第五話


 集落のちょうど半ばにある見覚えのあるその家の前で、遙が立ち止まった。

 広い敷地には家屋の横に向かって広がる庭があり、手入れはされていないように見えた。使われていない家電が野晒しに放置されており、黒色の大きなゴミ袋がパンパンに詰め込まれて置かれているが、野生動物にいたずらされ荒れ放題である。

 その庭からは生臭いようなアンモニア臭が風に乗ってきては、秋葉は息を止める。嗅ぎたくないほど、ひどい臭いだ。

 

 その敷地内に入ることに嫌悪感さえ芽生えるほどだったが、遙は気にならないのか玄関先まで行ってしまった。意を決した秋葉は、その敷地内に足を踏み入れる。


 「……ここで合ってる?」

 「あってるよ?」

 秋葉は返答に困った。

 玄関の目の前まで来ても尚、明らかに人が住んでいるように思えないからだ。


 今までの家は廃墟のような見た目ではあったが、ここは廃墟というよりは汚い家という印象を受ける。

 細長いすりガラス窓には蜘蛛の糸が張り巡らされ、糸に絡まる小さな虫の数匹を背に、大きな蜘蛛が食事の準備を進めていた。雨や悪天候による泥汚れがびっしりとついて、引き戸の取っては皮脂でべたついていそうだ。玄関マットの無い出入り口には色違いのサンダル三足が放り投げられていて、そこには濁った雨水が溜まっていた。

 到底、清潔とは言えない状態に眉をしかめる秋葉。


 「……?」

 ちらと遙を見遣ると、秋葉をじっと見つめたまま小首を傾げていた。


 ――遙は本当に虐待じみた扱いを受けていたのではないのか。

 秋葉の記憶の中の実家は、もう少しまともであったはずだだ。

 ここに来る前に連想したようになつやすみを題材にしたゲームを彷彿とさせるような、懐かしい思い出あった。同い年だったかもっと幼い子だっただろうか。一日だけ子供と共に虫捕りをした記憶もあった。汗だくで帰宅した秋葉を見るや否やお風呂に入れられ、たいそう不機嫌であった秋葉に、手作りのアイスバーを渡してくれた親戚の人と共に縁側で甘味を楽しんだのだ。

 その日に寝泊りをしたはずの、この目の前の家は、どこか親しみやすい古民家のような印象だったのに。


 もしかして、母がこの家に来てから大きく何かが変わってしまったのか。それともずっと前から?

 こんな家で――遙は育ったというのか。

 疑念が思い浮かぶ秋葉だったが、遙は未だ秋葉を見上げていた。突き刺さるような視線に、致し方なしに引き戸の側面にある呼び鈴を控えめに押したのだった。


 < ジリリリ >


 家屋内に響く呼び鈴特有の蝉のような音に、不安を煽られる。

 それに、ゴミ袋があるということは人が居るという証拠でもある。きっと誰かしらの人はいるのだろうと、腹を括った。


 ほどなくして引き戸の奥から軽い足音が聞こえては、思わずほっと胸を撫で下ろす。本当に、家の人がいるのだ。

 今夜の宿がいちばんの不安だった。長いあいだ交通機関に揺られて訪れたこんな辺鄙へんぴな場所で、認知されずに追い出されることが懸念点であったからだ。しばらく来ていなかったこともあったからだ。秋葉は自分の姿だけではわからずとも直近まで住んでいた遙が居れば、自分も娘のひとりなのだと説明できると考えていたのだ。


 すりガラス窓越しに小柄なシルエットが見えた。

 軽い音を立ててカラカラと引き戸が開かれた先に見えた人物は、秋葉の予想を裏切った。


 出てきたのは、子供だった。


 「……あ、えっと」


 君は、?


 動揺からか、純粋な疑問を投げかけようとするも、声をかけようとしていた喉が潰れるようにくぐもった。

 もしかしてこの家は、お父さんの家――小山内おさないの家ではないの?

 遙はしっかり者である。まさか適当な場所を言うわけではなかっただろうし、自分の記憶の中と外観はかけ離れているものの、ここでの記憶が秋葉にはあった。


 突如、疑問を問うより先に見知らぬ子供に――突き飛ばされた。

 強く押し込むようにして鳩尾あたりに小さな手の平が入ったせいか、激痛に顔を歪ませ、後方に下がるようにして蹲ってしまう秋葉。


 「痛っ……!」

 その矢先に子供は渾身の力で突き飛ばしたのか腕を突き出し、腰を下げたまま後ろにぺたんと転んでいた。

 転んだまま秋葉を見つめる子供は心底不快そうに眉を吊り上げていた。


 「なんで……誰? おまえのこと、知らない!」

 子供がそう叫ぶと屋内から子供が出てきた。

 それも一人や二人ではなく、ぞろぞろと出てくるのだ。背後に居るはずの遙は、怯えているのかそのまま立ちすくんでいるようで、動かない。


 母が死んだあと、この家は小山内の姓を持つ親戚の誰かが住んでいるものだと思った。

 父の実家である此処に仏壇があるから――いつか母に会いに行って、お線香をあげることができればそれでいいと思った。秋葉が父にそう継げたとき、父はやさしく微笑んでくれたのだ。


 「……・……・――・」

 「・―――……、……・」

 子供たちが、ひそひそとお互いの耳元で話を始めた。

 秋葉にはまるで聞こえず、どこか覚えのある突き刺さるような視線と、じくじくと痛む鳩尾に冷や汗が滲み出る。


 外で遊んできた後なのか、ひどく汚れて不潔にも思える服に外履きの靴。

 彼らの間に見える古いフローリングで出来た廊下は、ところどころ踏み荒らされており土汚れや染みで汚れていた。子供たちはみな、土足であった。

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このくに 牟太郎 @mutaroo

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