第22話 サンティと聖獣の国 5
フィクスムは既に傾き始め、風穴の入り口にその光を届けていない。それでも先代サンクテクォの姿は、フィクスムの光を反射しているかのように美しく輝いていた。その成体の足元で、幼体がサンティを興味深そうに眺めている。
「どうしてこんなことに」
サンティの目には、先代のサンクテクォが寿命を迎えているようには映らなかった。にもかかわらず、幼体が発生している。しかも、スキアボスたちに「眠らされる」寸前発生した自身とは別の幼体が。サンティはある可能性に思い当たったが、それを認める勇気がなかった。
サンティの横をすり抜け、前に立ったユーランに挨拶をするように、先代が片膝をついて鼻先をユーランの目の前に向けた。
「どうしてだと思う?」
サンティの方へ向き直ることなくそう聞いたユーランに、サンティは答えを返さなかったが、考えは届いていた。
「間違いなく種の存続のためだよ。そうとしか考えられないじゃないか」
それでも突然にこのようなことが起こり得るのか。懐疑的なサンティに対し、ユーランはそれを確信している様子だ。
「兆候は一万年以上前からあったよ。ファンデルが二体の聖獣の命を奪ったときに。それまでより、成体と幼体が同時に存在する時間が長くなったでしょ。そして、二年前にサンクテクォがスキアボスに襲われたとき、自衛のためのスイッチが入ったんだと思う。万が一、幼体が発生する前に命を落とすことがあっても、成体が他にもいれば種は保たれる」
種存続のための進化、あるいは退化。
弱い種ほど一体の親が多くの子を残す。つまり、聖獣は生物としての命の力が弱くなったということではないだろうか。サンティはそう思案していた。
「今回だけだと思うか? この幼体が成体になり、次も二体ずつの幼体を発生させるとしたら」
「サンクテクォが増え続けることになる。でも、現実的に考えて、そうなると思うかい? ボクは、そうは思わない。必ずどこかでバランスがとられるはずさ。それがどういう形で保たれるかっていうのは、分からないけどね。単純にこのまま増えると、聖獣の存在価値が下がるだけだろうし」
「存在価値だと。誰にとっての存在価値だ。そんなものに意味があるのか?」
「意味とか意義って言われたら、それはどうだろう。存在価値があったからこそ、これまでは守られていたけど存在価値が低くなれば、自分のことは自分で守らなければならなくなるかもしれないね」
サンティは先日までの自分自身を見ているかのような不思議な感覚で、幼体を見つめた。よく見ると自分とその幼体との間には、僅かな違いがみられた。外見に違いがあるということは、性質にも違いがあるのか。成体にじゃれつく動きにも、これまでと違う雰囲気があるのを見て、サンティはそうであろうと考えた。
「先代自身に変化はないのか?」
サンティが口に出しながら先代へ意識を向けると、先代は首を横に振った。
「寿命にはまだ時間がありそうだが、記憶はやはり成体の活動が停止する寸前までこの幼体には引き継がれないのだろうか?」
答えを持っているか分からないユーランに対してサンティは尋ねたが、やはりその問いにはユーランも憶測でしか返せなかった。
「少なくともまだこの幼体に聖獣としての力や知識は備わっていないから、聖獣としての働きはできないね。この幼体が発生して半年が経過しているけど」
「半年だと?」
聖獣が単為発生による世代交代を始めて以降、聖獣の成体は幼体が発生して丸一日以内に活動を休止し、数日中には完全にその命を閉じる。幼体へ能力と記憶を受け継ぐのは、これまで例外なく活動休止から死までの数日間に行われてきた。
「スキアボスは眠らせただけだと言っていたが、それだけでこのようなことが起こるものなのか」
「多分だけど、ファンデルの存在が関係してるんだと思う。ボクが発生したのはファンデルがバシリアスの手に渡る直前だったから、これまでと変わらなかった。サンクテクォのこれはやっぱり、一部の退化を含んだ進化だよね?」
なぜユーランが進化という言葉にこだわるのか。サンティにもその気持ちは分かっていた。
進化は他の種の犠牲を呼ぶ。自らの犠牲の先に進化がある。聖獣たちにとって、進化とは望まぬ死や犠牲と同義なのだ。進化と認めてしまえば、その先の犠牲を覚悟しなければならない。
「見て見ぬふりはできまい。大きな変化が訪れるのだろう。その変化をもたらすのがバシリアスとも限らないが、いずれにしても変化を受け入れる時だということだ」
先代と幼体を見つめながらそう話すサンティが、ユーランにとっては不満なようだ。
「だからバルバリの民やノヴィネスと話しをしたり、行動を共にしたりしても文句を言わないでって言っているように聞こえるよ?」
「組合に近寄らせたのはユーラン、お前ではないか!」
「それはそうだけど、今も目の前のサンクテクォより、あのミディエっていうバルバリの民のことが気になってるみたいじゃないか」
