第7話 捜査

 週の明けた月曜日の午前中、ホープ製薬の本社、中でも営業本部は国崎英雄の殺害報道にバタつき、社内外への対応に追われていた。

 そのホープ製薬本社に、大月中央署の西島刑事たちは、所轄の日本橋署の刑事の協力を得て訪れた。

 応接室に通された西島たちは、対応に当たった総務課長に訪問の趣旨を説明し、国崎の所属する部署の上司と部下との面会と、国崎の業務机の中の確認をすることの了解を求めた。

 販売企画部長の下松と面会した西島は、国崎が誰かから恨まれたりしていなかったか、部長として気になることはなかったか質問した。

 「恨まれていたかどうかは、正直私にはわかりません。気になることと言えば、うちの会社は合併した会社ですから、出身会社の違いで思い入れも違いますし、ポスト争いも存在することです」

「国崎さんもポスト争いの中にいたということですか」

「ポスト争いというか、競い合いはあったと思います」

「競い合いですか。どなたと競い合っていたんでしょうか」

「本社内の全ての課長がライバルでしょうが、最も競い合っていたのは、販売企画二課の課長ではないでしょうか」

「二課の課長さんですか。その方は‥‥」

「今の課長は、十月に着任したばかりですから、前任の課長になるのでしょうが、その課長は事故で一か月以上入院しています」

「はあ‥‥、入院ですか。念のためお名前を教えていただけますか」

「森重と言います。杏雲大学病院に入院している筈です」

「森重ですか‥‥」

 下松との聞き取りを終えた西島は、「森重か‥‥」とまた呟いた。

 「係長、入院しているんじゃ殺しは勿論、何も出来ないですね」西島の隣に座っている刑事が小さな声で言った。

「ああ、そうなんだが、‥‥競い合い相手の父親と会おうとしていたということが、どういうことかなと思ってね」西島はそう言うと、腕組みをして溜息をついた。

 その後、国崎の部下だった販売企画一課の課員たちからの、聞き取りから浮かび上がってきたことは、国崎が恨まれるとしたら、前販売企画二課長の森重だろう、ということだった。

 聞き取りを終えた西島たちは、国崎の業務机の中を調べるために二階の営業本部に向かった。

 西島たちが、机の中の資料、ファイルを調べている中で、一人の刑事が「係長、これは」と言って、一枚のA4用紙を西島に渡した。

 その用紙には「息子のことでお話ししたい事があります。十月十日土曜日午前九時三十分に扇山の山麓、梨の木平で待っています。森重勇作」と印刷されていた。

 封筒の消印は三鷹局、十月四日十二時から十八時となっていた。西島たちは、このワープロで印刷された手紙と、国崎の机に入っていた名刺ホルダーをコピーして、捜査資料として持ち帰ることとした。

 時刻は、午後一時半を過ぎて、西島は空腹感を感じ始めた。

 大月への帰路の車の中から、西島は森重勇作の携帯電話の番号のダイヤルキーを押した。

 森重勇作から国崎への面会の誘いの手紙が存在した。勇作は、国崎から扇山の山頂で会いたいと誘いの電話を受けたと言っているが、手紙を出したのが真実だとしたら、電話は一体何だ。いずれにしろ森重勇作は、重要参考人だ。

 「森重さん、大月中央署の西島です。急で申し訳ありませんが、直接話を聞かなければならない用件がでてきました。明日の朝十時までに署まで来ていただきたいのですが、宜しいですね」

西島の口調は、勇作に嫌とは言わせない強いものだった。

「‥‥はい、わかりました。明日の十時までに大月中央署ですね。伺います」

 勇作は、西島の口調の強さに、何かあったことを感じていた。


 月曜日の午前、空木うつぎのスマホが鳴った。高校の同級生で国分寺署の刑事である、石山田からだった。

 「健ちゃん、大月中央署からうちの課長に連絡があったよ。大月の梨の木平とかいう所で、絞殺死体を見つけたらしいね。被害者の関係者でもあり、空木健介と森重勇作の二人の動向に注意してほしいと言ってきた。つまり見張れということだから、承知してくれ」

