4章 繋がれざる花子さん

第22話 体調不良


 7月の中旬。七つ橋まつり、そして夏休みを前に学校の児童のみなが浮かれる時期だ。

 だが全校集会が行われていた体育館に、そんな楽し気な雰囲気はなかった。

 全校集会の理由は児童への注意喚起だ。6年生を中心とした何人かの児童がショッピングモールで万引きをしたのだ。

 買い食いと違って万引きは立派な犯罪だ。それを児童がしたとあっては学校も黙ってはいない。やった当人たちだけではなく、みなに対しても、まるで犯人に対して言うようにとても長い説教を立たせたままするのが七つ橋小学校の教頭先生だった。


 利斗はまだ誰もいない壇上を眺めながら、心の中で教頭先生をなじった。やった当人たちを非難するならいざ知らず、なぜ事件と関係のない子供にも説教をするのか。利斗にはその理由がまったく理解ができない。花子さんは理由もなく人を襲う怪異もいると言ったが、ある意味では教頭先生も怪異と同じだと思えた。


 利斗は隣で立っている南条が顔を青くしていることに気づいた。南条は以前、全校集会中に貧血で倒れたことがある。また倒れてしまうのではないか、『男子なのに倒れた』と言われ恥をかくのではないかという恐怖に怯えていたのだ。利斗は小声で南条に話しかけた。


「南条くん。やばかったらぼくによりかかってて」

「誰がするかよ、そんなこと」

「ああ、きみはそんなことはしない人だ。でもぼくが『一身上の都合』で南条くんによりかかることはありえると思うんだ」


 周りから何か言われたら、いつも変わった言い訳をする自分を茶化すことでメンツを守れ、と利斗は言外に伝えた。


「わりぃ」

「気にしないで。困った時はお互い様だよ」


 しかし、利斗たちの心配は杞憂に終わった。壇上に上がったのは教頭先生ではなく、校長先生だったからだ。

 今年の春に赴任してきた鯖山校長先生は背筋のしゃんとしたおばあちゃん先生で、いつもかけている銀色縁の眼鏡の奥にある瞳はいつも優しそうな眼差しを児童に向けていた。


「みなさん、座ってください」


 穏やかな声がけに、全校児童が床に座った。南条も含む何人かは安堵のため息ももらす。


「今日、みなさんに集まっていただいたのは、とても残念なことがあったこと。そして皆さんにも気を付けていただきたいお話があるからです」


 その後も鯖山校長は声を荒げることなく、同じ学校で万引きをしてしまった人がいること。万引きは立派な犯罪であること。楽しい行事が迫っていると、心が浮ついて悪いことをしてしまいやすくなること。大人になってもそれは変わらないので子供である今のうちにしっかりと善悪の判断をする訓練をするように、児童に話した。


 校長先生の話は内容はとても大事だったが、分かりやすく、なにより簡潔で5分もかからず終わった。


 集会が終わり、全校生徒が体育館から出る時、南条はほっとしたように言った。


「マジで新しく来た校長があの人でよかったぜ」


 利斗も深々と頷く。


「前の校長先生はボケボケで、全校集会は教頭先生の独壇場だったしね」

「だな。体調不良になるこっちの身にもなってほしいぜ……というか、万引きした奴らが全員死ねってんだ。迷惑かけやがって」


 周りの友人たちが万引き犯を責め立てる南条に同調する中、利斗は別のことを考え、少し不安を感じた。


 体調不良。利斗の近しい人に、今まさに体調を崩して寝込んでいる人がいるからだ。


 皆で廊下を移動している最中、その体調を崩している人――花子さんが寝ているであろう、宿勅室をちらりと横目で見た後、利斗は教室に戻った。


 ◆


 放課後、利斗は学校の1階から4階、そして体育館や校庭をくまなく見て回る。梅雨時の曇り空を見上げ、上空に異変がないことを確認すると校舎に戻る。

 校舎内は今週末に行われる七つ橋まつりに向けて、いたるところに手作りの飾りつけがされている。もうしばらくすると、各クラスやクラブの出し物も展示され始める。

 利斗はそんなに華やかになった廊下を通りすぎ、花子さんのいる宿勅室へと向かった。廊下に誰もいないことを確認してから、宿勅室のドアをノックする。


「花子さん、入るよ」


 ドアの向こうから、かすかに咳き込む音が聞こえた。利斗は返事を待たずに部屋に入る。


 宿勅室の中はちゃぶ台が部屋の隅に寄せられ、代わりに薄い布団が敷いてあった。その中には花子さんがガンマン姿のまま丸まって寝ていた。


「花子さん、パトロール終わったよ」

「おう……わりぃ……」


 なんとか体を起こした花子さんの声はかすれて息苦しそうで、顔色も目に見えて悪い。まるで重い病気にかかったかのようだった。


「河童は……河童の連中は復讐に来てなげほっ! ごほっ!」


 利斗は花子さんの背をさすってあげながら報告をする。


「学校のどこにも異常はないよ。花子さんの心配してる河童も見かけてない」

「そうか……あいつらしつこいげほげほ! 連中だから、油断しねえようにけほっ!」

「無理しないで、寝てていいから」


 利斗に支えられながら花子さんは再び寝ころぶ。利斗は苦しそうに咳き込む花子さんを見ながら思い返す。

 花子さんの体調が悪くなり始めたのは『レギオン』との戦いが終わって少したってからだった。最初は軽い風邪のように少しせき込むくらいだったが、徐々に悪化していき、ここ数日で症状はかなり重くなった。今では立っているのもやっとで、放課後のパトロールは利斗一人で行っていた。


 怪異である花子さんを病院に連れて行くわけにもいかず、かといって人間用の薬も使えず。利斗は相棒として花子さんの苦しみを和らげてあげられないことに悔しさを感じていた。


「利斗……わりぃ、ビデオ新しく入れてくれるか?」

「あっ、そうだね。すぐ替えるね」


 利斗ができることは、花子さんの代わりに学校をパトロールすること。そして部屋にあるビデオを代わりに再生してあげることだった。

 ビデオデッキに入ってるビデオテープを巻き戻してから取り出し、ケースに戻す。そして別のビデオを入れる。最初は慣れなかった古いビデオデッキの操作も、今はスムーズにこなせるようになっていた。

 ビデオの再生が始まると、ましかくのブラウン管テレビに泥だらけの道を棺桶を引きずって歩く男の姿が写る。花子さんのお気に入りの西部劇の一つだ。画面を見た花子さんの呼吸が楽になる。

 怪異の世界は『思い』が重要だと花子さんはよく言う。大好きなものへの思いが、花子んの病状を緩和しているのだと利斗は推察していた。だがそれも限界のように利斗には見えた。彼女の調子が良くなる気配が一向にないからだ。


「じゃあ、ぼく帰るね。お大事に花子さん」

「おう……気ぃつけて帰れよ……」


 利斗は後ろ髪引かれる思いで宿勅室を出た。遠くの方から、七つ橋まつりの準備をする児童の楽しそうな声が聞こえてくる。その声を聞いて、利斗は決意した。今まで学校を、子供たちを、そして利斗を花子さんは助けてくれた。ならば今度は自分が花子さんを助ける番で、彼女を治す方法を見つけるのだと。

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