いい人止まり

@initiator

君がいた季節



女:『私ね、地元に帰るんだ』


男(М):初めは軽い気持ちだった。久し振りに連絡を取った女から地元に帰るという報告を受け、折角だから帰る前に遊ぼうか?くらいのノリで声をかけた。


男:そうなんだ?いつ帰るの?


女:今週末。


男:そりゃまた急だな。どっか時間空いてないの?帰る前に遊ぼうぜ。


女:うーん、明後日の夜に用事あるけど、夕方に短時間なら空きあるかな?


男:お?別に短時間でいいよ。折角だし飯でも行こうぜ。


女:わかった。じゃあ15時に待ち合わせでいい?


男:オッケー。それじゃ明後日な。


男(М):彼女とはネット上の趣味で知り合い、イベントで何度か顔を合わせたことがある。ネットではよくからかって遊んでいたのだが、実際に会ってみての印象は『よく笑う良い子だな』といったところか。


〜明後日〜


女:久し振り〜!


男:おう、1年ぶりくらいか?


女:それくらい経つかもね〜、早いね〜。


男:あ、夜用事あるんだろ?何時くらいまで?


女:20時に着かなきゃいけないから…19時半くらいには出たいかな。


男:思ったより時間あるんだ?飯だけだと時間余りそうだな、どっかで時間潰す?


女:いいよー、どこ行く?


男:定番はカラオケとか?


女:オッケ〜。


男(М):そんな他愛も無い話をしながら歩き出し、時間は流れていった。とりあえず楽しそうに歌う姿が可愛かった。


男:さて、俺この辺り全然知らないんだけど飯どこがいい?


女:そこの先にすっごい安くていい居酒屋あるんだよ!


男:用事あるんだろ?アルコール入れていいのか?


女:だいじょーぶ!荷物届けるだけだから!


男:まあ、そっちがいいなら俺は構わんけど。


女:オッケー、じゃあ行こっ!


男(М):驚いた。自分から飲み屋を提案したのに弱い…恐ろしく酒に弱い。あっという間に頬が紅く染まっていく。


女:美味しいね〜。


男:ぷっ


女:え?何何?何で笑うの?


男:いや、可愛いなと思って。


女:何が??


男:酒弱いくせにやたら美味そうに飲むし、楽しそうに話すし、店員にすげえ笑顔でお礼言うし、なんか可愛いなと。


女:よく見てるねぇ〜


男:あ、そろそろいい時間だな。予定あるんだろ?


女:え?もうそんな時間?時間たつの早いな〜…残念。


男:なんだ?まだ飲み足りないのか?


女:待っててくれるなら戻ってきてもいいくらいには楽しいよ?


男:ぷっ、そんなにか?…いいよ、俺今暇人だし、適当に待ってるから行ってこいよ。


女:ホントに?じゃあ行ってくる〜。


男(М):そして店を出ようと席を立った。が、すぐに俺の気は変わった。


男:待った。


女:ふぇ?


男:俺も行くわ。


男(М):会話の受け答えはしっかりしているが何かとても心配だったのだ。電車移動だったのだが楽しそうに話す一方で足取りはふらふらしていた。折角なのでここぞとばかりに肩に手を回しておいた。


女:おまたせ~。


男:早かったな。


女:うん、借りてたもの返しに来ただけだからね。


男:そか。


女:夜はやっぱりまだ冷えるね、寒くなってきちゃった。


男:へそ出してるからだろ。


女:昼間は暖かかったんだもん。


男:ちょっと荷物持ってて。


男(М):そう言って持っていた鞄を手渡すと上着を脱いで彼女に羽織らせる。サイズ差もあって、半袖だった上着は浴衣くらいのサイズに見えた。


女:いいの?寒くない?


男:俺は寒いの好きなくらいだからいいよ。


女:そうなの?ありがとっ。


男:どうする?この辺だとどっか店ある?


女:うーん、またさっきのところ戻るか…おつまみ買ってうちで飲む?


男(М):まさかの宅呑みの誘いに驚いた。彼女のことを割とウブなイメージだと認識していたからだ。交友関係は広いとは思っていたが…


男:そんな簡単に家に男入れちゃ駄目だろ。


女:ん?大丈夫、人は選んでるから。アナタは嫌って言ったらしないでしょ?


男:まあ…


男(М):正直なところワンチャン狙い…ということは実際無かった。そもそも短時間でという前提もあったし地元に帰ったらもう会うことはないんだろうと思っていたからもう少し話したいくらいの気持ちだった。


女:じゃあうち行こっか。うちにお酒残ってて引っ越す前に空けちゃいたいんだ。


男:あぁ、なるほどね。


女:それじゃ途中でお買い物していこー。


男(М):そう言って歩き出すが相変わらず足取りはおぼつかない。勝手に手を繋いでやった。いいだろこれくらい?


〜女宅〜


男(М):絶句である。女の部屋に入ってここまで驚いたのは初めてだろう。別に女らしくないとかそういうことでは無い。間取りに見合わない量の段ボールが積み重なっていた、この中身が一体どうすればこの部屋に収まるんだ?それなのにまだ部屋中に大小問わず荷物が残っている。


男:…いつ引っ越すって?


女:明後日。


男:嘘だろ?終わるのかこれ?明日も夕方から予定あるんだろ?


女:なんとかなるでしょ〜。


男(М):などと呑気に笑いながら彼女は買ってきた具材で料理を始めた。あれが無いこれが無いと騒ぎながら料理をする姿が妙に面白かった。


女:はい、おまたせ~。


男:うまっ!?なにこれ?


男(М):一瞬で胃袋を掴まれた。とてもあんなに大騒ぎしながら有り合わせで作ったとは思えない出来だった。


女:ふふーん、どうよ。普段から料理してるからねー。


男:よし、嫁に来い。


女:いきませんー。


男(М):そんな話をしていると友人が配信アプリで配信を始めたので覗いてみることにした。共通の趣味なのもあり少し顔を出したのだが、後日その悪友共から『ヤッたんか?ヤッたんか??』などと言われたが、それでも俺はヤッてない。


男:明日予定あるしどうするかな、終電間に合うかな?


女:泊まってっちゃえば?


男(М):今から帰るのは確かに面倒だった。そして部屋の惨状を見て心配でもあった。用事は夕方だったしお言葉に甘えることにした。


女:すやすや


男(М):警戒心無く見事に寝ている。あまりに無防備なので「いたずらするぞ」と声をかけると寝ぼけながらもしっかりと「ダメー」と返ってくるのが面白い。逆に俺が寝付けない始末だった。


〜翌日〜


男:駄目だこりゃ、終わんねえ。


女:あー、どうしよ。


男:用事終わったらまた来て手伝ってやろうか?


女:えっ!?いいのっ!?


男:お礼はちゅーな。


女:それはしません〜。


男:残念。


男(М):お互いに夕方から予定があるということで昼過ぎまで荷造りを手伝い一度家に帰り用事を済ませ、夜に彼女の最寄り駅で再合流した。


女:おかえり〜。


男:ただいま。


男(М):このときの「おかえり」が妙に心地良く嬉しかったのを覚えている。


女:晩ごはん食べた?


