フラクタルの魔女

@JeJens

私でいいのなら



カン、カン、カンーーー


なんの音だろう。杖?

花子は暗闇の中で音の方へ振り返ったが、その音の正体を見ることはできない。


「待って!」


その声が自分のものだと気づくのに僅かに時間がかかった。

音の方へ向かって足を踏み出した時、その床がないことに気づいたのと同時だった。


浮遊感。


花子は落ちていくのを感じた。下へ、下へと・・・

どれほどの間落ちていただろか。時間の感覚さえあやふやだが、ふと、遠くにうっすらと光に気づいた。

地平線に見える。

それは徐々に近づいていき・・・


一面の泡だった。


柔らかな日差しが差し込むライトブルーの水の中。

状況を花子は、呼吸することもままならず慌てて息を吐いてしまう。ひらひらのついたエプロンドレスが重く花子の体を水の下へと沈める。


水底に敷き詰められたカラーボールに足を取られまいと、花子はそこら辺に浮いていたボールにしがみついた。


浮力の高めなカラーボールは水面に頭を出し、花子は大きく息を吸う。


ーーとにかく、岸に上がらないと!


カラーボールが再び浸水し始めるので、花子は慌てて別のボールへと移動して呼吸を繋ぐ。

再び水面へ顔を出した時、目の前にストロベリードーナッツが飛んで来たので、それに花子はしがみついた。

そのままプールサイドへ引き上げられる。


「大変!! 大丈夫?!」


女子たちが花子の元へ駆け寄る。

彼女たちは心配そうな顔をして花子の顔を覗き込んだり、背中をさすった。

花子はプールサイドに倒れ込み、えずいたり咳を吐いていたが、そうしているうちに呼吸も落ち着いてきた。


「はぁ、はぁ・・・ありがと」


花子は口に手を押さえながら、周りの女子たちを、そして自分がやってきた方向を見た。

水平線。一面の青い海だ。


「どこ・・・ここ」


「大丈夫そ??」


水着姿の女子たちが心配そうに花子の顔を覗き込んでいる。

ビーチボールを持っているので、どうやら遊んでいる最中に花子が溺れているのを見つけて助けてくれたようだ。紐のついたストロベリードーナッツの浮き輪がプールサイドに落ちていた。


「もしかしてプールに落ちたとか?」


「プール・・・? 確かに、落ちてきた・・・かも?」


花子は記憶を辿ったが、直前のものしか出てこなかった。

暗闇に現れた水平線の光。あの杖の音を追いかけて、気づいたらここにいたことくらいで、それ以外のことが全く思い出せなかった。


「・・・あまり覚えて、ない」


独り言のように花子は俯いたが、女子たちは花子の困惑に意をかえず、何やら深刻に頷き合いながら、しかし楽しげに話し始めた。


「それって、”きおくそーしつ”ってやつじゃん! 私初めて見た〜!」

「うわ! なんだかロマンチックー!」

「わかる〜」

「物語の予感」


杖の音を追いかけていた気がする・・・

それ以前の記憶を思い出そうと頭を捻っていると、女子たちが花子の手を取った。


「ついてきて! 先生に報告しなきゃだから!」





「レイチェル先生! この子、プールに落ちて溺れていたんです。それに”きおくそーしつ”らしいんです」


ストライプ調のビーチパラソルと椅子に腰掛ける女性の前に連れてこられた花子。

暑いわけではないが、日差しが照りつける浜辺でもふもふのファーコートを羽織る厚着の女性は、大きな丸いサングラスに花子の姿を写し、それから女子たちを見て呆れたように言った。


