18話:ルーベンスの置き土産

 しばし考え、自らの感情を確かめる。

 モアは本心を話しているように思えた。そして話の内容も信用に足る内容だった。だが、もし仮に騙す目的があるのだとしたら信用させるような事を言うのは当たり前だ。

 信じたい私と警戒する私の両方が確かに存在している。


「……今起きている歪みが何なのかは見当がついているのか?」


 結局返答を出せずに質問を重ねた。するとモアは気持ちを察したように深く頷いた。


「はい。現在観測されているのは"派生世界の誕生"です。恐らく貴女も既に体験されているかと」


 明晰夢の異世界化の事だろう。彼女が本当にその問題を解決する為に遣わされたのならば、むしろ是非とも助けを乞いたい。

 一応は『引き受ける』という方向に心が揺れ動いている。ただ、それと同時に疑心暗鬼を誤魔化す為の思考が巡っている状態だ。上手く自分を納得させられるまでは首を縦には振れない。


「モアはその"派生世界の誕生"をどうにかする方法を知っているのか?」


「残念ながら、対処法について断定できる情報はございません。しかし原因については把握しております」


「そうか」


 仮に騙されていた場合、その時は素直に殺して引き続き美愛達と共に夢の中について調査を進めて行けばいい。

 そしてモアが嘘を吐いておらず本当にこの世界の事を想ってくれているのだとしたら、頑として疑いをかけて修復不可能な関係になるのは好ましくない。

 この場では要求に応える形で事を運ぶのが最善だろう。


「分かった、手を貸そう。というか手を貸してくれ。私だけじゃ限界がある」


「ありがとうございます……!」


 考え事を挟んで答えるとモアは安堵に表情を緩ませた。こちらの心情を察しているのかいないのかよく分からないが、その笑顔で少しだけ気が緩んだような気がした。


「私が体験した現象は人の夢…… 『"眠ってる時に見る方の夢"が異世界として確立してしまう』という現象だった。それが"派生世界の誕生"って事で合ってるか?」


「はい。それこそが今この世界に起きている"歪み"です」


「具体的にどう対処するべきなんだ?」


 一先ず協力するという方向に思考を持って行き、気を取り直すように尋ねる。対するモアは思考を整理するように空を見上げた。


「先程も申し上げた通り確証を持って言える事は無いのですが、原因となっている物について調査を進めれば手段は見えてくるでしょう」


「原因になっている物かあ……」


 私は『守護神であるルーベンスを殺した事によって世界そのものが不安定になっている』と予想していたが、モアの言葉を聞くとルーベンスの死から歪みの発生までの間に何かがあるように思えた。

 ルーベンスの事だから面倒臭い何かを仕掛けているのだろう。


「守護神が死んだ影響で世界が不安定になっているというだけの話ではないんだな」


「はい。ルーベンス様の死も関係はしていますが、直接的な原因ではありません」


 空から私へと視線を移したモアが頷く。


「貴女にとって思い出したくない事だとは思いますが、リジェクターの能力の継承についてはご存知ですね?」


「……ああ」


 『命を落とす寸前、最後に思い浮かべた者へと能力が継承される』。リジェクターの力にはそのような性質がある。実際、私はかつての仲間である結花と深遥から光と鍵の能力を受け継いでいる。

 そして唯一、陽菜の能力だけ継承できなかった。恐らくは彼女の妹へと継承されたのではないかと私は考えている。


「リジェクターの能力が関係しているのか?」


 まさかその妹が歪みになってしまっているとでも言うのだろうか。

 だとすると彼女が修正の対象になってしまうのではないか。


「いえ、関係があるのは能力ではなく現象の方です。恐らくルーベンス様が亡くなられた際に、その"能力の継承"と似たような現象が起きたのではないかと」


「あ…… そうか。 ……そうか」


「……いかがなさいました?」


 悪い想像とは異なる言葉に胸を撫で下ろすとモアが首を傾げた。色々とこれまでの事を知っているようだが流石に陽菜の妹の件までは知らないようだ。


「いや、何でもない。当てが外れただけだ」


「そう、ですか…… 説明を続けますね?」


「ああ、頼む」


 不思議そうにしながらも咳払いを挟んだモアが再び空を見上げて言葉を続けた。


「この世界へ降り立った時、微かな神力の気配が複数確認できました」


「複数?」


「はい。貴女が持つ力とよく似た気配、つまりルーベンス様の力です。恐らくはリジェクターにおける能力の継承のように、自らの力を複数の人間へと継承させたのではないかと」


 ルーベンスを殺した瞬間の光景がフラッシュバックした。あの瞬間ルーベンスは私のみを見据えていたように見えた。しかしモアの話の通りであればあの時同時に複数人へと意識を寄せていた事になる。


