メイクアップ



 プールに沈んでいた日から2週間が経った。

シャワーもあるし、服は洗濯できるので匂いが残るなんてことはない清潔な花子は今日も働いていた。


「そういえばみんな、時々私のこと、”魔女さん”って呼ぶけど何か意味あるの?」


「・・・確かに?」

とパリス。言った当人にそう言われちゃおしまいだ。


お昼の繁忙時間が終わり、お客さんもすいてきたところで、花子はパリスと一緒に先に休憩に入ろうとしていた。カサンドラが二人のまかないを作っている。


「雰囲気がなんとなく魔女さんっぽい」

「花子ビジュいいもんね」

テテとカサンドラ。


「衣装もかわいかったでしょ? あの赤いエプロンの! だからもしかして魔女さんかな〜って」

ヘレネが洗い物を巨大なウォッシュマシーンにセットしながら言った。


「ごめん・・・魔女さんのこと、あまり知らないというか」


「ほらあれ」


カサンドラはテレビを指差す。

ちょうどコマーシャルが流れており、金髪の女子が映し出された。

水玉の入った涼しい緑のワンピースを着ている。若い人向けの運動靴のCMのようで、飛んだり跳ねたりして、靴の魅力を彼女の可愛らしさを見事に引き出している。W /COLORというアパレル関係の企業らしい。花子も仕事中に何度か見たやつだ。


「かわいいよね〜、ルゥちゃん! 私の最推し!」


ヘレネが目を輝かせる。

フラミンゴバーガーの制服がほぼ女子たちの私服(あとは水着とかパジャマとか)と言ってもいいので、ヘレネが履いているのは見たことないが、彼女のロッカーにはW/COLORの靴やら服やらがあり、彼女のポスターが貼ってあるのをチラッと見かけた。


「有名人ってこと? ・・・って私、絶対魔女じゃないよ! 地味だし」


「そんなことないよ〜! 花子も絶対有名になれるよ!! そういうなんか、オーラ? あるし? ーーーんん?! つまり私たちって古参ってこと?!」


「今のうちにサインもらおうぜ」

「ちょうど色紙たくさんあるし?」

「ほいお前ら、ご飯ですよ」


嬉しいは嬉しいが、なんだかくすぐったい気持ちになる。だけど悪い気はしない・・・


ーー今のままで私、十分だな・・・


パリスと一緒に昼食のロコモコを受け取る。

その時、花子のポケットにひっかけてあった猫耳付きの通話機能つきアラーム、通称”ウォッチニャ”がピピピピ! と鳴る。


「あ! 予約で入ってた分だ。私、行ってくるね!」


「休憩入ってきなよ。私が行くから」


「大丈夫! これまで!」

ヘレネの制止を抑えて、花子はトレイに乗せたバーガーセットを持ってカウンターのスイングドアから出る。




「えっと、もう来てるはずだけど・・・」


花子はキョロキョロ店内を見渡しながら歩く。

全身モップみたいな毛に覆われているモップさんがいつも通り定番のセットメニューをを食べている。


「ふ〜ん?」


「ひゃひっ!」

いきなり首筋を嗅がれ、びっくりして花子は飛び上がった。


「エイカシアの匂い・・・お前、魔女だろ?」


花子はなるべく平静な気持ちになって迅速に振り返った。

そこには、ガーリーだがパキッとしているシャツタイプのドレスを着たツインテールの女子が座っていた。口元には黒いマスクをしている。


「どーぞ、どーぞの椅子」


ニコニコと瞳で可愛らしく笑いながら、花子に向かいの席を指差して言う彼女。


座れと言っているのか、花子は一瞬躊躇したが、彼女の笑顔が静止して一ミリも動かないので、笑ってないな〜と思いおとなしくテーブルの向かい側へ腰掛けた。

その間、女子は四角いカメラでバーガーセットメニューと一緒に自撮りしていた。



花子は彼女の顔をどこかで見た気がした。


ーーーもしかして忘れていた記憶かも?! ヘレネたちと会ったあのプール以前の・・・それにしては最近見たような・・・?


