とある絵に恋をしたらJDを養うことになった話

 __俺はある日、とある絵に恋をした。


 恋をした、というのはいささか浮かれすぎな表現な気がするが、確かにあの絵を初めて見た時の衝撃たるや、無色だった俺の人生が一気に色づいた感覚だった。

 ただ、その代償も大きかったと言うべきか。

 その絵に恋をした結果、なぜか生意気自堕落残念女子大生を養うことになったのだった。


「……いや、本当になんでだろうな……」

「それは惚れた弱みってやつですよ。パトロンさん♪」


   * * *


 無縁、無趣味、特にこれと言ってやりたいこともない無色な人生を送る男、それが目淵 白斗(めぶち はくと)という男だ。


 ただ漠然と大学を卒業し、会社に就職して、上司に怒られながらなぁなぁに生きる。

 いつしか、学生時代にあったであろう青春も色褪せ、家に帰った時に感じる一人の寂しさにすら心が動かなくなっていた。

本当にこれでいいのか?

そんな焦りはあれど、今更何か新しいことをする気はなかった。

ただ、今日も休日の日課の散歩をしていた。


「ん? なんかイベントでもやっているのか?」


いつもと変わらない散歩道。その通りがかりでい人ごみができているのに気づく。


「……行ってみるか」


 ただの気まぐれで寄り道したそこは、不定期で市が主催しているフリーマーケット会場だった。

 服に、使わなくなったおもちゃ、意外にもカードだったり、各々が持ち寄った物が雑多に売られている。

 なんというか想像通りのモノばかりでなんとも意外性がない。

 このままさっと通り抜けて家に帰ろう、そう思った時だ。

 大きな木の下、ところどころから漏れ刺した木漏れ日に照らされた“それ”が目に止まる。


 絵画だ。


 日常の温かさを色彩豊かに描かれた絵画たち。

 およそフリーマーケットの売り物としては似つかわしくないそれは、横目で偶然かすかに見えただけの目淵の心を掴んで離さなかった。

 血が通うというのだろうか。全身が熱くなるような、がむしゃらに体を動かしたくなるようなそんな衝動が湧き上がっていた。

 そんな情熱がまだ自分の中に残っていたことに驚く。

 落ち着こうと深呼吸を一度挟んだのち、その売り場の方へと歩みを進める。


「すみません。この絵は売り物なんでしょうか?」

「え⁉︎ お客さんですか⁉︎」


 尋ねると、この絵画を出品したであろう少女が驚いた風に声をあげる。

 そんなに驚かなくても、と思ったがよくよく周りを見れば絵画がもの珍しいからか周りの人は敬遠しているようだった。


「この絵は売ってますよ。これらの絵は私が描いたモノでして、全部自信作なんです! どうです? 見てて描いたくなったのでは?」


 値札を見れば一枚十万だったりとフリマに出店するものとしては似つかわしくないほど高いものになっていた。


「その……今ちょっとお金が必要で……私を助けると思って一枚どうですかね?」

「はい。ぜひ買わせてください」

「! ありがとうございます! 一枚も売れないと思っていたから……他のもどうです?」

「あ、二つ以上買ってもいいんですね」

「はい、そりゃあ売り物ですから大丈夫ですよ!」

「それじゃあ全部ください」

「はい! 全部ありがとうござ……ええ! 全部ぅ⁉︎」

「流石にダメでしたか?」


 全ての商品を買い占める、と言うのは流石に非常識だったかと少し焦る。


「い、いや、それは大丈夫なんですけど……そんなに私の絵が好きでしたか?」

「ああ、大好きだ。一目惚れ、とはこのことを言うんでしょうね。一眼見た瞬間から欲しくて仕方なくなってしまって」

「ふ、ふーん、好き、大好きですか……」


 先ほどからずっと並べられている絵画を見ているが一切飽きがくる気配がない。

 むしろ、他のどの絵を見れば見るほど自分の中の心が熱くなるのを感じてる。

 すると、少女が心配そうに尋ねてくる。


「……で、でも大丈夫ですか? 全部となると数百万近くしますが……」

「ああ、そのことならお気になさらず」


 かれこれ社畜として何年も働いてるからお金自体はある。

 無趣味で他に使うあてもなかったため、貯金自体はかなりあるのだ。


