第5話 扇山 梨の木平
数日後の昼、空木のスマホが鳴った。森重の父の勇作からの電話だった。
「もしもし空木です。ご無沙汰しています。お変わりありませんか」
入院している息子のことは聞かなかった。
「はい、お陰様で変わりはありませんが、ホープ製薬の国崎さんから電話がありました」
「奥さんの由美子さんではなくて、森重さんに電話ですか」
空木の疑惑の中にいる国崎が、森重の父親に電話をかけてきたことに、空木は少なからず驚いた。
「私に話したいことがあるそうで、会いたいと言ってきました」
「お父さんに話したいことがある?それでいつ会うのですか」
国崎が言う、話したいこととは、一体何だろうと思いながら、空木は訊いた。
「今週の土曜日に、扇山で会います」
勇作の声は、空木には不安げに聞こえた。
「扇山というのは、中央線の鳥沢駅から登る扇山ですか」
「そうです。その扇山です」
「何故、そんなところで会おうと言っているんでしょう」
「誰にも邪魔されないところで話したいということでした」
「誰にも邪魔されない場所なら、他にも近くでたくさんあるのに、どうしてまた扇山なのか‥‥」
「富士山が見えて、頂上も広々として好きな山だそうで、そこで何もかも話したいと言っていましたので、行くと返事をしました」
「向こうがそう言うなら仕方ありませんね。それで何時に扇山ですか」
「十二時に頂上ですが、私にだけ話したいと言っていますので空木さんの同席は、まずいです。私一人で行きます。扇山には登ったことはありますから、大丈夫です。いずれにしても、裕之に関する話に間違いないでしょう。話の内容は空木さんに必ずお伝えしますから心配しないでください」
「わかりました。気を付けて行って来てください。何かあったら、直ぐに連絡して下さい」
勇作との電話を終えた空木は、また考えさせられた。国崎が森重の父、勇作に話したいことがあるというのは、勇作が想像している通り、息子の裕之に関することだとしたら、何故妻の由美子に話さずに、父である勇作にだけ話したいと言うのだろうか。指定した山で話したいから、由美子ではなく、山が趣味の勇作だけを指定したのか。それとも、勇作が山に登れるからこそ、山を話す場所に選んだのかも知れない。いずれにしても、勇作にだけ話したいという、国崎のその意図が、空木には腑に落ちなかった。
翌日の水曜日、空木は好天に誘われるように、久し振りに近場の山の一つの、
JR中央線の猿橋駅から浅川行の富士急行バスで三十分、終点のバス停の浅川からスタートする。十五分ほどの林道歩きから山道に入る。コナラなどの広葉樹林と杉、ヒノキの針葉樹林が入り混じる道を気持ちよく登り、バス停から五十分弱で浅川峠に到着する。この峠を南に行けば、一時間弱で扇山に到着する。空木は峠を北へ向かい、二十分程で始まる急登に喘ぐ。一時間程喘いだら、標高1312メートルの権現山山頂に到着した。コナラの木が目立つ狭い山頂だが、眺望は絶景だ。
北は、近くに三頭山、御前山、大岳山の多摩三山が、遠くに雲取山を望む。南は、近くに扇山、
この男性も、山頂からの眺望に感嘆の声を上げて、先客の空木に「素晴らしい絶景ですね。来て良かった」と話しかけてきた。空木も「ラッキーですね」と応じた。
空木は改めて、山の頂上で味わう気分は、やはり気持ちを高揚させるのだ。国崎が、扇山で話したいというのも、そういうことなのだろうかと想像した。
何故高揚するのか、苦しい登りを登り切った満足感なのか、眺望の素晴らしさの感動なのかわからないが、生きている実感として、それを肌で感じる瞬間だからではないかと空木は思う。
あの三ツ峠山の絶景を前に、森重は転落してしまった。不慮なのか、自らなのか、故意なのかわからないが転落してしまった。
空木は、
山登りの後の、空木の楽しみの平寿司には、金木犀の香りがほのかに漂う中、西の空が夕焼けに染まる時間に暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ」の女将と店員の坂井良子の声に迎えられ、カウンター席に座った。
