19.5話:宿無し天使の同居交渉
「お勉強ですか?」
自室に戻り、情報の整理も兼ねて日記をつけていると、少し離れた位置に居るモアが訊ねた。
彼女と出会ってから既に五時間ほど経っているのだが、何故か彼女はあれからずっと私の側に居る。
当たり前のように私と共に家に入り、私が朝食を食べている時はテーブルを挟んだ向かいからジッと見つめ、シャワーを浴びている時はリビングで正座をして待っていた。
何か食べるか、何か飲むかと尋ねてみても笑顔のまま首を横に振るのみ。
「……いや、勉強じゃなくて日記」
一体何がしたいのだと思ったが、彼女としては何をするつもりも無いのかもしれない。
「なあ」
「はい?」
「いつまで居るんだ? もう用事は済んだだろ」
ノートを閉じて立ち上がり、モアの正面に改めて腰を下ろすと彼女は少しばつが悪そうに笑顔を浮かべた。
「その…… 実は私家無し宿無しで……」
「宿無しって…… 仮にも天使だよな? 必要に応じて降臨するみたいな感じじゃないのか?」
ルーベンスはモアのようにずっとその場にいる訳ではなかった。
基本的に姿は見せず天から声のみを送るスタイルであり、姿を見せた際には用事を終えたらすぐに消えていた。
「ルーベンスはずっと空の上に居たからてっきり神族はそんなもんだと思ってたんだけど」
「それは恐らくこの世界の空に自らの居場所を作っていたのでしょう」
ならモアもそうすれば良いのでは、と言いかけたが今の彼女は守護神としての力も天使としての力も大して使えない状態だ。家無し宿無しで悩むくらいなので当然居場所を作るような事も出来ないのだろう。
「頼ってくるって事は、今のモアではそういった居場所を作るような力も使えないんだな」
「はい」
「神の世界に帰ったりも出来ないのか?」
ずっと居座られるのは嫌だという意志をなるべく出さずに尋ねるとモアは困った表情で首を横に振った。
「はい。使命を果たすまではこの世界に滞在する事になっているんです」
「なんだそれ。『歪みを直すまで戻ってくるな』って事か?」
「そんな言い方はされていませんが認識としては間違っていません」
「……現地に滞在させといてサポート無しなんだな。世界救いに来たってのに」
「元々滅ぶのが妥当とされていた世界だからでしょう。その上で無理を通してここへ来ている以上、こうなるのも仕方の無い事です」
困る。彼女が困っているとかは一先ず置いといて私がとても困る。
彼女にはこの世界における居場所が必要だ。だから私の家に何とか居座れないかと考えているのだろう。
命を狙われているのではという疑いとは別に、知り合ったばかりの人が同じ屋根の下に居るのはストレスだ。かといって宿無し状態で追い出すのもそれはそれで気分は良くない。
魔法で適当に小屋を作ってそこに居て貰うという方法が出来ればいいのだが、それをするには敷地が若干足りない。
彼女も彼女で私のこういった面倒臭い考え事を察してはいるだろう。そこをどうするか相談する為にももう少し会話が必要だ。
「あの、アキラ様」
「ん」
「図々しい申し出である事は重々承知の上で、お願いしたいのですが」
正座をしたまま、手を揃えて地面につける。まさか土下座でもするのではないかと思ったら案の定モアが頭を下げ始めた。
「私をこの家に──」
「ちょっと待った」
それを阻止するように彼女の額を掴み、グイと頭を上げさせる。
「あの…… 何か……?」
流石に土下座までさせるのは心苦しい。
翼を欠損させようとした時にも思ったが、彼女は自ら尊厳を手放す事を厭わない性格のようだ。『それは間違っている』なんて言うつもりは無いが、せめて私に対してそのような振る舞いはしないでほしい。
「土下座以外の方法で説得してくれないか」
それに今欲しいのは誠意ではなくお互い納得できる妥協案だ。それを考えるように促すとモアは呆気に取られたように数度瞬きをした。
「……分かりました。頑張ってみます」
手を離すとモアは姿勢を改め、考えるように顎に手を当てた。
「えー、まず食事や水分補給、排泄の必要はありません。なので食費や水道代などのご負担はかけません」
「風呂はどうするんだ?」
「入浴も基本的には必要ありません」
「……それはどういった意味で?」
我慢できるという意味なのか、そもそも神や天使の特性として入浴をしなくても問題が無いのか。
前者の場合は私の方が我慢できなくなってしまいそうだが。
「人間を始めとする様々な生き物は入浴によって身体の汚れを落としますが、我々神族はそれとは異なる方法で身体の汚れを落とす事が出来るのです」
「それも"神族としての力"を使うんじゃないのか? ちゃんとできるのか?」
「はい、流石に衛生に関わる事なので。こういった力だけは制限されていないんです」
実践を見せるかのようにモアが翼を出現させる。そして祈るように瞳を瞑ると彼女の頭上に淡い光を発する霧が出現し、ドライアイスの煙のようにふわりとモアの全身を撫でて床へ降りた。
