あの夏の夜の悪夢

 その出来事は、私にとって、自身の尊厳を辱めたものだった。その頃の私は、口が達者で頭の回転が早かった。



女子のおしゃべりに加わるのが好きで、男子とよりも女子といた方が好きだったかもしれぬ。女人を柔らかそうだとか、いい匂いがするとは思っていたかもしれないが、それは、あくまで母のように感じる、という少年特有の甘ったれたもので、それ以上でもそれ以下でもなかった。



 ある日突然に、今日から大人だと言われ、元服させられた。年は、やっと、十になる頃であったか。兄たちが急逝したために、御家取り潰しを恐れた父の目論見により、普通よりもだいぶ早く執り行われたのだ。大人たちの都合で、右も左も分からぬまま、ダボダボの狩衣に身を包む初々しい少年の私の元へ、その晩、あの女がやって来た。名を玉葉と言ったか。蛇のような冷たい目つきで、好色そうな笑みを浮かべた、下品な女だった。


 


 玉葉は、ニタニタと笑いながら、いたいけな子供の私に、男女が交わることで子が出来ること、男の一物で女の股ぐらを貫かねばならぬこと、それは得も言われぬ快感で癖になること、などを、聞いてもいないのにベラベラと語りだしたのだ。



精通もまだ来ていない私にとっては、非常にショッキングで、当惑するばかりの話であった。その上、女は、父の命令で来たというではないか。



 今思えば、貴族の男子が元服すれば、下女が筆おろしをするのは、当然と言えば、当然。だが、後になって聞いた話だと、大抵の貴族の男子は、気の利いた乳母に、若様はどの下女がお好きですか?などと希望を聞かれる事の方が多いそうだ。



そういえば、後になって、乳母には、玉葉の事で気の毒になる位謝られた。怖かった、とは男児のプライドゆえ、言えなかったが、私の表情に出ていたのだろう…乳母に、玉葉は違う屋敷にやったので、ご安心くださいと言われた。だが、その頃には、最早後の祭りである…。


 


 話を戻そう。当時の私は、もうすでに、父に対しての反感や嫌悪感が、抑えきれない位に育っていた。幼い頃から、母が父の寵愛を得られず、泣いていたのを目にしたのもあったし、父が、入ったばかりの下女を手籠めにしようとしている光景を、何度も目撃したからかもしれない。



最も、玉葉に男女の交わりについて聞かされるまで、私は、そのような場面を父が女子をいじめていると解釈していた。それゆえ、玉葉が教えた世の理は、私にとって、残酷な真実でしかなかったのだ。




「お前、父君の回し者であろう!私を子どもと思って、たばかっているな!小菊も、春日も、私と変わらない年の女子だったのだ!



そんな子どもを、父君はいつも虐めていた!二人とも痛い痛いと、足から血を流して苦しんでいたのだぞ!それを見て、父君は、大声で笑っていた!私は、そんなのが、和歌で詠まれているような男女の愛だとは…絶対に!絶対に!認めない!」




思わず震える声で叫んだ私を見て、玉葉はペロリと舌なめずりをした。




「そのように怖がられなくても、大丈夫でございますよ、若様。


女子たちは、どんなに泣き叫んでいるように見えても、実際は、父君の逞しいご様子に、歓んでいたのですわ。



女子とは、そういう生き物でございますのよ。口で言っている事と、心の中で思っている事とは、全く別物ですの。



だ・か・ら、父君のような強引な方に、求められるのが女の最大の歓びなのです。大丈夫、私が、手解き差し上げれば、若様もあっという間に、父君のようにご立派になれますわ。」




父のように、父のように、父のように…。こだまするその言葉は、思春期を迎える私には、吐き気を催す程の、大きなダメージを与える。




 いつもニタニタと下卑た醜悪な笑顔で、女子たちに無理強いをし泣かせては、面倒くさくなると、尼寺に出家と称して追放し、気に入らないことがあればすぐ癇癪を起す。その癖、身の程知らずの出世欲はとどまることを知らず、他人を裏切り、蹴落とし、落ちぶれた競争相手の元妻を妾とするような、想像を絶する悪行を積み重ねていく、不誠実さの塊で、風流のかけらもない父。