男:いや、まだ。


女:じゃあサイゼで安飯でもしよっか。


男:いいよ。


男(М):そう言って歩き出すも途中で気になる店を発見したので入ることにした。


女:ここ、美味しいけど高いよ?


男:いいよ別に。引っ越しちゃう前に美味いもん食ってけ。


男(М):確かにちょっとお値段は高かった…。が、どうせ最後だし、美味そうに食ってるからいいか。実際美味かったし、なんて思っていた。


女:ふらふらする〜。


男:ホント酒弱いな、ほれ。


男(М):相変わらず少量の酒で足取りがおぼつかなくなる彼女の手をもはや当然のように引いて歩いていた。時折「寒い〜」と言いながら腕にしがみついてくる姿には自然と笑みが溢れた。


男:さて、やるか。


男(М):彼女の部屋に着くと荷造りを再開する。相変わらず終わりが見えない。聞けば聞くほど計画の穴が見えてきた。クリーニングの回収、調理器具、家具家電の整理撤収、ライフラインの手続き…「取ってきてやるから荷物段ボールに詰めとけ」と言ったのは確かに俺だが、見知らぬ土地で知らないクリーニング屋に見たことないスカートを回収しに行くというのは2度と無い経験だろう。


女:とりあえずこんなもんかな。疲れた〜。


男(М):一応の一段落を迎え、時間も時間だったのでこの日も泊まることに。お疲れさんと言いながらマッサージをしてやったら酷い有り様だった。


女:それじゃ寝よっか。ん!


男:?


女:腕枕、してくれるんでしょ?


男(М):首が痛いと言っていた彼女に「枕合ってねえんじゃねえの?腕枕でもしてやろうか?」なんて言った軽口が実現されるらしい。


女:すやぁ


男(М):相変わらず無防備に俺の腕の上で横になっている。「恐ろしく無防備、俺じゃなきゃ襲っちゃうね」

的なことを考えていると、ふと「もっと一緒にいたい」という感情に気が付いた。明日でお別れ、多分もう会うことはない。そう思っていたはずなのに、帰ってほしくないという思考が頭の中を支配していた。


女:どうしたの?


男:なんだろな、よくわかんね。


女:そうなの?


男:なんかモヤモヤする…よし、頭冷やそう、散歩行くぞ、付き合え。


女:うぇ?今から??


男(М):困惑する彼女を半ば強引に真夜中の散歩に付き合わせた。他愛無い話、今考えていること、連絡を取っていなかった時期の話、そんな話をしながら結構な時間を歩いた。そして部屋に戻り再び彼女は俺の腕の上で無防備に横になっていた。


男:…俺さ、お前のこと好きだわ。


男(М):普段の俺は手当たり次第に女の子を口説くような奴だ。あくまでネット上だが…。だがその実、奥手で自分の気持ちを相手に伝えることに臆病だ。冗談で誤魔化しながら相手の様子を伺い、確信が無ければ本心を打ち明けることは無い。餌は撒くくせに喰い付いてきても選り好みする。あれ?俺クズじゃね?

そんな俺が何の勝算も無く打ち明けた、前例の無いことだった。むしろ負け確定の勝負だと思っていた。


女:ありがと。


男(М):彼女はそう答えた。それ以上でも以下でもない。正直予想通りの答えだ。何故なら、意識して「付き合って」というようなニュアンスの言葉は口に出さなかったからだ。俺は彼女の元彼を知っている。そして彼女が今でもその元彼を好きだと口に出しているのを聞いている。そんな試合に挑めるほど俺は強くない。断られるのが怖い、傷付くのが怖い。だから、明確な拒否を聞かずに済むように自分の思いだけを身勝手に伝えた。ズルいやり方かもしれない。


男:そうだ、お手伝いのご褒美のちゅーは?


男(М):そう言ってまた冗談混じりの逃げ道を作って頬に顔を近付けていく。あっけない程容易く、唇は目的地に辿りついた。でも、唇同士が触れることは無かった。


女:口は駄目…それ以外ならいいよ。


男(М)それ以外ならよしと言われたので…俺は胸に手を伸ばした。怒られた。


〜翌日〜


男(М):この日は地元から彼女の父が荷物運びの為に車で来ていた。やはり荷物の量と部屋の惨状に啞然としていた。わかります、わかりますよ。俺も同じ気持ちでした。「これホントに全部車に乗るんか?」「俺は無理だと思います!」なんて話をしながら彼女の父や手伝いに来ていた彼女の父の同僚の方と荷物を片付けていった。この戦いは夕方まで続いた。


男:すいません、それじゃ自分はこの後予定あるのでお先に失礼します。ちょっと娘さんお借りしますね。


男(М):戦いを終え一息つくと間もなく俺は彼女を連れて部屋を出た。駅までの道がわからないので送ってもらうという理由をつけたが本当はただ話したいだけだった。車で送ろうか?と気を使ってもらったが勿論丁重にお断りした。駅に着き改札を入る前に2人で写真を撮った。「またね」と言って別れたが、それがいつになるのか、本当にまた会うことがあるのか、半信半疑だった。

ちなみにこの日は友人達と飲みの約束があったのだが幹事権限で時間を遅らせた。それでもギリギリだったが、許せ友よ。


ーーーーー


男(М):あれからというもの毎日のようにやりとりをしていた。おはようから始まっておやすみで終わる。

今日は何食べたとか仕事疲れたとか、そんなありふれた代わり映えのしないやりとり。でもそれが嬉しかった。長時間の通話を嫌う俺が寝落ち通話なんてものを初体験するくらい満たされた日々だった。


男:『そろそろ声が聞きたくなる時間じゃね?』


女:『え?わたしが?わかってるじゃん』


男(М):今までの俺ならこんなことはまずあり得なかった。ちょっと声聞きたいな程度のことはあっても、基本的にやりたいことをしていたい性格の俺は短時間の通話で済ませる。やりたいことが彼女との会話になるなんて思いもしなかった。


男:『やっぱ会いてえな、そっち行くわ』


男(М):唐突に言い放った俺。言うのは自由だが実現するにはクリアしなければいけない問題は山ほどある。1年前に事故にあい足を痛めてから仕事を休んでいた俺は貯蓄と労災で入る多少の保険金で食い繋いでいた。当時の職場が事故の隠蔽を図ったせいでまともな慰謝料請求も出来ず、足の痛みのせいで長時間立っていることが出来ないため職場復帰も出来なかった。貯蓄も底をつこうかというとき急に労災を打ち切られ完全に八方塞がりの状態に。どうにか足に負担のかからない仕事でリハビリを始めた、そんなタイミング。

でも、それでも、会いたかった。

俺は頑張ることが嫌いだ。確実な結果が待っていないから。「努力は必ず報われる」そんな耳触りの良い言葉を信じていない。


女:『頑張ったね』『お疲れ様』『ゆっくり休んで』


男(М):不思議なもので彼女からかけられるこの言葉だけで頑張れている自分がいた。リハビリで始めた仕事に加え、ほぼ毎日日雇いのバイトをこなして旅費を貯めていた。身体は悲鳴をあげているが心は満たされていた。これを乗り越えれば会える、明確なゴールが見えていたから。