「ボディーガードがつく訳か、ありがたいことだね。それに電話を貰って丁度良かった、巌ちゃんに相談というか、頼み事があるんだ。近いうちに平寿司で会わないか」

「明日なら行けると思う。七時頃までには行くようにするけど、頼み事って何だ」

「あの事件の被害者に関係するかも知れないことなんだけど、以前、巌ちゃんに話したこともある、三ツ峠山に偽名で宿泊した人間に関することなんだ」

「電話じゃ分かり難い話みたいだね。明日聞くことにするよ」

 電話を終えた空木は、被害者の国崎と死体発見者二人を合わせた三人が、国分寺に住んでいる訳だから、国分寺署に協力を求めてくるのは当然かも知れないと思った。

 その日の午後に、森重勇作から、明日大月中央署に呼び出されて行くことになった、との連絡を受けた空木は、何かがあったことを感じていた。


 翌日、午前九時過ぎ、森重勇作はJR大月駅の改札口を出た。

 朝から降り出しそうな空模様だったが、相模湖を過ぎて山梨県に入る辺りからぽつぽつと雨が降り出し、大月駅の改札を出た時は、持っていた折り畳み傘を差すほどに降っていた。

 大月中央署には、およそ十分位で着き、受付で名前を名乗ると、西島刑事が出て来た。

 「おはようございます。朝からお呼び立てしてすみません。こちらに来てください」

 西島ともう一人の刑事は、勇作を取調室に案内した。室内には、西島ともう一人の刑事の他に、調書を書き取る警察官が、隅の机に座っていた。

 前回、ここで聞き取りを受けた時とは明らかに様子が違うことに、勇作は違和感があったが、西島が置いた一通の封書と説明を聞いて、驚き納得することとなった。

 「森重さん、今日のあなたのお話は、供述調書として記録に残りますから承知願います。早速ですが、この封書に覚えはありますか。あなたが出されたものではありませんか」西島はそう言って、A4用紙の手紙と、宛名にホープ製薬販売企画部国崎英雄様と書かれた封筒を、勇作の前に置いた。

 「見ても良いでしょうか」勇作はそう言いながら、A4用紙を手に取って読んだ。

「「梨の木平で九時半に待つ」私はこんな手紙は出していません。全く覚えがありまぜん。私の名前で、誰が何の為にこんな手紙を出したのか」

「しかし、あなたの名前で書かれている以上、我々は、森重さんあなたを重要参考人というより、容疑者として見るしかありません」

「刑事さん、私の名前が印字されているだけで、私が出したというのは、あまりに理不尽で納得出来ません。私の家のプリンターの印字と比べてみてください」

「それもこれから調べさせていただきますが、国崎さんからの電話での面会指定場所が、本当に扇山の山頂だったのか、そもそも面会の申し込みはどちらから言い出したものなのか、森重さんの話の信憑性を確かめる必要があります。もう一度、十月十日の国分寺から鳥沢駅、そして扇山までの経路と時間を話していただけませんか」

 西島の問いに、勇作は頷いてスマホを取り出した。乗換案内のアプリで確認しながら、国分寺駅七時四十三分発、豊田で甲府行き八時四分発に乗り換えて、八時四十九分鳥沢駅着の電車で到着したことを説明した。

 次に、登山アプリで当日の鳥沢駅の出発時間から、休憩した梨の木平の到着時間、そして扇山頂上の到着時間を分単位で説明した。それによれば、梨の木平には九時五十三分に到着し、七分の休憩後、山頂に向かって出発していた。

「七分の休憩時間の間に、国崎さんの首をロープで絞めて殺せますね」

「どうして私が国崎さんを殺さなくてはいけないのですか。何の関係もない人を殺すことなんてあり得ないです」

勇作の体は、怒りに震えているようだった。

「森重さん、あなたは息子さんが国崎さんを恨んでいたことを、ご存知だったんじゃないですか。入院している息子さんに代わって、恨みを晴らそうとしたんじゃありませんか」

「そんなバカなことはありません。恨むとしたら、下松という男です」そう言う勇作の目は、真っ赤に充血していた。

「‥‥下松を恨むとは、どういうことなんですか」

「‥‥‥」

「しっかり説明してください」

 勇作は、息子の裕之の転落事故をきっかけに、探偵の空木と知り合い、そしてホープ製薬で息子に何が起こっていたのか、調査を依頼したことを話した。その結果、下松と言う部長に苦しめられていたことを知ることになったと説明した。

 「下松という男を恨んでも、国崎には恨みはないということですか。ところで、梨の木平で休憩している時には、被害者のザックが置かれていることには気が付かなかったのですか」

