ほくろ

@tiana0405

ほくろは絆の名残だね


 ほくろには、前世で受けた傷跡の記憶を忘れないでいて欲しいという願いがこもっているのだと言う。つまり、ほくろがある場所は、前世で何らかの形によって、意味のある傷を負った場所だということだ。そんな迷信をどこかしらで仕入れてきた私は、早速ベットの中で得意げに恋人に語った。



「そう。じゃあ、このほくろにも意味があるんだね。」



静かに私の話を聞いていた彼女は、微笑みながらゆっくりと私の胸のほくろを指でなぞる。それは、本当に何の気なしの行動だった。



ほくろをなぞる彼女の指を掴んだその瞬間。唐突に、私の中に見覚えのない風景の記憶が流れ込んでくる。




 あたり一面に立ち込める土煙、こだまする怒号、暴れいななく馬、擦れ合う金属の音・・。

その最中に私はいた。



脇差に手をかけながら、目の前の敵に目をやる。隙のない男のようだ。兜の下の表情はうかがい知れない。だが、その方がいい。命の奪い合いに感情など不要だ。大きく息を吸い込んだ私は、上段に構えた脇差をカ一杯振りかぶる。




鈍いうめき声とともに、相手の男は倒れ伏す。勝った・・。思わず、安堵の溜息が零れ落ちた私は、後ろから思いっきり突き飛ばされた。




「あぶない!」




驚いてうずくまる私のそばに、上から放たれた複数の弓矢が刺さっていく。




「油断をするなと、いつも申しておろう。」




呆れたように、六百年前の君は言う。涼やかな目元と、鮮やかな紅を引いたような唇、女のように青白いその美しい面差しに朱色の鎧兜はよく映えていた。



「ああ、そうだな...。」



思わず息をのんで見惚れた私は、彼から目を逸らして、兜の緒をキュッと締めた。戦はまだ終わりではないのだ。




 私たちの奮戦も虚しく、此度の戦果は芳しいものではなかったようだ。陣中で、お館様のご嫡男が戦死されたと聞かされる。



遠目に、あの鬼瓦のような顔のお館様が吠えるように泣き崩れているのが見えた。お館様のご嫡男へのご寵愛は甚だしいものだった。次男以下への態度のそれとは、まるで違う。




だが、分家の長男である私からすれば、ご嫡男の兄上よりも、次男の君の方が余程、人としての器も文武も秀でているように思える。私が君と親友であるという贔屓目を除外しても、腕の立つ家来に常日頃から守られているご嫡男よりも、私のような猪突猛進の家来を守ろうとする次男の君の方が優れた武将になるのではなかろうか。世継ぎは誰が収まるのだろうと、ざわめく周囲の喧騒をよそに、私は君を探した。




「ここにいたか。」




 月明かりの下で君は笛を吹いていた。秋の夜空に笛の音色が静かに染み渡っていく。



「兄上の冥福を祈っていた…。」




ポツリと君は呟いた。




「相変わらず、風流な奴だ。」




私はそう言い返すと、君の隣に座る。今日の君は、なぜか酷く物憂げに見えた。その表情はどこか妖艶に見えて、私の鼓動がドクンと高鳴る。




「お前を好いてしまったようだ。」




気が付けば、言わないでおこうと思い続けた言葉が、何時の間にか口からこぼれだす。気付いた時には遅かった。




「・・・そうか。」




 笛の音が止んだ。静寂が訪れる。長い沈黙の後で、君はゆっくりと答えた。




「私もお前が好きだ。だが、もはや私たちが今生結ばれることはないだろう。」





「なぜだ。男色など珍しい事ではないではないか。」





思わず声を荒げた私の方を、つと振り返った君の表情は、月の逆光のせいか酷く哀しげに見えた。



「天命だからだ。」




そう言い捨てて去っていく君の姿は、いつもよりも小さく見えた。もし私が、この時の君の苦悩を推し量ることが出来ていたならば、あんな事にはならなかったのだろうか。






 数か月が経って、お館様より命が私たちに下された。跡目争いの白黒をつけるために、私たちに殺し合えと言うのだ。この戦乱の世、血族同士で跡目を争うのは珍しいことではない。しかし、なぜ分家の私が、本家の次男の君と争う事になるのだ。義憤にかられ、当惑する私をよそに、私の周囲の者達は沸き立っていた。分家が本家についに下剋上だとか、そんなくだらない事で盛り上がっている。一族郎党で殺し合う事に何の意味があるのだろうか。





 

 周囲の圧力と状況に巻き込まれた私たちは、決戦の日取りまで話すことはなかった。祭り上げられた君は、今までのどの戦の時よりも、空虚で冷たい表情をしていた。その表情の君を垣間見るたびに、あの頃の私は思ったものだ。



