19話:非日常への入り口

「協力するにあたって一つ頼みたい事があるんだが聞いてくれるか」


「何でしょう」


 情報共有と相談を終え、改めて声をかけるとモアはきょとんとした表情で首を傾げた。

 彼女が私と行動を共にするとなると、奏と美愛にも接触する事になるだろう。あの二人は言ってしまえばごく普通の人間だ。あくまでもカムトマジナについて調べて美愛を目覚めさせるという目的の下で行動を共にしているだけ。神々とか世界の危機とか、そういった事には巻き込みたくない。


「カムトマジナを調べる事に関して、私には既に二人の協力者がいるんだ」


「まあ。そうだったのですか」


「そうなんだよ。その二人には守護神とか歪みとか…… 諸々伏せておいてほしいんだ」


 モアが顎に手を当てる。言葉の意図がいまいち掴めていない様子だ。


「構いませんが、どうしてです?」


「夢の中の異世界を観測しているとは言っても、ごくごく普通の大学生と小学生なんだよ。あまり深い所まで巻き込んで余計な心労をかけたくない」


「そういう事でしたか、分かりました。では私が天使である事も伏せておきましょう」


「頼む」


 頭を下げて変身を解くと、モアも何らかの力によって翼を消した。


「まずは翼を隠して…… お洋服も貴方みたいに…… っと」


 それまで身に着けていた衣服が光に包まれ、私が今着ているジャージを模した物に変わった。


「どうでしょう、この姿。このまま皆様の前に姿を現しても大丈夫ですか?」


 その場でくるりと回って見せる。見様見真似なため、だらしない着崩し方も完全再現だ。


「……あー」


 客観的に見るとあまりにも華が無い服装である事を思い知らされた。

 それに仮にも天からの使者である彼女には不適切な格好だろう。神秘性のある白い肌と髪にも合っていない。

 しかし華が無いが故に普通の人間だと言える服装にはなっている。


「ちょっと直させてくれ」


「はい」


 肘まで捲られている袖を直し、だらしなく下げられているファスナーを上までしっかりと締める。


「これでよし」


 そうして頷くとモアは胸に手を当てて祈るように瞳を閉じた。すると一瞬だけ身体が柔らかい光に包まれた。恐らくは誰にでも認識できる状態になったのだろう。


「ふふ。これから私は人間として過ごすって事ですよね。実は憧れていたんです」


 ジャージの袖を触りながら笑みを浮かべる。今からでも別の服を渡した方が良い気がしてきた。


「誰も居ない時は無理にその恰好をする必要は無いからな?」


「ええ、でも役作りは"裏"が肝心ですから。出来る限り貴女の望む姿で在ろうと思います」


「なんか…… 履き違えてるなぁ……」


 大丈夫だろうかと心配が生まれたまさにその時、すぐ目の前に一台の車が停まった。奏の車だ。

 こんな時間に何の用事かも分からないまま手を上げて挨拶すると、運転席の彼女は焦った様子でシートベルトを外して青ざめた顔をしながら私へと駆け寄った。


「あ、晃ちゃん……! 大丈夫だった!?」


「え? 何が?」


 冷や汗と涙をにじませた奏が私の手を握る。

 モアが不思議そうにこちらを見ているが、私にも何が何だか分からない。


「起きたら樋波の部屋に警察が来てたってメッセージが届いてて……! 晃ちゃんあいつに『待ってろ』って言ってたし、実際に会いに行って何かされたんじゃないかって思って……!!」


「もう噂になってんの!? 会いはしたけど何もされてないから!」


「本当に?」


「本当だって! 第一、私が普通の人に好き勝手される訳無いだろ!」


 警察沙汰になった事の噂が広まればいいとは思っていたが、思ったよりも広まるのが早い。

 困惑しつつも強く否定すると奏は安心したようにその場にへたり込んだ。


「そういえばそうだね…… よかったぁあ……」


「というか、ほんの数十分前の事だろ。なんでこんな朝早くにそんなに広まってんだよ」


「研究室に行く子が見たって……」


「……そういうのがあったか」


 夏休みとは言え大学生だ。研究などの関係で朝早くに大学へ行く者は当然居るだろう。

 迂闊な事をしていないか思考が巡る。あの時樋波と私が接触していた事が警察に知られたら非常に面倒臭い事になるだろう。


「晃ちゃんはあいつに会って一体何をしたの? 晃ちゃんが警察を呼んだって事?」


「色々気になる事があったから記憶を印刷したんだ。警察については…… 一応呼んだのは樋波本人だよ」


 私の説明を聞いた奏が眉間を寄せた。


「樋波が?」


「侵入してきた私を通報するつもりだったらしい。それをダシに脅迫されそうになったから過剰に被害者らしい演技をして隣人を味方につけたんだ」


「なんか滅茶苦茶な事になってるね。事情聴取とか大変だったんじゃない?」


「いや、私はすぐに抜け出したから何も。被害者も加害の証拠も無い事になるからあいつが罪に問われる事も無いだろうな。それなりに社会的なダメージは受けるだろうけど」


 夢の中でのあいつの行為は犯罪そのものだ。被害者だって存在している。

 現実では何も起きていないのだとしても、倫理が壊れていて反省もしていない人間を何事も無く置いておくのは危険だ。だから前科は付かないにしても"問題を起こすような人間だ"とレッテルを貼る必要があると私は思っている。奏たち大学生に噂が広がる事も正直少し期待していた。樋波を咎めた際に言った『私怨』に極めて近い動機ではあるが。


