土浦柚(本編第1話前~第8話)
佐藤耕平くん。
わたしが、近づけるはずもないひと。
わたしの眼に入る世界では、神に一番近い人。
運動もできて、勉強もできて、顔も爽やかで、
心が深くて、たまらなく優しい。
耕平くんは、幼馴染で、同じ部活の松山倫子ちゃんと付き合っていた。
でも、倫子ちゃんは、耕平くんと、はなれた。
理由なんて、分からない。
知らなくて、いい。
わたしなんかが、耕平くんの彼女になれるわけがない。
そんな大それたこと、露ほども思っていない。
わたしは、ただ、
耕平くんと、お話が、したい。
*
いつからだろうか。
産まれたときから、だろうか。
父親も、母親も、まわりの人も。
誰一人、わたしと、話したがらなかった。
「いま、忙しいの。
見て分からない?」
「いいから。
要点は何だ?」
せかされるたびに、わたしはしどろもどろになり、
二人とも、いなくなってしまう。
大声で泣いても、部屋から出て行っちゃうだけで、
ただ、つかれちゃうだけで。
幼稚園に入る前くらいに、
わたしは、おじいちゃんの家に預けられた。
みそしるを電子レンジにかけて破裂させてしまってから、
わたしは、冷たいごはんを食べるしかなくなった。
わたしは、話し方がわからなかった。
小学校でも、中学校でも。
わたしに優しくしてくれるひとはいなかった。
インターネットがなかったら、
わたしはきっと、死んでいただろう。
一つ下の紗理奈ちゃんは、わたしに、
わたしに、ひとりでやる勉強の仕方と、
ネット用語、キーボードの打ち方を教えてくれた。
ネット上のわたしは、
紗理奈ちゃんの真似をして、ちょっと強気に話していた。
ネットゲームで有利になるためだけのプログラム言語を覚えながら、
一生、このまま、ネットの世界で生きていくんだろうな、
と思っていた時に。
「手伝うよ。」
いつものように、わけもわからないままに
誰かに押し付けられた作業を。
とつぜん。
「この作業、すればいいんだね。」
神が、手伝ってくれた。
「え。」
わたしは、なにが起こったか、まったくわからなかった。
ただ、受けてはいけないもの、
わたしなんかが触ってはいけないものだということだけは、
周りから、ひしひしと伝わってきた。
「だ、だって、
こ、耕平くん、部活が。」
「いいよ、いい。」
少し強い口調だった。
わたしに、逆らえるわけもなかった。
ほんのすこしだけ、怖かった。
でも、それ以上に、
ものすごく、嬉しかった。
わたしを、気にかけてくれる人が、
リアルでも、いる。
しかも、ありえない人が。
わたしの狭苦しいココロは、秒で舞い上がった。
あふれそうになる涙をこらえながら、
下を向いて、必死に作業を進めた。
*
<耕平、タンク
タゲ前に半避けで貼り付いて>
紗理奈ちゃんが耕平くんに無茶を振っても、
耕平くんは淡々と聞き入れてくれる。
やったことないはずなのに、
FPSなんて、わたしよりずっとうまい。
それより、
そんなことより。
<こないだ勧められた動画、見てみたよ
確かに、面白いね>
耕平くんが、
耕平くんが、わたしなんかが伝えたことを、
ちゃんと、覚えててくれて、
関心を持ってくれて、感想までくれる。
わたしは、にじむディスプレイをこすりながら、
<でしょっ!