空木が、ビールから焼酎の水割りに変えた頃に、高校の同級生で国分寺署の刑事の
「よ、健ちゃん久しぶりだね。その姿格好は山帰りか」石山田はそう言いながら、空木の隣の席に座り、ビールを注文した。
「巌ちゃん、係長昇進おめでとう。昇進祝いだ、今日は俺が奢るよ」
「そうか、それはありがたい。人よりは随分遅い昇進だけど、健ちゃんにそう言ってもらうと気分は良いよ」
石山田はニコニコしながら、「それでは」と言って、中トロとしめ鯖の刺身と鉄火巻きを注文して、ビールを立て続けにコップで二杯、三杯喉を鳴らしながら飲んだ。
「ところで健ちゃん、あの偽名の調査は進んだのかい」
「あの件では、巌ちゃんには、世話になったね。お蔭さんでおよその見当はついた」
「そうか、さすが探偵さんだ。しかし、その言い方からすると、突き止めた訳ではなさそうだね」
「さすがに警察ではないからね。そこが難しいところなんだ。ただ、近いうちに決定的な証言が取れるかも知れないけどね」
「決定的な証言って何」
「協力してくれている人が、顔写真を持って泊まっていた山小屋に行くそうなんだ」
「なるほど、それで証言してくれれば、確定するという訳か。それで、どうするつもりなの」
「‥‥何故、偽名を使ってまでして、あの日、あの山に行っていたのか問い詰めることになると思う」
「‥‥‥健ちゃん、それは気を付けた方がいいよ」
「気を付ける‥‥」
「そう。窮鼠猫を嚙むって言うだろう。もし、万が一その人間が、転落した人に何かしていたら、事件になるんだよ。その人間にしたら、転落した人が死んでくれればいいが、もし意識が戻ったら、その人間にとってはどうなると思う」
「傷害事件の加害者ということか‥‥」
空木はそう言った後、少し酔いが回ってきた頭で考えを巡らせた。
国崎は、森重が死んでくれることを願っているのだろうか。もしも、国崎が偽名で宿泊した人間だとして、疑われていることを知ったら、どうするだろう。もしかしたら、国崎が森重の父、勇作に会う目的の一つは、入院している息子の病態を知りたいのではないだろうか。国崎の真の目的はわからないまでも、国崎自身に疑いがかかっていることを知ったのかどうかは重要だ。
翌日、空木は菊田の携帯に「連絡がほしい」とだけのメールを送った。昨夜、酔った頭に
今日は在宅勤務だという菊田から、直ぐに電話があった。
「菊田さん、国崎さんとその後、何かお話しされましたか」
「話と言うと‥‥」
「例えば、三ツ峠山の話とか、嶋村先生の話題を出すとか、国崎さん自身が、偽名の宿泊を疑われていることを感じるような会話をしていませんか」
「そんな話はしていませんが、「国崎さん山登りがお好きなそうですね」と声をかけました」
「その時の、国崎さんの反応は、どうだったんですか」
「山の話になるかと思って声を掛けたのですが、国崎さんからは、「誰から聞きました」という反応で終わりました」
「菊田さんは、どう答えたのですか」
「ある人から聞きました、と答えました。当たり前ですが、空木さんの名前は出していませんが、何かあったのですか」
「いえ、特別何かあった訳ではないのですが、少し気になることがあって、確認したかっただけです。お仕事中にすみませんでした」
電話を終えた空木は、ベランダに出てどんよりした空を見上げ、煙草を吸いながら考えた。
菊田は、自分の名前は口に出さなかったと言っていたが、岡崎にとって面識のない空木の存在は、意識の中には無い筈だ。国崎が、自分の登山の趣味を、誰が菊田に話したのか考えるとしたら、誰を思い浮かべるのだろうか。
空木の限られた情報の中では、国崎の趣味を知っているのは、恐らく上司である下松部長と部下たち、そして入院している森重とその家族。もし、森重の父の勇作から、菊田が聞いたと考えたとしたら、勇作が自分を疑っていると思ったら、どうするのか。疑いを晴らそうとするのか、調査を止めるようにお願いするのか、いずれにせよ、直接会おうとするのではないか。話の中身によっては、勇作は国崎に殴りかかったりしないだろうか。
