第21話 一身上の都合


 利斗たちとレギオンのコンサートから一週間後。放課後の音楽室には真理が奏でるピアノの音色が戻ってきていた。演奏が終わると、聞いていた利斗と花子さんは拍手をする。


「真理さん。よかったよ」

「ヒュー! 七つ橋小いちのピアニスト!」


 真理には利斗の称賛しか聞こえなかったが、それでもはにかんで答えた。


「ありがと。利斗くんのおまじないのおかげだよ」


 真理が左腕を上げると、そこには利斗が作ったミサンガがあった。真理にレギオンのことを話すわけもいかず、かといって何も真理にしてあげないのも心苦しく思った利斗に、花子さんが『おまじない』としてミサンガを贈ることを提案したのだ。


「この『元気の出るおまじないのミサンガ』って、利斗くんの知り合いの、モリコーネが好きな人が作り方を教えてくれたんだよね」

「うん。花子さんっていう名前で、前いた学校の友達。真理さんに『これからもピアノ頑張ってね』って伝えてほしいって言ってたよ」

「うん! 『ありがとう、頑張るね』って伝えて!」


 真理の言葉に顔がほころびそうになった花子さんは、表情を見られないよう、利斗に背を向けた。


「ところで利斗くん。今日はこのあとパソコンクラブで七つ橋まつりの準備?」

「ううん。ぼくの発表するやつはほとんど完成したから、今日は家に帰るよ」

「そっか、じゃあさ……」


 真理は少しもじもじしたあと、少しだけ頬を染めながら言った。


「このあと一緒に買い食いに行かない?」


 突然の誘いに利斗は戸惑い固まってしまう。花子さんはここぞとばかりに


「デートじゃねぇか。ヒュウヒュウ」


 と肘で利斗を小突いて囃し立てた。



 ショッピングモールのフードコート。今日も利斗の目の前にはほうれん草の缶詰が置かれている。前回と違うのは、向かいにいる真理の前にもストロベリードーナツの乗ったトレーがあることだった。


「付き合ってくれてありがとね」

「ううん。真理さんの快気祝いもしたかったし。じゃあいただきます」


 利斗は手を合わせてほうれん草の缶詰を開けようとしたが、真理がそれを制した。


「ごめんね。食べる前に利斗くんに質問したいの」

「ぼくに質問?」

「うん。利斗くん、どうして私にあんなに親切にしてくれたの?」


 利斗が音楽室にいた時のように固まった。真理は目の前の男の子のことが好きになりかけていた。なので、利斗も同じ気持ちか確かめたかったのだ。少し卑怯な気もしたが、彼の行動を引き合いに出して迫る。


「この間は利斗くんの言う通り私が秘密を話したでしょ? 今度は利斗くんのお話が聞きたいなー」

「それは……一身上の都合で」

「今日は『一身上』禁止! 私だけ話したのは不公平だと思うなー」


 真理はそっぽを向いてから、ちらりと利斗を見た。利斗はほうれん草の缶詰をじっと見ながら、少し震えていた。真理の理論武装は、利斗の誠実な部分を的確に攻撃し、口を開かせることに成功した。


「ぼ……ぼ、ぼくは……」

「ぼくは~?」


 真理は利斗を流し目で利斗を見ながら、答えを楽しみに待った。


「……半年前、交通事故にあったんだ」

「……え?」


 予想外の返事に、今度は真理が固まってしまった。利斗はぽつりぽつりと続ける。 


「父さんと、母さんと、車に乗ってた。あの日は休みで、ちょっとした旅行をしようって父さんが言って。母さんもぼくも賛成して」

「ごめんなさい、利斗くん。私の言ったことは忘れて。本当にごめんなさい」


 利斗は自分の口を閉じられなかった。追い詰められたことで『一身上の都合』という言葉の栓がついに耐えきれなくなり、内に秘めたものが噴き出して止まらなくなっていた。


「高速道路で、逆走してきた車がぼくたちの乗った車に突っ込んで、父さんと母さんは大けがして今も退院できなくて、ぼくは無事だったけど、変わってしまって」


 事故に遭った日、生死の境に踏み込んでしまった日から、利斗はこの世ならざる怪物、異形の妖怪、怨念を抱えた亡霊、そんな存在である『怪異』の姿が見えるようになってしまった。

 だが、利斗は怪異を恐れなかった。怪異という存在は利斗の想像以上に世界にありふれて存在し、三日と立たないうちに見慣れてしまったのだ。そして、別の恐怖がずっと利斗を支配していたため、怪異たちが利斗の心に入り込む隙はなかった。