「支払いはカードでも大丈夫?」

「い、いや、フリマなんでカード対応とかは」

「それもそうか。ならおろしてきますのでちょっと待っててくださいね」

「あ、ありがとうございます!」


 全商品が売れた事実に嬉しそうにお礼を言う少女。

 目淵も良いものが買えると、足取り軽く近くのコンビニに向かうのだった。


   * * *


「ふぅ〜〜、こんな感じかな」


 購入した絵画を先ほど買ってきた額縁に入れて飾る。

 額縁を買いに行って分かったが額縁にも色々な種類があった。

 どの額縁が絵と合うか。せっかくならこだわりたいと悩みすぎた末、気づいたらせっかくの休日が夜になっていた。

 だが不思議と後悔はなかった。時間を忘れるこの感覚は本当に久しぶりだ。

 古めのアパート。たいして物がない空虚な部屋に飾られた絵画たちは空間を支配し異彩を放っていた。


「はは、やっぱりいいや」


 今の自分の表情が自然と口角が釣り上がりだらしない顔になっているのを感じながらも、その満足感に身を委ねる。

 久しく忘れていた生きているという実感を確かに感じていた。

 そんな時間を忘れたまま浸っていると、不意に邪魔が入った。

ピンポーン。

 呼び鈴が鳴る。


「こんな時間に誰だ?」


 窓の外を見れば真っ暗だ。

 疑問に思いながら玄関を開けるとそこに大量の荷物を持った一人の少女がいた。


「こんばんわ。数時間ぶりですね!」


 年頃は高校生ぐらいだろうか?

 容貌は幼さを残しながらも綺麗に整っており幼さを愛らしさに昇華している。

 こちらに向けられている笑顔は、見たものを勘違いさせてしまうであろうほどの威力を込められている。


「えっとぉ……部屋を間違えてたりしません?」


 目淵は見覚えがない少女だったためこの状況に困惑する。

 そもそも人生を振り返ってみても少女と接点を持つ、なんてこと自体がない人生だ。思い当たる節が本当になかった。

 パッと見た感じ、宗教やら商品の売り込みといった感じではなさそうだが。

 むしろ、こんな少女が夜道を一人歩いている方が逆に危険だと思うが。


「お忘れですか? 私は今朝、あなたが買った絵の作家です!」

「え? あっ、あの時の!」


 そう言われて思い出した。あの時は絵の方に目が行っていて気づかなかったが確かにあの時、絵を買ったときに接客をしてくれていた少女だった。


「私の名前は彩色 モネ。今日は私の絵を買ってくれて本当にありがとうございました。本当に助かりましたッ!」

「いやいや! 私が欲しくて買っただけですから、そんな頭を下げなくても!」


突然やってきては深々と頭を下げるモネに目淵は動揺する。

うーん、確かに高額な買い物ではあった。だがわざわざそこまでされる覚えもない。

提示された額を提示された分ちゃんと支払っただけなのだから。


「そうですか? それじゃあ…………お邪魔しますね♪」

「はい、どうぞあがっ……ってなるわけないでしょ」


 モネは顔を上げたかと思うとナチュラルに家の中に入ってこようとする。

 それを腕で通り道を塞ぐようにして止める。


「え? いや、なんで? なんで勝手に入ろうとすんの?」

「まあまあ、落ち着いてください。まずは私の話を聞いてください」

「なんでそんな冷静なの? 話をやめたのはあなただよね?」


 突然の展開の連続で頭が混乱する目淵。

 そんな目淵をほったらかしてなおもマイペースにとある『提案』について話始める。


「一つ、私の絵が大好きで大好きでたまらないというあなたに有益な『提案』がありまして」

「『提案』……?」

「と、その前にまずは私の状況を話さなくてはなりません。実は私、借金を背負っているんです」


 おいおいおい、と涙を流しながら自分の身に起こった悲劇について語り始める。


「正確には親の借金なんです。友人の連帯保証人になっていたらしく。払いきれなくなった両親が蒸発してしまったんです。そのせいで住んでいた家は家賃が払えなくなり追い出され、通っていた美大の授業料も払えなくなって退学寸前になってしまいました。お金が必要だった私は一か八かでフリーマーケットに参加したんです」

