第2話.雲

俊樹しゅんきー! もう朝ごはんだよー!!」


 リビングにいるお母さんが大きな声で、僕は布団から起き上がる。今日は学校が休みだけど、用事があるから早起きだ。僕はリビングに向かう途中にある窓から富士山を見る、いつもの日課だ。でも、今日は富士山は雲に隠れていて見えなかった。


 少しガッカリしながら、リビングに行くともう朝ごはんが準備されていた。


「今日写生大会行くんでしょ? 絵の具セットは準備した?」


 僕はうなずいて朝ごはんを食べ始める。今日は年に一度の写生大会。僕が1年で一番楽しみにしている日だ。毎年浅間大社で行われる写生大会。小学生なら誰でも参加出来て、絵を描くとお菓子がもらえる。僕は小学校1年生の時から毎年参加して今年で5回目だ。最初は、学校の友達と一緒に行っていたけど、高学年になるとみんな参加しなくなって、去年からは一人で行っている。


「お母さん、今日晴れるかな」

「この辺はずっと曇りみたいだねー、でも午後からは少し日が差すみたい」

「富士山の方は?」

「うーん、予報だと晴れみたいだけど、山の方の天気は分からないなぁ」


 僕は少し不安になりながら、ホカホカの食パンを食べた。写生大会は浅間大社の中ならどこで何を描いてもいいという決まりだ。神社のでっかい鳥居を描く人とかきれいな池を描く人とか色々いるけど、僕は毎年富士山と富士山の周りにある雲を描く。富士山だけを描いてると毎年同じ絵になっちゃうけど、雲も描けば同じ絵にはならないから。それに僕は雲と一緒の富士山が好きだ。


 僕は朝ごはんを食べながらテレビの天気予報を見た。いつも天気の話をするお姉さんは、さっきのお母さんと同じようなことを言っていた。晴れるか曇るかは午後にならないと分からないみたいだ。


 雲と一緒の富士山は好きだけど、雲が富士山を隠してしまったら絵が描けない。そうなったらどうしようかな、と考えながらご飯を食べ終えて歯磨きをして、自分の部屋に戻った。


 僕は絵の具セットと画用紙を準備して、暇になったから今までの写生大会で描いた絵を眺めた。去年描いた富士山は笠雲を被っていた。笠雲っていうのは富士山に笠みたいにかかる雲で、笠雲があると雨が降るって前におじいちゃんが教えてくれた。一昨年の富士山はイワシ雲と一緒だ。つぶつぶの雲の先に富士山がでっかく描いてある。その前の富士山は飛行機雲と一緒。どの絵も雲と富士山がセットだ。


 僕は雲は富士山の服みたいだと昔から思ってる。同じ富士山でも笠雲がある時と飛行機雲がある時は印象が違う。お母さんもスカートを履いている時とズボンを履いている時は感じが違うけど、富士山もそれと一緒だ。お母さんはズボンを履いている時の方が大人って感じがする。


 写生大会はお昼からなのでそれまでは家で時間を潰す。その間僕は何回も富士山を見ようとしたけどずっと雲に隠れていた。


「俊樹、準備できた? そろそろ行こうか」


 お昼ご飯を食べて、服を着替えたら出発だ。今日のお母さんの服は大人って感じ。僕は絵の具セットと画用紙と水筒を持ってお母さんと車に乗った。


「浅間大社の近くは混んでるからちょっと離れたコンビニで降ろすね」

「わかった」

「4時くらいには迎えに行くから、それまでには帰れるようにしといてね」

「うん」


 お母さんと帰りの約束をして、車から降りた。ここから5分くらい歩けば浅間大社に着く。僕はチラチラと富士山の様子を気にしながら歩いた。まだ雲に隠れていたけど、段々と雲が流れているように見える。


「はーい、写生大会に参加する皆さん集まってください。今から説明を始めます」


 浅間大社に着いてちょっとしたら人が集まってきて、大人の人が写生大会の説明をしてくれる。毎年同じ人が同じ説明をする。持ってきた画用紙に絵を描いて、最後に提出して、上手だった人は1週間後に表彰される。僕は一回も表彰されたことはない。絵がうまくないから当たり前だ。それに表彰してほしくて描いてるわけじゃないから、僕はあまり説明を聞かずに富士山の様子をずっと見ていた。段々雲が晴れて来てる。このままいけば富士山が見えそうだ。