空木は、土曜日の十二時、扇山の山頂で勇作には内密に二人を待つことに決めた。空木の仕事ではないことは承知しているが、息子を思う勇作の気持ちを考えると、空木はじっとしている訳にはいかなかった。
土曜日は快晴とまではいかなかったが、登山にはまずまずの天気となった。
扇山への登山ルートは東西南北、四方向からある。空木は、勇作と顔を会わせないように、北側から頂上へ向かうルートを選んだ。勇作も国崎も、恐らく鳥沢駅から梨の木平を経由して頂上へ向かう、南側ルートを使うだろうと推測したからだった。
鳥沢駅から梨の木平までがおよそ五十分、そこから頂上までがおよそ八十分、休憩を入れて合計二時間半の行程だろう。頂上に約束の時間の三十分前の十一時半頃に着くためには、鳥沢駅を九時頃にスタートする筈だが、国崎は早めに到着しようとするのではないか。それらを考えると、空木は扇山の山頂に、午前十時半から十一時の間に着いていたいと考えていた。
水曜日に続いて今日も空木は、猿橋駅から浅川行の富士急行バスで終点まで行く。終点のバス停から、浅川峠まで約四十分で到着、水曜より少し早い、気持ちが知らないうちに
空木は、予定より少し早い十時五十分に、標高1137メートルの扇山山頂に着いた。
ハイカーは既に三人がいた。若い男女のペアが一組、高齢の男性が一人。空木は国崎に面識はないが、勇作は勿論、国崎らしき人物もいなかった。ペアの二人は雪を被った頭を覗かせている富士山をバックに、スマホで自撮りしている。
空木は、広い頂上の東の隅に置かれた、丸太で作られたベンチに陣取り、登ってくるハイカーに目をやりながら、湯を沸かし昼食の準備をした。
十一時を過ぎたあたりから、グループのハイカーが一組、また一組と登ってくる。扇山は手軽に登れ、眺望も良いことから人気の山の一つであり、山梨富嶽十二景にも選ばれている山だ。
単独のハイカーが登ってきた。辺りを見廻している。空木の方に向かって歩いてくる。隣の丸太のベンチにザックを置いて座った。年齢は、空木と似たような印象を受ける。空木も国崎の顔がわからないが、国崎も空木の顔を知らない。隣に座った男が国崎だとすると、勇作はどうするだろう。平然としてくれていればいいがと思いながら、空木はラーメンを大急ぎで食べ終えた。時計は十一時半を回った。隣の男も昼食を食べ始めた。
勇作が、予想通りの時刻に、予想通りのルートから山頂へ登ってきた。ザックを担いだまま、辺りをキョロキョロと見廻している。空木の方に、隣の男の方に向かって、勇作は歩き始めていた。
空木は、背を向けて煙草に火をつけ、立ち上がって離れた。少し離れたところから振り返ると、勇作はまた辺りを見廻し、ザックを肩から外そうとしていた。どうやら隣の男は、国崎ではなかったようだった。
空木は、煙草を持ったまま、勇作に近づき「森重さん」と声を掛けた。
「空木さんじゃないですか」勇作はびっくりして目を丸くした。
「国崎さんは、まだ来ていないようですね。私は向こうの隅にいますから、無視して国崎さんと会って下さい」空木はそう言って、勇作から離れ、元の丸太のベンチに座った。
勇作は、空木から十メートル程離れた丸太ベンチにザックを下ろした。勇作が到着してから、十分、二十分と時間が経っても、勇作に動く気配は見られなかった。その間に勇作は昼食のおにぎりを一個、二個と食べた。時計は十二時を指していた。勇作は、空木の方を見て首を振った。
中年の女性三人組が登って来た。
「まだ、来ないのか」空木は呟いて立ち上がり、勇作の方に歩いて行った。
「遅いですね」空木が勇作の横に立って、座っている勇作に言った。
「どうしたんでしょう。私より早く着いていると思っていましたが、それどころか約束の時間に来ないというのは、何かあったのでしょうかね」