「ずっと、登って来た方向を向いて座っていましたから、全く気が付きませんでした」

「後から登って来た人たちも、気付かなかったようですから、それに嘘はないでしょう。逆を言えば、帰りの休憩でよく見つけたとも言えますね。ところで、入院されている息子さんの容態はいかがですか」

「一か月以上意識が戻らない状態だったのですが、一昨日意識が戻り、リハビリを始めるまでになりました」

「そんなに長い間、意識が戻らなかったんですか。怪我で重傷を負って入院していると思っていましたが、そういう状態での入院でしたか。その息子さんの意識が、一昨日戻ったんですか。良かったですね」

 西島は、軽く息子の容態を聞いたことを申し訳なく思いながら、森重勇作が下松を恨むと言った意味は、息子がそんな状態になるまでの辺りにあるのだろうと思った。

 「森重さん、もう一度聞きますが、国崎さんとの面会は、あなたから申し出たのではありませんか」

「いえ、絶対に私からではありません。私から会う理由はありません」

「以前にもお話しましたが、国崎さんは、あなたの携帯電話の番号をどうやって知ったのでしょう。あなた自身に覚えがないなら、あなたの電話番号を知っている誰かから聞いた、ということになるのでしょうが、心当たりはありませんか」

「‥‥‥」首を振った勇作は、両手を顔の前に組んで考え込んだ。

「ホープ製薬の関係者であなたの携帯電話の番号を知っている人物、つまりあなたの携帯に連絡をしてきたことがあるか、若しくはあなたが連絡をしたことがある、という人物がいないか、ということですが、いかがですか」

「ホープ製薬の方で、私の携帯に連絡が来たのは、国崎さんだけです。私から連絡をしたことがあるのは、二人です。裕之の同期の菊田さんと大森さんという方ですが‥‥」

「菊田さんと大森さんですか。当たってみることにしましょう。それからもう一つお聞きしておきたいのですが、あなたが国崎さんに面会を申し込んだのではないとしても、扇山の山頂で会うことになった理由はなんですか。あなたも不自然だと思ったのではありませんか」

「国崎さんの説明では、富士山の眺めも良くて、頂上も広々としていて、好きな山なので、そこで話したいということでした」

「やはり、あなたが選んだ場所ではないということですか」

「もちろんです。さっきからずっと言っている通りです。同じ国分寺に住んでいて、わざわざ扇山で会おうとは思いません」

「‥‥‥」

 西島は、森重勇作が言っていることは理にかなっていることだと思いながら、では何故勇作は、犯人にされようとしているのかと考えていた。

 「お疲れ様でした。またお呼びするかも知れませんが、今日はこれで終わります。プリンターの印字の確認もする必要がありますから、国分寺のご自宅まで、署員と一緒に同行していただけますか」

 勇作は、署が用意した弁当を食べ、大月中央署の車で国分寺の自宅に向かった。雨は本降りになっていた。


 空木のスマホに勇作から連絡が入ったのは夕刻だった。勇作は、自分の名前が差出人となった封書が出てきたことで、容疑者とされ、あの日の行動を細かく聞かれた上に、国崎との面会は自分から申し入れたのではないか、と疑われたことを話した。

 「そんな封書が出て来たら、疑われるでしょうね。それで疑いは晴れたんですか」

「晴れてはいないと思います。今日、私の家のプリンターで印刷したものを持って行って、鑑定した結果で疑いが晴れてくれればいいのですが、梨の木平で休憩していた時間が、死亡推定時刻の時間内に入っているようで、すっきりしない状況です」

 空木は、勇作の電話を聞きながら、誰が何のために出した手紙なのか、勇作への扇山への誘いの電話は何の為だったのか、疑問が膨らんだ。

 「それにしても、国崎さんは、森重さんの携帯電話の番号をどこで知ったのか、知りたいですね」

「警察もそれは確認すると言っていました」

「確認するすべがあるんですか」

「ええ、菊田さんと大森さんの名前を出しましたから、その二人に確認するようです」

 空木は自分も先日、菊田にその事を確認したことを思い出した。その二人から電話番号が伝わったのだろうか。

 「それから、空木さんに裕之のことでお伝えしておくことがあります。裕之は、三ツ峠山に行くことを国崎さんに話していたそうです。やはりあの時、三ツ峠山にいたのは、国崎さんだったかも知れないです」

「そうですか、話していたんですか。わかりました。ご連絡ありがとうございました。また何かあったら連絡してください」

 電話を切った空木は、雨が降る窓外に目をやりながら、平寿司へ行く支度を始めた。

 

