愛と哀しみの足音

 さて、私と昭子が、お互いを慈しみあう事で、得たものは数え切れない程あった。その中には、形として見えるものもあれば、見えないものもある。そろそろ、私と昭子の物語の、最期の魂の記憶の話を始めようか。



「大事な話があるの。」



ある晩、昭子は驚く程穏やかな表情で、私に言う。



「どうしたんだい、急に改まって。気になるじゃないか。」



彼女の髪を撫でながら、優しく囁く。嬉しい知らせを期待しながらも、その時の私の第六感は、目には見えぬ得体の知れない恐怖を、密かに感じ取る。



その日の彼女は、いつもよりもどこか小さく、華奢に見えた。元々色白なのも相まって、顔も青白く、具合が悪いように思えるのだ。しかし、昭子はそんな弱弱しい見かけとは対照的に、とても精神的に満ち足りた様子で、嬉しそうに答えた。



「貴方の子どもを身ごもったみたい。乳母たちに診てもらったら、三ヶ月ですって!楽しみね。」




愛おしそうに、お腹をさする妻の手を思わず掴んで、私は上ずった声で叫んだ。




「でかした!私と昭子との間に、子が授かるとは思いもよらなかった…!君といつまでも夫婦仲睦まじくいれることが、私の至上の喜びなのだが、まさかこれは予想していなかったぞ!」




子供のようにはしゃいで喜ぶ私の様子を、昭子はしみじみと嚙み締めるように眺めていた。今振り返れば、私と交わった時点で、彼女は、死を覚悟していたのだろう。



男親とは、実にのんきなものだ。赤子は、勝手に大きくなる訳でも、全く犠牲なしに確実に安全に生まれる保証がある訳でもないのだ。



子はかすがいと言うことわざがあるが、私からすれば、昭子こそが、私、惟貞という男の人生にとって、唯一無二のかすがいであった。



私は、他の女性との間では、愛情を育てることも、子どもを授かる喜びすら、感じる事が出来なかっただろう。なぜならば、愛とは極めて根源的であり、理屈として語れないものだからだ。



 例えば、諸君は、真っ暗闇で、知らない人に突然声をかけられ、手を引かれたら、どう思うだろうか?親切心で、光ある方向に導いてくれようとしていたとしても、それを果たして信じられるだろうか?口先で上手く言いくるめ、君たちをだまして殺そうとしている凶悪犯ではない、と果たして言い切れるだろうか?



疑念渦巻く暗闇の中のわずかな情報で、私たちがその人物を信頼に足るか思案し、判断できるきっかけとなるものは、大部分が直感からくる。



それは私から言わせれば、分かりやすい懐かしい愛の記憶だ。私は、何度どの人生で、昭子と別れようとも、彼女の放つ優しい手の記憶によって、彼女を見つけ出してきた。



その説明のつかない、胸が締め付けられるような愛の記憶は、再会するたび、私の魂を強く揺さぶるのだ。今から語る、最期の昭子の愛の記憶は、何度思い出しても、私の魂を嗚咽させる、そんなかけがえのないものであった。

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