オルガは憂鬱だ

入江 涼子

第1話

  オルガは今日も憂鬱な日々を過ごしていた。


 彼女の住む部屋にはベッドと机、椅子に箪笥と必要最低限の物しか置かれていない。

 殺風景な部屋と言えた。そんな彼女の元にはメイドや男性が訪ねてくる以外は人の出入りがない。オルガは部屋に一つだけある窓から景色を眺める。


(……あたしはいつになったらここから出られるのだろう。父さんと母さん、姉さんは無事だろうか?)


 家族の安否は不明だ。せめて皆が無事でいてくれたらと思う。オルガはため息をついた。


 夜になり一人の男性――エリクがやってきた。黒いローブを着込んでフードを目深に被っている。見えるのは鼻から下だけだ。背格好と声から男性だとわかるが。オルガからしてみると正体不明の人物と言えた。


「……オルガ。今日も薬を持ってきたぞ。飲むといい」


「……はい」


 低い声で言われてとりあえずは頷いた。エリクの持ってくる薬は粉状で凄く苦いが。オルガの持病にはよく効くのだ。受け取ると机の上に置いてあった水差しを取る。コップに水を注ぐ。粉薬の包みを開けるとさらさらと口の中に入れた。すぐにコップを取ると水を一気に呷った。


「飲んだな。お前の心の臓の病にはこの鉢度芽草がよく効くんだが。森の奥に生えているから採集しに行くのが一苦労だ」


「……そうですね。エリクさんにはご迷惑をおかけします」


「別に迷惑には思っていない。お前は自分の事だけ考えていろ」


 エリクはぶっきらぼうに言う。オルガはもう慣れたので気にしないが。


「……エリクさん。そんな事を言われても。自分の事だけはあたしには難しいですよ」


「オルガ。家族の事が気になっているんだろう」


「そうです。よくわかりましたね」


 オルガが言うとエリクは肩を竦める。表情は読めない。


「……お前とも長い付き合いだからな。なんとなくはわかるさ。姉御のエルメさんやご両親は元気だぞ」


「……元気なんですね。それさえわかればいいんです」


「だな。エルメさん達は俺が守る。信用してくれたらいい」


 エリクが珍しく言うのでオルガは驚いた。その後、エリクは薬包を一通り机に置くと部屋を去っていった。夜と翌日の分だ。全部で四つあるが。オルガは再び窓から夕焼け空を眺めながらため息をついたのだった。


 夜になりオルガは夕食をとる。不意に部屋のドアが勢いよく開かれた。そこには輝くような金の髪と淡い琥珀色の瞳の美しい青年が立っていた。が、オルガは何故この青年がいるのかわからない。


「……あの。どなたですか?」


「……俺だ。エリクだよ」


「エリクさん?!」


 オルガは驚いた。普段のエリクはローブを身に纏い、フードで顔を隠していた。声を聞いて本人だとはわかったが。


「……オルガ。六年も閉じ込めて悪かった。これからはお前は自由の身だ」


「え。あの。何があったんですか?」


「父上に直談判してきた。オルガをここから出してほしいとな」


 エリクの言葉にオルガは目を開いた。父親に直談判?


「……え。あたしがここから出るの?」


「ああ。父上から許可はもぎ取ってきた。オルガ、今から急いで仕度をしてくれ」


「……はあ。わかりました」


 オルガは頷く。立ち上がって箪笥に向かったのだった。


 その後、大急ぎで荷造りをした。部屋着から簡素なシャツとスラックスに着替える。腰まである茶色の髪は一束ねにしてベレー帽を被る際に入れてしまう。そうした上で二、三日分の着替えや細々とした日用品、外套をカバンに詰め込んだ。それを持つとオルガはドアを開けて部屋を出た。廊下にてエリクは待ち構えていた。ちょっと不機嫌そうだ。


「……何だ。その格好は」


「何だと言われても。女物を着るよりはマシでしょう」


「それはそうだが」


 ズバッと言ったオルガに対してエリクは呆れたようにため息をつく。


「……服装に関しては。今はしのごの言っていられる状況じゃないし。何で怒られるのかわかりません」


「いや。悪い。お前の言う通りだ。早く行こう」


「わかりました」


 話を打ち切ったエリクはそう言うとオルガに手を差し伸べた。戸惑うオルガではあったが。そっと彼の手に自分のを乗せてみる。意外にも大きくがっしりとした手だ。強い力で握られてさらに驚くが。エリクに引かれながら屋敷から外に出たのだった。