 ビニール傘に当たる雨音は、大きな音ではなかったが、時折電線から落ちてくるしずくの音は、ビニール傘に当たってパンと大きな音がした。どこからか金木犀の香りが漂う、暗くなった道を歩きながら、空木は考えていた。

 森重勇作の話は、全て間違いなく真実だろう。そして国崎が三ツ峠山に偽名で宿泊した本人だとしたら、扇山で国崎が話そうとしたことは何だったのか。その国崎が殺害される理由とは一体何なのか。さらに、勇作に疑惑の目を向けさせる目的は何なのか。単純な偽装なのか。

 「いらっしゃい」という主人の声に迎えられて、いつものようにカウンター席に座った空木は、ビールが運ばれてくるのを待った。

 「いらっしゃいませ」店員の坂井良子がお絞りとビールを運んできた。

 空木は鉄火巻きと烏賊刺しを注文し、グラスに注いだビールを一気に飲んだ。

 しばらくして、玄関の戸が開いて、「お待たせ」の声とともに石山田が顔を覗かせた。

石山田は運ばれて来たビールを一杯、二杯と立て続けに飲み干して、ちらし寿司を注文した。

「頼み事って何だい。被害者だとか、偽名で泊まった人間だとか電話では言っていたけど、どういうことなんだ」

「以前巌ちゃんと話したことがあることなんだけど、三ツ峠山に偽名で泊まっていた人間を調べるために、俺の知り合いが山小屋に写真を持って確認しに行く話を覚えているだろ」

「覚えているよ。突き止めたらそいつを問い詰めるという話だろ」

「そうそう、さすがに刑事課係長だ。その偽名で泊まっていたかも知れない人間が、今回の事件の被害者となった国崎英雄という男なんだ」

「へー、そういうことなのか。何ともすごい因縁だな。それで俺にその偽名宿泊者の確認をしてくれということか」

「いや、巌ちゃんからこの話を大月中央署に話してもらって、偽名の宿泊者が国崎かどうか確認させる方が、いいんじゃないかと思っているんだ」

「それは、事件に関係しているかも知れないと思うからなのか」

空木は「そうだ」と言って、運ばれてきていた焼酎の水割りセットで、二人の水割りを作り始めた。

「森重裕之の転落事故が起きた時、同じ山にいた人間が、今度はその父の森重勇作に会うために、山へ行って殺された。何かがあると思うのが普通じゃないか」

「確かに何かありそうだ。それにしても、その被害者の国崎という男は、本当にその親父に会いたかったのかな。親父の方から会いたいと言うならわかるけど」

石山田は、空木の作った水割りを口に運んだ。

「森重さんは、国崎が三ツ峠山に行っていた可能性のある人間だということは知らなかったから、森重さんから会いに行くことは考え難いよ」

 空木も焼酎の水割りを飲み、「煙草を吸ってくる」と言って外へ出て、煙を見ながら考えていた。

 国崎は勇作以外の誰かにおびき出された。その人間は勇作の名前で手紙を出したら、必ず国崎が指定場所に来ることがわかっていた。だとしたら、勇作に電話をしてきた人間も、国崎ではない可能性があるということか。一体誰が、国崎をあそこに呼び出すために手紙を送り、勇作を犯人に見せかけるために電話をしたのか。


 翌日、捜査本部会議の準備をしていた西島刑事係長に電話が入った。

 「警視庁国分寺署の石山田です」

「ん、石山田?巌か‥‥」

「そうだ、巌だ。久し振りだな、元気だったか」

「おう、お前も元気そうだな。声を聞くのは、八王子で飲んで以来だから、十年ぐらい経つか。どうした何かあったのか」

「実は、ある人間から大月中央署に頼んでくれという依頼があってな、山梨県警のお前の勤務先を調べたら、都合よくちょうどそこにお前がいてくれたという訳だ。偶然というのはあるんだな」

「それで電話してきた訳か。それで頼みというのは何だ。大学の親友の頼み事なら聞かない訳にはいかないな」

 石山田は、空木からの依頼であることを前置きし、その内容を空木の推測も交えて、西島に伝えた。

 「そうか、それであの空木という男は、森重と被害者が会う場に一緒に居ようとしたのか。巌の友達の探偵さんの推測も無視は出来ない話かも知れんな。わかった、調べてみるが、もし被害者の国崎が偽名を使った本人だとしても、死人に口なしだ、何故そんなことをしたのかはわからないぞ」

