ララ・ライフ
帆尊歩
第1話 ララ・ライフ
テレビからニュースが流れる。
飲酒運転の若者が小さい女の子をひいてしまった。
ニュースはそれで終わり。
でも当事者としては終わらない。
いくら飲酒の上の事故とはいえ、そこに殺意はない。
だから殺人にはならない重過失致死、それも若者は普通の刑務所ではなく、交通刑務所に拘留され、確かに社会的制裁は受けるだろうが、普通に社会復帰をしてしまう。
小さい女の子の両親の悲しみは消えない。
イヤ、それ以上に怒りが遺族の心をむしばむ。
(忘れる事は救いなのよ)君枝さんの言葉が、私の中で響く。
その言葉に私は同調出来なかった。
でもこういうニュースに触れると、現実としては忘れる事は救いなのかもしれないと思う。
そんな話を横にいる彼にしてみる。
彼は優しく微笑むと、私の目を見つめた。
「君枝さんの話は聞いた事がないね」そして私は彼に君枝さんの話をする。
君枝さんに出会ったのは、私が介護施設にボランティアに行った時のことだ。
別に私がそういうことに熱心な訳ではないんだけれど、その時通っていた高校が私立で、教育とかより良い人間形成の方針として、ボランティアへの理解を深める目的で課外授業としてそういうプログラムが組まれていた。
品の良いおばあちゃんが、食べたものを口からボロボロおとし、そんな事にも気付いていないように食事を続けている。
そんな姿にショックを受けたりした。
高校生の子供としては、品の良いおばあちゃんは尊敬の対象だった。
その人が子供のように食べたものをこぼす。
その時一人のおばあちゃんと出会った。
おばあちゃんは足が悪くずっと車椅子に座っていたけれど、何処が悪いのか分からないほど普通だった。
おばあちゃんは私のボランティア期間の間中、窓際で外の景色を眺めながら小さく歌を歌っていた。
でも歌詞はラララだったのでなんの歌か分からなかった。
最も歌詞を歌っていても、私はその歌を知らなかったから、分からなかったと思う。
「なんの歌ですか」
「興味があるの?」とおばあちゃんは、嬉しそうに答えた。
「いえ何だか良い歌だなと思って」これは嘘だ。適当に歌っているのかと思ったから、尋ねてみただけ。
「宮沢賢治よ。星巡リの歌」そんな歌があるんだなと思った。おばあちゃんは何もなかったかのように、また窓の外を見つめラララと歌い始めた。
「何を見ているんですか?」私はさらに尋ねた。
「風に揺れる木々」このおばあちゃんも普通ではないのかと思った。
「おかしい」とおばあちゃんは言った。
まるで私の心の声が聞こえたかのように。
「えっ、いえ」
「様々な物を思い出さないようにするために、窓の外を眺めているの」
「思い出さない?」
「そう、記憶は楽しい事ばかりじゃない。あなただっていやな思い出はあるでしょう」
「でもそれを含めての人生ですよね」
「生きていると、自らの命を絶ちたくなるような、悲しみや苦しみ、そして怒りがあるの。過ぎ去れば物理的な問題はない。
でも心はそうはいかない。
心の底に沈殿したそういう思いは、段々に心をむしばみ、そして体をむしばんでいく」
「そんな」
「辛さは、心と記憶が管理しているのよ」
「だから思い出さないようにするんですか」
「そうよ、忘れる事が救いであることが世の中にはたくさんあるの」
「おばあちゃんにも」
「君枝よ」
「君枝さんにもそういう思いがあるんですか?」
「忘れちゃったわ」
「でも、でもそういう悲しみや、辛さの先に幸せや喜びがあるんじゃないですか。喜びと悲しみはみんな平等で、今は辛くても、その分の喜びが人にはあるんじゃないですか」君枝さんはすこし笑みを浮かべると、
「あなたは良いお嬢さんなのね」
「そんな」
「人生は平等でもなく、幸せでもない。人生は不平等で、理不尽で悲しみと、辛さだけの人生を送る人もいる。それがライフよ」
「そんな」
「それがライフ。気の持ちようなんて言うけれど、そんな事では救えない、辛さもある」
「でも過ぎ去ってしまえば、そんな事も良い思い出」
「そんな事本気で思っている?」
「いえ」私はつい否定してしまった。
君枝さんに何があったのか、今となっては分からない。あの時も恐くて聞くことが出来なかった。
「人生は一つじゃない」と彼が言う。
「君枝さんのライフはそうだったかもしれない。でも僕らはまた違う生き方をするんだ。忘れる事は救済かもしれないけれど、忘れない生き方だってあっていいと思う。僕が忘れなくて良い人生を提供するよ」
「ありがとう」と私は言ったけれど、きっと君枝さんにだって、こういう幸せがあったかもしれない、そんな幸せがあったからこそ、その裏切りは苦しいのかもしれない。
きっと君枝さんは今日も窓の外を見つめながら、ラララと歌いながら人生を忘れようとしているのだろうか。
私は彼を見つめる。
私が忘れたくないと思う人生をあなたは私にください。
心のなかでつぶやく。
「何」
「何でもない。ララなライフが送れるように」そして私は彼を見つめた。
ララ・ライフ 帆尊歩 @hosonayumu
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