「・・・風邪をひいたら大変でしょ。濡れた服は思っている以上に体温を奪っちゃうんだから」



「待って! 自分で脱ぐから〜!!」


女子たちが我先にと花子の面倒を見たがるので、花子は少し恥ずかしくなった。


「体調は、そこまで問題なさそうね」


「はい、みんなに助けてもらって・・・ありがとうございました」


女子たちが「私が助けました」と顔で誇らしげに語っている。

花子はその間に女子の一人が貸してくれたブランケットを羽織り、水を吸って重くなった服はそこら辺に脱ぎ捨てた。


ところで、とレイチェルがあらためて花子に質問した。


「あなた、名前はなんて言うのかしら?」


名前ーー

女子たちが注目する。


花子はそう聞かれて、ほとんど反射的に出てきた名前を口にした。


「花子・・・花子、です」


「そう、花子さんていうのね。私はレイチェル。よろしくね」



「「まあ!!」」




 白と青のストライプ柄のパラソルとテーブル、がプールサイドに一列に並んでいる。ヤシの木ものほほんと立っている。


向こう岸が見えない。

なんて広いプールだろう、花子は水平線を見ながら思った。


円形のテーブルに座る花子の目の前には氷の敷き詰められたクーラーボックスから取り出したグラス瓶のコーラが置いてある。


女子たちはプールの浅瀬でビーチボールをトスして遊んでいた。

その時花子は、彼女たちに何か違和感を覚えた。それが何なのかにこの時は気づけなかったが・・・


「迷惑をかけてごめんなさい・・・本当に何も覚えてなくて」


「そう不安にならなくても大丈夫よ。何かきっかけがあれば思い出せるだろうし、花子を探している人もいると思うわ」


花子はうつむく。不安ではなかった。むしろ、あらゆることがわからないので不安を覚える余地すらないのだ。

ビーチパラソルの影が重く花子にのしかかる。


「私たち遊びにきているの。というのも、休暇でねえ。あの子たちにせがまれてよく来るのよ〜


レイチェルは女子たちを見ながら言った。


「本当にいい子達・・・きっと花子にも良くしてくれると思うわ」



物干し竿にかかる花子の服が風を受けてなびいている。

花子はコーラを飲む。暖かな日差しの照る中でのむ炭酸の爽快感が花子の気持ちをシャキッとさせた。


記憶は失っていたが、プールという単語の知識、イメージは持っていた。どうや自分の経験に対する記憶だけがごっそりと抜け落ちているようだった。





「花子も就職しちゃってよ」


「・・・え、しゅ?」


花子が頬杖をついて考え事をしていた時、突然現れた女子たちにそう言われたので話は虚をつかれた。


「ヘレネ」

「テテ」

「パリス」

「カサンドラ」


何やらおかしなポーズを取りながら自己紹介する女子たち。

花子はあっけに取らたが、なんだか面白くて笑った。


それを見て嬉しそうにする女子たち。


「「こっち!」」


手を取られてプールサイドを早足でかける彼女たち。

階段を上がり、高台へやってきた。紺碧の空には入道雲が建物のように立ち上がり、光を吸い込む黒い星が輝いている。


「先生に頼めば、きっと花子だって私たちと一緒に働かせてくれるよ」

「魔女さんだからきっと、大丈夫だよ」

「ね、花子!」


「そうだったら、いいな・・・」


花子は特に行くあてもないし、何をすればいいのかもわからない。ここでお別れだってしたくないので本心でそう思った。


「見て、流れ星」

ヘレネは空を指さしていった。空には無数の黒い軌跡がスーッと空を落ちていった。


「3回、心の中で唱えれば願いが叶うって。先生が言ってた」

カサンドラ。


「みんなでお祈りしましょ!」

「手を合わせて、花子も一緒に」

ヘレネとパリス。


花子は言われるがままに手を合わせる。


何もわかっていないけれど、少なくとも確かなことは、出会ったばかりの彼女たちと一緒にいたい。それだけだった。


目を開ける花子。


彼女たちの後ろ姿を見てその時、花子がずっと感じていた違和感に気づいた。


世界の光が生んだ黒い影。花子の足元を塗りつぶすのと同じものが、女子たちには見当たらなかった。


ーー影が、ない?





 


 陽気な音楽と共に現れるPalm Cola。炭酸飲料のアルミ缶から漏れ出す冷気と泡の爽快感。プールサイドでそれを飲む銀色のマネキンが電子ビームによって彩られたなディスプレイに映し出される。


「ひかえおろう!こちらに座すのが、あのパルム・コーラ社のトップオブザトップ。レイチェル先生その人でありますぞ」


「うふふふふふ」


「へ、へえ〜・・・」


花子の反応が薄いのを見てがっかりした女子たち。

なんだか申し訳ない気持ちになる花子だが、わからないものは本当にわからない。


「これ」

「これの社長」


カサンドラはテレビのCMを指差しながら言った。彼女は女子たちの中で一番背が高く少し落ち着いている。


「ほ、ほへ〜!」


「本当に何もわかんないんだ」

「まじかー」

パリスとテテが驚いているのか呆れているようにも取れるように言った。





「急いで行く宛がないなら一緒に働いてみない?」


プールサイドのビーチパラソルの下。レイチェルにそう言われた花子はまだ迷っていた。

というのも、一緒にいられるのならとてもありがたいことだった。

見ず知らずの自分がそこまで甘えてもいいものなのか、記憶を失っている不運な娘だと思われているんじゃないか、というある種の遠慮だった。


一方で女子たちの間では花子が一緒に働くことが確定しているようだった。


「じゃーん! どすか!?」

「あの赤いエプロンも可愛いけど、こっちの制服も似合ってんね!」


フラミンゴ・バーガーというのがこのハンバーガーショップの名前だ。店内はその名の通り薄いフラミンゴカラーで統一され、アクセントにシアンが使われている。キャラクターのフラミンゴをネオンライトで大きく縁取ったものが壁に描かれている。