「空木たちも、それを最終的には知りたかったらしいが、お前の言う通り死人に口なしだ」

「じゃあ、わかったら連絡するが、空木さんは参考人の一人だ、動向には注意しておいてくれよ」

 受話器を置いた西島は、もし被害者の国崎が森重の息子の転落事故の時、偽名でその山にいたとしたら、それは今回の事件に繋がっているのではないだろうか、という思いもよぎった。

 九時から捜査本部会議が開かれた。

 被害者の国崎への怨恨の線で浮かんだ人物は、森重裕之だが、事件当時も現在も入院中であることがまず報告された。そして、その父勇作が被害者への手紙の差出人となっていること、被害者との電話のやり取りの信憑性の確認がし難いことを含め、現状では有力な容疑者であるが、その手紙が印字されたプリンターは、森重の家のプリンターではなかったことが報告された。森重勇作の当日の行動については、午前九時過ぎに鳥沢駅付近のコンビニの防犯カメラに写っている、ザックを背負った森重らしき人物が確認されていることから、供述通りと思われるとされた。

 疑問点としては、封筒の消印から、被害者が手紙を目にしたのは、消印の翌日の月曜日か、遅くとも翌々日の火曜日の午前中だと思われるが、森重勇作に電話があったのが火曜日の昼で、指定面会場所は、梨の木平ではなく、扇山の山頂でと言ったことが疑問として挙げられた。

 手紙に印刷された場所と時刻が、本来の面会場所だとしたら、森重勇作の行動時刻では間に合わない。一方、十二時の山頂が面会場所だとすると、被害者の行動時間では早すぎる。

 西島は、報告を聞きながら、考えていた。被害者の国崎が手紙を信じたことは間違いない事実だ。森重勇作が言っている時刻も場所も、その行動と辻褄が合うことから、真実と考えるのが妥当だ。つまり二人ともに正しいとしたら、国崎を絞殺した犯人は、別にいるということだ。

 捜査会議でのもう一つの疑問点は、森重勇作の携帯電話の番号を被害者の国崎が、どのように知ったのかということだった。小さな疑問だが、明らかにしておく必要があるとされた。

 次に、犯行に使われた太さ七、八ミリ、長さ六メートルのザイルロープは、新宿の山具店で販売された可能性が高いと報告された。店員は、購入した客について全く覚えはないが、六メートルという中途半端な長さで販売したことを記憶しており、八ミリというロープの太さ、色、柄も犯行に使われたものと一致していた。販売日は十月三日土曜日で、その日の店内カメラの画像は本部で保管している、と報告された。

 西島を含めた刑事たちは、報告を基にそれぞれ意見を述べ合い、そして刑事課長から当面の捜査方針が纏められた。

 森重勇作は現段階では容疑者から外せないが、国崎殺害の犯人は別にいる可能性が出て来た。従って、被害者宛に出された手紙の差出人は、別にいるものとして、捜査する。この人間が、被害者を梨の木平に呼び出して殺害した可能性が高い。捜査の手掛かりは、目撃者もおらず非常に厳しいが、被害者の周囲の人間で山をやる人間、扇山の存在を知っている人物を中心に洗い出すこととした。

 次に、森重勇作の携帯電話の番号を、被害者がどこで知ったのかを調べることとし、森重の供述で得られた菊田と大森を当たる、という指示が出された。

 捜査本部会議が終わった後、西島は刑事課長に、石山田から依頼された件を話した。

「事件と関係するかどうかはわからないのですが、被害者が三ツ峠山に偽名で宿泊していた本人かどうかの調査をさせてほしいのですが」

西島は、国分寺署の石山田から受けた依頼の説明をして許可を願い出た。

「不可解な出来事には違いないが、係長の言う通り事件に関係しているのかはクエスチョンだな。まあ、そんなに時間がかかることのようにも思えないから、調べてみる事はいいだろう」