勇作も立ち上がって、山頂への登山道に目をやった。
「森重さん、国崎さんに連絡する方法はありませんか。ここなら携帯の電波も入りますから繋がりますよ」
「先日、国崎さんから連絡が入った時の番号が、国崎さんの携帯からだったと思いますからかけてみます」勇作はそう言って、スマホをザックから取り出してボタンを押した。
呼び出し音が空木の耳にも聞こえた。勇作は、四回、五回と続く呼び出し音が鳴るスマホを耳に当てているが、呼び出し音が止まる気配はない。
勇作は空木を見て、また首を振ってスマホを耳元から下ろした。
「森重さんどうしますか。もうしばらく待ちますか」
「もうしばらく、十二時半まで待ちます」勇作は腕時計を見て言った。
空木は、自分のザックを置いているベンチに戻り、登山道の方向を見続けた。時計は十二時半を過ぎたが、単独行のハイカーは誰一人登っては来なかった。空木は、ザックを肩に担ぎ、勇作の座っているベンチに歩いた。
「空木さん、来そうもないです。どうしましょう」
勇作は空木を見上げた。
「森重さん、梨の木平まで下りて考えましょう」
下山することにした二人は、午後一時半頃、梨の木平に到着した。梨の木平は、この辺り一帯の
「森重さん、ここからもう一度国崎さんの携帯に電話してみて下さい」
空木はザックを肩から下ろし、煙草を取り出してベンチに腰を下ろした。
勇作のスマホから呼び出し音が聞こえて来た。その時、空木の耳に
空木が勇作を見ると、首を左右に振った。
「森重さん、もう一度かけてみてください」
空木は、煙草を携帯灰皿に始末して、置かれているグレーのザックの前に立った。数秒後、ザックの中から携帯電話の呼び出し音らしき音が鳴り始めた。
空木は勇作に手招きをした。勇作もグレーのザックに目をやり、誰のザックかな、というように周囲を見廻した。
「森重さん、電話を切ってください」
勇作が電話を切ると同時に、ザックから聞こえていた着信音らしき音も止んだ。空木は周囲を見廻しながら
「森重さん、このザックは、国崎さんのザックかも知れませんね」
そう言って、崩れかけた小屋を覗き込んだ。その瞬間、空木は「あっ」と声を上げた。
「どうしました、空木さん」
「あそこ」と言って、空木が指差した先には、梁から垂れ下がったロープのようなものを、首に巻いた男が壁を背にして
二人は、座っている男に「どうしましたか」と声を掛け合いながら、瓦礫だらけの小屋の中に入って行った。
目を見開いて全く反応しない男を見て、勇作が空木に言った。
「空木さん、この人国崎さんによく似ています。一度病院でお会いしただけなので、はっきりとは言えませんが、この方だったと思います」
空木は、座っている男の鼻先に手の甲を当て「息がありません。警察に連絡しましょう」そう言って自分のザックまで走った。
「自殺ですかね」
警察への連絡を終えた空木に勇作が話しかけた。その声は
「そうみたいですね」空木はそう言いながら、座った状態で首が吊れるものだろうかと自問していた。
サイレンを鳴らして、パトカー、警察車両、救急車が到着したのは空木が通報してから二十分程してからだった。
その間に空木は、国崎と思われる男性の写真を、不謹慎と思いつつスマホに収めていた。
パトカーから下りて来た刑事らしき男たちの中の一人が、空木たちに近づいて来た。
「大月中央署の西島と申します」
警察証を、空木と勇作に見せた。
「通報して頂いたのは、あなた方ですか」と言って、空木と勇作が「はい」と言って頷くと、西島は死体発見までのあらましを、二人から聞き取って手帳に書き留めた。
「あの遺体の男性が、国崎という男性だとしたら、お宅はあの方と扇山で会う約束をしていた、ということですか」西島は勇作を見て確認するかのように聞いた。
「はい、その予定でした」勇作は落ち着いた声で答えた。
遺体を検分していた鑑識課員が、西島を「係長」と言って呼んだ。西島は小屋に入った。鑑識課員の男は、遺体の横にしゃがんだ。
