差や相手の都合を考え、必ず『この日に電話をしたいけどどう?』という確認をする。

 それに、その後のメッセージが『ごめん』だけなのも彼にしてはおかしい。何に謝っているのかわからないし、間違い電話なら間違いだと言うはずである。以前も、友達に電話をするはずが間違えてかけてしまったという時は、丁寧な謝罪文が送られてきていた。

――何か、絶対おかしい。

 これまでの正嗣とのやり取りを思い返したブラムは、すぐさま日本語でメッセージを送った。

『マサ、なにかありました?しんぱいです。れんらくしてください』

 すぐに返事が来ることはないのは分かっている。それでも、友達になにか悪いことがあったのではないか、という嫌な予感を早く払拭したかった。

『ごめん。寝ぼけててちゃんと打てなかった』――そのような返事が来ることを期待した。

 しかし、数時間経っても、1日経っても、3日経っても、何度メッセージを送っても、正嗣から返事が来ることはなかった。


 状況が動いたのは、正嗣からの着信があった日からおよそ1ヶ月後の事だった。一人暮らしをしているアパートの自室で、未だに晴れぬ不安感を抱えながらパソコンゲームをしていた頃、メッセージアプリに通知があった。

 ゲームを中断し通知を確認すると、画面には正嗣の名前が表示されていた。待ちに待った正嗣からのメッセージに驚き喜んだのも束の間、画面上に展開された内容に衝撃を受ける。


『初めまして、ブラムさん。あなたは正嗣のご友人でしょうか? 私は、正嗣の弟です。兄のことを心配してくださりありがとうございます。ご連絡が遅くなりすみません。兄の正嗣は、先月の18日の朝に亡くなりました。自殺でした。心配してくれていたのになかなかお返事できなくてすみません』

「………………は?」


 文章の意味が理解できず思わず硬直し、動揺しスマートフォンが手から滑り落ちカーペットの上に転がる。

 数秒か数分か分からないが暫し茫然としたあと我に返ったブラムは、読み間違いと信じ慌ててスマートフォンを拾い上げた。椅子の横にしゃがみ込み、再度文章を読む。しかし、正嗣の弟からだというそのメッセージは、何度読み返しても正嗣が死亡したということが書かれていた。しかも、自殺だと。日本語が拙い故の読み間違いではない。翻訳アプリに入力しても、『マサツグが自殺した』という意味合いの文章になる。

 何故? どうして? 正嗣に何があった? 受け入れがたい現実に動揺し思考が乱される最中、ふと気づく。

 正嗣から着信があったのは先月18日の深夜0時半。しかし、正嗣がいる日本では確か18日朝の7時半か8時半頃になるはずだ。初夏の今はサマータイムが適用されているため、時差は正確には7時間か。

 そして、彼の弟の話が本当なら、正嗣は、ブラムに電話をかけた後の時間帯に死亡したことになる可能性がある。ここまで考えて、ブラムは思った。

 もしかして、正嗣からの着信とメッセージは、彼からのSOSだったのではないかと。

 その可能性に気づいた瞬間、血の気が引くような感覚がして体中の震えが止まらなくなった。頭を抱えてうずくまり、喉元からせり上がってくる衝動を途切れ途切れに零す彼は、正嗣の死を悲しんでいるのか、己の過ちを悔いているのか、あるいはその両方なのか自分でもよく分からなくなっていた。



 正嗣の死が知らされてからおよそ一月が経った8月。ブラムは、正嗣の弟の英嗣ひでつぐとのやりとりを経て、日本を訪れていた。

 十数時間のフライトを終え、日本の空港に着いたブラムは英嗣と対面した。彼は体格も良くスポーツマンといった雰囲気の人物で、正嗣とは似ていない印象を受けた。お互い正式に自己紹介等々を済ませた後、ブラムは彼の車に乗り、正嗣の実家に向かう。

 留学時に自分が住んでいた地域とはまるで違う風景を眺めながら、ふと数年前のことを思い出す。


 ブラムは幼い頃から日本の漫画やアニメが好きで、もっと日本のことを勉強したいという気持ちで日本に留学した。最初は右も左も分からない状況でいろんなことに躓き困っていて、大学内でも頻繁に迷子になっていた。

 そんなある日のこと、またも迷子になっていたブラムに気づいた正嗣が、自ら話しかけてきてくれたのだ。

 黒いショートヘアに眼鏡をかけた彼は、自身から話しかけてきた割におどおどした様子であったため、最初は少々動揺したが、彼のおかげで目的地までの道も分かり無事たどり着くことができた。そして礼を述べて別れようとしていたタイミングで、正嗣がブラムの鞄を指さしたのだ。


「あ、あの……それ『魔法戦士シュガー』のサーヤちゃん、ですよね? お兄さん、あのアニメ、好きなんですか……?」


 正嗣が指をさしたのは鞄にぶら下がるアクリルキーホルダーだった。派手な衣装を着た少女が描かれているそれは、以前、日本に旅行に行った友人が買ってきてくれたお土産である。日本の魔法少女系アニメの作品の一つであり、ブラムはこのキャラが大好きであった。

 だから正嗣の問いかけを強く肯定すると、彼は途端に顔を輝かせ、大喜びで作品の話をし始めたのだ。

 突然のことに驚いたブラムも、同好の士に出会えたのだと理解し嬉しくなった。しかしここで長時間話すわけにもいかないため、ひとまず連絡先を交換しその日は別れたのだ。

 それからきちんと連絡を取り合った結果、ブラムにとって正嗣は大切な友人になった。共にアニメ鑑賞をし、作品について語り合い、様々なイベントに足を運んだ。前述のアニメ以外にも様々なアニメを鑑賞し、日本のオタク仲間も増え、ブラムも日本語が上達した。

