第32話 アーメン


 利斗は自分が知りえた破那虚にまつわる情報を花子さんに伝えた。初めはショックを受け絶句していた花子さんだったが、話を最後まで聞き終えると、


「まぁ、辻褄は合うな……」


 と呟いて自分の死や処刑人として戦わされていた事実を受け入れた。そして利斗が言ったように、校舎の外に出ようと試みた。利斗とこっくりさんが見守る中、花子さんは足を踏み出したが、


「痛てっ」


 見えない壁に阻まれ花子さんは学校の敷地から出ることができなかった。壁にぶつかった鼻をさする花子さんを見ながら、利斗は首を傾げた。


「花子さんを作って支配していた破那虚が消えたのに、なんで出られないんだろう。こっくりさん、なにか分かりますか?」

「バッカ、利斗お前、そうこっくりさんになんでもかんでも聞くんじゃ――」


 花子さんはこっくりさんが巨大な顔を自分に近づけてきたため、その迫力に負けて喋るのを止めた。こっくりさんはずぅっと音を立てながら花子さんの匂いを嗅ぐ。花子さんは思わず顔と体を強張らせた。こっくりさんは花子さんから離れると、ふんと息を鳴らして言った。


『この童女にはふたつの縛りが課せられておるの』

「破那虚以外に、花子さんを縛っているものがあるということですか?」

『左様、この童女は言わば飼い犬のような状態だな』


 犬呼ばわりに花子さんはむっとしたが、今の超強化されたこっくりさんが勝てる相手ではないことはよく分かっていたので、黙って話の続きを聞いた。


『この童女を飼っていた醜悪な主人は消え去った。だが、そやつがこの童女をここに留めるために打った楔はそのままでの。飼い主が死んでも、犬を庭から繋ぐ鎖が勝手に消えぬのと同じことよ』

「その楔とか鎖ってのを破壊すれば、花子さんは開放されるんですよね。それはどうやったら壊せますか?」

『なに簡単よ。この七つ橋小学校を消し去ってしまえばよい』


 こっくりさんの言葉に利斗、そして花子さんも思わず息を呑んだ。


『破那虚とやらはこの学校を『鎖』にして呪いをかけ、その童女を縛った。故に、学校自体……縛りがすべて無くなれば、その童女はこの世から解放される』


 利斗は少し考えてからこっくりさんを見上げて言った。


「これはたとえ話なんですが、こっくりさんが本気を出せばこの学校を消し去ることも可能ですか?」

「おい、利斗! 何言ってんだ!」

「あくまでも例えの話だよ」

「例えでも言って良いことと、悪いことがあるだろ!」

『本気、本気と言ったか童?』


 こっくりさんは不気味にニヤリとしたあと、二人の言い争いをかき消すように笑った。


『ヴァハハハ! 本気など出さずとも、こんなぼろい小学校、跡形もなく消し去ってくれるわ!』

「答えてくれてありがとうございます。ちょっとお待ちいただけますか?」


 利斗はそう言ってから花子さんに向きなおった。


「花子さん、これはきみに決めて欲しい」

「え……?」


 呆気にとられる花子さん。利斗は深く息を吸ってから続けた。


「花子さん。ぼくは自分の都合できみに『選択肢』をあげようとしてた。学校から解放すればそれが手に入るって。でも違った」


 そう、違ったのだ。自分は花子さんにこうあるべき、という理想を押し付けようとしていたに過ぎなかった。やっていたことは破那虚と同じだ。それに、こっくりさんは『この世からの解放』と言っていた。つまり学校から解放されると同時に、花子さんの存在もこの世から消えてしまうことになる。