 エリクは外に出ると指笛を鳴らした。ぴぃと高い音が辺りに響く。するとヒヒンと何かの嘶く声とパカラパカラという蹄の音が聞こえた。月明かりの下で見えたのは美しい毛並みの葦毛の馬だった。エリクはすぐ近くまで駆けてきた馬に近寄る。軽く馬の鼻面を撫でてやっていた。オルガは初めて見る馬に驚いて目を大きく開いた。


「……オルガは初対面だったな。こいつは俺の相棒でウェンディというんだ。賢い奴だから振り落としたりしないぞ」


「……そうですか。えっと。ウェンディ。よろしくね」


 エリクが馬の名を教えてくれる。オルガはおずおずと馬――ウェンディに挨拶してみた。ウェンディはヒヒンと答えるように嘶いた。


「よし。挨拶はできたし。オルガ、俺が手伝うからウェンディの背に乗ってくれ」


「……え。ウェンディの背中に?」


「ああ。夜の内にできるだけ移動しておきたいんでな」


 仕方なしにオルガは頷いた。その後、エリクに手伝われながらウェンディの背に乗る。エリクも急いで跨がると手綱を持って腹を両足で蹴った。ウェンディは大きく嘶くと疾風のように走り出す。オルガはウェンディのたてがみを掴んで振り落とされないようにしがみつくのだった。


 真夜中、エリクはウェンディを走らせ続ける。オルガは口を閉じて必死になっていた。暗闇の中、エリクはまるでわかっているかのように見事に手綱で巧みにウェンディを操る。しばらく経ってウェンディの走る速度が緩やかになった。もう空が白み始めている。それにオルガが気づくとエリクは手綱を引いてウェンディを停めさせた。


「……オルガ。後少しで俺の実家に着く。お前を外に出した訳を話すから。そのつもりでいてくれ」


「……わかりました」


 オルガが頷くとエリクは彼女を不意に抱き寄せた。オルガは驚いて身を固くする。


「本当にすまない。後もうちょっとの辛抱だ」


「はい」


 もう一度、頷くとエリクは彼女を抱きしめていた腕を解いた。またウェンディを走らせたのだった。


 明け方近くにやっと大きく立派なお屋敷が見えてきた。その屋敷の前まで来てウェンディを止める。エリクは先にウェンディの背から降りた。


「……オルガ。手伝うから降りてくれ」


「はい。わかりました」


 返事をしてからオルガはエリクに半ば抱えられるようにして降りた。地に足がつくと膝小僧が笑うように震える。


「……あ。ごめんなさい」


「謝らなくていい。オルガは馬に慣れていないし」


「そうでしたね。ウェンディ、ありがとう。ご苦労だったわね」


 オルガはウェンディに礼を言って鼻のあたりを軽く撫でてやった。ウェンディは誇らしげにぶるると鳴いた。


「ウェンディは厩舎に連れて行くように従者に言ってくる。オルガはここで少し待っていてくれ」


「ええ」


「悪い。すぐに戻る」


 エリクはそう言うと速足でウェンディを連れて行ってしまう。オルガは冷えた手にはあと息を吹きかけた。白い息が現れてすぐに消えたのだった。


 少し経ってエリクは小走り気味で戻ってきた。よほど急いで来たのか、息が上がってしまっている。


「……ごめん。待たせたな」


「いえ。エリクさんの方こそ疲れていませんか?」


「大丈夫だよ。方が疲れているだろう」


 エリクはそう言うと手を差し出す。オルガはいきなりの事で戸惑う。が、エリクは辛抱強く待っていた。仕方なく自身の手を乗せた。すぐに力強く握られる。意外と大きく骨張った手にまた戸惑いながらもオルガはお屋敷の方へと引っ張って行かれたのだった。