そんな父のように、私がなっていく…?私も、大人になり、大切な人や物を我が物顔で壊してしまうのだろうか。



 それは、私にとって、この世で最も認めがたい屈辱以外の何物でもなかった。傷心状態で、放心している私を気にも留めず、玉葉は、無遠慮に私の衣を脱がせていたのだ。私が、意識を取り戻した時には、既に遅かった。玉葉は、私の一物を当たり前のように引っ張り出して確認すると、ケラケラと嘲笑した。




「あらまあ、なんてお小さくて貧相だこと!これでは、お父君のように、ご立派になれますかしら!畑が貧相でやせ細っていると、お子様の一物も貧相になりますのね!」




「…!それは、母の事か…?私の事は馬鹿にしたければ構わない!だが、母は父に無下にされ、疎んじられた結果、心を壊してやせ細ってしまったのだ!貴様なぞに、私の母を愚弄する資格はない!」




 生まれて初めて女子に一物を馬鹿にされたことよりも、側室同士の終わらない争いと、父の冷遇によって心労がたたり、骨と皮のように瘦せこけてなお、弱々しく微笑む母を愚弄された事が、私には本当に許せなかった。



思わず口調を荒げた子どもの私に、腹を立てたのだろう。玉葉は、無言のまま、必要以上に激しく、精通すらきていない私の一物をガシガシと乱暴にしごき上げた。まだ自分で自慰行為すらしたことのない幼い私にとって、それは鋭い痛みを伴う拷問でしかない。




「痛い!痛い!やめて!やめてくれ!」




悲鳴をあげても、ざまあみろと言わんばかりの薄ら笑いを浮べて、一向にやめてくれない。

激しい苦痛に耐え忍びながら、私は、父に乱暴されていた小菊と春日を今の自分と重ね、救えなかった事を詫びた。



どんなに痛かった事だろう。苦しかった事だろう。確かに、私は、2人が父にいじめられているのを止めたくて、乳母たちに言いつけた。だが、誰に言いつけても、皆口ごもって、首を横に振るばかり。そうして救うのを諦めた私には、ただただ2人が犯されるのを見守るより他なかった。




(違うぞ。)




心の中で、泣き叫ぶ2人に乱暴している父が、まるで妖のようにぐるりと首を回転させ、私の方を振り返り、あの脂ぎった下劣な笑顔で、ニンマリとほくそ笑んだ。




(お前は興奮していたのだ、わしに犯されている女子たちに。)




父の顔が私の涙で、醜く歪む。




(違う!違う!私は…!)




否定する私の耳に、あの時の2人の悲鳴が聞こえる。悲鳴は、じんわりと時間をかけて、子猫が鳴くような、耳に柔らかく響く甘美なものに変わっていく。




(私は…)




(お前は、知りたかったのだ、あの女子たちのさえずりの訳を。)




下半身がカッと熱くなる。




(ちが…!)




最後の否定は、私の初めての射精にかき消された。無理やり精通させられたせいか、弱弱しく、見事に惨めなもので、薄い皮がブヨブヨと赤く腫れ上がった私のみすぼらしい一物は、より一層汚らしく見えた。





「女子たちのなぶられて感じる気持ちが分かりましたでしょ?小菊と春日がお気に入りでしたのね、うわごとのように叫んでいらっしゃいましたよ。流石あのお方のお子様。きっと、お父君のような逞しい女たらしになれますわ。



最も、その貧相な物が、使い物になればの話ですけれども!!よっぽどお体の小さな奥様をもらわないと、かけらも満足させられませんことよ!!オーッホッホッホッ!」




 

 生意気な小童である私の自尊心を、完膚なきまでに叩きのめした玉葉は、喜び勇み勝ち誇って帰っていった。後に残ったのは、ぽっきりと心が折れた私と、惨めたらしく縮み上がって腫れ上がった小さな一物であった。