「だから、これは花子さんが選んでいい。学校はそのままで花子さんはずっと学校の用心棒をしてもいい。学校を消し去って、新しい場所へ旅立ってもいい」

「利斗……お前はどうなんだよ……」


 不安そうに利斗を見る花子さん。利斗は微かに笑って答えた。


「ぼくは花子さんの『相棒』だから。どんな選択をしても、ぼくは花子さんの味方をするよ」


 それを聞いて、花子さんは息を詰まらせた。そして俯いてぽつりぽつりと言った。


「わたしは……わたしは嫌だ……」


 花子さんの頬を涙が伝っていた。


「他のやつならいい。でも、でもお前が……利斗がどこかに行っちまうのをこの学校に縛られて見送るだけなんて嫌だ……!」


 花子さんの中で押さえ込んでいた物が、涙として一気にあふれ出た。信頼していた利斗が、頼りにしていた相棒を見送る自分を想像するだけで、胸が張り裂けそうだった。花子さんはまだ動く右手で必死に顔を拭うが、涙は止まらなかった。そんな自分がふがいなくて、花子さんはさらに激しく涙を流した。


「ごめん、ごめんなさい……! 学校、壊すことにして……! 最後まで、用心棒でいられなくって……!」

「何言ってるんだよ。花子さんが謝ることはひとつもないよ」


 利斗は花子さんの涙を拭うのを手伝った。花子さんの涙が触れる度に、利斗の手についた血が落ちていく。


「花子さんがこの学校で20年も戦い続けたから、他の誰かが殺されて『花子さん』にされることがなかった。花子さんは戦い続けて、みんなを救ったんだ。きみはヒーローで、誇り高きガンマンで、そして紛れもなく学校の用心棒だよ」

「うん……! うん……!」


 花子さんが頷いたのを見て、利斗は満足そうに笑った。そして笑顔のまま、こっくりさんを見上げ叫んだ。


「お待たせしました、こっくりさん! お願いします! この学校をきれいさっぱり消してください!」

『よかろう! 楽しい雅楽の礼だ! 童女のために盛大な『卒業式』にして見せよう!』


 笑いながら吠えるこっくりさん。次第にその足元には現れた時と同じように血の池ができ、次第にそれは学校の敷地全部を埋め尽くす海となった。こっくりさんが血の海に沈む代わりに、いくつもの獣の腕が海面から立ち現る。腕は校舎を、プールを、半壊した体育館を、七つ橋小学校を構成するありとあらゆるものを掴み、轟音を立てながら真っ赤な海の中へ引きずり込み沈めていく。


 そして校舎が沈んでいくにつれ、花子さんと周囲に変化が現れた。辺りは毒々しい赤に囲まれていたのに、花子さんを中心に暖かな光が天から注いだのだ。また、花子さんの周囲には朧げな人の形をした光が15人分現れた。利斗は気づく。


「歴代の『花子さん』たちだね」

「ああ、わたしと一緒でこの学校から、解放されるみたいだ」


 花子さんは先代たちを見渡した後、彼らと共に利斗に向き直った。


「利斗、ありがとう。最後までわたしと戦ってくれて」

「お礼を言うなら、こっちこそだ。今までぼくたちを守ってくれてありがとう」


 利斗は握手をしようと手を差し伸べた。花子さんも手を伸ばすが、その手は重ならずすり抜けた。


「あれ、なんで花子さんに触れないんだ?」

「ははっ、当たり前だな。わたしは幽霊なんだから、利斗が触れないのが普通なんだ」

「それも、そうだね」


 当たり前のことが利斗の胸に深く突き刺さった。なので利斗は自分の悲しみを和らげるため、そして花子さんの安息を願うため、祈ることにした。


「花子さん」

「おうよ」


 利斗は手を拳銃の形にして、花子さんを撃った。敬意を込めて。


「アーメン」


 花子さんは泣きながら、そして笑顔で言葉を返した。


「   !」


 だが、花子さんの言葉は聞こえず、その姿はまばゆい光の中に消えた。


 光が消えた時、花子さんも、こっくりさんも、そして七つ橋小学校も消え去っていた。サイレンの音が遠くに聞こえる中、血の海と化した校庭には利斗一人だけが残された。

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