肉を逃がす

祝井愛出汰

さよなら、肉

 スーパーで買った半額肉。

 家に着くとなかった。

 落とした?

 なぜ?

 理由は明白。

 メガネをかけてなかったから。

 なぜかけてなかった?

 通りすがる道すがらの人にイケメンと思われたかったから。

 世間からの評価を上げたい。

 その心意気を褒めてあげたい。

 その代わりメガネをかけていないので周りが見えていない。

 たぶんめちゃめちゃ目つきが悪くなってるし、焦点も合ってなくてヤバい人になっている。

 むしろ周囲からの評価は下がってる気がする。

 でもそれは見えてないから気にならない。

 シュレディンガーの私。

 そもそもスーパーに行くごときでコンタクトを着けたくない。

 網膜は有限。

 スーパーごときでコンタクトに網膜を張り付かせるわけにはいかない。

 よってメガネ オア ノーメガネ。

 ノーメガネをチョイスだ。

 世間からの評価を上げたいから。

 その心意気を褒めてあげたい。

 その代わりメガネをかけていないので周りが見えていないし、たぶん同じことを二回書いてると思うので落とした肉について思いを馳せてみる。


 やつは半額だった。

 豚肉だったはずだ。

 普段は鶏胸肉しか食えない。

 値段の問題だ。

 グラム79円。

 出せてそこまで。

 牛肉なんてもう何ヶ月も食べてない。

 ギリ妥協として豚。しかも半額の。

 それがあった。マルエツに。

 半額でグラム89円とか。たぶんそれくらい。

 よく覚えてない。なぜなら見えてないから。ノーメガネだから。

 要するに奮発。

 久々に脂のにゅるっと詰まった国産の豚肉さんをいただいちゃうぞ~。

 そんな気分だったと思う。マルエツでは。


 敗因は食パンだった。

 セルフレジだ。人に会いたくないから。

 その袋詰めのとき。

 食パンを袋に入れてから、その上に豚肉を乗せてしまった。

 今思うとめちゃめちゃ落ちやすそうな位置。

 例えるならスキージャンプ台にスタンバイしたスキー選手。

 原田だ。

 しかも詰めた袋は無料で取れるちっちゃい透明の袋。

 パンパン。

 食パン入れた時点ですでにパンパン。

 その上に豚肉。

 もうスキージャンプ的にはいい追い風吹いてます状態。


「いつでも行けまっせ」

「はよスタートのブザーを鳴らしておくんなまし」


 聞こえる、原田の声が。

 さらに追い風。自分はメガネをかけてない。つまり周りが見えてない。

 よって仮に原田がジャンプ台から飛び立ってしまっても気付けない。

 だって自分は原田にとってはただの雪山なんだから。

 雪山は静かにそこに佇むだけ。

 そして春が訪れるのを待つだけ。

 常に悠然としていて、人がなにをしているかなんて気にもかけない。

 そしてたぶん、あのパンッパンの袋の中にさらに欲張って取ってきた透明の小袋が風に舞って飛んでいって地面に落ちたのを拾い上げようとしたあの時。

 原田は飛んだのだと思う。


 ツルツルの無料袋の斜面を駆け。


 やせっぽっちな自意識過剰人間に食われる前に。


 飛んだ。


 記録がどうとか原田には関係ない。


 そこに山があったから、そして「機」が訪れたから。


 だから原田は飛んだのだ。

 一人のスキージャンパーとして。


 つまり私は肉を落としてなんかいない。


 送り出しただけだ。


 原田を。


 一人の雪山として。


 元気でな、原田。


 そう私が気持ちよく別れの挨拶を告げると同時に、外から野良猫の鳴き声が聞こえてきた。

 そうだ、このへん野良猫めっちゃ多いんだった。

「カァー」

 それからカラスも。


 元気でな……原田……。


 さっきとは少し違った含みを持たせ、私は原田へ二度目の別れを告げた。

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