あれ面白いんだったらこっちもあるからっ!>
リンクをどばどばどばっと送りつけた。
そして、また自己嫌悪してしまった時。
<あはは
順番に見て行っていい?>
も
<もちろんっ!>
あぁ。
ネット上では、こんな風に話せるのに。
リアルでは、話せない。
お話が、したい。
リアルで。
声を、聴きたい。
体温を、感じたい。
隣で、電車の中とかで、耕平くんの横で話せたら。
一緒に行きたいお店に行けたら、
わたしはきっと、死ねる。
*
生まれてはじめてできた、
命と引き換えてもやりたいこと。
<耕平くんと、
リアルで、お話したい>
わたしは、紗理奈ちゃんに
震えながら一大決心を告げた。
いつものようにあざわらってくるかと思ったのに、
紗理奈ちゃんは、すごく真面目に答えてくれた。
<話し方
声の出し方
眼の動かし方
ぜんぶで40時間のコース>
舞台役者さん向けらしいトレーニングセットを、
どうしてモデルの紗理奈ちゃんが持っているのか。
<知っておいて損はない
リアルも基本、スキル
会話スキル3持ってないと、誰も話してくれない>
わたしは、妙に納得した。
わたしが親に話しかけられなかったのは、
たぶん、スキルのせいだと。
わたしは、紗理奈ちゃんの奴隷になった。
教えられた大人向けの解説動画を見ながら、
必死にスキル?を身に着けた。
不器用なわたしが、挫折しそうになるたびに
<
現金な心は、一瞬で燃え上がった。
*
「あはは、
やっぱりそうなんだ。」
大船夕空ちゃん。
天使。太陽神。
縁までキラキラと輝く
「まぁ耕平くん、カッコいいからね。
憧れるのわからなくもないけど。」
「ちがうのっ。」
「ん?」
「耕平くん、お話できる。お話してくれる。
わたし、わたし、お話したいだけなのっ。」
必死に伝えているのに、
夕空ちゃんの綺麗な顔に、
クエスチョンマークが浮かんでいる。
こわ、い。
わたしは、また、虐められ
「そっか。
話、したいんだね。」
わかって、くれた。
涙が、出そうだった。
「うんっ!」
「おおう、やっべ。
マジかよ。」
?
「あー、なんでもないなんでもない。
じゃぁ、柚、
うちのグループに入りなよ。」
グループ??
「あー。そっか。
休み時間になったら、
あたしの座ってるトコに来てくれる?」
「う、うん。」
「よしよし。」
そういうと、夕空ちゃんは、
少しかたいてのひらで、わたしを優しく撫でてくれた。
「うはは、マジやっべぇこの娘。
髪、サラっサラじゃん。
うわー、これ、同じクラスで良かったかもしんないわ。」
夕空ちゃんは、わたしに分からない独り言を言う癖がある。
わたしが首をかしげていると、
夕空ちゃんは、すごく可愛い顔に、
頼もしそうな瞳を光らせながら、
「うんうん。
ほんとかわいいよぉ柚。」
わたしのココロは、
たった一言で、ぐらりと揺れた。
*
ただ、隣にいられるだけで、
声を、聴けるだけで、
わたしは、この上なく幸せだった。
この幸せだけを、世界に満ちた光を、
喪わずに過ごすつもりだったのに。
手を、伸ばしてしまった。
暖かく流れる体温に、触れてしまった。
当然のことなのに。
わたしに留め置けるものではないのに。
夕空ちゃんが、怖かった。
倫子ちゃんが、恐ろしかった。
『占有離脱物横領』
わたしは、落ちている財布を、
つかんだままにしているだけ。
届けなければいけないのに。
返さなければいけないのに。
離したく、ない。
わたしだけのものにしたい。
悪魔のささやきが、わたしに襲いかかってくる。
ありえないのに。
絶対に、してはならないことなのに。
あんな、美しい心の神が、
あんな、綺麗になってし
「柚?」
!?!?
ひぐぶぅっ!?
どだんっ
な、な、な、
なんで、なんでこっちに、いるのっ!
う、うそでしょっ。
え、なんで、そんなに、
まぶしく輝いてるの
「……
そ、そのっ。」
なにがあったの、
き、きいていいの、
きいたらおわりなのっ!?
だ、だめ、
な、なんか、息、苦しい
あ、あぁ、
こんな、こんな綺麗になったら、
「もう、となりで、
喋れなくなっちゃう……っ」
なんで、どうして、
わかってくれないのっ!?
「だ、だって、
こ、耕平、
似合いすぎてて、
すっごいかっこよくてっ。」
「そ、そう?」
「う、う、うんっ!」
あ、あ、
当たり前でしょっ!
!?
う、うしろ、
ひと、集まってる。
こんなの、
こんなことになっちゃったら、
「い、嫌っ。」
顔、真っ赤で、
ことば、でて、こなくて、
「い、嫌だから。
嫌だから。
わ、わたし、嫌だから。」
「この髪型、嫌なの?」
「ちがうっ!」
そうじゃ、なくてっ!