 そしてなにより、正嗣は、ブラムとの交流で性格が少し前向きになった。それまで暗くおどおどしており、常に人の顔色を窺って疲弊している様子だったのに、はっきりと物事を口にするブラムとの交流を経て、少しずつ自分の意見を言うことができるようになっていて、彼はこのことに感謝していた。ブラムもそのことを少し嬉しく思っていた。

 それなのに、もう、正嗣は自ら命を絶ってしまったという。どうしても信じられない。不謹慎なジョークであってほしいとすら思っている

――俺の安らげる相手が、場所が、減ってしまった……。


 そもそも、何故正嗣が自殺してしまったのか。それは、大学卒業後に就職した職場で長時間労働やパワハラに苦しめられたからだという。職場で過剰に責められ怒鳴られることもやたら多かったそうで、それにより彼の心は完全に歪み、精神を削られ、正嗣は追い詰められ……結果、アパートの自室で首を吊っていたという。

 英嗣は、嘗てメッセージにて己が知る経緯をあれこれ細かく説明をしてくれたが、どうしても心が痛むため、途中までしか読まなかった。

 ただブラムにとって疑問だったのが、何故『退職』『周囲を頼る』ができないのに、『自殺』ができたのかということだった。いくらブラムと正嗣で『自殺』に対する感覚や認識が異なるとしても、『自殺』と『退職』を比べて前者を取るなんて、ブラムには理解できなかった。

 あれこれ考えながらぼうっと窓の外を眺めていると、突然英嗣の冷ややかな声が耳に入った。


「……何で、兄は、あなたに電話をかけたんでしょうかね」


 徐に顔を動かしそちらを見ると、彼は正面を見据えながらトゲのある口調で言葉を続ける。ブラムは、痛いところを突かれたような気がしてチクリと胸の奥が痛んだ感覚があった。

 ブラムからの返事も聞かぬまま、英嗣は続ける。


「兄が追い詰められていたのは分かります。でも、正直、親や隣の市に住む俺じゃなくて、ヨーロッパに住むあなたに電話をかけたのが意味不明です。時差も距離もあるのに。電話して、どうするつもりだったんでしょうね」

「……ワカリマセン、ゴメンなさい」

「ですよね、わかってます。謝らないでください。兄が死んだ以上、理由なんて分かりませんし、あなたに怒っても無意味です。そんなの、流石に分かってます」

「……ハイ」


 トゲのある調子で言い放ったその言葉を聞いて、ブラムは短く返事をすることしか出来なかった。しかし、ブラムは彼の怒りに不快感を示すつもりはない。他者に鬱憤をぶつけたくなる気持ちも理解できるからだ。ブラムに電話をかけた理由については皆目見当もつかないため、それは心苦しいが。

 ラジオも音楽も会話もない無音の中、外は灼熱の暑さにも関わらずひんやりした嫌な空気感を味わいながら、ブラムは、正嗣との思い出を振り返っていた。


 日本家屋風といった造りの実家に着いて、正嗣の両親に顔を合わせてからは、挨拶もそこそこに、玄関先で彼の両親に頭を下げた。せっかく正嗣がSOSを出してくれていたのに気づけなかった。自分があの時電話に気づいていたなら正嗣が死ぬことはなかったのでは――そのような後悔がずっとある。

 最初はもっとそれについて真摯に謝るつもりだったのに、申し訳ない思いを吐露しているうちに、上手く話せなくなってきた。喉が絞め上がるような苦しさがあって、銀灰色の目に涙が滲む。

 ただでさえカタコトで話し方も拙いのにこれでは相手にも伝わらないだろう。ブラムは、精一杯に謝罪しながら、自分のことをとてもとても情けないなと考えていた。

 必死に謝るブラムに対し正嗣の両親は親切に対応してくれた。貴方のせいではないと何度も言われ、ありがたく感じたが、しかし、そう簡単に受け入れられるものでもなかった。

 正嗣の両親に案内されて、ブラムはしんと静まりかえる家の中を歩き、畳が敷かれた仏間に足を踏み入れた。高身長故に体をかがめて部屋に入ると、片側にフックを使用して遺影が飾られており、山岸家の先祖の遺影に並んで正嗣がいた。優しげに微笑む彼のこの写真は、なんとなく見たことがあるものだった。

 じっと見つめていると、正嗣の両親が説明をしてくれた。というのもこの写真はブラムと並んで写っているものから切り抜いたものだという。

 正嗣は、あまり写真が好きではなかった。しかし、ブラムはたくさん写真を撮る人で、イベントに出かけた際に撮影し正嗣にも共有していた。その中から選んだのだという。


「正嗣の写真をたくさん撮ってくれてありがとう、ブラムくん。あなたの写真がなければ、あの子の遺影は証明写真になるところだったわ」

「イエ、そんな……」


 自分が何の気なしに撮っていた写真がこうして役に立つなら、まだよかったのだと思えた。それに、彼は自分の横ではこんな風に笑っていたのだと分かり少し安心した。僅かではあるが、自分自身の心も慰められた気がする。

 指示に従い仏壇の前に座り込む。本当は正座がいいはずだが、うまくできないため胡座でご勘弁願おう。

 祈る際のやり方を教えてもらい、手を合わせた。胸の内で正嗣のことを考えながら、ブラムは思う。

 何故、正嗣はさいごにブラムに連絡をしたのか、何故身近な人を頼れなかったのか、何故、自ら命を絶ってしまったのか。そして何故あのとき自分は気づけなかったのか。

 何も分からないし、電話に出ていれば自殺を止められた保証もない。けれど、強い後悔はブラムの胸の内からは消えない。

 この業をずっと背負っていこうと強く決めて、ブラムは、しばし涙を流した。

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