2話 私のチキンラーメンを食べろ。


心臓が聞いた事もない速度と音量で跳ねる。


私がこんなに焦燥感を抱くのは久しぶりかも知れない。


私の目の前にいるのは長い白髪で、見た目では4歳くらいの少女。

あまりにも細く痩せこけた顔や二の腕は、栄養も何も蓄えられていない様子が伺える。

見える所でも8箇所くらいに青アザがあり、涙を浮かべた瞳は、まるで私に殺されると思っているかのような恐怖を滲ませていた。


私の置かれた状況を読むより先に、この子の恐怖を取り除く必要があると即座に感じた。


大丈夫だ。

私は世界を一つ、プロンプトを支配した男。

この頭脳と圧倒的カリスマ性で、どんな佳境も乗り越えてきた。

今回もきっとうまくいく。

自分にそう言い聞かせた。


「ちょっと待ってろよ。」


私は彼女に静かに言い残し、その場を離れた。



この家のキッチンらしきところに出た。

水が出る蛇口や、火を噴射する装置などがあるが、どう考えても人が住めるレベルの広さではない。


プロンプトにこんな貧困な町があったなんて…。


反省した。

早急にセパレーターに頼んで、この町の調査をしてもらわねばならない。


「ん…?」


散らかった机の上に、何やら食べれそうな食べ物のパッケージが目に入った。


それを見た瞬間、ゾッとした。


「何だこの文字は…!?」


初めて見る文字。

どこをどう読んでも一文字も読めない。


「ここは…、プロンプトではないのか!?」


明らかにその文字は異国語だった。

プロンプトの言葉はどこにも書かれておらず、どれも違和感しかない文字…、なはずだった。


「あれ…?」


目を擦り、しばらくその文字を見つめていると、見たこともない文字のはずなのに、内容だけが頭に入ってくる不思議な感覚に陥った。

操作した事もない機械に触れたら、自然とどれがどの装置か理解し、気づけば完璧に操作できていたなんていう、そんな夢のような感覚だった。


「よ、読める!?こんな文字知っていたか私は!?」


違和感だったのが嘘のように馴染み始め、やがて全てを理解し、読むことができた。

私にここまでの才能があったなんて…。


「チキン…、ラーメン…。」


パッケージの表紙には、そう書かれていた。

その下には、麺に鶏の卵が乗って湯気が立ち込めているイラストが載せられていた。


「こんなのどう見ても美味いに決まってるではないか!」


ドン!


私はすぐに、近くにあったどんぶりを机の上に勢いよく置き、チキンラーメンのパッケージを破り、中に入っていた塊を乗せた。


「はっ?」


どんぶりの上に乗っていた塊は、イラストとは似ても似つかない麺の固すぎる塊だった。


「どういうことだ!?」


パッケージのイラストと見比べる。


「なんだこの詐欺パッケージは!?こんなものをプロンプトで作らせた覚えはないぞ!!」


怒りながら私はふと、パッケージの裏面を見た。


「おいしい作り方…だと!?」


熱湯をかける場合…、丼に麺を入れ、熱湯400mℓをかけてふたをして3分でできあがり…だあ?