花子は首を傾げる。


「先生、いる?」

マスクを外しながら花子に問いかける女子。


「? レイチェルさんなら、今は他の店舗にいるみたいです・・・ここにもたまにしか来ないみたいですし」


花子が来た初日以来、レイチェルの姿は見ていない。「何かあればあの子達に相談してね」と言ったきり、多忙なので他の店舗を転々と回っているそう。自由な人だなあと花子は思った。


「席が空いてるんだから狙わないはずないでしょ。お前も狙ってるんでしょ? ここ」


彼女は人差しでテーブルをトントンと叩いた。

一瞬あっけに取られていたが、彼女の腕時計式のウォッチニャの英気象ディスプレイには8番の表示がされていた。予約をもらっていたお客さんだ。


花子は返答に困る。目の前の彼女が何を言っているかわからない・・・


「ごめんなさい。仕事中なので・・・あまりこういうのは」


「ん〜? ”ルゥちゃん”知らないなんてやばくね? もしかして〜、煽られてるのかにゃん?」


ルゥちゃんと名乗った女子は、「いただきます〜」と言って花子が持ってきたハンバーガーを美味しそうに食べ始めた。


「もぐもぐ・・・この付近にいるっぽいエイカシアの情報とか教えてね? ま、言わなくても見つけちゃうけど」


「エイ・・・?」

聞きなれない単語に困惑した時、花子の後ろからヘレネの声が聞こえてきた。


「わ! ルゥちゃん?! 本物だ!!」


「はにゃーん?」


カウンターから顔を覗かせて叫ぶヘレネ。ルゥが可愛らしく手を小さく振ると、ヘレネは顔を真っ赤にして厨房の中へ引っ込んだ。


「・・・。」


かと思うと、他の三人も厨房から飛び出してきた。


「あ、あの・・・ルゥちゃんさん! 大ファンです!! サイン、くださいっ!!」


「ん〜? いーよ〜。ーーースラスラスラ〜ってね。はい、どーぞ」


ヘレネから渡された色紙に慣れた手つきでささっとサインを描くと、フレンドリーさと愛嬌いっぱいの笑顔それをで渡した。


「あ、ありがとうございます〜!! 末代までの家宝にします〜!」

「違うよ、お店に飾らなきゃ!!」

「顔が良すぎる(泣」

「ふっ(そのメニュー私が作りましたと言う顔」


「いつも応援してて、その・・・これからも頑張ってください!」


「ありがと〜! ヘレネ、テテ、パリス、カサンドラもお仕事がんばってに〜!」


ルゥは親げにみんなの名前を呼ぶ。制服の名札に名前が書いているのでそれでわかったのだろう。

みんなで順番に握手していった後、わちゃわちゃして下がっていく四人。


その間、花子は彼女たちにヘルプ要請を表情で訴え続けていたが、どうも視界に入らなかったようで少し悲しくなった。


ーーーどうりで見覚えがあるはずだ。



 魔女ルゥファラフト。


ついさっきテレビジョンのコマーシャルで見たばっかりだったので、自身の頭の鈍さに絶望する。とはいえ、そんな有名人が自分に何のようだろうか、と花子は緊張で背筋が伸びた。



「つまり原石ちゃんってことね〜。顔も性格もだっるいけど、ま、そこは後からどうにでもなるでしょ」


「はあ・・・」


「でもこれはルゥちゃん超おてがら!! 天才!!かわいい!!」


ルゥは再び四角いカメラを取り出すと、手を上に伸ばして自撮りした。

花子は呆気に取られて閉口した。

ルゥは視線を動かして花子をじろりと見る。


「名前は?」


「は、花子、です・・・あの、ご注文は以上になりますか? 私、そろそろ戻らなーーー」


「ちなみに次敬語使ったらぶっ飛ばす。分かった?」


「はい・・・あ、うん」


ーーー何言ってるのこの人。怖い・・・!


