第27話 顕現


 学校に辿り着いた利斗は大声で叫び、花子さんを呼んだ。


「花子さん! 聞こえてたら返事をして!」


 真っ暗な廊下に利斗の声だけが寂しく響く。手遅れだったかもしれない、と利斗は焦りを感じた。暗闇に目を凝らしながら校舎を歩き、花子さんの姿を探す。幸いにも花子さんの姿は2階の廊下で見つけることができた。花子さんの後姿を見た利斗は走り、転びかけながら近づいた。

 利斗に気づいた花子さんもゆらりと振り向く。目には隈ができ、視線は虚ろで今にも倒れそうに見えた。


「花子さん! 歩いてて大丈夫なの?!」


 そう利斗が声をかけたとき、花子さんがビデオの入った段ボールを抱えていることに気が付いた。校長先生が倒れた時のどさくさで、校長室に置きっぱなしになっていたのを利斗は思い出す。花子さんが具合が悪い中、自分の大切な宝物を探して学校中を歩いていたのは想像に難くなかった。


「ごめん花子さん! 借りてから返しに行くの忘れてた!」


 利斗が早口でまくし立てるのを花子さんは無表情で見つめていた。


「でも今はぼくの話を聞いてほしい! あとでどんなお説教でも聞くし、ぶん殴られてもいいから! 花子さんが何者で、なんで花子さんになったのか、本当の敵は何なのか、それが分かったん――」


 花子さんはどさっと段ボールを床に落とすと拳銃を抜いて利斗の額に突きつけた。利斗は花子さんの行動にただ驚くしかなかった。


「花……子、さん?」

「お前のせいだ……」


 花子さんの言葉に利斗は自分が遅きに失したと絶望しかけた。だが花子さんの取り繕った無表情の仮面が剥がれたことで、花子さんが破那虚に取り憑かれてはいないことが分かった。


「お前に会っちまったから、わたしは変わっちまった……」


 花子さんは胸の奥から苦し気に声を吐き出した。


「お前と遊びに行けたら、色んなことをやれたら。そんな考えが頭から離れねぇ……」


 花子さんは銃を降ろすと目をぎゅっと閉じ、呻くように言った。


「この学校から離れてもいいかもって、そう『思った』からどんどん力が無くなっていっちまってる……なんで、ずっとそんなこと考えなかったのに……」


 利斗はあることに気づいてしまい、その場にへたり込んでしまった。花子さんの不調は自分が原因だったのだ。自分が花子さんに関わったばかりに彼女の『思い』を在り方をいつの間にか変えてしまった。だから花子さんは具合が悪くなり、そして破那虚が動き出すきっかけになってしまったのだ。

 利斗と花子さんが別々の絶望感に打ちひしがれていたその時、校舎の闇の中から笑い声が聞こえてきた。老若男女子供の混ざった声が廊下に響く。


『いらない、いらない、弱い花子さんはいーらない』


 ごぼっ、という音が二人の近くの水飲み場の排水溝から聞こえた。


『いらない、いらない、戦わない花子さんはいーらない』


 くぐもった音と共に、排水溝の穴から萎びた手が伸びてきた。利斗も花子さんも、声と悍ましい光景に圧倒され、ただ水飲み場の方を見ることしかできなかった。


『いらないから、こーわそ。あたらしいしょけいにんをつーくろ』


 伸びてきた腕に続いて、薄汚い布が、そして腕が、また汚れた布が、排水溝からあふれ出てくる。そうして立ち現れたのは利斗が、そして花子さんも見たことのないような怪異だった。その怪異の体は古着の山で構成され、高さは3メートル。幅は10メートル近くあった。着物や衣類の山から、大量の萎びた腕が突き出ている。腕は大人のものが大半だったが、中には子供のものも混ざっていた。利斗は思い出す、FOXを乗っ取った破那虚は『罪人の血肉に宿った』と。つまり――


『ぼくたちの はなこさん を つーくろ』


 目の前の穢れた怪物こそが、破那虚だった。


 利斗は強い衝撃を頬に受けた。花子さんが利斗をビンタしたのだ。花子さんは叫ぶ。


「お前とはもう絶交だ!」

「花子さん、そんな……」

「お前といると弱くなる! そんなのわたしじゃねぇ! 二度と姿を見せるんじゃねぇ!」


 そう言うと、破那虚に向けて拳銃を向け発砲した。想像弾は衣服に小さな穴を作るが、蠢く腕の様子は変わらず、効果はないようだった。


「ちっ、こっちこい化物! げほっ! てめぇが何もんか知らねぇが、わたしが狙いなら追いついてみやがれ! ごほごほっ! ぶっ倒してやる!」


 そう花子さんは叫んでから、よろめきながらも利斗から距離をとり、破那虚を誘導するように走る。冒涜的な思念が宿った腕だらけの怪物は、腕をムカデの足のように動かしながら花子さんを追った。


 銃弾の音と、破那虚の発する耳障りな笑い声がどんどん利斗から遠ざかっていった。

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