第一章 宣戦布告

 高校三年生 春——。


 教室の窓から見える春の風景は、まるで絵画のように美しかった。桜の花びらが舞い、柔らかな陽射しが教室全体を優しく包み込んでいる。

 

 町中まちなか大輔だいすけは、ぼんやりとその景色を眺めながら、隣の席に座る川島かわしま春華はるかを意識していた。彼は教室の一番後ろ、窓際の席に座っていた。川島さんは、一心不乱にノートに向かっていたが、その横顔はどこか物思いにふけっているようにも見えた。

「町中、ここの問題を解いてみてくれないか?」教師の声に、大輔はハッと我に返った。教室の中は、いつもと変わらない日常が流れている。慌てて、教科書のページをめくった。えっと、何ページだっけ……?

 高校三年生。大学受験を控えている。受験はまだ遠い話と思っていた。やりたいことも、志望校も決まっていない。どうしてこうなった……。から、彼女を意識してしまって、勉強に集中できない。想いを伝えられないままでいる。

 

 

 一年前——。

 

 桜の花びらが春風に舞い、校庭をピンク色に染めていた。高校の入学式を思い出す。桜の花びらが舞う春の日、彼女をみて一目惚れした。

 

 俺は、いつもと変わらない放課後の景色を見ながら、校舎の裏手にある小さな公園に向かっていた。そこは、特別な場所だった。

 高校生になってから、ずっと川島さんのことを気にかけていた。同じクラスになり、同じ委員会で活動するうちに、彼女の笑顔や真剣な眼差しがいつしか心を捉えて離さなくなった。しかし、告白する勇気がどうしても持てなかった。

「また今日も言えなかった……」ため息をつきながら、ベンチに腰を下ろした。川島さんが図書委員の仕事を終えてやって来るのを待っている間、自分の気持ちと向き合う時間が、耐え難くもあった。

 川島さんが現れた。彼女はいつものように爽やかな笑顔を浮かべて、隣に座った。夕陽が顔を赤く染め、少しだけ沈黙が続いた。

「町中君、またここに来てるんだね。何か悩みでもあるの?」優しく声をかけた。彼女の声には、いつも包み込むような温かさがあった。

「いや、少し……。考え事をしていてね」微笑みながら答えたが、その微笑みにはどこか影があった。

「考え事? 何について?」川島さんは、興味津々で俺の顔を覗き込んだ。その瞬間、彼女の瞳に吸い込まれそうになり、自分の心の奥底にある感情が溢れ出しそうになるのを必死に押し留めた。

「何でもないよ。ただ……。将来のこととか、色々考えちゃってさ」

 少しごまかしながら言った。

「そっか、将来かぁ。町中君はどんな大人になりたい?」

 優しい笑顔を浮かべながら、俺の答えを待っていた。

「うーん、そうだな……。大人になって後悔しないように、今を大切にしたいって思ってる」自分に言い聞かせるように答えた。しかし、その言葉が自分自身に対する皮肉のようにも感じられた。

「素敵な考えだね。私も今を大切にしたいな」嬉しそうにうなずいた。

 その無邪気な笑顔を見て、自分の気持ちを抑えきれなくなりそうだった。

「川島さん……。実は、俺……」言葉を続けようとしたが、どうしてもその先が出てこなかった。心の中で「好きだ」と叫びたい気持ちが膨れ上がる。しかし、その一歩を踏み出す勇気がどうしても持てなかった。

「町中君、どうしたの? 何か言いたいことがあるなら、言ってよ」

 真剣な眼差しで俺を見つめていた。その目に、どこか希望を感じた。

「いや……。何でもないんだ。大したことじゃないよ」苦笑いを浮かべながら、心の中で自己嫌悪に陥った。言いたいことがあるのに言えない自分に、腹立たしささえ感じていた。

「そう? でも、何かあったらいつでも話してね。私はいつでも町中君の味方だから!」 彼女は、優しく言って、肩に手を置いた。その温かさが、心に深く沁み渡った。

「ありがとう、川島さん」

 心の中で感謝の気持ちを抱きつつ、結局何も言えない自分に失望していた。

 

 川島さんのスマートフォンが鳴り響いた。

 