「か、髪、切って、
耕平の、横にいられるって、
お話できて、嬉しいもだもんっ。」
「う、うん。」
「わ、わたし、
つ、つりあってなくても、
耕平と、お喋りしたいのっ!」
はぁ……はぁ……っ
え
なんで、そんな、きょとんと
「釣り合ってない?」
「そうだよっ!」
「それはこっちの台詞だけど。
柚、綺麗になっちゃったし。」
っぅぅっ!?!?!?
「ち、違う、
違うけど、
違わないもんっ!」
は、
恥ずかしくて、
違う、のに、
そんなこと、ぜんぜん、ないのに、
ま、まぶしくて、
い、い、いき、が、
でき、ないっっ……
*
え゛っ!?
<やべ、ごばくっ>
い、いまの、
いまの、いまのっ
<いまのやつ、耕平くんだよねっ!>
<(ただいま閉店しておりますのスタンプ)>
……
<じゃぁもう迎えにいかない
ホテルの荷物とか、ぜんぶひとりでやって>
<|_・`)。。>
<出たなっ!
<(ただいま閉店しておりますのスタンプ)>
<ならひとりでご飯食べてね
こっち来ても泊めないから>
<_・)。。>
<吐けばラクになるぞぉ>
<……>
あ、送られて来た
……
ん?
耕平君しか、うつってな
!
<さっきと絵、違うよ
<(石を膝に抱いて鞭打ちされるスタンプ)>
<(石をもう二枚乗せるスタンプ)>
<ぐはっ(吐血)!>
なにしてるの、もうっ……。
あ。
……
<元カノだって>
……
やっぱり、まだ、繋がってたのか。
<耕平は切ろうとしてたらしい
目撃情報>
……
<ううん
気、使わなくてもいいよ
ホテル、荷物持つから>
<(石を膝に抱いて鞭打ちされるスタンプ)>
それ、いいってば、もう……っ。
*
はぁ。
あの、写真。
手、繋いでた。
やっぱり、そう、だった。
別れてなんて、なかった。
「
え。
「……ううん。
ちがうの。
ありがとね、紗理奈ちゃん。」
「ん?」
「紗理奈ちゃんがいろいろやってくれたから、
耕平くんと、お話、させて貰えてるの。
わたしだけだったら、ぜったい、無理だったから。」
「それは真実。」
ふふ。
ほんと、そう。
動揺なんか、しちゃ、いけない。
そんなの、おこがましい。
ただの、元・クラスメート。
繋がりなんて、求めちゃ、いけない。
それだけ
それだけの、こと。
哀しむなんて、
わたしになんか、許されるわけがない。
もともと、幻なんだから。
「……
柚。」
「なに?」
「すまぬ。
もうちょっとココいて。」
?
「事務所の迎え、
こっち来るまで時間かかるらしい。」
「そう、なんだ。
でも。」
「ココ、回転率、ゼロ。
店からすると、いてくれたほうがありがたい。」
「……。」
ほんと、場違いだなぁ…。
まわり、みんな年配の人ばっかりだもん。
10代なんて、わたしたちだけだから、
オトナから、ちょこちょこ、見られてるし。
まぁ、紗理奈ちゃんがおかしいの、
いまにはじまったことじゃな
ぶーっ
ん?
あ。
わたし、か。
「気にすんな。
こっち、宿題やってる。」
「う、うん。」
……
ん?
<柚
いま、なにしてるー?>
夕空ちゃん、だ。
なんだろ
<紗理奈ちゃんとご飯食べてる>
<うわー
現職モデルと飯食ってるんだ>
……
場所、言わないでおこ。
燃料投下になっちゃう。
<じゃ、もう聞いてるかもだけど、
耕平君、元カノとばったり会ったって>
え。
どうして、
夕空ちゃんが、知ってるの?
<あたしの勘だけど、
耕平君のほうは、気持ちはない
相談に乗っただけっぽい>
<なんで?>
<あー。んー。
柚って、元カノのこと、
どんだけ知ってるの?>
え。
<耕平君と同じ部活だったとか
幼馴染だったとか>
しら、ない。
それくらいしか。
<そっかそっか
じゃぁひとつだけ言っておくと
耕平君、振られたほうだから>
え
<耕平君みたいなのは、
自分を振ったオンナっていうのは、
近づくと迷惑になるって考えるタイプ
ストーカーの逆>
……
<だから、もう、
気持ちはないんじゃないかな>
……
なんで、そんな、
耕平くんのこと、わかるの。
<夕空ちゃん
耕平くんから直接、聞いたの?>
……
あ、れ。
返信、とまっ
「来た。」
ん?