「本当なのか…?」


私は棚の中に入っていたヤカンに蛇口で大体400mℓ程の水を注ぎ、隣に設置されている火を噴射する装置の上に乗せる。

そして元栓を捻る。


するとボッと青い火が小さく点いた。


何故だかわからないが、どうやら私はこの異国の地の文化を既に知っていて、それを自然に行う事ができるらしい。

しかし、私にはその経験の記憶が全く無い。

不思議だが、不気味でもある。


「そうだ。鶏の卵だ。」


鶏の卵がある位置も、何となくわかっていた。

白い大きな棚を開けると、冷気が私の体をくぐった。


「これは…、冷蔵庫。」


そこには案の定、鶏の卵がパックに揃えて入れられていた。


だんだんわかってきたかもしれない。

私は何故か、どこの馬の骨かもわからない謎の虐待ママに変わっていて、尚且つそいつの最低限のこの世界で生きる為の必要知識を共有できている…。


何が起きているのかさっぱりわからない。

自分の今の状況に、強烈な不安感が込み上げてくるが、今は考えてはダメだ。

優先すべきは彼女だ。


『ピーーー』


やかんから甲高い音が聞こえる。

私はすぐ火を止め、熱々のやかんを持ち、チキンラーメンと呼ばれた塊に当てるように注ぎ入れる。

そして仕上げに、卵を割り、塊のてっぺんに落とし、近くにあった皿でフタをした。


そして待ちに待った3分後。


「なんて事だ…。」


フタを開けると、冗談みたいに美味そうな匂いが湯気と共に鼻の奥に届く。

卵は程よく温められて綺麗な色をしていて、麺はツルツルにほぐれていた。


「素晴らしい発明だ…。誰が考えたんだこんなの…。すぐセパレーターに報告しなければ…。」


私は溢れ出る興奮を少しずつ抑え、箸と丼を持ってあの押し入れへと戻った。


「おい。腹が減っているだろう。これを食べろ。」


私は熱々のチキンラーメンを床に起き、彼女に差し出した。


しかし彼女はまだプルプルと体を震わせ、ガッチリと体育座りを固めたまま、その場を動こうとはしない。


「何をしてる?怯えなくていい。それは食べていいんだ。私が何をしたかは…、わからないが、少なくとも今は君の味方だ。」


彼女の潤んだ大きな瞳を見つめ、そう言った。


しかしやはり、彼女は動かない。


「王たる私が人に料理を振る舞うという事は、本当に特別な事なんだぞ?わかるか?」


彼女は動かない。


「私はこの国の王だ。その王が作るチキンラーメン、間違い無いだろ?さあ食べろ。」


彼女は動かない。


「王が食べろと言っているんだ!わからないか!?」


彼女は少し怯えるが、まだ動かない!!


「キーーーッ!何がダメなんだ!!」




「ママが…、体育座りを崩しちゃだめだって…。」



「え…。」


彼女は微かな声で、小さく呟いた。


「ママが…、体育座りを崩したら……。」


すぐ、それ以上言わせてはいけないと気づいた。

儚く、すぐにでも消え飛びそうな掠れた声。


私はそれを、先に消した。


「言わなくていい。体育座りとかいう行為に何の意味があるのか、今の私にはあまりわからない。だが、少なくとも今の私には必要ない。しなくていいんだ。今、君がするべき事は体育座りではない。」


私は深呼吸をし、言ってやった。


「私のチキンラーメンを食べろ。これは私の命令だ。」


そう言った瞬間、彼女のこわばった顔からは、まるで取り憑いていた何かが祓い去っていったようにほぐれていった。




今となっては、その言葉は正解だったどうかはわからない。


しかし、今私の目の前で彼女は、必死に熱々のチキンラーメンを息を吹きかけ、冷ましながら、使い慣れていない箸の持ち方で口に運び、すすっている。


豪快に、野生的に、本能的に、彼女は私の作ったチキンラーメンを遠慮もなしにガツガツと食っていく。


気持ち良すぎる食べっぷりに、何だか泣きそうになるくらいだった。


「教えてくれ。君の名前はなんだ…?」


私は恐る恐る彼女に一番聞きたかったことを訊いた。


彼女もまた、麺を啜りきった後、恐る恐る呟いた。


依莉那いりな…。」


依莉那と目が合う。

窓の外はもう夜明けの淡い光が差し込み始めていた。


今この瞬間は、100以上ある依莉那との壁をたった1つ壊したに過ぎない。



この夜明けから、私と依莉那との共同生活が始まった。

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エクスクラメーション・パンクチュエーション・クエスチョン わさび大佐。 @qcmly

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