「あ。ごめん、ちょっと待って」

 スマートフォンを取り出し、電話に出た。数分後、彼女は申し訳なさそうに言った。

「町中君、ごめんね。美保みほが迎えに来るって……」

「そっか、じゃあまた今度ね」失望を隠しながら微笑んだ。

「うん、町中君。じゃあね」優しく言って、その場を去って行った。

 桜の花びらが舞い散る公園で一人、呆然と立ち尽くしていた。

 心には深い後悔が残り、告白できなかった自分を責め続けた。

 川島さんは大学進学のために都会へと引っ越すことが決まっていた。

 そのことを聞いて、彼女と過ごす時間がもう限られていることを痛感した。


 

 高校三年生 春——。

 

 こんな世界、壊れちゃえばいいのに——。


 そう思った瞬間、窓の外で突然閃光が走り、耳をつんざくような爆音が教室全体を揺るがした。窓ガラスが粉々に砕け散り、教室は一瞬にして混乱の渦に包まれた。俺は反射的に身をかがめ、耳を覆った。

「何だ、これは……?」頭の中が混乱する中で、恐る恐る窓の外を見た。青空には黒煙が立ち上り、遠くで次々と爆発が起こっている。学校の外の景色は、一瞬で地獄絵図に変わり果てていた。

「空爆だ!」誰かが叫び声を上げ、教室の中はパニックに陥った。生徒たちは悲鳴を上げ、我先にと出口へ向かって駆け出していく。教師も動揺して指示を出すことができず、ただ震えているだけだった。

「川島さん!」隣の席に目をやった。川島さんは、恐怖に顔を青ざめながらも、机の下に身を伏せていた。彼女の震える手を見て、強く決意した。

「ここにいちゃ危ない。川島さん、早く!」叫びながら彼女の手を取り、机の下から引っ張り出した。ガラスの破片が散乱する床を避けながら、教室の出口へと向かった。


 廊下に出ると、さらに混乱が広がっていた。煙が立ち込め、瓦礫が散乱している。生徒たちは恐怖で泣き叫びながら逃げ惑い、校舎全体が不気味な揺れに包まれていた。

「非常階段はどっちだ……?」周囲を見渡し、咄嗟とっさに判断した。校舎の南側に非常階段があることを思い出し、川島さんの手をしっかりと握って走り出した。

「町中君、怖いよ——」声が震えていた。

 安心させるために、彼女の手を力強く握り返した。

「絶対に大丈夫だ」そう言いながら、必死に校舎を抜け出す道を探した。階段を駆け下りる途中、再び大きな爆音が響き、校舎がさらに揺れた。瓦礫が降り注ぎ、咄嗟に地面に伏せた。

「川島さん! 大丈夫?」再び彼女を引き起こした。

 非常階段を駆け下り、ようやく校舎の外へと飛び出した。


 外に出ると、さらに恐ろしい光景が広がっていた。空には黒煙が立ち込め、遠くで爆発音が鳴り響いている。街はすでに戦場と化し、車や建物が炎に包まれていた。

「どこに行けばいいの?」彼女は不安そうに周囲を見渡し、涙を浮かべた目で見つめた。心の中で冷静さを保ちながら、適切な行動を考えた。

「ここから離れよう。地下の体育館に避難するんだ!」

 彼女の手を引いて走り出した。昨年、作られた地下一階、吹き抜けの「体育館」鉄筋コンクリート・耐震耐火構造になっていて『緊急一時避難施設』に指定されている。


 地下一階の体育館にたどり着いた。ようやく一息つくことができた。広い空間に立ち、周囲を見渡すと、まだ爆発の音が遠くで響いている。体育館の中は混乱していて、生徒と教師がまばらにいた。

「川島さん、ここでしばらく様子を見よう。きっと救援が来るはずだ」

 優しく言い、彼女を安心させようとした。

「ありがとう、町中君」

 川島さんは、涙を流しながら、ギュッと手を握りしめた。

 

 

 20XX年 春——。


 戦争は人を変える——。

 私は怪物になってしまった。


 技術が進歩し、社会が変化しても、人の心は根本的に変わらない。みんながスマホに夢中で現実を逃れる中、私はひとり立ち止まって考えた。いい大学に行けば、いい会社に入れば、それで幸せになれると信じていた。でも、幸せって何だろう?