フラミンゴバーガーの制服姿で女子たちの前に出された花子は、あたふたしながら渡されたトレイを持ってみせた。ハンバーガーとドリンクを四人分載せている。


テテとパリスが花子の両脇に立って「じゃーん」と手で花子を演出している。

店舗の窓際の席に座るカサンドラとヘレネが「お〜!」「様になってんね」と称賛した。


「本日より、花子が我々カロッテ・シスターズの仲間になるということで! 乾杯しましょ!」


「あの!!!」


花子は突然大きな声を出して場を止めた。

女子たちは「何事?!」と言うふうに花子を見る。


「私、つい流されちゃってここまできちゃったけど・・・でも、迷惑になるんじゃないかなって」


花子は胸の内を明かす。

「だって、自分のことも思い出せないし・・・空気も悪くしちゃうし。私やっぱり、みんなの負担になれない!」


「負担だなんてそんな・・・」

女子たちは「まさか」というふうに顔を見合わせて花子を見た。


「先生も言ってたけど、”助け合えているうちが一番人間らしい”って」

「ヘレネなんていまだにコーラとコーヒーを間違えてお客さんに持ってっちゃうし」

「うお〜〜! それを言っちゃあ双子の君らだってこないださあ!!」


ヘレネは双子が開店間際に掃除道具でライブのモノマネをやり出して間に合わなくなったことや、先月割ったグラスの枚数を咎め始めたが、テテもパリスも反省はあまり見えなかった。


「私は一人でまわせるから大丈ブイ」

「こいつは天才だから気にしないで〜」

カサンドラはいつの間にかハンバーガーを食べ終わっていた。かなりマイペースらしい。


ヘレネは人差し指を立てて強調した。


「つまり、別にミスなんて誰でもする。迷惑かけてもまあ、なんとかなる!

そんなことより、私たちは花子が仲間になってくれて嬉しい! 友達になってくれて嬉しい!」


「・・・っ!」

ーーそういうことじゃないんだけどなあ・・・


考えすぎなのかな、と花子は思った。

あるいは、彼女たちが無邪気すぎるかーーそんなことは記憶の欠如した花子には分からない。

ただ一つ、少なくともわかるのは自分の今の感情だけだった。


「ありがと・・・うん。私でいいのなら」






 テテとパリスは双子だ。

商品をお客さんに持っていったり、テーブルの片付けたりする仲介役だ。

繁忙時にはヘルプでレジに入ったり、フライヤーで揚げ物の手伝いなんかもやる。要はオールラウンダーだ。


カサンドラは厨房専門で、普段のそーっとした雰囲気とは違い、厨房では黙々とオーダーを捌いていた。


「うお〜〜パティ今日も舞ってんねー!」

鉄板に敷き詰められた牛肉パティが高速でひっくり帰っているのを傍目に、テテはカサンドラにいった。


そして花子はヘレネと同じレジ・接客の担当になった。


「き、緊張する・・・」


「まあ、ノリでどうにかなるから大丈夫よ。なんかあったら私に任せて!」


ヘレネは笑顔でガッツポーズをした。


さて、いよいよ開店してお客さんもぼちぼち来始めたはいいが、これがまた大変だった。


まず、全身が青のモップの毛で目が3つあるモンスターみたいな人だったが、言葉の代わりに鳴くので花子の手にはまるで追えなかった。

次に、話しかけると虹色の戻し笛を吹いて花子の顔にペシペシ直撃させてくる二足歩行のカブトムシっだったり、「カエルイッピキ!!」「シンセン! トレタテ!」と騒ぐニワトリの集団だったり、他にも何が何だかわからないような、人智を超えたコミュニケーションを経験して花子はてんやわんやだった。


とにかくはちゃめちゃだったが、ヘレネ曰くとにかく「気合いと根性」で乗り切れるらしい。


「わっかりました〜いつものですね?! カロテバーガーのセットでサイドにはフライドポテト、ドリンクにはPalm Colaをつけまーす!」

「申し訳ございませーん!! 当店ではカエルを油で揚げた、ゲコナゲットのみの取り扱いになっておりますー!」

「食事が済まれたようなので、こちらのトレイお下げしますね!! ありがとうございました〜」


「あわわわわ・・・すみません」




「あ〜〜ツッカレタぁ〜!!」

「お疲れ〜」

「お腹すいたー!」

「洗濯機に入りたいだけの人生」


閉店した後のフロアやキッチンの片付け、仕込みも終わり、面々は疲れた様子で、しかし笑顔で談笑し始めた。

一方、花子はクタクタになって椅子に倒れ込んだ。


「空、まだ明るい・・・」

時間が嫌に長く感じる。いったいどれだけ働いていたんだろうか?