花子は席を立つタイミングを掴めずにいるまま、どんどんルゥのペースに流されていくしかなかった。


「じゃ、花たん! 注文。テイクアウトで」


これとこれと〜と言いながらルゥはバーガー2個とチリドッグ、オニオンフライ、ポテトフライMサイズ、アップルパイやミニドーナッツを指さしていった。


「それ持ってくるまでにタイムカード切っといてにぇ〜。出かけるから」


「え、えと。失礼します!」

何やらやばい人に絡まれてしまった。花子は泣きたくなった。







「花たんはエイカシア、見たことある?」


フラミンゴ・バーガーを出て遊歩道を歩く花子たち。

超巨大ショッピングセンター、ニューヴェイパーシティモールには終わりが見えない。

一般のお客さんにも結構すれ違っているが、有名人のルゥに気づかないのは、彼女が黒色のマスクをしているからだろう(多分)。


「エイカシア? ・・・聞いたこともないけど」

花子は注文の品の入った紙袋を持っている。タイムカードを切らされて外へ連れ出された花子は憂鬱な気分だった。ヘレネたちも全然引き止めてくれなかったし!


「は? ・・・まあいいけど。見たでも匂いを感じた、でもどっちでもいいけど、なんか変な黒いやつ」


正直期待してないけど〜、と付け加えると、遊歩道を花子より前に歩き出した。

ルゥは歩くのが早い。花子でも見惚れるように、ランウェイを歩くように綺麗に歩く。


「あっ・・・」

花子はハッとする。


その足元に落ちるのは影だ。

光が当たれば影ができる。建物の柱から、コーラの入った瓶、洗濯バサミなど、さまざまな無生物には当然のようについてくる黒いもの。


生きている人間の影を見たのは、花子自身以外で初めてだった。


「近くにいることしか、ルゥちゃんわかんないから。ほら、花たんだって、見てみたいでしょ? エイカシア」


別に見たいとは思わなかったが、少なくともこれは花子にとってブレイクスルーだった。

つまり、ルゥについていけば花子自身のことで何か情報が・・・思い出せるかもしれない。

正直気分は乗らないが、これは花子のやるべきことだ。いつまでもみんなに甘えることはできない・・・!


「分かんないけど・・・もし本当にエイカシア? を見つけたらどうしたらいいの?」


タン! タン! タン! 歩くたびに靴がタイル張りの地面から小君の良い音を響かせる。頭上の幾つものライトがルゥを照らし、地面に沿う影がいくつも現れる。


ルゥは花子に振り返って言った。


「殺して」


「・・・殺す?」

花子は一瞬立ち止まるが、すぐに歩き出す。


「どうして」


ルゥは花子の方を向きながら後ろに手を組み、背中向きに歩く。


「んなの敵だからに決まってんのにゃ。それにルゥちゃん、今めっちゃ仕事で疲れてんの。来季のCM用の撮影でスケジュールがミルフィーユ。こんなになってもだーれも助けてくれない・・・ルゥちゃんには花たんしかいないの! 花たんしか勝たん!」


もう一度「勝たん!」と言って地団駄を踏むルゥ。


「えぇ・・・」、

花子はルゥからもう1歩分くらい距離をとった。


こういう人にどう接すればいいのか花子はわからなかった。距離感の詰めかたが今までにないタイプだったので、押しに押されてここまでついてきたが、本当にこのまま流されていいのか。