(ああ、君は私を殺して、地位が欲しいのだ。お館様のように家名や権力を欲する貪欲な男に変わってしまったのだ、と。もう風流で、四季折々の機微を愛でる繊細な君はいないのだろう。)




戦は人を変えてしまうのが、その時代の常であったからだ。不思議なことではない。






 ついに、私たちの決戦の日が来た。一族が固唾を呑んで見守る中、私と君は脇差を抜く。





正直言って、私は刀を抜く前から気持ちが負けていた。




(君を斬る事など出来ない。)




 


 カタカタと震える手で握った刀は、今までのどの戦場にいた時よりも、はるかに重く感じられた。




ひきつった表情の私に比べて、君は酷く冷静に見えた。鋭くしなやかな太刀筋も、いつになく冴え渡っている。誰の目から見ても、結果は一目瞭然であった。



(ああ、斬られる。)




 紙一重で君の太刀をかわしながらも、私は予感した。



(次で、斬られる。)




 時間が止まっているように緩やかに感じる。幼少のみぎりから、背中を預け合って共に切磋琢磨してきた君に斬られるならば、本望だ。過去の走馬灯が脳内を駆け巡る中、ぼんやりとそんな事を考えていた。





ゆっくりと目をつぶり、迫りくる刃に体を預けようとした刹那、周囲の誰にも聞こえないような小さな声で、君が囁いた。




「目を、そむけるな。」





ハッとして体制を整えた私の胸目掛けて、君の太刀が突き立てられる。鎧を貫いて、胸に軽く突き刺さったように感じた。鮮血が飛び散る。体全体が熱く火照った。




(殺られる。)





 思わず、本能から闘争心を煽り立てられ、私は君をキッと睨み付けた。すると、奇妙なことに、君はそれ以上私の体に刃を突き立てようとしないのだ。





 困惑する私に向かって、彼は静かに微笑んで、太刀を握る小指を立てる。それは、戦場で使っていた、私たちだけが知る二人だけの合図だった。



(隙があるぞ、首を斬れ。)



そう伝えたい時に、私たちはその合図をよく使ったものだ。




 涙で視界が見えなくなる。私はようやく悟った。



(ああ、彼は、あの笛を吹いていた月夜の晩から、私に討たれる覚悟をしていたのだ。私を殺して跡目を継ぐつもりなど、毛頭なかったのだろう。)





 逡巡する私を見かねたのか、周囲の声が騒がしくなる。



「決着はまだつかんのか!」




好き勝手に騒ぐ野次馬たちの下卑た笑い声は、寒気がするほど醜悪に聞こえた。




焦った君が、再び合図を送る。早くしろ、とその目は語っていた。その目線に後押しされるように、私は雄たけびを上げながら、大きく刀を上段に振りかぶる。




 血しぶきとともに、大きく空へ舞い上がった君の生首は、不思議なほど安らかな表情をしていた。その首を抱きしめながら、私は空を仰いで子供のように泣き叫んだ。君が刃を突き立てた胸の傷がジンジンと疼く。その傷は軽傷であったにも関わらず、私の命が尽きるまで、面妖にも消えることはなかった。





私の魂は、その傷跡の記憶をどうしても忘れることが出来なかったのだ。だからこそ、幾星霜生まれ変わる中で、新たな私の肉体には、その場所にほくろが刻まれた。





 ようやく全てを思い出した六百年後の私は、何時の間にか自分でも気づかぬ内に大粒の涙を流していた。


(なぜこんな大切な記憶を失っていたのだろうか?)



「どうしたの?」





 とめどなくポタポタと涙を流し続ける私を心配したのか、六百年後の君が私の頬を両手で優しく包んだ。その穏やかな瞳は、六百年前の最期の君の表情そのままだ。




 どうして人は、生まれ変わるたびに記憶を失うのだろうか?その重みに耐えられないほど弱いからだろうか?それとも、悲劇を忘れて、新たな形で結ばれるために、前世の記憶を休眠させる必要があるのだろうか?




今の私には、この転生の仕組みが存在する理由が分からない。ただ、はっきりしているのは、思い出してしまった以上、この記憶を忘れないでおきたいということだけだ。そんな要領を得ない能書きをしゃくりあげながら語る私に、君は黙って辛抱強く耳を傾けていた。




「そっか。じゃあきっと、今生はそんな風に別れることはないね。」





聞き終わった君は、ふんわりと笑ってそう答えた。呆気にとられた私をよそに、のんびりと君は言う。




「一度前世で体験した悲しみは、多分もう体験する必要がないんだよ。だから、今生はずっと一緒にいられるよ。」




 そんな風に、転生の仕組みをまるで見てきたかのように君は言った。ゆっくりとカーテンから日光が差し込む。夜が明けたようだ。





「大切なのは、記憶じゃなくて、今じゃん。」





 そう続ける君の顔が、朝日で照らされる。その瞬間、僕は息を呑んだ。君の首にも、ほくろがあったのだ。

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