第10話 フウの優しさ

「でも、雨海くんのことは嫌いじゃないよ」


「っ……!」


 ボクの、本心だった。

 雨は嫌いだ。だからと言って雨海くんが嫌いになるとかは絶対にありえない。

 もし、ひとつ言うとしたら。


「雨海くんも、雨みたいにさ」


 そう、高いところから。


「たくさんの景色を見てみてもいいかもしれないよ?」


 ボクみたいに、ボク以上に……。

 一番近くに心配してくれてる人が、大切に想ってくれている人がいるんだから。


 深い青の瞳が、大きく揺れた。

 強く、強く拳を握りしめ、下を向いている。


 ボクはそっと静かな教室を出た。


 外を見る。


 ――空が、泣いていた。


 ―――――


「天音ちゃん~! 今日遅かったね~。めっちゃ待ったよ~っ」

「ごめん、ちょっと用事があって」


 晴玲くん、出雲くん、雪良くんは先に帰っている。雨海くんは後で来るかな? 最近はフウと二人で帰るのが日課になっていた。出雲くんは待とうとしてくれたけど、申し訳ないから先に行くようにお願いした。フウはそれでも聞かなかったんだけど。


 こうして実際に待たせることもあるけど、まあ、フウがいいって言ったからね。

 多分、フウの言う通りボクが思っている以上に待たせていたんだろう。

 お詫びとして何か買ってやるか。


「何か買ってあげる。帰り道の途中の自販機にある飲み物だけだけど」

「え~。まあいいや。何があるかな~。リンゴジュースあると思う?」

「まああるんじゃないの。あそこの自販機は季節によって変わるからね……どうだろ」


 ゆっくり歩いて十分くらい経った頃。

 ボクとフウは自販機の前にいた。


「あ、リンゴジュースある! あ、でもオレンジジュースも捨てがたい……。あっ、みんなが言ってたイチゴミルクだ!」

「三つは買わないよ。二つ目からは自分でどうぞ」

「ええーーっ、いいじゃん、少しくらい」


 少しって……。それを誰が払ってくれると思ってるんだ。

 少なくとも、ボクは払わない。


「わたし結構待ったもん。十分か二十分は待ったよ」

「十分と二十分は結構違う……」


 でも、十分以上待たせていたのは事実。

 仕方ない、今日くらいならいいだろう。


「じゃあせめて二つね。三つは買わないよ」

「やった、天音ちゃん優しい~っ!」


 満面の笑みでボクに抱きついてくるフウ。

 ボクから小銭を受け取り、イチゴミルクを購入。


「友達がさー、これおいしいって言ってたのを聞いて、いつか飲みたいと思ってたんだよ~。まさかこんなすぐに夢がかなうとは……」


 友達が……ってことは、友達作りも上手くいっているってこと……?