男(М):だが、そのささやかな幸せが少しずつ崩れていった。彼女は演技に真剣に向き合っている。それは出会った頃から変わらず今も頑張っている。そこで俺は自分も使っている配信アプリのイロハを教えてみた。喜んでくれたようで彼女はそこで演技を楽しむようになった。いつしか仲良くしてくれる相手も出来たようでよかったななんて微笑ましく眺めていたのだが、気づけば彼女の興味は俺よりもそちらに傾いていたように見えた。

今まであったやりとりの頻度は減り、後回しにされることが増えた。束縛したいわけでは無いが、寂しさを感じる。毎日のようにしていた通話も相手は俺じゃなくなった。全く無くなった訳ではないが、声を聞きたいなと思ったときに通話アプリのアイコンで現実を見てしまう。


男:またあいつと話してんのか…


男(М):彼女のやることを応援したい気持ちは当然ある、協力は惜しまない。演技の為なんだと己に言い聞かせようとしても些細な変化が目についてしまう。

そんなモヤモヤを抱えながらも資金を貯め、約束の旅行の日が来る。


〜旅行1日目〜


男(М):早朝に現地に着き彼女を待つ。電車を間違え遅れてきたがそんなことはどうでもいい。ようやくだ、彼女が地元に帰ってから大して日も経っていないのに「やっと会えた」という思いが全てだった。


女:キャー、可愛いねぇ!


男(М):鹿を撫でてはしゃぐ彼女。


女:うわー、すごい。へぇー。


男(М):歴史に触れる彼女。


女:バニラあんまり得意じゃないから抹茶かな〜。


男:ソフトクリームの味論争をする彼女。


女:綺麗だね〜。


男(М):景色に見惚れる彼女。


女:はーい、ちゃんと作ってきたよ!おいしい?よかった!


男(М):リクエストした弁当を広げる彼女。


女:すやぁ


男(М):歩き疲れて電車の中で俺の手を握りながら眠る彼女。


女:いったぁ!痛い痛い痛い!


男(М):酷使した足をマッサージされて騒ぐ彼女。


男(М):彼女の見せる表情や仕草、全てが愛おしかった。それでもまだ、元彼の影に怯えていた。そして些細な現状の変化に怯え始めていた。そして俺はまた冗談交じりに言う。


男:もうさ、流されて嫁に来ちゃえよ。


女:だめですー、いきませんー。


男(М):こう返ってくるのはわかっていた。逆にわかっているから言えるのだ。


〜2日目〜


女:やりたいことあるんだ〜。


男(М):そう言って彼女はスマホの画面を見せてきた。着物だ。いいだろう、お前の着物姿が見れるなら行こうじゃないか。まさかの俺まで着物になった。


女:おまたせ。


男(М):先に着付けの終わった俺は彼女が出てくるのを待っていた。正直この時なんと声をかけたか覚えていない。多分可愛いねと言った気がする。何故そんな曖昧なのかというと単純に照れていたからである。


女:それじゃ行こっか。


男:どこから行こうか?


男(М):そう言いながらスマホを取り出し散策ルートを調べようとした時にミスをする。ホーム画面を見られた。待受は彼女だ。


女:おー?おーおー?


男(М):物凄く冷やかされた。仕方無いだろ、柄にも無く入れ込んでるんだ。


女:愛されてるね〜。


男:そうだよ、今更かよ。


女:伝わってるよ、ちゃんと。


男(М):そう、伝えてるんだ。ずっと。核心には触れないままで。拒絶されることを避けて。身勝手な想いを。俺が嫌いな、一方通行の想いを。


男(М):勾配の激しい道を慣れない恰好で歩き続け足の痛みを感じてはいたが、それでも彼女と一緒に綺麗な景色の中を歩く。大して中身の無い話を2人で笑いながら手を繋いで歩く。たったそれだけのことでこれ以上無い程の幸福感を感じた。


女:そろそろ帰らないとだね。


男(М):時間は有限だ。ずっと続けばいいと思える時間にも終わりが来る。無情にも現実に引きずり戻された。バスに乗り駅へと向かう。駅ビルで夜景を眺める彼女の背中を俺は静かに見ていた。自覚はある、露骨にテンションが下がっていた。それを見てか彼女が


女:もう1泊しちゃおっか?


男:なんだ急に?


男(М):外泊自体が難しいと言っていたのにまさかの2泊目の提案に驚きを隠せなかった。嬉しい気持ちは勿論あるが正直困惑が勝っていた。帰りのバスも取っているし宿も今から見つかるかわからない。何より彼女の家は大丈夫なのか?と心配していると


女:へへー、オッケーだって。


男(М):既に家から許可を取っていた。俺は慌てて宿を探し翌日の帰りの手段を探した。宿は割と早く見つかったが帰りの手段を見つけるのは大分苦労したのを覚えている。

どうにかその問題もクリアして宿にチェックインすると2人してベッドに横になった。


男:そんで?なんでまた急にもう1泊するとか言い出したんだ?


女:なんとなくだよ。


男:なんだよそれ。


男(М):これは期待していいよね?いいんだよね期待して!という気持ちが暴走しかけたが、そこはやはり俺。疑心暗鬼に陥る。とはいえこのサドンデスのチャンスタイムに何かしらの爪痕は残したい。俺は横にいる彼女に顔を近付けた。頬にはやはり簡単に到達する。しかし唇には頑なに届かない。彼女の考えがわからなかった。


男:わかんねえや。


女:ん?なにが?


男:こんなに好意剥き出しの男を引き止めてお泊りしといて、なんとなくって理由が。


女:…。


男:…。


女:…流されちゃった方が楽だって、わかってるんだ。


男:俺は軽い気持ちのつもりはないよ。


女:うん。


男:ただやりたいだけってんならお前んち行った時点でやってる。


女:うん。


男:あんなに必死こいて金工面してまで会いに来ない。


女:うん。ちゃんとわかってる。いつも真剣に伝えてくれてるって。


男:あいつ(元彼)とやり直すつもりは?


女:ない。


男:だったら…


女:でもね、わかんないんだ。自分の気持ちが…


男:…ゆっくりでいいよ。


女:え?


男:ゆっくりでいいから、ちゃんと見てくれるなら、流されてくれるなら、俺が全力でお前のこと守るから。俺のこと見て?