 西島は 課長の許可を得て、早速動くことにした。


 捜査本部の刑事たちは、動き始めた。

 市ヶ谷のホープ製薬東京支店に向かった刑事たちは、大森安志と東京支店の応接室で面会した。

 二人の刑事に名刺を渡した大森は、幾分緊張していた。

 「国崎英雄さんが殺害された事件は、ご存知ですよね」刑事の一人が口を開いた。

「はい、承知しています。それで私にどのようなご用件でしょう」

大森の眼鏡の奥の目は、構えるような目になっていた。

「実は、事件の起きる数日前に、国崎さんはある人に電話をかけているのですが、そのある人の電話番号をどのようにして知ったのかを調べています。それで大森さんに心当たりはないか、お聞きしにきたという訳です。大森さんは、森重勇作さんの携帯電話の番号をご存知ですよね」

「知っているというか、以前連絡をいただいたことがありまして、それが履歴に残っている、というのが正しいと思いますが、それが、どういうことなのでしょう。よく理解できないのですが」

「国崎さんにその森重さんの電話番号を教えた覚えはありませんか」

「全くありません。国崎さんからの電話を受けたこともありませんし、かけたこともありません。私は、国崎さんを顔位しか知りません。しかし、刑事さん、森重さんの電話番号を、どのように知ったのかという調査が、事件と関係するのですか」

「‥‥お答えする必要もありませんが、関係するかも知れないので調べているのです。国崎さん以外の人に、電話番号を教えたり、聞かれたりしたこともありませんか」

刑事の二人の目がきつくなったのを、大森は感じた。

「うーん、ないですね」大森はまずかったと思いながら、腕組みをして答えた。

「大森さんは、森重さんと会われたことがあるのですか」

「はい、私の同期の友人の父親として、話を聞かせて欲しいと頼まれて、お会いしました」

「お二人で会われたのですか」

「いえ、私の同期が入院していた山梨の甲府で、もう一人の方と三人で会いました」

「そのもう一人の方の名前を教えていただけませんか」

「‥‥確か、空木うつぎとかいう探偵さんでした」

「空木‥‥」二人の刑事は手帳に書き留めた。

「ところで、十月十日土曜日の九時から十時頃、大森さんはどちらにいらっしゃいました。いや、これは疑っている訳ではありません。念のためですから、気を悪くしないでください」

「先週の土曜日ですか。ゴルフに行きましたから、その時間にはゴルフ場にいました。ビッグムーンゴルフクラブです」

「ビッグムーンですか。大月のゴルフ場ですね。因みに、どなたとゴルフされましたか」

「会社の上司です」

「失礼ですが、お名前を教えていただけませんか」

「東京支店の横澤副支店長と、本社の下松部長の二人です」

「ありがとうございました。最後にもう一つ伺いますが、大森さんは、山登りはされるのでしょうか」

「はい、たまに近くの山に登っていますが、年に数回しか登ることはありません」

「大月の扇山には登ったことはありますか」

「‥‥ええ、一回だけ登りました。猿橋駅から百蔵山に登り、そこから扇山にミニ縦走で登りました」

 大森が、腕時計に目をやるのを見て、メモを取っていた刑事は手帳をポケットにしまい、立ち上がった。

「大森さん、忙しいところありがとうございました」そう言って二人の刑事は頭を下げ、東京支店を後にした。


 ホープ製薬東京支店で、大森安志が刑事の聞き取りを受けている時と同じ頃、日本橋のホープ製薬本社の応接室では、菊田章が刑事の訪問を受けていた。

 菊田は、森重勇作の携帯電話の番号に関しての刑事の質問には、誰からも問い合わせも依頼もなく、仮に教えて欲しいと言われても、本人の許可なしには教えたりしない、と返答した。

「菊田さんは、森重勇作さんとお会いになったことはありますか」

刑事たちは、メモ帳を手にして聞いた。

「はい、森重さんは、私の同期でかつ私の前任者だった男のお父さんでして、その同期が山で転落したのですが、その原因が職場にあるんじゃないか、つまりそれが原因で自殺したんじゃないかと疑って、私の所に話を聞きたいと言って、会いに来たのです」