不思議と、玉葉を恨めしく思う気持ちはもう、残ってすらいなかった。母への風当たりの強さからして、玉葉もまた、我が母のように、父に人生を狂わされた女子たちの一人であると察せられたからだ。父の性格からして、飽きたら尼寺に押し込むのは目に見えている。むしろ、不憫だとさえ思える。


 


 そう、その当時の幼い私にとって、誰よりも何よりも許せなかったのは、私自身と、自身の股ぐらについているソレに他ならなかった。



泣きじゃくりながら、私はソレを思いっ切り引きちぎるように引っ張った。無論、引きちぎれる訳もなく、鈍い鋭い痛みを感じる。




その痛みに耐えながら、私は子供心に、己に宿っている残虐性に、ぼんやりと気付いた。私は決して、あの畜生のような所業をする父のようになど、なりたくなかった。父に疎まれ、心を病む母や女子たち弱者を、父の如くいじめ苦しめる事だけは絶対にしたくない。




 気の利いた和歌や短歌を思いつく折、女子たちに披露するのは、彼女らを楽しませ、笑わせたかったからだ。私はそれまで、自身の女子たちへの愛は、そうした明るく、爽やかな物で満ち足りていると無邪気に信じていた。恐らく、ずっと変わらない自身の長所であると、密かに誇りに思う程に。





 それにも関わらず、私は、拒否できない春日と小菊らの生存本能から生まれた、僅かな心の防波堤である嗜虐心を、どこかで軽蔑していた。自身も玉葉に犯され、嗜虐心から射精したのにも関わらず、だ。




その上、私が見て見ぬふりをしていたのは、もっと嗜虐されている惨めな2人を見ていたいという、あの父と同じ、本能から芽生えた加虐心に他ならない。




この黒いシミが、じわじわと自分の心にゆっくりと広がっていく惨めな感覚は、私の心に重苦しい枷を付ける事となる。この苦々しい経験から、私の心は、性的興奮を覚えることを頑なに禁じるようになった。気づかぬうちに、私は勃起不全となっていたのだ。




しかし、それは、私にとって、むしろ僥倖だった。自身の人間としての欲深さから、目を背けることが出来るからだ。




また、私には酷く恐れていた事がある。私が、あの男の息子だと言うことだ。もし、少しでも手綱を緩めたならば、父のように愛する者を、虐げ、壊し残虐非道な行為をするようになるかもしれない。それが、一番怖かった。




あのような欲の化生となる位ならば、死んだ方がましじゃないか。そう思って、数年、鞍馬寺にこもり、天狗たちを相手に剣の修行もした。

そのご加護の甲斐あってか、一物が暴れたことは一度もない。



どんなに魅力的な女子たちと歌を詠んでも、言葉遊びに始まり、言葉遊びに終わる。私にとって、都合の良いことに、世間の人々は、女子たちと和歌や短歌を楽しむ私を、遊び人と誤解して吹聴してくれた。だからこそ私は、この小さなつまらないプライドを隠してこれたのだ。




 長い昔話をやっとこさ言い終えると、腕の中の昭子をそっと抱き寄せる。昭子の小さな白い手は、この長話の間も一途に、私の緊張から冷たくなる手をずっと、優しく包みこんでいた。その暖かさは例えようのない柔らかさに満ちていて、私を心地よくさせると同時に、泣きたくなるほどの強い不安感をも感じさせる。




彼女は、私のこの汚らわしい話を聞いて、やはり失望したのだろうか…?そう少し心配したものの、妻を抱き寄せてみれば、天にも昇る心地と安心感を一気に感じる。そう心から思った。




 この日々がただ、ずっと続くことが、今生我が最大の望みであると、なぜ、素直に君にこの時伝えなかったのだろう…?何千年経った今でも、悔やんでも悔やみきれぬ。吞気に幸せに浸っていた私は、この何気ない告白をしたせいで、よもや、昭子、君が自らの命と私に自信を取り戻させることとを、天秤にかける一大決心をしていたとは、微塵も考えつかなかった。誠に、私という人間は、其方に愛を与えられてばかりであった。

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