「……何のためにそんな事を」


 改めて、私に殺されるまでの全ての行為が計算ずくだったと認めざるを得ない。この先その計算の通りになるかは分からないが、今の私の状況は間違いなく彼女に制御された結果だろう。精神疾患も、モアを疑ってしまうのも。そして歪みに対して使命感を持っている事すらも。


「"歪み"を誘発させる為であると思われます。神界の者を誘い込むような状況を作りたかったのでしょう」


「嫌になる程の執念だな」


「なんとしてでも目的を果たしたかったのでしょうね。その為に貴女の感情をも操って…… 到底許される事ではありません」


 丁寧な言葉遣いながらも声に荒々しさが宿る。強く握られた拳からも怒りが見て取れる。


「んんっ、失礼。実際今起きている"歪み"はその神力を宿した人間を中心に起きていると考えられます。夢の中という限定的な状況であっても、新たな世界の誕生は神力を持つ者が関与していないと起こり得ません」


「……一応訊くけど、私が持つリジェクターの力も神の力の一端なんだよな?」


「はい」


 違和感がある。明晰夢を異世界として活用している人達が神力を宿した人間であるのならば、奏は変身した私を許可が無くとも認識できた筈だ。樋波に関してはすぐにあの場を後にしたからよく分からないが。

 明晰夢の力とリジェクターの力との相違からも、"ただルーベンスの力が宿っているだけ"という訳ではないような印象を受ける。リアステュラの存在も不自然だ。


「……」


「何か関連する情報はお持ちですか?」


「二つある。一つはカムトマジナという集団だ」


「かむとまじな……」


 モアが小首を傾げる。何から何まで知っている訳ではないのだろう。


「そう、"カムトマジナ"。夢を理想の世界に変えて過ごしてる集団らしい。あまり詳しく知っている訳ではないが、こいつらが歪みに影響を与えている可能性は高いだろうな」


 先程樋波の記憶から印刷したカムトマジナの情報をモアに手渡す。大した内容は書かれていないが、大まかな概要は把握できるだろう。


「集団化しているのですか?」


「ああ。非道な行為に走っている奴も居た」


「まあ…… 世界の存続などの事情を抜きにしても対応を急がなければなりませんね」


 モアが決意を固めたような表情を浮かべつつ、紙を私に返した。

 先程からコロコロと表情がよく変わる。感情が表に出やすい性格なのだろうか。


「もう一つはリアステュラっていう道具だ。人を明晰夢の中に閉じ込めるような機能があるらしい。魔法が効かなかったんだが、これに関して何か知ってるか?」


 今一番気になっているのはあの奇妙な道具だ。"ユイ"という少女についてもよく分からないし、その少女がどのようにそれを手に入れたのか、どのような目的で樋波に渡したのかも分からない。


「いいえ、残念ながら存じ上げません」


 簡潔な説明に眉をひそめたモアは小さく首を振った。引っかかる物が何も無いという訳でもないように見えるが、大して話せるような情報は無いのだろう。


「連想する物とかも無いか? こじつけ程度の物でも良いんだが」


「それも特にありません。しかし我々神族と全くの無関係であるとは思えません。 ……漠然とそう思っただけですが」


「そうか」


 調査を進めて行けば彼女なりに気付く事があるかもしれない。

 その為にも今はとにかく行動をして情報を手に入れなければならない段階なのだろう。


「分からない事だらけだ。とにかく動かないとだな」


「そうですね。カムトマジナと接触を続ける事でそれらの情報にも行き付く事でしょう。一先ず夢の中を中心に調査を進めて参りましょうか」


「気配を感じ取れているなら現実から直接探した方が早いんじゃないか?」


 この世界へ来た際に気配を感じたと彼女自身が言っていた。その発言との相違を感じて疑問を投げかけるとモアは困った表情を浮かべながら頭を下げた。


「すみません。気配を感じるとは言っても"微かに"、です。私の力では大まかな場所を絞って虱潰しに…… という手段しか取れません」


「それなら確かに夢から接触を図る方が早そうだな…… とりあえずは今まで通りに動いとけばいいか」


「はい。私は先程申し上げた通り戦えるような力は使えないので…… サポートに回らせて頂きます」


「私からすれば守護神としての知識があるだけで十分だ。よろしくな」


 手を差し出すと、おずおずとモアが私の手を取った。不意打ちを仕掛けてくる様子は無い。


「はい。貴女ばかりに負担を強いる事が無いよう頑張ります。よろしくお願いいたします」


 固く握手を結ぶ。

 手を放して空を見上げると、いつの間にか朝日が高く昇り街灯は既に消えていた。

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