第5話

「――って言うからさ、折角忙しい中どうにか時間作って顔を出してやったのに、オッサンさぁ~」


 「いやぁゴメンゴメン! これはさ、時間のかかる料理なんですよ」


 『閉店中』と書かれた札の掛かっている店内から、騒がしい声が聞こえる。


 「いやソレは聞いたって! でも1時間よ? 俺が来て1時間よ? 今午後の1時よ? オッサンは何時から料理してんの?」


 「えーっと、朝の4時くらいかな?」


 ハーーーッ、と溜息を吐いた彼は龍名。彼はカウンターで頬杖を突いて呆れていた。


 「『君に足りない料理を作ってあげるよ』って言うから来たんだぜ? ゲスト待たせる普通? マジで?」


 「いや……手がね」


 そう言って包帯でグルグル巻きに右腕を掲げた男は鉄生だった。彼は厨房で、僅かにはみ出た指先を器用に使い、料理を進めている。彼は大きな寸胴時折確認しながら、せっせと自由な左手と不自由な右手で料理を作る。


 「ソレ言うたら俺の脚見てみ?」


 龍名は両足を持ち上げて見せる。ギプスで覆われた両足だった。でも彼は、松葉杖を引き寄せると器用に腕の力だけで立ち上がり、天性のバランス感覚と筋力で”腕の力だけで”その場で歩いて見せた。


 「剥離骨折と重度の捻挫……ていうか筋断裂。全治1か月……なんか逆恨みすんのもダサいね! 思ってるより軽傷だったし俺! それよりオッサンの腕はどうなの?」


 「病院とかは行ってないんだけど、寝てたかなり良くなったよ。おかげさまで」


 「ハ!? 組お抱えの病院とか無いの!?」


 「私が断ったんだ、要らないって。昔から寝ると大体治るんだよね、怪我って。この包帯もアキラさんに巻いてもらったものだし、一番酷かった指が治ればもう大体……」


 「怪物じゃんマジで……。どういう身体してんだよ。無駄に全身硬いし……あー何か思い出して来たらムカついてきた!!」


 頬を膨らませた龍名に、鉄生は涼しげに笑い返すと、一瞬黙りこくり、そして質問した。


 「何であんな場所で龍名くんは戦ってるの?」


 彼の質問に、龍名はドカッと椅子に座り直し、ふんぞり返って中指を立てた。


 「そりゃあ腕試し! あと――食うところだね、あそこは。強い敵も食えるし金も稼げるし、そのお陰で飯も食えるし、食うためのとこだよあそこは、色々とね」


 「あんなアングラな場所じゃなくて、明るい、表の世界とか、真っ当にジムのインストラクターとかやって生きていく気はなかったんですか?」


 ハッ! と鉄生を笑い飛ばすと、龍名は答える。


 「強いヤツと戦いたいんだよね! チャラチャラ下らない精神論語ったり番組作ったりする表じゃなくて! 俺みたいな、俺みたいなもう、どうしようもなく強い、戦いたくて生きてるヤツと戦いたいんだよ俺は!!」


 彼の答えに、鉄生は少し暗い顔をする。


 「それは――今後もですか?」


 「当たり前でしょ!? 何なら今でもオッサンとリベンジマッチしてもいいよ?」


 途端、殺気のようなモノを放つ龍名。そんな彼に、


 「――はい、お待たせしました」


 水を差すようにお椀を差し出した鉄生。中身は琥珀色の液体……スープだった。


 「――は? これ、なに?」


 毒気の抜かれた龍名は眼前の椀の中身を指差す。


 「それは、コンソメスープです。飲んでみてください」


 「こんな待たせてコンソメ……って。あの四角いキューブいれりゃすぐ出来んじゃん……でもさ」


 グダグダと言葉を紡ぐ彼だったが、眼前の琥珀色の液体から目を離せない。これは、


 (これは……何か分かる! 研ぎ澄まされてきてるッ! なんだ、この、目の前に何人も人を斬った後の刀が突きつけられてるような迫力は……っ!?)