 僕は毎年同じ桜の木の下に座って富士山を描く。ここが富士山を一番描きやすい場所だ。僕は絵の具の準備をして画用紙を広げて富士山を見た。お母さんと天気のお姉さんが行っていた通り、雲が晴れて富士山がバッチリ見える。さっきまで富士山を隠していた雲は右のほうに流れてる。モクモクと上に登っていく煙みたいな雲だ。富士山が噴火したらあんな煙が出るのかな。


 僕は富士山とモクモクとした雲を見たまんまに描く。今日の雲は煙みたいで富士山がマフラーをしているような感じがする。最近は暖かくなってきたけど、富士山の方はまだ寒いのかな。


 去年描いた笠雲は富士山が傘をさしているように見えた。富士山は大きいから傘をさしても頭しか隠れない。まるで葉っぱを傘にしてるトトロみたいだった。早めに傘をさして雨が降ることを教えてくれるから、富士山もトトロみたいに優しいのかな。


 一昨年描いたイワシ雲は富士山が水玉模様のワンピースを着ているように見えた。前にテレビで見た昔のアイドルが着ていたような、全身水玉のワンピース。ワンピースを着ている富士山は少しご機嫌でこれからどこかに出かけるように見える。


 3年前に描いた飛行機雲は髪飾りだ。ちょうど富士山の頂上の辺りに雲が出来ていて、お母さんがたまにつけてるかんざしっていうやつを付けてるように見える。富士山もたまには髪型を変えたい時があるのかな。


 そんなことを思い返しながら絵を描いているとどんどん雲の形が変わっていって、さっきまでのモクモクとした雲がどんどん細くなっていった。


 今度はマフラーじゃなくて、タバコの煙みたいに見えるな。タバコを吸ってる富士山は悪そうだ。そう思って僕は富士山の色を少し暗くしてみる。さっきまで描いていた雲を描き直すのは難しかったけど、6月なのにマフラーを巻いてる富士山より、タバコを吸ってカッコつけてる富士山の方がしっくりとくる。僕はこれ以上雲の形が変わらないうちに絵を描き終えた。


「写生大会に参加のみなさん、お疲れさまでした。お菓子のプレゼントがあるので、絵を提出した人から貰ってくださいねー」


 係の人のところに行き、タバコを吸ってる富士山の絵とお菓子を交換した。毎年同じようなスナック菓子だ。低学年の頃はこのお菓子が楽しみだったけど、今はあんまり嬉しくない。最近はスナック菓子よりチョコの方が好きだ。帰ったらお父さんにあげよう。


 絵の具セットと水筒を持って忘れ物がないか確認してからお母さんと待ち合わせしてるコンビニに向かう。4時までは少し時間があるからゆっくりと歩いた。


 僕が歩いている間に富士山はタバコを吸い終わって違う服に着替え始めていた。次はどんな服を着るのか、どんなアクセサリーをつけるのか、それをずっとみていたかったけど、あっという間にコンビニに着いてしまった。


 本当はいつも富士山と雲を見て着替えた富士山を描いていたいけど、平日は学校があるし、写生大会以外の日に浅間大社で勝手に描いててもいいのか分からないから描けない。今度お母さんに画用紙を買ってきてもらって家の中で描こうかな。そんなことを考えていたらいつの間にかお母さんが迎えにきていた。


「今日はどんな絵を描いたの?」


 車に乗るとお母さんが聞いてくる。毎年そうだ。


「富士山と雲の絵を描いた」


 僕は毎年同じ答えを返す。


「富士山と雲かぁ、そういえば毎年富士山描いてるね。他の絵は描かないの?」

「うーん、富士山は毎年違うから」

「そうなの? 毎日見てると気づかないなぁ」


 お母さんは富士山が毎日着替えてることに気づいていないみたい。毎日見てるのに気づかないなんて不思議だ。


「お母さん、今度画用紙買ってもらってもいい?」

「画用紙? 図工の授業で使うの?」

「ううん、家でも絵、描きたくて」

「俊樹、そんなに絵好きだったっけ? まぁ、いいよ。買ってきてあげる」


 次の日、お母さんは買い物帰りに画用紙を買ってきてくれた。僕はその日から宿題が終わって時間があったら絵を描くことにした。いつも同じ窓から、富士山と雲の絵を。


同じ富士山でも毎日違う。雲を使ってオシャレして、

時には雲を使わずありのままで。

ズボンかスカート、タバコにかんざし、

マフラーしている時だってあるし。

雲を使った百面相で、それに気づいた僕を楽しませる。

人と同じでオシャレして、楽しんでいる富士山を

ずっと見ていて描いていたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

富士山百面相 @moyasai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