「事務所の人。
ロビーで待ってる。
柚も来て。」
「う、うん……。」
「ここ、一人で
置いてってもいいけど。」
「……
誰のせいなのかな?」
「……
柚、
目、怖い。
耕平見たら引く。」
え゛っ。
*
紗理奈ちゃんが事務所の人と落ちあい、
ホテルの中に入っていく。
そういう時の紗理奈ちゃんは、わたしと一緒の時と違って、
背筋をすっと伸ばして堂々とオーラを出すので、
まわりのお客さんが注目し出している。
すごいな。
紗理奈ちゃんみたいな態度ができれば、
わたしも、ビクビクしたりしないんだろうか。
……
そもそも、
ビクビクしたりする資格なんて、ない。
……。
(耕平君みたいなのは、
自分を振ったオンナっていうのは、
近づくと迷惑になるって考えるタイプ)
……
なんとなく、わかる。
でも、倫子ちゃん、
そう、思ってない。
きっと、よりを戻したい。
また、付き合いたい。
いない、もの。
耕平より、素敵な人なん
「柚っ。」
?!
……
え?
「ど、
どうしたの?」
「い、いや。
紗理奈さんに、
柚、迎えに来いって言われて。」
え?
あ。
(もうちょっとココいて。)
紗理奈ちゃん、
まさか、そのつもりで。
……うん。
耕平、
わたしが、待ってたと思ってる。
「……ふふ。」
凛々しい。
カッコいい。
でも、戸惑っている顔、カワイイ。
「……
ありがとう、耕平。
こんなところまで、迎えに来てくれて。」
ほんと、綺麗で。
真っすぐで、優しくて。
「ふふ。
うれ、しい。」
ありえない。
偶然が、たまたま、
わたしに、集まって来てくれているだけ。
奇蹟が、あふれた空間を、
思わず、
「な、なに。」
切り取って、しまった。
手元に、おさめたく、なってしまった。
「耕平、
綺麗だから、撮っちゃった。
あはは。」
ごまかし笑いだけでも恥ずかしくて、
血管の中の血が、暴れ出しそう
っ!?
わたしたちの目の前で、
外国人のカップルが、
抱き合って、激しくキスしている。
あおられて、しまう。
舞い上がって、しまう。
だめ。
だめ。
なのに、
「か、帰ろ?
さすがに、おそいよ。」
声が、上擦ってしまって。
頷いてくれる耕平が、
たまらなくほしくなって。
顔中の血管が真っ赤になっているのも、
灯りがいきわたらないロビーなら、
わたしの、きたないこころが、見えないで済むから。
「こ、ここなら、
誰にも見られてないし、
い、いいよ、ね?」
集中して、冷静に言っているつもりなのに、
声が、もつれてしまってる。
差し出した手が、むなしさを感じる前に、
力強い掌から、耕平の汗と、包み込むような優しさが、
わたしの心と身体に、光速で巡っていく。
全身が、
暴れるように、熱い。
「……。」
近づきたい。
感じたい。
もう、半歩の、半歩だけ。
どくんっ
夜のロビーの中で、
耕平の、体温が、
脇から、流れ込んでくる。
あぁ。
わたし、
ほんとに、
好き、なんだ。
好きで好きで好きで、たまらないんだ。
わかってる。
わかりすぎている。
世界が明日、滅ぶとしても、
わたしなんかに、
届くわけのないひとだと。
それ、でも。
いま。
この、一瞬を。
闇に暮れた路の中の、掌に、頬にあふれていく、
甘く、あたたかなぬくもりを、
脳のど真ん中に、身体中の奥底の隅々まで、焼き付けよう。
何万回、何千万回反復しても、すり切れないように。
いままでのわたしの人生と、残りの人生のすべては、
ただ、この一瞬の至福と引き換えるためだけにあるのだから。
高校デビューした地味子が、手を離させてくれない @Arabeske
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