女:…。


男(М):その時初めて、唇が触れ合った。それでも「付き合おう」とは言えなかった。


〜3日目〜


男(М):慌ただしい朝。隣には愛しい人。関係性の名称に変化があったわけでは無いが、少し関係性は変わった…そう思っていた。時間に追われ急いで支度を済ませると駅へと向かう。


女:気をつけてね。


男:それはこっちのセリフだ。


女:あはは。


男:またね。


女:うん。また来月ね。


男(М):ひと月後に俺の住んでいる地方でイベントがあり、彼女はそれを見に来るということになった。あっと言う間の3日間、でも、以前とは違う、「次」があるのがわかっている。それは大きな1歩だと思っていた。俺は彼女の唇に触れ、その地を後にした。


ーーーーー


男(М):幸福を覚えてしまったからこそゆらぎが目立つ。「まあ、こんなものだろう」で済んでいたことですら不安へと変わる。3日間彼女を独占していたからこそ、尚更彼女のいない時間に孤独を感じてしまう。

無論俺自身も仕事や趣味、人付き合いで連絡の取れない時間はある。それは彼女も例外では無い。

それを頭で理解していても、俺でない選択肢を優先されることに寂しさと共に不安を募らせていく。

醜い独占欲だ。


男:またあいつらか。


男(М):この「また」が大きいのだ。まだ色々なところで交流を深めているなら気持ちは楽だったかもしれない。俺でない特定の誰か。その存在に怯えない程の自信は無い。関係値は変わっている、それは会話やメールの文章にも表れていた。

だが、縋れるものはそれだけ。共有する時間の減少は幸福を蝕むには十分な要素だった。


女:『ちょっと感情の動き激しくて…』


男(М):少しずつ頻度の減るやり取りの中で目にしたこの文章に何かが崩れる予感がした。普段と違うタイミング、言葉選び、そして彼女に見える疲弊。おそらく彼女は隠していたと思う。心配をかけないようにしてくれているのか、後ろめたいのか…それとも、俺は話すに値しない存在なのか。『何かあっただろ?』と打ったメールは送信すること無く消えた。不安が確信へと変わっていく中で俺は少しずつ目を背けていった。現実を見ないことで幸せだった時間に影を落とさないように。


ーーーーー


〜イベント当日〜


男(М):早朝に到着し再会した彼女の姿を見ても不安は消えなかった。事前に予定していたデートコースには時間が余っていたので港町を散策する。

いつもなら伸びてくる手が伸びてこない。当然のように繋いでいた手が今は宙を漂っていた。

普段からヘビースモーカーではあるが、彷徨う手の行き所を求めて煙草の数が増える。彼女のキャリーを持ち、タバコを持つことで繋がれていない手に正当性を持たせようとした。

それでも痺れを切らし手を伸ばす。


女:つかまっちった。


男(М):拒絶こそされなかったものの一瞬の躊躇いが見て取れた気がした。その後は繋ごうとすれば繋いでくれるし握れば握り返してくれる、ただそこに以前感じた体温以外のぬくもりを感じることは出来なかった。それでも俺は、その現実を認めようとはしなかった。離れていたからだと、同じ時間を過ごせば思い出してくれると、微かな望みに縋っていた。


ーーーーー


男(М):イベントが終わり彼女と食事を済ませ俺の家へと帰る。長旅や慣れない場所に疲労している彼女にマッサージを提案するが「アナタも疲れてるでしょ?」とやんわり断られる。これを優しさと捉えるか、拒絶と捉えるか。以前なら即座に優しさと答えただろう。今はそう答えることすら烏滸がましく思えた。


男:とりあえずシャワー浴びてきちゃえば?


男(М):1人で考える時間が欲しかった。


女:んー、後でいいやー。


男:いいから、入っといで。タオル置いといたから。


男(М):渋々浴室へ向かった彼女を見送ると俺は横になる。普段の俺なら確実に覗きに行っていたはずだ。そして怒られて不貞腐れる彼女をなだめて謝る。きっと彼女は『今回だけだぞ』とか言って許してくれる。そんな展開を期待して行動していたと思う。でも、しなかった。俺の期待する世界が存在していないと解ってしまったから。


男(М):入れ替わりで俺がシャワーから戻ると彼女は横になっていた。シングルの狭いマットレスに潜りこむ。求めていた距離、当たり前だった距離、守りたかった距離。彼女の頬に触れる、そして彼女の唇に向かう。


女:いや。


男(М):気付いてはいた。目を逸らしていた。勘違いであってほしい。夢なら醒めて欲しい。「やっぱりな」と「どうして」が俺の中で暴れ回る。


男:なんで急にいやになっちゃったの?


男(М):「今」急にではないことはわかっていた。


女:…ずっと、嫌だったよ。


男(М):…ずっと?…どこから?…いつから?…あの日も?…だったら何で?…静寂の中で脳が破裂しそうな程騒がしく思考が暴れる。


男:そっか…


男(М):静かに身体を離すと彼女に背を向けタバコを口に運ぶ。暴れる思考と感情を丁寧に排除しつつ逆転の手段を模索する。何通りものパターンを想定してハッピーエンドを探す。




男(М): ❨ 見つからない ❩




男(М):どう考えても、どう転がしても、きっと彼女の意思は変わらない。俺の予感が、考えが、たどり着いた答えが、全てのゴールを塞いでいる。認めたくない、諦めたくない、譲りたくない、離したくない…。「でも、手遅れだ。自分でもわかってんだろ?」自分の声が自分の中で響いた。その瞬間、俺は脱力してソファに倒れ込んだ。


男:…


女:…


男(М):沈黙が続く。


男:…俺じゃ駄目なのか?


女:……うん。


男(М):予感していた崩れそうな何か。それはこれだった。今すぐじゃなくてもいい、少しずつでもいいから俺を、俺だけを見て欲しい。そう願っていた想い、それが音を立てて崩れた。


男:なんで?


女:…


男:俺以上にお前のこと想ってくれる奴いる?


女…


男(М):味のしないタバコがどんどんと消えていく。多分この時点で俺の思考は停止していただろう。どうすれば…よりも、どうして…が強かったから。逆転の手立てを考えるよりも答え合わせに近い感情だった。何がいけなかったのか、何を間違えたのか。どうすればよかったのか。


女:わかんない。…でもね、そういのじゃないの。


男:俺は、どんな時も最後まで味方でいてくれる奴がいいと思うけどな…。勿論間違ったことすりゃ怒るけど、それでも最後まで味方でいてくれる奴。


女:うん。


男:…。


女:…言うか迷ったんだけどね…気になってる人がいるの。


男(М):ショックは無い。わかっていたから。ただ、目を背けていた現実を無理矢理見せられただけだ。


男:そんなにアイツがいいのか?


女:…わかんない。


男:アイツはお前のこと守ってくれんのか?


女:…わかんない。


男(М):彼女も察していたのだろう。誰と言わずともアイツで通じるということは俺が指すアイツが正解であり、俺が察していたということ。間違いであってほしかった。他の誰かの方がまだマシだった。それならば俺の知り得ない事。介入する余地の無い状況下での方が諦めがついた。


男:だったらなんで…


女:私ね…自分から人のこと好きになったことがないの。好きだって言ってくれる人はいるけど…。


男(М):自分から好きになったことが無い、と言われたらお手上げだ。俺は既に好意を伝えている。惚れた方の負け…こんな言葉を聞いたことがあるが、本来の意味と違うこの言葉がこんなにも刺さるとは。


女:はじめて…自分から好きになれそうなの。


男:そんな不確かなもの…そんなことでフラれんのかよ…俺…。


女:私にとってはそんなことじゃないんだ…知らないこと、まだ経験してないことを知りたいの。


男:上手くいく保証あんのか?