「係長、
吉川線とは、被害者の首に自らがつけたと思われる傷の事で、絞殺殺人を示す事象だ。
遺体は、救急車で山梨大学医学部に搬送され、司法解剖される。遺留物のザックと、遺体の首に巻かれていたロープは、大月中央署に運ばれ、ザックの中身から身元を調べることになる。
西島は、再び二人のところまで近寄って来た。
「他殺、殺人と思われます。お二人には、詳しい話を聞かせていただきたいのですが、遺体の身元が判明するまでには、そんなに時間はかからないと思いますから、署までご同行をお願い出来ますか」
空木は、勇作を見て「殺された‥‥」と呟き、そして西島に顔を向けた。
「遺体の身元が国崎さんだと判明したら、改めて警察に呼ばれることになるのですか」
西島は黙って頷いた。
「森重さん、行くしかありませんね、行きましょう」
空木と勇作は、ザックを肩にかけてパトカーに乗り込んだ。
「空木さんが一緒で良かった」勇作はポツリと言った。
大月中央署に着いた二人は、小会議室に案内された。会議室には係長と呼ばれていた西島の他に二人の刑事が同席した。
空木は、西島に「スカイツリー
西島は「探偵さんですか。何故、探偵のあなたが、事件の現場に居ることになったのですか」と名刺を手にしながら言った。
「事件に遭遇してしまったのは、全くの偶然ですが、森重さんの知り合いとして、国崎さんとの面会に同行させてもらったのです」
「国崎さんと面会ですか。遺留物から先程身元が判明しまして、遺体は国崎英雄さんでした。今、ご家族に連絡を取っているところです。国崎さんが会う予定だったのは、森重さんと空木さんのお二人だったのですか」
「私と会う予定でした。扇山の山頂で十二時が約束の時間でしたが、来ませんでした」勇作は、空木に確認するかのように見てから言った。
「ああいうことになった訳ですから、山頂に行きたくても行けなかったということですね。ところで、国崎さんとは、どういう関係なのですか」
「ホープ製薬という会社の方で、息子の会社と同じ会社の方です」
「そうですか。お二人には申し訳ないのですが、これからは被害者の関係者として、別々の部屋でお話を聞かせていただきますので承知してください」
西島の口調は、二人に異議を許さない雰囲気だった。
時刻は、午後四時になろうとしていた。空木と勇作は、それぞれ別の取調室で、二時間近くに渡って聴取を受けた。
勇作は、国崎との関係から始まり、扇山の頂上で国崎と会うことになった経緯と、面会の目的を聞かれたが、刑事が納得する答えが出来る筈もなかった。
自殺に見せかけた絞殺だけに、鳥沢駅からの出発時刻、梨の木平の到着時刻、周辺の状況、登山中に出合った人間の有無などを事細かく聴取された。そして、空木との関係についても、詳細に説明を求められ、息子の三ツ峠山での転落事故から、調査を依頼することになった経緯を説明した。
一方の空木も、勇作との関係から始まり、今日までの経緯、面識のない国崎との関係と、扇山に登ることになった理由を求められたが、空木も刑事たちがなるほどと思うような答えは難しかった。特に、同行すると言いながら、勇作とは別のルートで扇山に登ったことについては、刑事たちは首を捻るばかりだった。
西島は、聴取の終わった二人に、「お疲れ様でした。長い時間すみませんでした。なにせこの辺りではめったにない事件ですから、勘弁してください。ただ、お二人には、またお話を聞かせてもらうことがあるかも知れませんので、承知しておいてください。特に、森重さんは所在を分かるようにしておいてください」と二人の顔を交互に見て言った。
「刑事さん、それは森重さんに、容疑がかかっているということですか」
「いえ、そういう訳ではありませんが、被害者は自殺に見せかけられての殺人ですし、森重さんに会おうとしていたことは事実なようですから、今のところ被害者の関係者としては、森重さんが最も重要な関係にあると言わざるを得ないのです。ご理解いただけますね」