「なるほど、そうですか。その時は、森重さんお一人だったのですか」

「いえ、空木さんという探偵さんと一緒でした」

「空木‥‥。どこかで聞いた名前だな」刑事の一人が呟くように言った。

「その空木さんが、転落した同期で友人の職場、つまり今の私の職場になりますが、そこで何があったのか調べてくれたんです」

菊田の口調は、まるで空木を持ち上げるかのように力が入っていた。

「菊田さんが今の職場で、国崎さんについて耳にされたことで、気掛かりな事はありませんでしたか」

「私はここに異動してきてまだ十日余りですから、直接見聞きすることはなかったのですが、部下の話によれば、国崎さんは森重に子供じみた嫌がらせをしていたようです」

聞いていた刑事たちは、今日の捜査会議で報告された通りだ、というように頷いた。

「森重がどんなことをされていたのかは、それこそ空木さんに聞けばよく分かると思います。それと‥‥」

「それと何ですか‥‥」

「いや何でもありませんが、あの人は探偵としてはかなり出来る人ですよ」

 菊田は、森重の転落事故の現場に国崎がいたかも知れない、と言おうとしたが、この件は空木に任せたことを考えて、口に出すのを止めた。

 「ところで菊田さんは、山登りはされるのですか」

「はい、山は好きで、時々登りに行きます」

「扇山には登られたことはありますか」

「はい二、三回は登っています。富士山の眺めが良い山です」

「十月十日の土曜日には扇山に登らなかったですか」

「とんでもないです。先週の土曜日は、下の子供の幼稚園の運動会でしたから、登ろうにも登れません」

 刑事たちは、菊田に協力してくれた礼を言って、ホープ製薬本社を後にした。


 捜査会議を終えて、西島刑事は、四季楽園の主人に連絡を入れ、山小屋で会うことになった。

 主人は麓の町から山小屋へ向かい、西島は大月中央署から四輪駆動車で山小屋へ向かった。西島たちは、三ツ峠山荘の脇に四駆を停め、肩の広場を越えたところにある四季楽園の玄関の戸を開けた。

 主人と思われる男が出て来た。

 「大月中央署の西島です。ご主人ですか」そう言って西島が、警察証を見せると、男は「ええ」と頷いた。

「電話でお話しした通り、九月三日から四日にかけて宿泊した客が、この男かどうか見て欲しいのです」

西島は、国崎英雄の死体の顔だけの写真を取り出して主人に見せた。

「死んだ後の顔の写真しかないのですが、覚えはありますか」

「うーん‥‥、一か月以上前だから、何とも言えないね。似ていると言えば似ているし、間違いないかと言われると自信はないね」

 主人はそう言うと、宿泊者名簿を西島たちの前にだして「九月三日に泊まっていたのはこの人ずら」と言って、名簿の「嶋村保博」を指差した。

 嶋村保博が偽名だと見破って、国崎かも知れないというところまで調べ上げるのは、容易な事ではなかった筈だ。空木という探偵もよく頑張ったな、と西島は思った。

 しかも空木は、写真では断定出来ないことをわかっていて、警察に調べて貰おうとしたようだ。山小屋の主人の記憶では心もとないから、筆跡鑑定が必要になると踏んだのだろうと推測した。

 「ご主人、これをコピーさせてください」

西島たちは、宿泊者名簿のコピーを持って、山小屋を出た。

 今日の三ツ峠山からの富士山は、上半分が雲の中だった。

 

 署に戻った西島は、刑事課長に報告し、ホープ製薬の本社に、国崎英雄自身が書いた住所、名前のコピーをFAXで送信してくれるよう依頼した。西島がホープ製薬への電話が終わるのを待っていたかのように、刑事課長が西島を呼んだ。

 「西島、空木に会ってきてくれないか。参考人でもある人間だが、今日お前が行った山小屋の件もそうだが、菊田と大森の聞き取りでも空木の名前が出てきて、何を調べていたのかわからないが、事件に関する情報を持っている可能性もあるかも知れないんだ。お前会って、どんな情報を持っているのか、聞き込みして来てくれないか」

「わかりました。明日にでも会って来ましょう」

西島は、空木に会うのが楽しみになってきていた。


 「空木さんですか、大月中央署の西島です」

その声に空木は、自分も警察に呼ばれるのか、と緊張した。

「空木さんのお話しをお聞きしたいのですが、時間を取っていただけませんか。事件とは直接関係する話ではありません。被害者の会社、ホープ製薬の職場の状況や、人間関係についての情報で空木さんのご存知のことを聞かせていただきたいのです」