女:わかんない。


男:そんな不確定な道進んでどうすんだよ…俺と同じ道進んでよ…


女:…でもね、私がゴールしたいの。


男:……そっか。


男(М):気付くと頬を涙が伝っていた。この結果を予想していたはずなのに、頑なに認めなかった俺の心が、現実を受け止めた。


男(М):そこからは答え合わせの時間。あの時どう思ってたとか、本当はこうだったとか。俺の嫌な予感は殆ど的中していた。我ながら嫌なスキルだ。中途半端に頭が回るもんだから少しの変化やヒントで展開を推理出来てしまう。当たるのは大抵嫌なことばかりだが。都合のいい展開や望む展開が成立したことは殆ど無い。


女:私ね、拒絶されるのが怖いの。小さい頃のトラウマって言うのかな…


男(М):話が進むにつれ彼女の目から涙が溢れ出し呼吸が荒くなっていく。普段の彼女ならまず語らないであろう内容を打ち明けてくれたことに嬉しさというよりも感謝のような気持ちがあった。それと同時に嵌りきらなかったパズルのピースが嵌ったような感覚があった。行動を推測は出来てもそこに至る感情を推測するのは難しい。でも、その一端を知れた気がした。こんな時に、泣きじゃくる彼女を抱きしめる権利が自分に無いことが辛かった。


〜翌日〜


女:おはよ。


男(М):彼女の方が先に目覚めていた。本来の予定では朝から遊園地に行くはずだった。だが夜遅く、というより明け方まで話をしていたため起床したのは昼頃だった。


男:流石にこの時間からは無いか。


女:そうだねぇ。


男:どうすっか?


女:任せるよ。


男(М):女々しいのは自覚していた。でも、今日で彼女は帰ってしまう。このまま帰してしまえば後悔する。何故か強くそう感じていた。


男:やっぱり俺じゃだめか?


女:…うん。


男:…諦めてほしい?


女:…うん。


男:…そっか…


男(М):刹那、俺は泣いていた。自分でも驚くほどに。こんなにも涙が溢れたのはいつ以来だろうか。諦めることなど出来るはずがない、こんなにも身も心も呈して欲したことなんて過去に無い。前述の通り、俺は本心を打ち明けない、無謀な勝負を避ける、そして明確な結果が見えていない努力をしない。

そんな奴だ。その俺が全てを曲げてまで欲した人をどうしたら諦められるというのか。


男:ひとつだけ。…ひとつだけでいいから、お願いしてもいいか?


女:…なぁに?


男:…今日だけでいいから、俺のものになって…


男(М):今思えばズルいやり方だっただろう。だがこれが逃げも隠れもしない本心だった。本当を言えばずっと一緒にいたい。他の奴のところになんか行かせたくない。彼女こそ俺の幸せなのだから。


女:…いいよって言うのは簡単だけど…アナタはそれでいいの?


男:…俺の想いが…お前の負担になるんじゃ…仕方ないだろ…俺が想ってることで、お前がストレス感じるなら…しょうがないじゃん…


女:……いいよ。


男(М):優しい声だった。受け入れてくれた返事の言葉もそうだが、彼女の発したその声を聞いた途端、更に涙が溢れた。声を出して泣くなんてそれこそ本当にいつ以来のことか覚えていない。それはいっときの物だとしても彼女の愛を感じたから。そして己で課した「今日だけ」という宣告を覚悟したから。


男:大好きだよ。


男(М):涙で視界が歪み震える声でどうにか言葉を発し無理矢理な笑顔を作る。すると彼女は微笑み、ゆっくりと瞳を閉じる。再びたどり着いた唇に愛しさと切なさを覚えながら、身体を重ねた。


男:愛してる…。


男(М):1度だけ呟いた。これは俺なりのケジメだった。舞い上がっていた訳でも感極まった訳でもない。心の底から彼女が愛おしかった。その愛おしい人が別の誰かのところに向かおうとしている。それが彼女の望んだ道。それを応援する。本当は自分が幸せにしたい、守っていきたい。一緒に幸せになりたい。それでも本当に彼女の選んだ道の先が彼女の幸せならば応援する。そう覚悟を決めた時、その感情の名前は愛以外に見つからなかった。


男:アイツとは会う約束してんのか?


女:うん。


男:いつ?


女:来週。


男:そっか。


男(М):正直なところ、もうそんなに話が進んでいたことまでは予想していなかった。平静を装って茶化してみたりしていたが内心穏やかでは無かった。怒りでは無く、喪失感に埋め尽くされていた。


男:そろそろ出ないとだな。


女:うん。


男(М):彼女が帰ってしまう時間が迫ってくる。「今日」の終わりが近付いてくる。家を出る頃には俺は殆ど喋らなくなった。旅行に行った時と同じようで違う理由だった。寂しさが無いわけではない、むしろ無いわけがない。ただそれ以上に、自制することに集中していた。彼女に「頑張ってみろよ」と声をかけたからにはもう縋ることは出来ない。口を開けば彼女への想いが溢れる。だから、これでいい…。


女:手、繋いでいい?


男:…ああ。


男(М):家を出て少し歩いたところで彼女が口を開いた。そっけなく返した俺の手を彼女がぎゅっと握る。俺は握り返さない。いや、握り返せない。一瞬でも気を緩めたら爆発する。


男:帰り方わかるか?


女:多分大丈夫…だと思う。わからなかったら駅員さんに聞くし。


男(М):食事を済ませ、レンタカーを借りて彼女の乗るバスが出る駅まで送ろうかとも思ったが急過ぎて断念し最寄り駅まで送る。ここで身を引こうかとも考えたのだが心配が勝った。俺は黙って彼女のキャリーを引き、改札を入る。


男:…。


女:…。


男(М):沈黙の続く車内。何のきっかけもない、無心でいることを心掛けていたのに、不意に涙が頬を伝った。ふざけんな、こんな時に、こんな場所で。やっとの思いで我慢してた感情を出させるな。

俺は黙って顔を背けシャツの肩口で涙を拭う。バレないようにしたつもりだったが、彼女は俺の背中に手を回し、肩に頭を乗せ寄り添ってきた。余計に涙は自制出来なくなった。


男:…バス乗り場は?


女:えっと、多分ここ。


男(М):目的の駅が近付いてきたところでぶっきらぼうに声をかけた。彼女はスマホの画面を見せてきた。わかりにくい場所。ちょうど長距離バスの発着場所が微妙な距離を置いて散在する場所だった。

今度こそ駅まで送ったら引き返そうと思っていたのに、俺は黙って改札を出ていた。気付くと手を繋がれている、それでも俺は握り返さない。キャリーを持ち帰るフリをして手を離す。徹底して心を無に保とうとしていた。


男:じゃあ、ここだから。気をつけて。


男(М):バス乗り場まで案内すると俺はキャリーを渡し帰ろうとした。


女:帰っちゃうの?まだ時間あるよ?


男:とりあえず場所はわかったし、そこにカフェもあるから時間潰せるだろ。それに、アイツと話したいんじゃないの?