西島の口調は、反論を聞く耳はないと言っているようだった。
「大丈夫です。私は、退職して仕事もしていませんから、所在をはっきりさせるのも簡単ですし、いつでも連絡していただければ、大月まで来ます」
勇作は、西島ではなく、空木に顔を向けて答えていた。
二人が、大月中央署を出た時、山に囲まれた大月は、すでに薄暗かった。勇作は、大月から帰る電車の中で、聴取の時に気付いたある疑問を空木に話した。
「国崎さんが、私の携帯電話の番号をどこで知ったのか、不思議なのです。由美子さんが教えたんだと思っていたら、由美子さんは覚えがないと言うんです。どこで知ったのでしょう」
「‥‥‥」
「それと、私に話したかったというのは、一体どんな話だったのか‥‥」
「‥‥森重さんにはお話ししていなかったのですが、国崎さんは、三ツ峠山にあの時泊まっていた人物かも知れないのです」
「国崎さんが‥‥」
「あくまでも、可能性があるというだけですが、もし国崎さんだとしたら、森重さんに話したかったことは、そのことに関することではなかったか、と思っています」
二人は、暗くなった電車の窓外を黙って見つめた。
大月中央署の大会議室のドアの横には、「扇山 梨の木平殺人事件捜査本部」と戒名が書かれた紙が貼られていた。
大月中央署の署長を本部長として、山梨県警本部からの応援も含め、総勢二十名を超える刑事たちが集められ、午後七時から捜査本部会議が開かれた。
会議は、鑑識結果、司法解剖結果、初動捜査、そして関係者となった森重と空木からの聴取内容が報告された。
報告は、国崎の年齢、住所、勤務会社の紹介から始まった。死因は、七、八ミリの太さのロープによる絞殺で、二度締めしたと思われる濃淡二重の索状痕とともに、吉川線を残した被害者自身の爪に残った皮膚は、被害者自身のものだった。使われたロープは、登山でよく使われるザイルロープで、比較的新しく、長さは六メートルと報告された。
死亡推定時刻は、十月十日土曜日、午前九時過ぎから十時の間と推定され、胃の内容物からは、白米の他、海苔、シャケ、昆布が、ほぼ未消化で残されていたことから、現場でおにぎりの様なものを食べた直後に殺害されたと思われると報告された。
初動の捜査報告では、鳥沢駅に何時に降りたのかは確認出来ていないが、駅からおよそ百メートル西にあるコンビニの店内カメラに、国崎英雄らしきハイカー姿の男が、ペットボトルとおにぎりの様なものを購入している姿を確認した。時刻は午前七時五十分で、レジの記録からその時刻に、五百ミリリットルの水のペットボトルと、シャケと昆布のおにぎり各一個の売り上げが確認されたことから、国崎が購入したことにほぼ間違いないと思われると報告された。
そして、係長の西島からは、死体の第一発見者で、被害者との関係者でもある森重と空木から聴取した内容が、疑問点とともに報告された。被害者の遺留物のスマホの発信履歴と、森重勇作のスマホの着信履歴から、森重に電話がかけられたのは、火曜日の十一時半頃で間違いないが、被害者は何のために森重に会おうとしていたのか、またその場所を二人の共通居住地の国分寺でなく、わざわざ扇山にしたのか、さらには、探偵と称する空木健介という男が、何故同行したのかを考えると、森重の息子の転落事故からの繋がりも、考慮に入れる必要があるとされた。
結果として、捜査本部は顔見知りの怨恨による絞殺と断定し、国崎英雄の知人、友人、会社関係者を当たることとした。また、ザイルロープが新しいことから、東京都内及び甲府の山具店を当たるとともに、周辺人物のうち登山経験者には、ザイルロープの所有の有無を確認するよう指示された。
そして、森重と空木については、被害者と同様に国分寺在住でもあり、重要な関係者として、被害者との関りをさらに調べる必要があるとされ、所轄の国分寺署の協力を仰ぐこととする方針が決められた。
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