「これで終わりです。ご希望とあらばアキラ様も同様に綺麗にして差し上げる事も可能ですよ」
光の霧が自然に消滅すると、モアが説明を再開した。心なしか先程よりも翼や髪、肌の色つやが良くなっているように見える。
「私は普通の風呂でいい。とりあえず風呂トイレ台所は基本使わないし出費も増えないって事だな」
「はい! 言ってしまえばただ場所をお借りするだけです。いかがでしょう?」
金銭的な負担が無いのは有難いが、最も大きな問題は私のストレスの事だ。そこが解決できていない。
彼女に対して嫌悪感と言う程の感情は無い。だがまだ警戒する必要があるとは思っている。そんな相手が常に近くに居るのは精神的に良くない。何より自室というプライベートを極めた空間で他人の存在を意識したくない。
「……うーん」
「同室で過ごすのは嫌…… という事でしょうか……?」
モアも薄々察していたのか私の感情を的確に言語化し恐る恐る尋ねた。
その通りだと頷くのも申し訳ないのだが、肯定を示すように曖昧な返事を返すとモアは納得したように頷いた。
「ごめん。私としてもなんとか妥協できるような案を出したいんだけどどうにも…… やっぱり自分の部屋に他人が居る状況は慣れなくて」
「謝る必要なんてございません。その気持ち、よく分かります。 ……では、こういたしましょう」
再び祈るように目を瞑ったモアが翼を光らせる。目が眩みそうな程のその光が止むと、そこにモアの姿は無かった。
「これならいかがでしょう」
代わりに現れたのは、嘴も含む全身が真っ白な小鳥だった。シマエナガを彷彿とさせるずんぐりとしたフォルムだが顔つきはスズメに似ており眼は青いなど、色々と普通の鳥ではないような特徴が見られる。
「そんな力も使えるのか」
「はい。先程の翼を消したり衣服を変えたりといった力と同じ物です。要は素性を隠すための変装能力ですね」
「はあ、こんなもん許可するくらいならもっと役に立つ力を…… いやグチグチ言っても仕方無いか」
手を差し出すとモアが手に乗った。小動物の扱いは心得ていないが、この姿であれば幾分かストレスを緩和できるだろう。
「悪いな。色々と気を遣わせてしまって」
「いえ。信頼関係も不十分なまま置いて貰う訳ですから、私だって出来る事はやりますとも」
喋っているのに嘴が動いていない。念話のような能力を用いているのだろう。
「にしても、随分と可愛らしい姿に化けたな」
思いがけない愛らしさがその姿への好奇心を生む。暫し観察をするように鳥と化したモアの全身を眺めてみると、一目では気が付きにくい特徴がいくつか見えてきた。
目の周りの羽毛はアイシャドウのように薄っすらと青く、瞼も若干青みがかっている。地肌が青いのだろか、と思ったが足は薄い桜色だ。見た事のある鳥で言うと足元の特徴はインコに近い。
「この姿は何の鳥なんだ?」
「この世界には存在しない鳥です。遥か昔に居た我々神族のご先祖様の姿をお借りしました」
「ほおー……」
観察を終えてテーブルに降ろすとモアは期待を込めたような視線をこちらに送ってきた。
「それで、いかがでしょう? ここに置いて頂けると大変助かるのですが……」
「分かった。私が偉そうに言うのも変な話だが、居場所が必要なうちはこの家に居ても構わない。ただし屋内ではその鳥の姿で居てくれ。あと私の両親にも存在を認識されないよう気を付けてくれ」
「ありがとうございます! 分かりました!」
「それと…… こういうのも作っておくか」
エフェクトを身に纏い変身し、更に紙に魔力を纏わせる。そして大量の紙を組み合わせて巣箱を作り上げた。材質も頑丈な木材に変化させてあるため、本物の巣箱のように使える筈だ。
小動物を飼う際には当然専用のケージなりが必要になる。それはモアの場合においても例外ではないだろう。小鳥の姿であるのなら、その姿に合った快適な寝床という物がある筈だ。彼女に不便を強いている立場として、私はそれを提供するべきだ。
「これでよし。自由に使って良いからな」
部屋の隅に巣箱を設置しながらモアの方を振り返ると、若干不服そうにこちらを見ている彼女と目が合った。
鳥類とはここまで表情豊かなのかと、その顔をまじまじと見ていると彼女はペタペタと足音を鳴らしながらこちらに近付き、私を見上げた。
「私の事、ペット扱いしてます?」
「……いや別に」
「それならいいですけど…… とにかく有難く使わせていただきますね」
翼を広げてバサバサと跳び上がったモアが巣箱の穴に顔を突っ込み、数秒中を確認してからストンと飛び込んだ。巣材の代わりとして綿も生成して入れておいたのでこのままでも寝床として使える筈だ。
「思っていた以上に快適です。ありがとうございます」
「そうか。気に入ってくれたなら良かった」
穴から顔を出してこちらを見るモアに視線を返し、机に向かう。
そして先程書いていた日記を開き、再びペンを握った。
魔法少女の夢日記 タブ崎 @humming_march
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