女:そんな気を使ってくれなくていいよ…。でも、引き止めるのも悪いもんね。大丈夫だよ、ありがと。


男(М):スマホの画面を目を凝らしながら見つめる彼女。そうだ、コンタクトが無くてよく見えていないんだった。


男:…わかった。バス来るまで付き合う。


男(М):そう言って彼女のキャリーを奪い取りカフェに向かう。飲み物とコーヒーゼリーを注文し席へ着く。無言でコーヒーゼリーを食べる俺。一瞬の気の緩みだった。


男:これ上手いぞ、ひとくち食うか?


女:じゃあ、ひとくちだけ。


男(М):そう言ってゼリーをすくいスプーンを差し出す。


女:うん、美味しいね。


男(М):そこでふと思い出す。


男:そういやお前、バニラ苦手だったか…


男(М):コーヒーゼリーにはバニラソフトが乗っていた。俺はそれをご丁寧に乗せて差し出していたのだ。


女:あ…。私ですら言ったの忘れてたのに、よく覚えてるね。


男(М):抑えていたものが一気に込み上げてくる。旅行のときの些細な会話の流れの1部、それすらも俺の中では根強く残っているのだと。そんな些細なことですら大切な思い出なのだと。自覚してしまった。


男:便所。


男(М):もう耐えられない。涙が溢れる前に勢い良く席を立ちその場を離れる。店の外に出ると雨が降っていた。俺は人目を避け声を出して泣いた。脳裏に過るのは彼女との幸せな時間ばかり、それが失われることを、この先それが増えないことを受け入れられなかった。必死に涙を拭い、考え、そして新たに決意した。


男:たとえ俺のそばにいなくても、俺がお前の笑顔を守ってやる。


男(М):俺は店内に戻りテーブルにつく。


女:おかえり。よかった。…帰っちゃったかとおもった。…それでも文句は言えないけどね…。


男:帰んねえよ。


女:…ありがと。


男:そういやさ、今度俺の主催のイベントあるじゃん。そこで少し時間つくってやろうか?


女:…え?


男:お前らの活動。ステージ使わせてやるよ。大した効果無いかもしんないけど、1人でも2人でもイイねしてくれるやつ出来るかもしんねえぞ。


女:まだそんなことしてくれるんだ…。


男:別に、気まぐれだよ。


女:そっか、ありがとう。みんなに聞いてみるね。


男:ん。…そろそろ時間だな、出るぞ。


女:うん。


男(М):店を出ると雨が強くなっていた。雨宿りをしながらバスを待つ。そして「今日」の終わりを告げるバスが来た。彼女が荷物を預け俺の前に戻って来る。


女:それじゃあ、帰るね。


男:気をつけて帰れよ。


女:うん、ありがと。


男:……


男(М):彼女を引き寄せる。


男:今日1日は俺の女だったよな、


男(М):笑え。笑顔を作れ。


女:うん。


男(М):そういって彼女は微笑んでくれた。無理してでも笑えよ俺。


男:ありがとな。


男(М):ぎこちない笑顔を作り彼女を引き寄せ抱きしめ、唇を重ねる。


男:大好きだったよ。


男(М):最後まで言い切れたかわからない。最後まで笑顔を作れていたかわからない。言い終わると同時に背中を向け振り返ることなく歩みだす。強まっていく雨が涙を隠してくれているかのように降り注いだ。


男(М):最後にせめて笑うために家を出てから感情を殺してきた。何も考えないように。自分に嘘をつくために。そして、精一杯の強がりを言うために。

最後に言う言葉は決めていた。

心にも無いことを、心から言うために。


ーーーーー


女:『ありがとう』


男:『なにが』


女:『好きになってくれたこととか』

『まっすぐ気持ち伝えてくれたこととか』

『ちゃんと話聞いてくれたこととか』

『好きだったよ。にしてくれたことたか』

『いっぱい』


男:『モヤモヤしたり嫉妬したり、笑ったり泣いたり、時には怒ったり、勝手な想いだったかもしれないけど』

『幸せだったよ』

『もっとお前といろんな思い出作りたかった』


女:『わたしも自分勝手だよ』

『あなたのおかげで私はまた少し成長することができました』


男:『死ぬ程悩んで、馬鹿みたいに考えて、苦しんで、もがいて、やるだけやって駄目なら戻っておいで』


女:『うん、ありがと』


男(М):みっともない。何が戻っておいでだ。自分が選ばれなかっただけなのに、彼女の意思で違う奴のところへ行ったのに。1度たりとも彼女を掴まえておけなかったくせに。諦めきれないだけの癖に。自分の女々しさに嫌気が差す。それでも俺は偽善者の仮面を被る。


ーーーーー


男(М):あれから俺は2つの自分ルールを決め「お友達」になった。今まで名前で呼んでいたが名前で呼ばない。好きだと言わない。普段は煙に巻くような発言や行動ばかりして本性を見せない俺だが、残念ながら今回は隠しきれていなかったかもしれない。ただ、彼女の「活動」を応援する気持ちに嘘は無い。俺がしてやれることは全部してやる。俺が与えてやれるものなら与えてやる。人脈だろうが機会だろうが技術だろうが、俺を利用したいなら利用すればいい。それがお前の糧になるのなら。


ーーーーー


男(М):そしていよいよ、彼女が「奴」と会う日が来た。正直行ってほしくない。上手くいったなら上手くいったで落ち込むだろうし、「奴」がヤバイ奴で彼女が酷い目にあったなら止めきれなかったことが許せなくなるだろうし、フラレたならフラレたで彼女が悲しむ。どう転んでも俺にとってプラスになる要素は無い。最もご都合主義な結末は「会ってみたら何か違うなぁ」で何事もなく終わり帰ってくること。そんなことありはしないだろうが。


男(М):結論から言えば告白する前に告白されたらしい。とりあえず彼女が危険な目にあわなかったという事に安堵した。つまり心配が消えたということは現実とだけ向き合えばいい。その向き合うべき現実は、彼女はもう他人の彼女である、ということ。それは完全なる敗北を意味する。


男:『負けたか』


女:『勝ち負けとかあるの?』


男:『だって俺選んでもらえなかったもの』


女:『色々経験した後ならよかったのかも』


男:『経験?』


女:『まだ色んなことを知りたいの』


男:『俺とじゃ駄目だった?』


女:『あなたとじゃ経験出来ないかな…したくないんじゃなくて』


男:『そっか』


女:『あなたとじゃ落ち着いてしまうけど、緊張感というか…お互い探り探りで1歩ずつ進んでいく、そういう初心な恋愛をしてみたいの』


男:『俺だって探り探りだったんだぞ。どこまで踏み込んでいいのか、どこで引くべきなのか、どこまで伝えていいのか』


女:『うん、ありがと』


男:『まあ今更言ってもしょうがないけど、お前に1回も好きって言ってもらえなかったのが悔しい』


女:『人としては好きだよ』


男:『俺が求めてるのと違うのわかってんだろ』


女:『わかってる、ごめん』


男:『まあ、俺じゃ駄目だったってことで今度こそ気持ちの整理つけなきゃな』


男(М):せめてもの負け惜しみ。


男:『お前と過ごした時間、本当に幸せだった』


女:『わたしも嬉しかったし楽しかったよ。心もいっぱい動いた。ありがとう、愛してくれて』


男:『心動いたならこっち来てくれればよかったのに』


男(М):ここで終わりにしないと。


男:『今度は過去形にしてやらない』


男:『俺はお前を愛してる』


男(М):諦めさせてくれ。


男:『だから俺が諦めつくくらい幸せになってみせろ』


男(М):「戻っておいで」なんて余裕ぶったことは言わない。俺の今の気持ちを全部ぶつける。


男:『それが出来ないなら俺のもんになれ』


男(М):これが俺に今できる精一杯の悪あがき。そして別れの言葉。


女:『ありがと』


男(М):奴と会うと聞いた日から俺はこの日を機に連絡を断とうと思っていた。ご都合主義展開ならまだしも、他のどの展開に転んでも俺のメンタルが耐えられる気がしなかったから。活動の応援はするつもりだったから完全に断絶とはいかないだろうが、個人的な連絡は自分を苦しめる、そう思っていた。だから、これでおしまい。