慎重になれる余裕が欲しい・・・


「ま、あなたが本当に魔女なら、そんくらいタッタラ〜ってできて当たり前でしょ? あ、持ってくれてありがと〜」


持ち帰りで花子が持たされていたバーガーセットの紙袋を花子から受け取るルゥ。


「・・・待って。聞きたいことがーーー」


「ありがと! これあげるね!」

そう言って紙袋から取り出したバーガーを1個花子に渡した。


「えっと、違くて、もう少し説明ーーー」

モタモタする花子。


「salut〜(じゃね〜)!」


そう言って手を振ったルゥは<W /COLOR>と掲示された店舗へと消えていった。主に若い子向けの服を主に取り扱うアパレルショップだ。

詰まるところ、荷物を持たせて、”お願い”を飲まされるために花子にシフトを抜けさせたようだ。


「・・・。」

閉口する花子。


「ここ。飲食物、持ち込んでいいのかなあ・・・」

花子も割と大概だった。






 超巨大ショッピングモール・ニューヴェイパーシティモール。遊歩道の脇にはテナントが並び、さまざまな商品が売られている。

フラミンゴバーガーもフードコートエリアにある店舗のその一つ。


W /COLORの店舗付近には服飾関係のテナントが多く並び、花子みたいな人サイズから、よく分からん人のよく分からん形状の服まで多くの品揃えがある。

人も、よく分からん人も大勢が行き交う、栄えの極致・ハイパープラザ。


花子はエスカレーター下のチェアに腰掛けながら道ゆく人を見ていた。


「・・・。」


ーーーやっぱり、みんな影がない。


 紺碧の空。水平線へと黒い星が尾を引いて落ちていく。両手をあわせる女子たち。その中で一人、地面に影をおとす花子。


それは孤独だった。誰とも共有できないことを抱えるのは、花子と彼女たちとの間に超えることのできない壁を作っていた。


「やっぱり私、変なのかな・・・」

それを改めて突きつけらえたようで、花子は気落ちしていた。

ルゥはこのことを知っているのだろうか?

花子はルゥからもらったBLTバーガーを食べる。


「・・・とりあえず探そ」

正直気が乗らなかったが、これも自分のためだと言い聞かせて、チェアから立ち上がった。




 とはいえ、だ。


手がかかりのとっかかりの感触すらない状態で何を探せばいいのか、花子には分からなかった。

”黒いもの”とルゥは言っていたので、とりあえず暗い場所を探し回る花子。


めちゃくちゃ広いショッピングモールなので、迷子にならないよう気をつけなければいけない。

遊歩道を一直線。右手側をテナントにしてずっと歩いてきたので、帰りは同じ道を一直線に引き返せばいいだけだ。


そうして噴水の池の中だったり、ヤシの木の茂みだったり、人気の少ない非常出口のライトが光る螺旋階段だったり。いろいろ探してみたがそれっぽいものの気配すら感じなかった。


暗闇の隙間から覗く瞳。


「やっぱここにもいないよね・・・」


ドリンクの販売機っぽい筺体があるので、しゃがみ込んで機械の下を覗き込む。

暗くて狭い空間だが、埃ひとつない綺麗な床。

どうやって掃除とかしてるんだろう、と疑問に思っいた時、きらりと何か光るものがあった。


「・・・? お金?」


手を伸ばして手に取った花子は裏表を見ながら確認する。レジ担当なのでお金を見るのは慣れたものだが・・・花子の直感に電流が走る。


「「ヒソヒソ」」


花子の顔が赤くなる。

夢中になってて周りの視線をちょっと忘れてしまっていた。


花子はすっと立ち上がると、手に入れた硬貨を・・・今更戻すことも放ることもできなかったので、背中の後ろにかくし、さっと立ち去ろうとする。


「あ、こんにちわ・・・」


戻し笛を吹く(吹くと伸び縮みするカラフルな笛)二足歩行のカブトムシ。よくお店に来る常連だ。ちなみに本名は花子にもヘレネたちにもわからない。


通称笛吹きカブトムシさんがエスカレーター下のチェアに腰掛けていて花子をじっと見ていた。

最悪だ。花子はいたたまれなくなり、何を言い訳していいか考えあぐねてあたふたした。


すっと立ち上がる笛吹カブトムシさん。チョッキのポケットから硬貨を取り出すと、それをドリンクの販売機に入れる。


ーーガコンッ!


「あ、ありがとうございます・・・」

炭酸飲料のアルミ缶を受け取る花子。

笛吹カブトムシさんは戻し笛をプーっと吹くと(花子の顔には当てなかった)後ろ姿で手を振ってどこかへ去って行った。


「・・・は、恥ずかしすぎるぅ!」


花子は顔を抑えてる。顔から火が吹きそうだった。




 ブラッディスパーク(ザクロ味)の強い炭酸で花子は口と喉が痛くなり、顔をしかめめていた。

いただいたものなのでなんとか頑張って飲みながら、花子はポケットにかけてある猫耳付きのアラーム(通称ウォッチニャ)を操作する。実はウォッチニャには通話機能もついているのにゃ。


ーー連絡するのは気が引けた。


にゃんにゃにゃにゃんにゃーにゃ! にゃんにゃにゃにゃんにゃーにゃ!