 中に入ると黒の燕尾服に身を包んだ若い男性と藍色のお仕着せに白のエプロンを付けた中年とおぼしき女性が出迎えた。エリクは男性の方にこう言った。


「……オリバー。父上にオルガを連れ帰った事を伝えてきてくれ。サルサはすぐに湯浴みと着換えの準備を」


「……かしこまりました。旦那様にお伝えしてきます」


 男性――オリバーはエリクに辞儀をする。急いで伝えに行った。サルサと呼ばれた女性もにこりと笑って頷く。


「……お嬢様。初めまして。私はサルサと申します。これからあなた様のお世話をさせていただきます」


「……初めまして。あたしはオルガと言います」


「まあ。オルガ様とおっしゃるのですね。ではこれからはそのように呼ばせていただきます」


 互いの自己紹介が終わるとサルサはオルガに近づいた。


「……オルガ様。顔色が悪いですね。湯浴みやお着替えが済んだら軽食をご用意します。何かご希望があれば。言ってくださいね」


「……ありがとう。じゃあ、スープと果物をお願いします」


「私どもに敬語は使わなくていいですよ。けど、スープと果物だけでは力がつきませんわ。パンもお付けします。後、魚介料理は大丈夫ですか?」


「そうね。白身魚なら食べられるかと」


「わかりました。でしたら、白身魚の煮込みはいかがでしょう?」


 オルガはそれならと頷く。サルサは「では。それもご用意しますね」とにこやかに言った。その後、サルサに案内されて客間に移動したのだった。


 サルサに髪や身体を綺麗に洗ってもらう。浴槽にゆっくりと浸かり身体を温めた。ぽたりと髪から雫が落ちる。


「……オルガ様。湯加減はいかがですか?」


「うん。丁度良い湯加減よ」


「坊ちゃまが失礼しました。全く。若い娘さんを何の知らせもなく連れ出すなんて」


 サルサは呆れがちに言った。オルガは本当の事を言えるわけもないので苦笑するだけに留める。

 浴槽から上がると丁寧にバスタオルで髪や身体を拭いてもらう。サルサは手慣れたもので一通り拭いたら脱衣場に向かうオルガに付いてきた。下着は自分で着てから簡素なネグリジェを着せてもらった。髪は温風魔法で乾かす。これには驚いてしまう。今まで魔法を直に見た事がなかったからだ。


「客間の奥に寝室があります。そちらに鏡台があるので。ご案内しますね」


「わかった」


 頷くとサルサは柔らかな布製の室内履きを勧めた。恐る恐る履くと意外と悪くない。足を優しく包んでくれる感じで思わず口角を上げてしまう。それを微笑ましげにサルサは見る。そうしてから脱衣場を出たのだった。


 客間の奥にあるという寝室に入るとサルサは鏡台の前に座るように促す。小さな瓶を手に取ると蓋を開けた。柑橘系の仄かな香りがする。どうやら、髪の毛用の香油らしい。サルサは瓶を振って中身の液体を出した。それを手で温めてから髪につける。伸ばして全体に行き渡らせるとブラシを取って何度もくしけずった。オルガのくすんだ灰色の髪に艷やかさが加わっていく。終わると髪紐で緩く後ろに束ねる。


「まあ。オルガ様の御髪みぐしはこうして見たら凄く綺麗ですねえ。銀色の御髪は王家の証だと聞いた事がありますよ」


「……え。それは本当なの?」


「……あ。失礼しました。お詳しい事は坊ちゃまから聞いていないのですか?」


「いいえ。全く聞いていないわ」


「あらあら。困った坊ちゃまですこと。でしたら明日にオルガ様にご説明するように申し上げておきますね」


「お願いね」と言うとサルサは快く頷いてくれた。その後、顔や首筋にもお化粧水や美容液、乳液などを塗り込んでマッサージをしてもらう。あまりに心地よくてうとうとしてしまった。サルサは終わると肩を軽く叩いて起こしてくれる。


「オルガ様。お休みになるんだったらベッドに行ってください」


「……あ。そうね。お休みなさい」


「ええ。お休みなさいませ」


 サルサはにこやかに言うと静かに寝室を去っていく。オルガはベッドに行って毛布とブランケットにくるまる。サイドテーブルにある魔法灯に手を伸ばした。下側にある紐をサルサに教えてもらった通りに引っ張る。かちんと音がして消灯ができた。瞼を閉じて眠りについたのだった。


 翌朝、寝室のドアがノックされてサルサともう三人程の女性が入ってきた。サルサから紹介をされる。一人目はレイシアといい、20歳程のメイドだ。二人目もメイドでローズといって25歳だった。三人目はマーサといい、30歳程らしい。