否定できない事実にサンティは一瞬呼吸も忘れ、返答に窮した。
「やはり、我々聖獣に言葉は必要ではなかったな。余計な言い争いが起こるだけだ」
苛立つサンティの気配に、サンクテクォの幼体は先代の後に隠れるように下がった。
「それは同感だね。キミはこれからどうするつもりだい? シェニムに留まってボクたちと一緒にスキアボスの手助けをするのか、それとも」
「私は聖獣サンクテクォだ。だが、サンティという名を名乗った時から、別の役目を背負ったのかもしれない」
サンティはそう言って、ユーランの言葉を遮った。
「聖獣としての役目は、この幼体が果たすのだろうな」
サンティはそう言うと、サンクテクォとユーランに背を向け、エクシートゥムの岬から去っていった。
シェニムにも人々の、ノヴィネスたちの暮らしがある。どの集落も小さく、ほとんどの者は自給自足の慎ましやかな生活を送っていた。
豊かな自然に囲まれ、その自然の恵みを享受し、自らもその自然の一部となる。
そんな暮らしの中にもフォッシリアの力は必要不可欠だ。
サンティは小高い丘の上から、ある家の暮らしを眺めていた。畑仕事から帰ってきた夫と妻が、共に収穫してきた作物を水で洗っている。その水は軒先に備えられた長方形の貯水槽の水を使っているが、その貯水槽へ水を供給しているのもフォッシリアの力だ。
作物を洗う作業を妻に任せ、夫は大きな鍋一杯に新しい水を汲んだ。その水を沸かすのもフォッシリアの力を使っている。
ノヴィネスがバルバリの民より創られて一万年。彼らは創られたころと何ら変わらない。フォッシリアの力を使ってはいるが、それを用いて新たな道具を創りだすのは稀だ。それは、僅かに残るアンテの過ちの記憶がそうさせているのかもしれないと、サンティは考えていた。
しばらくすると、その家に二人の幼い子供が帰ってきた。森の中で遊んでいたのか、衣服は土や葉で汚れている。二人の子供はそれぞれに袋を持っていて、その袋の中から互いに成果を競い合うようにして木の実を出し、母親に見せ合っている。家から出てきた夫が笑いながらその二人の子供の頭から水を浴びせた。冷たい水を浴びる子供たちもはしゃいでいる。
その子供のひとりとサンティとの目が合ったとき、子供がフィクスムに祈りを捧げるのと同じ格好でサンティに対しても祈った。その動きを見たもうひとりの子供と両親もまた、サンティに祈り始めた。
「やめてくれ」
声に出しはしない。だが、サンティは胸の奥でそう呟いていた。
翼を持つ小さな生物たちが木々の上で眠りについているシェニムの森深く。はるか遠くの小さな星たちが無数に散らばる夜。サンティは静かに自身と向き合っていた。
ユーランからファンデルへの復讐が目的と聞いたときは、何とも身勝手なと正直そう思っていた。
ファンデルが二体の聖獣を犠牲に、スキアボスとノス・クオッドを創り出した現場を当時のサンクテクォは直接見ていない。
しかし、サンティには仮にその現場を直接見ていたとしても、ユーランのように復讐心に燃えるとは思えなかった。
そもそも聖獣とひと括りにされているが、全く違う種族である。
アンテによって与えられた「聖獣」という呼び名と地位に、聖獣たちは長く胡坐をかきすぎていたのかもしれないとサンティは振り返った。そしてそれは今でも続いている。
確かにアンテやスキアボス、ノス・クオッド、ノヴィネスやその他の生物たちに比べれば、圧倒的な強靭さや能力を持っているかもしれない。これ以上の進化は必要ないと、聖獣たちを構成する生命の根源がそう言っているようでもある。
だが、だからこそ、サンティにはユーランが逆襲と言いながらその実、進化の秘密に固執しているように感じられた。ファンデルへの逆襲と言いながら、バシリアスとファンデルとの関係の真実に酷く執着しているように見えた。
サンティは幼体での二年を、クウォンテと共に過ごした。ピートと共に過ごした。組合の皆と過ごした。あの二年は、サンティにとって何よりも尊い時間だった。アンテが滅び、ファンデルが眠った
この世界を汚したアンテ。そのアンテを暴力で止めたファンデル。そのファンデルによって創り出された新たな種。ファンデルが残した八つの不完全なコピー。それらと繋がり、ゆっくりと進化をし、前を見据えるスタークとミディエ、まだ見ぬオルビスと繋がるバルバリの民たち。
彼らと繋がるファンデルは、果たして断罪すべき存在なのだろうか。
そう疑問を持つサンティはもう、聖獣サンクテクォではないのだろうとサンティ自身感じていた。あの二年という月日に、そう裁断を下されたのだと。
ファンデルの復活とサンクテクォの変化。世界は確実に変ろうとしている。
破滅の罪人 1 バルバリの王と
破滅の罪人 1 バルバリの王と機憶石(フォッシリア) 西野ゆう @ukizm
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