『あ、はい! 花子?! なんかあった?』

呼び出し音の後、ヘレネの声。


「うん、今大丈夫?」


『全然OK! それより、急にルゥちゃんと一緒に外出るっていうからびっくりしちゃったよ! 今どんな感じ?』


「えっと・・・ちょっとお願いされちゃって探し物を探すの手伝ってる。仕事終わる時間くらいには戻れるから、っていう連絡・・・」


『そっか〜! 連絡ありがと! ご飯も用意しとくね! あと、ルゥちゃんの情報とかも色々教えてくだされば! 何卒っ! 花子さん!』


「あはは、うん。分かった。戻ったらちゃんと、話そ」


『分かった〜! 楽しんでに〜! あはははは! そんでさ〜』


ーーウォッチニャ! プツッ


「・・・。」


ーーーもうちょっと、機嫌を悪くしてもいいのにな・・・


ヘレネはルゥのファンだ。絶対怒っていると思っていたのに、普通だった。

花子が思うことじゃない。そんなことはわかっているが、まだみんなに気を遣われている、距離を置かれていると思うと不安になる。


ーー私が魔女だから?


手をぎゅっと握りしめる。


妙に頭が冴える。ヤシの木の葉すれの音。ホールで反響するアンビエントミュージックやアナウンス。人々が行き交う話し声や歩く音・・・


花子はそこでふと気づいた。

この世界で生き物のように動き、黒へ塗りつぶされるもの。

それは常に花子の目の前にあった。


「私の、影・・・?」




 ハイパーキャパリズムの果てに建つショッピングモール。

日の沈まぬ世界、magia&co.による世界統一は、人の心すら完全に掌握し改変することによって実現した。


楽しげでポップなアンビエントミュージックは今や微かに意識の底で掠れたように聞こえている。それに導かれるように、花子は自分の影を追って歩き続ける。


意識すると分かった。

ライトなどの光源の有無にかかわらず、その移動によって影響を受けている影。

花子はその大きさがより長く、大きくなる方向へと歩き続ける・・・



黄昏時(トワイライトモード)ーーー


空は紺碧から藍色とオレンジのグラデーションに染まり、遊歩道や階段が移動して対岸へ切り替わったりトランスフォームを開始していた。


世界が動く中、花子はようやく辿り着いた。そこは花子が最初に目覚めたあのカラーボールが浮いているプールだった。

水平線から刺す光で、背に伸びる花子の影は何十倍にも膨れ上がっている。


どれほど時間が経っただろうか。

おそらく、フラミンゴバーガーの営業時間は終了しているだろう。


ポケットについた猫耳付きアラームウォッチニャが鳴っている。

ヘレネからの着信。しかし花子はその音に気づかない。


階段を登る花子。

たどり着いたのは、かつてみんなと流れ星を見た場所。

目を閉じる。


「・・・。」



ーーザボンッ!!