「「「よろしくお願いします。オルガ様」」」


 レイシア達が丁寧に辞儀をする。オルガは戸惑いながらも頷いた。


「こちらこそよろしく。レイシアさんにローズさんにマーサさん」


「オルガ様。さん付けも必要ありませんからね」


「……わかった。サ、サルサ」


 口篭りながらも言うとサルサは満足したように頷いた。そしてレイシア達と共にカーテンを開けたりオルガに洗面用具を渡したりと手際よく動く。洗面所の場所を教えてもらい、浴室の隣のドアを開けた。中に入ると蛇口がある。それを試しに捻ると冷たい水が出てきた。コップに水を入れてから木の歯ブラシに粉をつける。歯磨き粉はあの屋敷にいた時も使っていたが。蛇口から水が出てくるのにはまたも驚く。常は井戸で歯磨きや洗顔を済ませていた。しかも屋外だ。暑い夏も寒い冬でもそうしていた。それを思い出しながらもしゃこしゃこと歯を磨いた。一通りすると何回かコップの水で口をゆすいだ。そうした上で歯ブラシとコップを洗う。洗顔も済ませたらタオルで顔の水気を拭いた。歯ブラシとコップにタオルを手に持つと洗面所を出た。 


 その後、ネグリジェを脱いでコルセットを装着された。大きな姿見の前でぎゅうぎゅうに締め上げられる。泣きそうになりながらも耐え抜く。パニエというボリュームを出す下着を幾枚も履き、やっと上にドレスを着た。ハイネックで淡いモスグリーンの長袖のデザインだ。Aラインですっきりとした感じである。それを着た上でお化粧水や乳液にクリームなどでマッサージをしてもらう。白粉をはたき、眉毛を描いた。黒のペンシルでアイラインを引き、口紅は淡いベージュピンクだ。アイシャドウは薄緑色でオルガの瞳の色に合わせた。最後に薄い朱色の頬紅を施す。


「次は髪を結い上げて。イヤリングとネックレスにブレスレットもしましょう」


「え。そんなに付けるの?」


「……あら。でしたらイヤリングとネックレスだけにしますか?」


 お化粧をしてくれたローズが小首を傾げながらも訊いてくる。オルガは頷いた。するとレイシアが小粒のエメラルドがあしらわれたイヤリングと大粒のインペリアル・ジェードがプラチナの台座にあしらわれている銀の華奢な鎖のネックレスを持ってきてくれる。


「こちらはいかがでしょう。ネックレスに使われている石はインペリアル・ジェードといって。別名をヒスイと言うそうです」


「へえ。ヒスイとはまた綺麗な呼び名ね」


「はい。私もそう思います。けど。先に御髪の結い上げですわね」


 レイシアが言うとマーサが頷いた。手早く髪紐を取ると髪を結い上げ始めた。三つ編みに髪を一束ねにしてからぐるぐると巻いていく。幾つものヘアピンを使ってお団子状にした。アシアナネットで纏めてから銀の台座に小粒のエメラルドが散りばめられたヴァレッタを左側の即頭部に留める。

 最後にイヤリングとネックレスをつけると身支度は完了した。ちなみにオルガの好みに合わせてレモングラスの入った香水が使われている。


「さ。できました。どうぞご覧になってください」


 サルサがそう言って姿見を手で示した。オルガはゆっくりと歩いて近づく。そこには輝かんばかりの艷やかな銀糸の髪に淡くも美しい翠の瞳、陶器のような白い肌の美少女が目を見開いてこちらを見返している。しかも綺羅綺羅しいアクセサリーに華やかでありながらも主張し過ぎない化粧、すっきりとしていても最新の流行を取り入れて上品なドレス。それらを身に纏ったオルガは盛りと咲きつつある美しい花のようだった。