空木は、西島の求めに応じて、今日の午後に会うことになった。

 トレーニングジムから戻った空木は、午後二時過ぎに迎えに来た大月中央署の車で、西島たちとともに近くのファミリーレストランに入った。

 昼食時間を外れた今の時間は、客は少なく席は空いていた。

 「空木さん、国分寺署の石山田刑事から依頼された件は、目下調査中で近いうちに結果が出ます」

西島は、これはあなたに頼まれたことですね、だからあなたも協力しなさい、と言わんばかりだった。

「三ツ峠山の件ですね。お手数をお掛けして申し訳ありません。その結果というのは筆跡鑑定か何かですか」

空木は、機先を制せられたと思った。

「はい、その通りです。二、三日中には結果は出ると思います。結果は石山田に連絡しますから、空木さんには石山田から連絡が行くと思います」

「西島さん、もしかしたら石山田刑事とは知り合いなのですか」

空木は、西島が「石山田」と呼び捨てにしたことから、聞いてみた。

「あ、そうなんです。大学時代からの友人で、今回空木さんからの依頼から、偶然石山田と関わることになったということです。空木さんも石山田とは知り合いのようですね」

「はい、私は石山田とは、高校の同級生でしたから、付き合いは長いです」

「そうだったんですか。それにしても空木さん、三ツ峠山の偽名の宿泊者ですが、国崎まで調べ上げた調査は大変だったでしょう」

「ええ、いろんな方たちに助けてもらいながらですから、自分一人で出来た訳ではありません」

「空木さんは、我々に被害者である国崎が、偽名で宿泊した人間であることを調べさせたのは、何か理由がありますね」

 空木は、バッグの中から封筒を取り出して、その中からA4サイズの二通の報告書を西島の前に差し出した。

 「これは、ある方から依頼された調査の報告書です。依頼者の了解は得ていますが、配慮はしてください。これを読んでいただければ、国崎さんの人間性も、職場での立場も見えてきます。その国崎さんに森重さんからの手紙です。あ、これは森重さんから聞いて知ることになりました。すみません。その手紙は、国崎さんを誘い出すためでしょうから、出した人間が犯人の可能性が高い筈です。森重さんは、あの時点では誘い出す理由がありません。では、誰がそんな手紙を出すのかと思った時、もし、三ツ峠山に偽名で宿泊した人間が、自分の意志ではなく登っていたとしたら、誰かに命じられていたとしたら、それを命じた人間にとって、国崎さんは余計な存在、邪魔な存在になるのではないかと思ったのです。つまり、手紙を書いた人間と、山へ行くことを命じた人間は同じではないかと思っているんです」

「それを命じた人間のヒントが、この調査報告書にあるということですか」

「あくまでもそれは、私の第六感みたいなものですから、刑事さんたちの職業上の感性で読んでみてください」

 空木も、西島たちもフリードリンクのコーヒーを飲み、西島は空木から渡された調査報告書に目を落としていた。

 「これはお借りすることにして、ゆっくり読ませていただきます」西島はそう言って、隣の刑事に調査報告書を渡した。

「ところで空木さんは、被害者の国崎さんから森重さんに電話が入っていたことは、ご存知だと思いますが、国崎さんはどのようにして森重さんの電話番号を知ったと思いますか」

「‥‥私は、森重さんに電話した人間は、国崎さんではなかったと思います」

「国崎ではなかった‥‥だとすると国崎のスマホに残っていた発信履歴は、どう考えるのですか」西島の隣の刑事が、間髪を入れずに聞いた。

「その前に、一つ伺いたいのですが、森重さんの名前で出された手紙を国崎さんが読んだのはいつですか」

「十月五日月曜日、遅くとも火曜日の午前中だと見ています」

「そうだとすると、手紙を読んでから森重さんに電話をしたことになるのですが、面会場所を変更したのなら、あの時間に梨の木平ではあまりにも早すぎます。場所を変更するなら、面会時間も変更する筈です。私は、森重さんの携帯電話の番号を知った人物が、国崎さんの携帯を使って森重さんに電話をしたと考えています」

「‥‥ということは、森重さんの携帯電話の番号を調べることが出来る人物で、被害者である国崎の携帯電話を使える人物ということですか」

西島は、手帳にメモを取りながら、確認するかのように言った。

 空木は自分が推理する、犯人に最も近い人物を思い浮かべながらも、決定的な殺害の動機が見えてこないことから、西島たち刑事の前で、口に出すことはしなかった。

 空木を自宅マンションまで送り、車から降りる空木に、西島は「何かあったらここに連絡してください」と言って、名刺に自分の携帯電話の番号を書いて渡した。

 西島は大月中央署に戻る車の中で、調査報告書を読み終え、事情聴取で森重勇作が話していた「恨むなら下松」という言葉を思い出していた。

運転している刑事に向かってなのか、独り言なのか呟いた。

「下松という男に会う。もう一度」

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