男:『ーーキリトリ線ーー』


男:『こっからはダチだ。とりあえず、おめでと』


男(М):思い出も、感情も、全部切り取ってくれればいいのに…。いつかはいい思い出になるのかもしれない。でも今は掴み損ねた幸せは苦痛でしか無い。


女:『せっかくキリトリ線してくれたんだけど、返信しなくていいから1個だけ言いたいこと言うね』


女:『約束はしないけど心には置いておくね』


男(М):酷い奴だ。俺の決意を一瞬で揺らがせる。でも、そんな言葉に縋りたくなる程、心を奪われている。そしてそれを期待している自分も酷い奴だと思う。俺の幸せを奪っていった奴のことなんて徹底的に憎み嫌えばいいのに、それすら出来ない。


ーーーーー


男(М):皮肉なものだ。自分で教えた配信アプリで出会った男に自分の幸せを奪われ、彼女と話すためだけに落とした通話アプリで彼女が奴と話しているのを知ってしまう。そこは俺の居たかった場所なのに。見なければいいのに、見てしまう。見たくないのに、見てしまう。忘れたほうがどんなに楽だろう。憎んでしまえばどんなに楽だろう。別の幸せを見つけたらどんなに楽だろう。あんなアプリ教えなきゃよかった。あんなもの教えなければあいつらは出会わなかったのに。そしたら俺の横にいてくれたかもしれないのに。


ーーーーー


男:『話せる?』


女:『今日はもう寝るよー』


男:『そっか』


女『おやすみ!』


ーーーーー


男:『ちょっと話そうぜ』


女:『やりたいことあるから』


男:『そっか』


女:『おやすみー』


ーーーーー


男(М):以前は心地良く感じていた「おやすみ」は意味を豹変させた。「おやすみ、また明日ね」だったはずの言葉は「おやすみ、彼と話すからもう連絡返さないよ」という拒絶の意味に変わっていた。

本人の口からそう言われたわけではないが、寝付けずに適当にスマホをいじっていると不意に通話アプリを開いてしまう。すると、いつも眠いからおやすみと言っていた彼女のアイコンは通話中になっている。


男:駄目だ…壊れる。


男(М):そうか、見たくないのに見てしまうなら、見れなければいい。見れなくしてしまえば見なくてすむ。知らなければいいんだ。一石二鳥じゃないか、毎日毎日毎日毎日奴と通話しているのなら俺と話すことなんて無い。話せすらしないんじゃ振り向かせるチャンスなんて訪れない、むしろ差は広がるばかり。だったらこんなもの、ただ疎外感を確認するツールでしかない。俺の心を蝕むデジタル表示でしかない。だったら…こんなもの、必要ない。


ーーーーー


男(М):そうして俺は通話アプリを消去した。自己防衛だ。いつか俺のもとに来てくれるかもしれないなどという淡い期待を抱え彼女を想い続ける。それでいいと思っていた。いい友達を演じ続けていればいつかは胸の内に留めて置いた想いが報われる日が来るかもしれない。そう思っていた。

彼女の手を握り、唇に触れ、身体を重ね、時間を共有し、幸せを築いていく。俺ではない誰かと。

表面上だとしても、仮面の下で涙を流していたとしても、いい友達ならそれを笑顔で見ていなければならない。その度に胸の何処か知らない何かが締め付けられる。一体何処が傷んでいるんだ。形も無い臓器が俺を苦しめるな。このままじゃ、笑顔を守ってやるという決意すら揺らぎそうだ。それすら出来ないんじゃ、俺のいる意味ってなんだ?何のために彼女の前にいるんだ?


ーーーーー


男(М):「あの日」以来、俺は意識してそっけないというか雑な対応をしていた。そうすることで自分に歯止めをかけるためだ。あくまでも俺の立場は応援する人でしかない。そんな中、彼女達のグループの活動の手助けが本格的に始まろうかという段階に入ったのだが、どうも連携がうまくいかない。というよりもやる気を感じなかった。そこで俺は正直な気持ちを伝えた。「やる気がないならやらなければいい。やる気があるなら手伝うが、そうでないなら時間と金使ってまで俺が介入する意味はないしモチベーションも維持できない」噛み砕いて言えばこんな感じだ。

それが引き金になったのか彼女の胸の内にあった色々な不安や想いが溢れた。涙ながらに話す彼女に俺は本音で対応してしまった。彼女の言葉や想いに対して発し応えたことに嘘偽りは一切無いが、対応「してしまった」のだ。


男:『泣くなよ』


女:『だって…』


男:『…まあ、泣きたい時は泣いていい。でも最後には笑ってろ。お前の笑顔守ってやるって言ったろ』


女:『うん』


男:『いつでも逃げ道になってやるから』


女:『ありがと。…良い人過ぎでしょ』


男(М):良い人。そう、良い人なんだ。それが全てなんだ。それでいい、今彼女の気持ちが楽になるのなら。その時はそれが最善だと思っていたし最善だったのだと思う。だが後になって思ってしまった。彼女は普段笑顔を絶やさないような明るい性格をしているが実際は割と抱え込むタイプだ。相談はしているようだが聞く限り正直あまり役に立ってはいないように見える。愚痴をこぼせる相手もいない。そもそも彼女は愚痴が嫌いらしいが、それを全て抱えていては自分が潰れてしまう。結構な爆弾を投下するときでもあまり涙を見せない彼女が目を腫らす程に泣いた。それ程のものを抱えていたんだろう。

それに対して俺は苛立ちを覚えていた。それと同時に悔しさと情けなさがこみ上げてくる。

「俺ならこんなになるまで放っとかないのに…」

毎日どんな話をしてるのかは知らないが、ここまで追い詰められるほど何で放っておいた。ただ楽しんでりゃ満足か。なんでもっと寄り添ってやらないんだ。なんで、なんで、なんで、なんで…