「……あたし。こんなに綺麗にしてもらっていいの?」


「……オルガ様。あなたにはこれくらい着飾ってもいい資格があります。さ、今日はエリク様や旦那様方からお話を聞かなければなりませんから。行きましょうか」


「わかったわ」


 オルガは頷くと客間を出たのだった。


 お屋敷の二階に彼女のいる客間はあった。主人である旦那様と奥様、息子らしいエリクは三階にいるらしい。サルサやレイシア、ローズやマーサに連れられてゆっくりと階段を上がる。サルサが気遣ってハイヒールでも低めの物を履かせてくれていた。おかげで何とか階段を上がる事もできる。しばらく経ってからやっと廊下に出た。右に曲がった所に一際重厚なデザインのドアが見える。その前に止まるとサルサが代わりにノックをしてくれた。中から男性らしき低い声で返事があった。サルサに促されてドアを開けてもらいながら中に入る。この部屋はどうやら書斎のようだ。


「……ああ。来たか」


「……失礼します」


 オルガが言うとドアは静かに閉められた。仕方なく昔に習ったカーテシーをして頭を下げる。監禁されていたとはいえ、短い間だったが家庭教師が来ていた。彼女から礼儀作法の基本は習っていた。


「ああ。そのように畏まらなくていい。頭を上げなさい」


「……はあ。それでは」


 オルガは言うとゆっくりと頭を上げた。カーテシーを解いて書斎の執務机の椅子に座る男性を見る。横には昨日に一緒にいたエリクと貴婦人とおぼしき女性が佇む。男性はエリクに目元がよく似ていた。白いものが混じったアッシュグレーの髪に濃いめの琥珀の瞳が印象的な人物だ。横にいる女性はエリクと同じ真っ直ぐな金の髪をアップにして濃い藍色のドレスを着ていた。瞳は淡い蒼で春の空を思わせる。男性は厳格そうだが女性は穏やかそうな雰囲気だ。


「……君がオルガ・ブレードだな。エリクからは話を聞いている」


「……はあ。エリク様からですか」


「君の名は知っているが。初対面だからな。私はエリクシスの父で名をウェールズ・フィン・スレフィアという。世間ではアルスター公爵と呼ばれているが」


 オルガは公爵と聞いて驚く。エリクを見たら苦笑していた。


「……詳しく話さなくて悪かった。けど。あそこから早めに連れ出さないと。フルーレ侯爵に嗅ぎつけられたら後が面倒だからな」


「まあ。エリクシスの言う通りだ。フルーレ侯爵は私などの新王派とは敵対している旧王派の急先鋒でな。君は旧王派に命を狙われていたんだ」


「……公爵様。私が何故命を狙われるのでしょう。私は平民のはずですけど」


 オルガが小首を傾げながら言う。アルスター公爵はため息をついた。


「……その理由を今から話そう。エリクシス、エイダ。防音魔法と結界を張る。手伝ってくれ」


「わかりました。父上」


「ええ。任せて下さいな」


 エリク――エリクシスとエイダと呼ばれた女性が頷く。公爵が懐から短い杖を取り出すと無詠唱で防音魔法をかけたようだ。エリクシスとエイダも二人で強力な結界を張る。部屋の中にキインという音が響いた。


「……これで良いだろう。オルガ殿、君は平民ではないんだ。本当は君こそが新王――現国王陛下であるサミュエル様のご息女だ」


「……え。私がですか?」


「ああ。君の本当の名はオーレリア・フォン・アーバン。アーバン王国の第二王女だ。姉君のエルメ殿は第一王女。本当の名はエリーシュカ・フォン・アーバンという」


 オルガ――オーレリアは目を見開いた。あまりの事に言葉が出ない。


「君。いやあなたが幽閉をされていたのはフルーレ侯爵の謀略から守るためだったのもある。エリーシュカ殿下もだ」


「そうなんですか。姉さんも私と同じ王家の生まれだったんですね」


「……まあ。そういう事になりますね」


 アルスター公爵は頷いた。いつの間にか言葉遣いも丁寧なものだ。夫人らしきエイダはにっこりとオーレリアに笑いかけた。


「……オーレリア様。わたくしからもご説明しますわね。わたくしはあなたのお母様である先代の王妃様とはとこ同士になります。だから、わたくしやエリクシスも遠縁の親戚ですのよ」


「え。私のお母様と?」


「はい。王妃様は名をイルーナ様とおっしゃいまして。穏やかでしっかりしたお方でしたわ。けど、オーレリア様や姉君様を王宮から逃がす時に刺客によって大怪我を負われて。そのまま、儚くなられました」