 

 大勢の人々がいるのに、その問いに答えられる人は誰もいなかった。

 

 私は今まで、周りの期待や価値観に翻弄されて生きてきた。でも、から、全てが変わった。私の中で何かが覚醒し、周囲の期待に振り回されることに疑問を持つようになった。もう他人軸で生きるのは辞めた。私は自分の軸で生きていくことを決めたのだ。

 

 桜の花が満開で、青春の光が差し込む中、私は新たな旅立ちを決意した。自分の人生を自分で切り開く決意を胸に、未来への一歩を踏み出す。周りの目を気にせず、自分の道を進む覚悟が、私の内に芽生えていた。

 これからは、ただ生きるだけでなく、生きる意味を見つけ出す旅に出る。そして、自分の幸せの定義を探し求める日々が、始まるのだと思う。

 自由と希望が満ちる春の日、私は自分の運命に向かって歩み始めた。

 

 

 高校三年生 春——。

 

 体育館は不穏な空気に包まれていた。俺は、仲間たちと一緒に、スマートフォンで最新の情報を収集していた。臨時ニュースにより、東京が空爆されたことが明らかになった。生徒たちは混乱し、悲鳴や叫び声が体育館内に響き渡った。


「どうしてこんなことに……?」

 呆然としていたが、すぐに現実を受け入れざるを得なかった。

 幸いにも備蓄の食料があった。もって「2日」と言ったところか……。食料の在庫が尽きつつあり、生徒たちの間には次第に緊張が高まっていた。

 

 数日が経過し、体育館の生活は限界に達した。食料が途絶え、生存に不可欠な物資が枯渇していく中、不満と不安が爆発寸前だった。

「もうこんな状態は耐えられない!」「どうしてこうなったんだよ!」

 人は、極限状態になると冷静な判断ができないみたいだ。

 親友の山口やまぐち隼人はやとに小言で問いかけた。

「なあ、隼人。ここから逃げださないか? このまま待っていても救援なんか来ない。暴動が始まるだけだ」

「大輔、何言ってんだ。外は危険だろ」

「いや、俺にいい考えがある。北海道へ向かうんだ。昨日、スマホで調べていたら、北海道は、。無傷だ。全国的に空爆を受けているのに、なぜか知らないけど、ここだけ、被害ゼロ。おかしくないか? そこにいけば、何かわかるかもしれない。ここにいても、何も変わらない。行動しないと未来は変わらないんだ。とりあえず、地下街に行こう。そこなら、空爆を防げる」

 ネットの記事を見せて、彼を説得した。

「なあ、大輔。確証はあるのか? なんで北海道まで行かなくちゃならないんだよ。おかしいだろ? 大体、攻撃を受けていないだけで、これから攻撃されない保証なんてないだろ。頭冷やせよ、大輔!」

 その後も説得を続けたが、俺の話に、耳を傾けてはくれなかった。

 口論が絶えない中、川島さんの姿を見つけた。彼女は周囲の混乱に巻き込まれることなく、落ち着いた表情で座っていた。その姿が俺に勇気を与えた。

 彼女の隣には、立花たちばな美保みほがいた。俺の幼稚園からの幼馴染だ。

「川島さん、ちょっといいかな……」

「何? 町中君……」

 疲れた表情で俺を見つめていた。

「よく聞いて、ここにいてもダメだ。もう少しで暴動が起きるかもしれない。一緒に地下街に行こう」

「え……。救援を待つんじゃなかったの? 外は危険よ。このまま待っていた方が安全よ」

「いや、安全じゃない。暴動が起こるのも時間の問題だ。とにかく今は、ここから逃げないと……」

「そんな……。なんでこんなことになったんだろうね……」

 川島さんは諦めモードになっていた。変わったのは俺だけでなく彼女もだった。

 その後、北海道が空襲を受けていないこと。食料が途絶えていることを説明した。

「ちょっと、大輔!」

 美保が話に割って入る。

「話、聞いてたよ。逃げる? 北海道? 一体どう言うこと? 頭おかしくなったの? どこにも逃げ場所なんてないよ! ここで助けが来るのを待っていた方がいいよ」

 幼馴染の説得は、俺には通用しなかった。もう決めたことなんだ。

「美保……。ごめん。俺は、ここから離れるよ。隼人をよろしくな」

「ちょっと、私の話、聞いてないの?」

 立ち上がって、身支度を整えようとした時、川島さんは、俺の袖を手で引っ張った。

「分かった。一緒に行きましょ!」

 

 

 数分後——。

 

 俺たちは決意を固め、体育館を後にした。外の世界は荒廃し、不安定な空気が漂っていたが、決意は揺るがなかった。

 地下街への道は遠く険しいものだったが、互いに支え合いながら進んでいった。

 未来は不透明ながらも、少しの希望を抱いていた。

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君が生きている街 TAKAHIRO | Vlogger @takahirovlog

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