「もしかして、それが目的?」


「……あれだけの事をしておきながら現実ではお咎め無しの野放しって絶対ダメだろ」


「うーん…… 確かにそうだけどあまり危険な事はしないでね?」


「気を付けるよ」


 一通り事情を把握した奏の表情が心配から一転して困ったような笑顔に変わった。彼女の目には私も過激な行動に走る奴として映っている事だろう。


「えっと、それで貴女は晃ちゃんのお友達?」


 私との会話を終えた奏が今度はモアに声をかけた。


「あ、は…… はいっ! おはようございます!」


 急に話しかけられたモアが反射的にピンと背筋を伸ばす。仕草から分かる通り緊張しているようで声が少し上ずっている。


「私達は、あの、あの…… お友達でいいんですか? アキラ様」


「様?」


「あー、あー…… この人は──」


 思考が強引に切り替わる。

 モアに神々や歪みの件に巻き込むなと言った以上、私もそれっぽく誤魔化さなければならない。


「……同じ学校に通う留学生のモアさん。"様"ってのはアレだ。まだ敬称とか曖昧で」


「ご紹介に預かりました、モアです。モア・ローセン…… ダール……?」


 本名を名乗っても良いのか伺うようにちらりとこちらへ視線を向ける。頷きを返すとモアは得意げな顔で胸を張った。


「朝のランニングが日課らしくてな、私が帰って来た時に丁度この辺を通りがかったから休憩ついでに話してたんだ」


 今は五時の少し前。早起きにしても少し早すぎるとは思うが無理は無い設定だろう。

 案の定納得した様子の奏はモアに手を差し出した。


「へええ、留学生の子だったんだ。可愛いね! 私は季崎奏、晃ちゃんのお友達だよ!」


「"かわいい"……! ありがとうございます!  カナデ様、覚えました!」


 握手が交わされる。笑顔のモアに微笑みを返した奏は次に真っ白なモアの髪に視線を向けた。やはり神族由来の白髪は不自然に映るのだろうか。


「それにしても綺麗な髪の毛だねえ…… キラキラしてる……!」


 フォローに入ろうかと思ったが、奏はモアの髪色を脱色だと解釈したらしい。

 思えば奏も派手な色に染めている。いちいち他人の髪色に違和感など覚えないのだろう。


「これって地毛? ブリーチ?」


「ぶりーち…… はい!」


 対するモアは明らかに分かっていないのに頷きを返した。


「そうなんだ! これから染めたりするの?」


「染め…… ええと、はい!」


「へえ! 何色?」


「色は青色が好きです!」


 このままでは収拾がつかなくなる。


「ストップ、質問攻めはそこまでにしよう。これ、一応樋波からカムトマジナの情報を印刷しておいた。奏からすれば既に知ってる事しか書いてないだろうけど一応読んでみてくれ」


「あ、うんー。わかった」


 やや強引に紙を手渡す。

 一通り目を通した奏は浅く頷いて私にそれを返した。予想通り新しい情報は無かったようだ。


「新情報は無かったか」


「うん、多分あの人は新参なんだろうね」


 差し出された紙を受け取って適当にポケットに仕舞い込むと、奏は大きく伸びをしてから私たちに向けて小さく手を振った。


「安否も確認できた事だし、早朝から長話に付き合わせる訳にもいかないから帰るね。モアさん、事故には気を付けるんだよ。じゃあね!」


 車に乗り込み、走り出す。

 奏の車が角を曲がるまでずっと手を振り返していたモアは、一息ついて笑顔を浮かべた。


「カナデ様って、先程仰っていた協力者の方ですよね?」


「ああ。夢の中に関しては私より彼女の方が詳しいからな。その関係で案内を申し出てくれたんだ」


「まあ、なんと優しいお方…… もっと仲良くなりたいです」


 ほわほわと無邪気な笑顔を浮かべる。悪意の欠片すらもまるで感じられないその表情を見ていると、彼女を疑う心に迷いが生まれた。

 信じたいとは思う。だがルーベンスの事がある以上簡単に信用する事は許されない。先程も感じたように二つの自分がせめぎ合っているような感覚だ。


「それと、貴女とも信頼し合えるように頑張りますね」


 そういった私の面倒臭い情緒を察しているのかそうでないのか。

 慈愛を感じさせる笑顔を浮かべたモアは朝日の中で真正面から私と向き合った。


「"翼を欠損させる以外の方法"、今の私には上手なやり方が分からないけれど、きっと貴女を支えられるようになって見せますから」


「……うーん」


 人柄の見える言葉ではある。そして素直に嬉しいと思える言葉でもあった。

 しかし、何故か心の奥底で拒絶の意志が芽生えた。


「頑なですね、燃えてきました」


「なんか気持ち悪いな……」


 兎にも角にも、私の日常はまた大きな変化を見せるだろう。その先に行き付くのは悪夢のような地獄か、安らかに眠れる平穏な日々か。

 願わくば、今度こそは私の手で望む未来を掴み取りたいものだ。

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