 よかった、まあフウは人見知りしなさそうだから友達はすぐ出来そう。

 最初のころなんてボクの家に助け求めに来たぐらいだし……。


 ガコン、と音を立てて出てきたイチゴミルクを手に取ったフウ。続けてお金を入れて、あるボタンを押す。

 フウは出てきたそれを空いている手で取って、それをボクに向かって差し出した。


「はい、これ」

「え?」


 差し出されたそれを反射的に受け取る。

 ボクの手にあるそれは、リンゴジュースだった。


「天音ちゃんものど乾いてるでしょ?」

「……ありがと」


 結局は、ボクのお金だけど。

 それでも、ボクのために買ってくれたことが嬉しかった。


 微妙な沈黙を破るように、ボクはキャップを開けてリンゴジュースを一口。


 うん、やっぱりリンゴジュースはおいしい……。

 甘くて、ちょっと酸っぱくて。

 その割合もちょうどよくて。


「ん、イチゴミルクおいしい! 明日みんなと話そ~っ」


 ウキウキのフウを見て、ボクも思わず頬が緩む。

 フウが喜んでくれるならよかった。まさかこんなに喜んでくれるとは思ってなかったよ。


「ね、またおごって!」

「無理。自分で買って。お金分けたでしょ」


 今日おごってあげただけでも感謝して。まあ、今回はボクの方が待たせていたから悪かったとは思うけどさ。

 10分以上遅れたらって……ボクの方が不利すぎるよ。フウはどうせ遅れることないし。


 ワーワー言いながら歩いた道は、いつもよりもとっても短く感じた。


 フウと横並びで歩いていた時、ガサッと音を立てて、近くの茂みが揺れる。

 スズメだった。小さいスズメはボクたちの方にちょんちょんと寄ってきて、旅立っていった。


 それに続くように、周りにいたスズメたちも飛んでいく。


 そう、フウたちの故郷ふるさとに。


 ―――――


 家に着くと、リビングからにぎやかな声が聞こえてきた。

 どうやらみんなでゲームをしているらしく、かなり白熱している模様。

 そーっとボクは二階に行き、カバンをおろす。

 宿題をやらなきゃいけないのはわかっているけど、今日はこの後予定があるんだよね……。


「ごめん、ちょっと出かけてくるね」


 制服から私服に着替えて、ボクはあるお店に向かう。

 歩いて十分くらい経つと、見慣れた看板が目に入る。


『ガーベラ』


 ここは幸兄の働いているお店。

 こうしてたまたま学校帰りに(家に戻ってから)寄っているんだ。

 フウたちがボクの家に来る前は、学校から帰ってきた後は一人だったし……。

 一人の方が宿題とか集中できるけど、シーンとしてるの寂しいし。


 ここのお店は雰囲気もいいから、家とは違う静かさの中で落ち着いて宿題やれるんだよね……。


 ま、今となっては帰ってきたらフウたちがいるからいいんだけど……。


 今日は宿題じゃなくて、別の用事でここに来た。


 チリチリンッ


 ドアをひくと、懐かしい音とともにお馴染みの顔がカウンターからのぞいた。


「お、天音くん」


 学校帰りかな? とたずねてくる廉斗さんにボクはうなずく。


「とりあえず奥の部屋行って座ってな。イス用意しておいたから」


 廉斗さんがそう言ってくれたので、ボクは普段は立ち入り禁止にしている奥の部屋に向かう。幸兄も顔を出してくれて、「ちょうど一段落したから」とハンカチで手を拭いてボクの方に来る。


「あれのこと?」

「うん」


 あれ、とは。

 事前に少しだけ言っておいたことなんだけど。

 廉斗さんはボクたちにリンゴのクッキーを出してくれる。


 リ、リンゴ……っ!


 クッキーから香る甘い匂いに、ボクは目を輝かせる。

 そんなボクを見て幸兄は苦笑い。


「これ、家で作ってみたんだけど……よかったら味見してくれない?」

「い、いいんですかっ!」


 廉斗さんの言葉に、ボクは身を乗り出して確認する。


「ははは、いいから言ってるんだよ」


 やった!

 今日はラッキーっ!


「いただきますっ」


 小さな四角いクッキーを手にとり、ボクは口に入れる。

 その瞬間、ふわっとリンゴの味を感じる。

 香ばしい匂いもなんとも言えない。


「お、おいしい……!」


 幸兄も一つつまんで食べていた。

 サクッという心地よい音。


「あ、おいしいじゃん。俺これ好きだなあ……」

「ホント? だったらこれ全部あげるよ。天音くんも気に入ったみたいだし」


 ちらりと横眼でボクを見る廉斗さん。

 ボクはその視線に気づくことなく、意識をクッキーだけに向けて味わう。


「で……。天音。本来の目的忘れてない?」

「え? このクッキーを……」

「食べに来たわけじゃないでしょ?」


 そこでハッと思い出す。


「そうだ、相談したいことがあったんだ!」


 少し前から学校でも考えていたんだけど、やっぱりここは幸兄に相談するのが一番だと思ったから、いつか話そうと思っていたんだけど……。

 幸兄とゆっくり話せるときがなかったから、ずっと後に後になっていたんだ。


 じゃあ今はいいのかって思うかもしれないけど、事前に廉斗さんと幸兄に話をつけておいたから大丈夫。

 廉斗さんもそれを知っているから、奥の部屋に通してくれたわけだし。


「じゃ、おれは店戻るから」


 廉斗さんが片手をあげてボクたちに言う。

 ありがとうと幸兄が言い、ボクも幸兄に続いてお礼を言った。


「それでね、実は……」

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