 彼はスプーンを使う余裕すらなく、口先を近づけ――飲み込んだ。




 瞬間。




 「――――――ッ!!?」


 大量の情報量が龍名の頭に流れ込んできた。牛、卵、香味野菜、海老、魚、鶏……それはまるで老練の格闘家の一撃を喰らい、相手のこれまでの積み続けてきた鍛錬の賜物を瞬間垣間見る様な、相手の強大さを推して知ったかのような衝撃だった。


 彼は驚き、鉄生を見る。鉄生は「良かった」とだけ言い、そして龍名は堪えきれずにあおる様にして椀の中身を飲み干す。即座に鉄生はお玉でそこにお代わりを注ぎ込むと、龍名も応えるようにしてそれを再度飲み干す。


 そんな事を10数回繰り返しただろうか。恍惚とも放心とも言えない表情を浮かべる龍名は、小さな声で、


 「うまい……」


 と、呟いた。


 「これが、コンソメスープです」


 鉄生の声が聞こえたのか聞こえていないのか、龍名は再度汲まれたお代わりを、喉を鳴らして飲み始める。


 「これはですね、実は、料理の仕込みで余った部分だけで作ったんです」


 「え、マジ?」


 さぞ貴重な部位をこれでもかと積み込んだ贅を極めたスープかとも思っていた龍名は、呆気に取られた。


 「えぇ、しかも、ただただ静かに煮込んだだけです……卵白で灰汁を取ったり材料をミキサーにかけたり、多少のお手入れはありますが、基本は煮て、最初は焦げ付かないように混ぜたりしますが、最後は静かに、スープをグラグラと沸騰させたりしないように静かに、そしてスープが濁らないように優しく掬い取り、濾すのです。本当は一度冷やして脂を取ったりするのですが、龍名くんくらい若いと、脂が美味しく感じるかなと思ってそのままにしてあるんだよ」 


 「うん、めっちゃ美味かった。何て言うか……味が、重いんだよ。濃いんじゃなくて、液体のはずなのに食べてるみたいな……何て言えばいいんだ、飲んでるのに、その時間に比例して煮込まれた食べ物を全部一度食べて経験してるみたいな……凄い味だった。肉を飲んでる、ってより、食事が圧縮されて一気にソレを飲んでるみたいな……とにかく凄いよ」


 「そうなんです、ただ砕いて、煮たモノが美味しい。時間を掛けるというのは、時にとてつもなく凄いモノを生み出すんです」


 そう言うと、一呼吸置いて、鉄生は真面目な顔で切り出した。


 「龍名くん――焦らないで。戦うな、なんて言わない。ただ、君は生き急ぎすぎているように見えます。このコンソメスープで使った材料なんか比べ物にならない程、君は超高級品だ。だからこそ、焦らずにじっくり時間を掛けてほしい。 そうすれば、私なんか目じゃない人間になりますよ」


 鉄生の言葉に、龍名は一瞬難しい顔をし、すぐにいつもの様に余裕ある顔へ様変わりし、腕を組んで「ん-ーーー」と唸り始めた。


 「いやぁ、もっと強くなりたいし、強いヤツと戦いたくてさ。オッサンの話も理に適ってるとは思うよ? でも強さって何処かで狂気に足を踏み入れないと――」


 「――このコンソメで延ばしたトマトチキンカレーはいらない?」


 「いります。地道に堅実に生きていきます」


 音より早くカレーを奪い取ると、龍名は獲物を取られまいと鉄生に背を向けてカレーを食べ始める。数口食べると、「うめぇ!」と唸り、その姿を見て鉄生は嬉しそうに笑い出した。釣られ、龍名も笑い出す。


 二人の笑い声が聞こえる中、入口の前で煙草を踏み消す者がいた。それは、


 「あ~~、何かいい雰囲気的な? 俺今入っていくとめっちゃシラケさせる感じ?」


 アキラだった。彼は猫背で気だるげに頭を掻く。


 「次の試合をお伝えに来たんだけどお邪魔みたいだね~~。ま、また明日来っか」


 そう言うと彼は新しい煙草に火を点け、去っていく。行き場を失ったようなフラフラした歩き方、ふと、アキラは振り返り、獲物を目にした蛇のように裂けた口から舌を出した。


 「あ~~、負けた方が幸せだったのにねぇ、か~~わいそう!」


 心の底から嬉しそうにアキラは笑う。煙草を挟んだ手を大きく空に上げ、一時の別れを告げた。

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くうところ 空暮 @karakuremiyo

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