「初めてにしてはとても良くできてたよ!? 本当すごいよ花子〜!」


ヘレネがサンドイッチを持って花子に手渡した。


「その優しさで胸が痛いよ・・・」


花子は泣きたくなった。結果から言えばボロボロだった。

メニューの名前を何度も聞き直してしまったり、商品を載せたトレイを落とした。

他にもヘレネに何度助けられたことか・・・誤った回数は数知れない。


「笛吹カブトムシさんなんて、花子のことめっちゃ気に入ってるみたいだったし! ね〜パリス!?」

「うん! よかったじゃん花子!」


「あ、ありがとー・・・?」


花子は微妙な返事を返した。

疲れ切った時のトマトが多めのサンドイッチが美味しかった。







「ええと、冗談でしょ?」


「? そんなことないよ? いいからいいから! お先どうぞ!!」


下着姿になった彼女たちはランドリールームにやって来た。ドラム式洗濯機の丸くて黒い穴が部屋の壁沿いにずらっと並んでいる。

てっきり花子は、ここで洗濯物を洗うのだと思っていたが、どうも彼女たち曰く花子にドラム式洗濯機に入ってもらいたいらしい。


花子の常識では、洗濯機は人が入るものじゃない。


一応流されるまま入ったはいいものの、狭いので体を畳まなきゃいけないくらい狭い。洗濯機の中から頭を出した花子は焦りながら言った、


「お風呂入るノリだけど、本当に使い方合ってる? 大丈夫なの?」


「そりゃ、毎日入るし」

「そ! 心身ともに洗いましょ〜!」

「じゃ、閉めるね!」


「あ! 待っーー」


バタン! ・・・ピッ!


「あの、本当にこれーーー」


ぐわん!ぐわん!


暗くならないよう、内装の穴からは白い光がピカピカ光っている。

体がが回転する。目が回りそうだ。


「うわ! モクモクしてる!」

「やっば! 故障かな?」


結果から言うと、洗濯機は花子を吐き出した。床に転がる花子。一緒に黒い煙を吐き出し、洗濯機は沈黙した。


「あたっ! うううう・・・」


「うーん、最近フィルター洗ったばっかなんだけどなあ・・・」

「当たり屋だねえ花子」

「他のでもう一回回して見ない?」

「それ」


「ちょっと、待って。あのこれ、本当ーー」


バタン! ・・・・ピッ!


結果から言って、前とほぼ同じような感じで洗濯機は煙と共に花子を吐き出した。

同じ体制で床に転がる花子。


「えほっ! えほっ! やっぱダメっぽい?」

「・・・もしかしてめっちゃ汚れてるとか?」

「大丈夫! もう一回くらい回せば絶対成功するって」

「それな」


「いやいや! ちょっと落ち着いて!! 絶対間違ってるって色々!!」


流石に3度目は無かったが、うんともすんとも言わない洗濯機が2台残った。


「壊れてんねこれ・・・」


ヘレネは洗濯機の扉から顔を出していった。

これ以上壊すと先生に怒られるとのことで、結局花子は洗濯機を免除された。


「魔女さんって、洗濯機入らないのかなあ」

「もっと洗剤多めにしたらどう?」

「用法用量の欄には載ってないねー」

「でも魔女さんってトイレとかも行かないから洗濯も大丈夫でしょ。ね、花子?!」


「・・・いくよ」


「え! そうなの!!」

「うそー!! なんか色々ショック・・・」

「でも花子今、油くさいから、入ったほうがいいよ」


なしてそうなる?

心の中で突っ込む花子。


「お風呂行ってきます!!」


赤い顔になった花子は、語気をやや荒げて言ってランドリールームから出ていった。

ポカーンとした顔で残された四人の女子。


「怒っちゃった・・・?」

「怒ったねえ」

「怒った」

「こわぁ」


「・・・お風呂ってどこにあります?」


花子は扉から顔を覗かせて言った。


「そこの角曲がったとこ」


「ありがと・・・」


そうして花子の初日は終わっていった。


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