花子はプールサイドから足を踏み出し、プールへ入水する。

一面の真っ黒い泡。


暗闇。


逆さまにスポットライトが落ち、照らされる円形のウィンドウテーブルと食器。

いくつもの指差しアイコンが円状に回って食器の上のリンゴを指さしている。


<EAT ME!>と殴り書きされた値札カード。

逆さに現れた花子はウィンドウテーブルの食器の上のルビーレッドに発光するそのりんごを手にとる。

水平線が生まれる。空はバイオレット、逆光に照らされながら、花子はその手に持っていたリンゴを齧った。


ピクルス、カシューナッツにアーモンドチョコレート、キウイフルーツにベイクドポテト・・・

今までに感じたどんな物よりも異なる味。質感は鈍く、重い。


リンゴの輪郭は反転し、真の黒へと変わる。

止まっているはずなのにどこかに引き込まれる感覚。空間が歪み、地平が円形へと近づく。パノラマの収束点。


”それ”は階段を登ってきた。

形状が曖昧で、黒い霧を垂れ流す巨大な怪物だった。


「・・・っ」


ゾワっとしたせずじが凍るような感覚。花子は正気へ戻る。


「何、これ・・・!」


ーーー逃げないと。とにかくできるだけ遠くへ。



ガラスが砕けたような亀裂が空間に走っている。

トランスフォーム中のショッピングモールでは、もはや花子の記憶など当てにはならない。


今の花子には追ってくるあの怪物から逃げることしかできない。しかし、どれだけ走っても距離は縮まっている。


「はあ、はあ! なんなの、これっ! 何が起きて」


ガラス、鏡に映っている景色は、人々が変わらず行き交い活気に賑わっている様子だった。

広告看板、案内掲示板、全てが日常のモールの形式を映し、花子の危機など気に求めず進んでいる。


「あっ」


足がつまずき、花子は床に倒れ込む。

曲がり角から黒い怪物が姿を表す。

怪物はそのドロドロに溶けて形状のない腕らしき部位を花子へと伸ばす。


死の直前には走馬灯が見えるというが、この時の花子には何も見ることができなかった。

花子の目に映るのは怪物の口の中の深淵だけ。それが妙に心地いい。


「私って一体、誰なの?」



ーーー視線


花子が見たのは怪物の先、後方のショーウィンドウに反射して映るぼやけた無音の景色。大量のテレビが拡大分割して一つの大きな映像を映し出すし始まるW/COLORのロゴ。

CMの映像は同じ一人の女子を映し出す。


ショーウィンドウの脇を魔女ルゥファラフトは歩く。手にはマカロンのコンパクトミラー。

ルゥは口元にリップを弾きながら、コツ、コツ! とハイヒールのヒールを床に打ち付ける。


「ターンプリモルファ・アテンション」


ピシッ! と白い石材の床にヒビがはいる。ガラスが割れるようにヒビは空間全体にエクステンションされ、やがてルゥを包み込む繭の水晶となった。


「メイクアップ」


ーー変身。


光を屈折する水晶の繭の中に映るルゥのシルエットが真黒の影へと変じる。一切の光を反射せず、吸い込まれるような真の黒と化す水晶。彼女のシルエットが踊るよう宙を回ると、次の瞬間には水晶は砕け散り、ルゥもろとも跡形もなく消えた。