その位置にいるくせに、なんで…

そこにいたかったのに、なんで…

本来ならお前がやるべきことなんじゃないのか?選ばれたお前が、俺から彼女を奪ったお前が。

でも、選んだのは彼女で、選ばれなかったのは俺だ。情けない、悔しい。

俺より近くにいるくせに。俺の方が彼女を解ってるはずなのに。俺の方が彼女のために身体張れるのに…。

そんな独りよがりな考えが嫌になる。

俺がどう思おうが足掻こうが、それが事実であろうがなかろうが、選んだのは彼女で、俺を手放したのは彼女だ。

それだけは覆しようのない現実なんだ。


ーーーーー


男(М):日がたち本格的にイベントに向け活動が開始した。俺も協力すると言った手前、仕事の時間を調整しつつ忙しなく駆け回っていた。ぶっちゃけた話をしてしまえば俺には何のメリットも無い。金と時間と体力だけが消費されていく。強いて言うなら彼女にとって何かプラスになればいいと思ってのこと。自己満足の類だと思えばやれないこともない。そんな折、彼女が体調を崩してしまった。

それは仕方の無いことだし、むしろ心配だった。最初の内は普通にメールのやりとりもしていたが次第に既読も付かなくなっていく。時々返ってくる文章も短文で進めたい話題に関しては触れもしない。よほど辛いのかと1日中気が気がじゃなかった。結局は杞憂に終わるのだが。


ーーーーー


男(М):彼女が体調を崩した日から少し俺の心境に変化があった。「どうでもいい」という感情が顔を出し始めたのだ。俺がどれだけ身を削っても結局は二の次であるという現実に疲れたのだ。進めたい話があろうが奴との通話が優先。話したいことがあろうが奴と通話している。ハッキリ言ってしまえば彼女の笑顔を守るというのは、笑顔を向けて欲しいという気持ちから来るもの。決して無償の愛などではない。いや、最初は無償の愛のつもりでいたのかもしれない。ただ、結局は自分が負け犬なのだということに耐えきれなくなったのだろう。以前彼女に聞いたことがある。「アイツがお前に何かしてくれるのか?」と。彼女は「そういうのじゃない」と言っていたが、今現在、彼女達の活動に勢いが出てきているのは俺の力だと、悩みや葛藤に寄り添っていると、表でも裏でも支えている自信がある。それでも彼女が選ぶのは俺じゃない。所詮俺は彼女の進む道を鋪装しているだけのその他大勢の1人でしかない。せいぜいその他大勢のリーダー程度だろう。可能性があるんじゃないかと思わせる言動や行動があったとしても、それはただの勘違いで、期待しては絶望する。おそらくだか彼女に悪気は無い。多分知らないのだ。本当に人を好きになる、愛するということを。

これはあくまでも俺の持論だが、最終的に落ち着ける相手を見つけるために人は恋をする、終着点はそこだと思っている。だが、俺が彼女に言われた言葉は「あなたとじゃ落ち着いてしまうけど、初心な恋愛がしてみたい」だった。俺からすれば最高の評価だ。なのにそれを理由に俺は手放されたのだ。知らぬが故の無邪気な悪意。本人に悪意が無いからこそ辛い。悪意が見えれば怒りに変えることも出来るがそれも出来ない。俺がいつか来るかもしれない微かな望みを持ち続けたいのであれば、ただ楽しい時間だけを共有する彼女達のために身を削って道を示し続けなければならない。いつ気づくかも、いつ訪れるかもわからないその時を待ち続けなければならない。


いつでも逃げ道になってやると確かに言った。

でも、本当に逃げ道でしかない。

辛いとき、苦しいとき、もがいてるとき、道を示し逃がしてやる、答えを導いてやる。ただそれだけの存在。スッキリして奴と楽しい時間を過ごすための逃げ道。そう感じてしまった時「どうでもいい」という感情が芽生えてしまった。


メリットが無いどころの話じゃない。

彼女がいつか振り向いてくれる、微笑みかけてくれる。幸せを届けてくれる。

その前に、俺の心が死ぬ。愛が消える。

愛が消えてしまえば俺が彼女の前にいる必要も無くなる。俺のものになるならない関係無く応援するというのは一方通行だとしても愛があるからであり、愛が無くなれば応援などするはずもない。

俺は好き嫌いが如実に態度に出る。気に入った相手はとことんまで面倒見るし嫌った相手はとことんまで拒絶する。

嫌いたくないという気持ちを感じてしまっているということは少しずつその兆しが出てきているのだろう。嫌うことで楽になりたいと。

報われないのであればせめて、彼女を嫌いになる前に幕を閉じたい。

彼女への愛が残っている内に。

繋ぎ止めて欲しい。勝手な想いなのは自分でも理解している。だけど、こんなにも身も心も捧げられる相手に巡り会えたことを辛いだけの記憶にしたくないから。

ごめんな、無償の愛を捧げられなくて。

見返りを求めて。

未だにお前との未来を諦められなくて。

嫉妬して、勝手に落ち込んで。

せめて俺が諦めつく相手ならよかったのに。

何であいつなんだって気持ちが勝ってしまう以上、諦めがつかないんだ。

でもな、限界なんだ。

暗闇から俺が取り戻したはずのお前の笑顔が向けられる先が俺じゃなく奴という現実が。

俺が作ってやったはずのステップを昇った先にいるのが俺じゃなく奴という事実が。

耐えられないんだ。

「これだけしてるのに」なんて考える自分がダサくて女々しくて情けなくて、悔しくて。

惨めで…

そんな自分が嫌で、苦しくて。

奴が憎くて。お前が憎くて。


だから多分これが俺がお前に与えてやれる最後の機会だと思う。

今だけは全力で向き合うよ。全力で俺の持てる物を捧げてやるよ。


本当はもっと色々してあげたかった。夢に向かって昇っていくお前を隣で見ていたかった。

支えてあげたかった。

お前に俺の幸せになって欲しかった。

それが叶わないのなら、この文章はもう続かない。いや、続けない。

これ以上俺自身が傷つかないために。

これ以上君がいた季節を汚さないために。


これが最期の負け惜しみ。


勝手に幸せになれ。そして、俺の存在の大きさを思い知れ。なんだかんだいなくならないと思ってるんだろ?俺もそう思うよ。こんなに引きずったことはいまだかつて無いから。お前のことを考えない日は無かった。毎日お前のことを考えてた。どうやったら振り向いてくれるんだろう。どうやったらアイツの夢を応援できるだろう。どうやったら笑顔になってくれるだろう。

でも、無駄だった。やっぱり俺は勝算の無い努力は出来ない。…いや、多分出来る限りのことはした。けど、実らなかった。出来ないことはするもんじゃないと、らしくないことはするもんじゃないと思い知らされた。

だからこの想いは汚れきる前に、黒く濁る前に、心のどこかに閉じ込める。鍵をかけて、顔を出さないように。

どうせ捨てられないんだから。

俺の気付かないところで大人しくしていてくれ。

そうすれば少しは穏やかな日々を送れるから。

だから、俺の知らないところで、勝手に幸せになってくれ。
























でも、もしもお前が俺のことが必要だと思ってくれることがあれば、今度はお前から俺を求めてきてほしい。

それで鍵が開いたなら、その時は今度こそ俺と一緒の時間を歩んでいこう。


さようなら。


ーーーーー















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いい人止まり @initiator

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る