「今でも、今でも、静かだと聞こえてきて、鉄がぶつかってひしゃげたり、人の体が壊れたり、父さんの母さんのうめき声が、だから、だからピアノの優しい音が頭に流れてたら安心して」


 利斗は聞こえないはずの音を防ごうと、両耳を手で覆った。


「だけど一番嫌なのは周りの大人の声で、みんな言うんだ。「ひとりでいても大丈夫だよね」とか「お爺ちゃんとお祖母ちゃんちでお世話になるから、学校が変わるけど大丈夫だよね」とか「事故の時の様子を話せるよね」とか」


 利斗の声が徐々に大きくなっていく。真理は彼にどう声をかければいいか全く分からず、ただ利斗の言葉を受け止めるしかなかった。


「みんなぼくに『選択肢』のない言葉ばかり言ってくる! ぼくが嫌だって言えないことを言ってくる! 『我慢』しなきゃならない言葉ばかり言ってくる!」


 大きな声で周りの視線が集まっていることに気づき、真理はようやく利斗に話しかけられた。


「利斗くん、落ち着いて。ここにそんなこと言う人はいないから」

「だから! だからぼくはぼくじゃない誰かが同じ目に合わないようにしなきゃいけない! こんな嫌な音はぼくの中だけに留めておかなきゃいけない!」

「利斗くん」

「だからAIのことを勉強して! 子供がひとりでいても面倒を見てくれるロボットを作って! 事故の起こらない自動運転の車も作って! いまのAIでもできることでみんなの『選択肢』を増やして! 『我慢』しなきゃいけないことを無くして! 真理さんだけじゃなく、花子さんにも『選択肢』を――」

「利斗くん!」


 利斗は目の前に飛び込んだピンクの物体――真理の突き出したストロベリードーナツを見て我に返った。ドーナツを差し出しながら真理は言った。


「私、利斗くんみたいに『自分以外の誰かのために』なんて立派なことはできない。でも利斗くんに『ほうれん草とドーナツを交換して食べる』っていう『選択肢』ならあげられるよ。どうかな?」


 真理は好きになってしまった男の子の心の苦痛を少しでも和らげてあげたかった。利斗は目の前のドーナツに戸惑う。


「で、でも。そうしたら真理さんが美味しくないものを食べることに……真理さんに『我慢』をさせてしまう――」

「利斗くん。私ね」


 真理は優しく微笑んだ。


「ほうれん草が好きなの」


 真理の言葉を聞いた利斗はドーナツを受け取ってしまった。その様子をみて真理は満足そうに頷いてから、代わりに缶詰を手に取った。


「じゃあ食べよ?」

「うん」


 利斗はドーナツを一口齧った。砂糖と甘味料の甘さが口いっぱい広がる。


「どう? 美味しい?」

「うん」


 利斗は流れ出そうな涙を、目を閉じ堪えて答えた。


「今まで食べたものの中で一番美味しいよ」

「よかった」


 利斗はこの日、真理のおかげで自分の近くにも怪異と同じくらい『選択肢』がありふれていることを思い出した。そして、


「おーい、お前たちなにやってるんだー」


 見回りに来た学校の先生の声で


「「あ……」」


 選択の先には結果が――今回は先生のお説教と保護者である祖父母への連絡という結果があることを身をもって思い出した。


 ◆


 利斗と真理が先生に怒られているころ。花子さんは学校の屋上のフェンスに腰掛け、ショッピングモールの方を見ながら笑った。


「ハハッ。利斗のやつ、今頃真理に告られたりしてな」


 予想が当たっていたら明日盛大にからかってやろう。そう思ってすぐ、別の考えが花子さんの頭をよぎった。もし――


 もし、自分が学校から出られたら、明日じゃなくて今日、利斗をからかえるのに。

 もし、自分が普通の人間で、他の人と話ができたら真理に直接ピアノの感想を言えるのに。

 もし、普通の人間で外に出られたら――


「利斗と外に遊びに行けたら、楽しいだろうな……」


 ため息交じりにそう言ってすぐ、花子さんはせき込んだ。


「あ~クソ。音楽室で大声出し過ぎて痛めたか?」


 苦し気に咳払いをする花子さんは気づかなかった。彼女の背後、校舎へ続くドアからしなびた子供の腕が覗いていることに。しなびた腕は花子さんが気づく前にドアの隙間に消えた。

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