「お待たせにゃーん」


気の抜けたルゥの声。

アーマードレスを纏い、大きな盾を持ったルゥは花子の前に出ると、直前に迫っていた怪物の腕を盾で受け止めていなす。


世界がひっくり返る。

床、壁の四形タイルが反転し、マゼンタ色から白色へと変換されていく。

モールの巨大ディスプレイ、案内掲示板、商品広告ディスプレイは等しくルゥの姿を映し出した。


「ルゥ?! なんで?! ・・・わっ!」


怪物は再び腕を横薙ぎに振り回す。


「<反射の魔法>に攻撃は悪手でしょ!」


盾に直撃した腕は壊れ、より高威力の散弾となり反射される。

空気を焼く轟音を伴った弾丸は怪物に直撃し、その躯体を激しく抉った。

【重大なerror】の四角い赤いウィンドウ表示が次々と現れて空間を覆い、その隙間からは黒い煙が漏れ出る。


「あははは!!! 花たんってば!! 探せと入ったけど、エイカシアに追い回されてるなんて、ルゥちゃんびっくりしちゃった!!」


ルゥは花子の後ろから抱きつき、頭を撫でながら楽しそうにいった。


冗談じゃない、と花子は怒りが湧いてきた。

殺せなんて言っておいて、探してやったのになんだってこんな理不尽な思いをさせられなきゃいけないのか。


「私、何も思い出せないの! 普通でいたいだけなのに! なのにみんな、私のことを”魔女”だっていうの!」


戻らない記憶。みんなと自分は違うという孤独感。張り裂けそうな胸を締め付ける感情が一気に押し寄せる。


「でも、誰からも無視されるのはもっと嫌! 私がここにいるって、いていいって、お願い・・・今だけでいいのルゥ・・・そうだと言って、お願い!」


悲痛な声で訴える花子。

花子の両の目から溢れた涙を親指で拭うルゥは目を細めて笑う。


「世界の全部が敵になっても、ルゥちゃんだけは花たんの味方だよ。もう一生離れなんないね」



<ソードの8(Eight of Swords)>


赤いエラーウィンドウを突き破り現れた腕。エイカシアの丸く曖昧な形状だった腕の部位が、人のように骨が通ったように角ばり、より攻撃的な形状へと変異している。


「・・・ああなっちゃうと面倒だけど・・・見てて」


ルゥは空中に手を添え、横へ払う。グリッチノイズと共にレモンイエローの半透明で光をはなつ巨大な盾がシェルター状に展開される。


エイカシアは両の手を握り、それを思い切り盾に叩きつける。単純な暴力だがその威力は凄まじく、反動で地面の床がバリバリと割れた。

しかし、宙に固定化された盾には傷一つはいらない。


盾は敵の攻撃を完全に防ぐ。

攻撃を受けるたびにライトグリーンへと遷移し発光する盾は、そのシールドの頂点へと電気的エネルギーをチャージする。


「ばっははーい」

ルゥが指を鳴らした反撃弾が射出された。


ダァンッッ!!!


雷撃の閃光と爆音が鳴り響き、反撃弾の着弾と同時にエイカシアの巨体は完全に霧散し、無色の空気へと溶けていった。


ルゥはスカートの裾を掴みお辞儀をする。ピンヒールの爪先をタン! と床にたたくと、館内全ての照明が落ちた。そして照明が再起動すると、ルゥの姿は元のシャツ生地のドレスと厚底のパンプス姿へと戻り、W/COLORのコマーシャルを流していた案内掲示板や広告も普段の各々に切り替わった。割れた床も割れたガラスが逆再生されるように元の整然としたタイル張りに戻っていく。


やがて全てが再生され、そこにはまるで戦闘なんかなかったかのようにいつも通りに振る舞うショッピングモールがあった。人々も何事もなかったかのように行き交い出す。


パチン、とマカロンみたいなピンクのコンパクトミラーを閉じたルゥが振り向き、花子のもと歩いてくる。

そして脇を通り過ぎるルゥ。花子の影の上に立って踏みつけるように言った。


「黒い気持ちもかわいい砂糖衣で包んじゃえば、みーんな喜んで食べんの・・・魔女なんてみんな最悪なやつばっかなのにね」


ヤシの木を通路両端に配置するフロアー。


無風の、匂いもせず汚れも埃ひとつない、天井から降り注ぐたくさんの照明を反射するピカピカのサーフェイス。記憶にも印象にも残らないようなプラスチックみたいなアンビエントミュージックが響くホールを、ルゥはくるくると踊る。

それを無言で見る花子。


「ーーーにゃーんてにゃ🎵 花たんの愛おしさに勢い余ってクソみてえなこと言っちゃった・・・はーあ、ルゥちゃんも疲れてるし、そろそろ帰るわ」


腕を伸ばして欠伸をするルゥ。


「今度一緒に遊ぼうね花たん。bonne nuit(おやすみ〜)」


ピンポーン、と音が鳴り扉が左右から閉まる。

エレベーターに乗って行ったルゥを見送りながら、花子はつぶやいた。


「分かんないよ・・・」


エイカシア、魔女とは・・・そして花子自身のこと。まだ分からないことはたくさんあるし、不安なことも色々あるけれど、花子は今猛烈に疲れていた。

隣にあったチェアに腰を落とす。


足が痛い。もう一歩も歩けない。


「・・・帰りたい」


遠くで鳴っている靄のかかったようなモールミュージック。


朦朧とする意識の中、ヘレネ、パリス、テテ、カサンドラが駆け寄ってくる気配を感じた気がした。

そこからの記憶は次にあたたかなベットで起き上がるまで覚えてはいなかった。




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フラクタルの魔女 @JeJens

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