「そうしたら俺が全部買ったと」

「はい。おかげさまで授業料が払えてなんとか学校には通えそうなんです」


 そして、モネは力強く宣言する。


「それでですね。こうして無事学校に通えるようになり、そこで絵の勉強をして実力を上げたのち、絵でお金を稼いでやろうと思いまして! 不幸がなんだ、自分の力で大金持ちになって幸せになってやろうじゃないかと!」

「おお、いいじゃないか。きっと君ならできる」

「ふふん、あなたに言われるとそんな気がしますね」


 なんと強い子だろう。

 両親が消え、住んでいた場所も、環境も失いそうになったというのにめげずに笑ってこうも未来を向いて進むことができるとは。

 俺が同じ目にあったとして同じように前向きでいられる気がしない。


「なるほどな。君は強いんだな。それで結局『提案』ってのはなんなんだ?」

「それはですね__」

 モネはビシッと人差し指で目淵を指す。


「あなたに私のパトロンになって欲しいんです!」


 そしてそんなことを言うのだった。


「…………パトロン?」

「あ、わかりませんか。えっとですね、パトロンというのは優秀な芸術家を保護して経済的な支援をする人のことを言うんです」

「つまりあれか? 俺がお前を養うってことか?」

「そうです、そうです。結局、払えたのは学費だけで住む家はないままでしてこのままだとホームレス暮らしになっちゃいます!」

「いや、だからってさぁ! 男の家に上がり込むとか頭大丈夫なのか?」

「大丈夫です! もしものことがあったらその時は警察にあることないことぶちまけますか

ら!」


 慰謝料をじゃぶじゃぶいただきます、という彼女に完全に参ってしまう目淵。

 なんというか、芸術家は変人の集まりと聞いたことがあった気がするがここまで変だとは流石に想定外だ。どうにかしてお帰り願わないと。


「ダメだ! 俺はお前のパトロンになれん」

「なんでですか! 私を養ってくれたらあなたの好きな絵の新作がついてくるんですよ!」

「突然、深夜に家にきては見ず知らずの人ですが住まわせてください、と言われて家に上げられるわけないだろう!」

「くうぅ……ぐうの音も出ない……ッ」


 歯噛みをするモネ。

 なぜ、それが通ると思ったのか。ここは潔く諦めて帰ってもらおうとした時、


「それでも私、絵を辞めたくないんです……」


 ふと小さく呟いたのが聞こえたかと思うと、地べたに額をつけて頼み込んでくる。

 土下座の形だ。


「おっ、おい!」

「お願いします! 最低なことを言ってるのはわかってます。それでもこの先、私が独り立ちするまでずっとあなたのために絵を描き続けますから。どうか私を養ってください」

「……………………………はぁ、分かったよ……」

「え?」


 モネの全力の頼みに、目淵は世間体やらなんやらでたっぷりと迷いながらも、とうとう折れたのだった。


「お前のパトロンになってやるよ。その代わり毎月、必ず何かしら描けよ!」

「……ッ! ハイ! あなたのために誠心誠意描かせて貰います!」


 お邪魔しまーす、と部屋へと上がっていくモネ。

 部屋に上がるなり、


「わぁ、私の絵が本当に飾られてる! しかも額縁も絵に合わせてくれてる。ふへへ、さっきも毎月私の絵を欲しがってましたしどれだけ私のこと好きなんですか」

「お前じゃなくて、お前の絵な!」


 さっきまで頼み込んでくる立場だったのにそんなへらず口を言うモネの頭を軽く小突きながら、内心自分もおかしなことをしたと反省する。

 前途多難な自分の将来に不安を抱く目淵とは裏腹にモネは嬉しそうに振り返ってはウィンクする。


「よろしくお願いしますね! パトロンさん♪」


__絵から始まった奇妙な関係。

__のちにこの二人が結ばれることを、二人はまだ知らない。

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青空の気まぐれな短編集 青空 雨 @AmeAozora

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