 実母の事を聞いてオーレリアは胸を傷めた。エイダは哀しげに笑いながらもオーレリアに近づく。


「……オーレリア様がイルーナ王妃の事は覚えておられないのも仕方ないですわ。わたくしや旦那様の手によって記憶を封印しましたから」


「母上。要は封印を解く必要があると言う事ですよね」


「そういう事になるわ。失礼致しますわね、オーレリア様」


 エイダはそう言うとオーレリアの額に右手で触れた。不思議な旋律の呪文の詠唱を始める。しばらくして淡く額が光り出す。


「……かの者の封印されし記憶を戻し給え。我、エイダ・フォン・スレフィアが願い給ふ。時と記憶の女神、サーシェ神に願わん!」


 パチパチとオーレリアの眼裏に火花が弾けた。それが止むとエイダは額に当てていた手を離した。いきなり、沢山の情報が脳内に溢れ出す。軽く目眩がした。

 オーレリアはよろめく。急いでエリクシスが側に行き支えた。背中に腕を添えられながら体勢を直す。


「……ありがとうございます」


「いや。申し訳ない。ソファに座るべきでしたね」


 エリクシスはそう言いながらオーレリアを寄りかからせるようにする。アルスター公爵もエイダも微笑ましげに見つめていた。


「……私は。イルーナ様の二番目の娘だったのは思い出しました。あの。エリーシュカ姉上は今はどうなさっているか。ご存知ありませんか?」


「エリーシュカ殿下は。今は陛下の指示で王宮にいらっしゃいます。王位はこの方が継承なさるでしょう。となると。オーレリア殿下」


「何でしょう?」


 アルスター公爵は少し躊躇いの表情になったが。すぐに真顔に戻すとオーレリアを見据えた。


「……あなたには選択肢が二つ出てくる事になります。まず一つ目はエリーシュカ殿下と同じように王宮にお戻りになるか。二つ目はそこにいるエリクシスの奥方として降嫁なさるか。どちらかを選んでいただきます」


「……父上!」


「黙りなさい。エリクシス。殿下。いかがなさいますか?」


 オーレリアは俯く。しばらく黙り込む。頭を急回転させながら考えた。姉と同じように王宮に戻るか。だが、自分が戻ったら姉と王位を争う事になりかねない。ならば、エリクシスと結婚して臣籍降嫁するか。どっちみち、自分は厄介者でしかないのだ。


「……わかりました。アルスター公爵閣下。エリクシス様に私は降嫁します。けど。せめて父上と姉上に挨拶と報告だけはしたい。そのために王宮に行きます。よろしいですか?」


「……かしこまりました。辛いご決断をさせてしまい、申し訳ありません。ですが、旧王派がまだのさばっている以上。あなたを中途半端なお立場に置いておくわけにはいかないのです」


「私は気にしていません。むしろ、保護をしていただき、記憶の封印を解いてくださった。感謝こそすれ恨んだりなどしません」


 オーレリアが言うとアルスター公爵は苦笑した。エイダとエリクシスが笑顔で彼女の前に進み出る。アルスター公爵も執務机から立ち上がると二人の近くに歩み寄った。三人はそれぞれ王族に対する最上級の立礼を取る。公爵とエリクシスは胸に手を当てながらも深々と頭を下げていた。エイダはカーテシーをしながら胸に片手を当てて深々と頭を下げている。


「殿下。我がスフィア一族があなたをお守りします。王族としての身分は無くなりますが。我が息子や私達がその分、心安らかにお過ごしになれるよう取り計らいます」


「……ありがとう。アルスター公爵、夫人。エリクシス殿」


 オーレリアはにこやかに笑った。エリクシスはその気高い姿に不意に見惚れてしまうのだった。


 あれから半月後にオーレリアは王宮にアルスター公爵やエリクシスと三人で向かった。国王や王太子になった姉のエリーシュカに会うためと結婚の報告をするためだ。滞在期間は一ヶ月。その間に父王や姉と共に過ごす。


 オーレリアは久しぶりに姉のエリーシュカと会えた。再会できた当初はエリーシュカに感極まって抱きついてしまった程だ。

 今日もエリーシュカとお茶を飲んでいた。秋が深まる中、穏やかな日差しの下で香り高い紅茶を口にする。


「……オーレリア。本当に無事で良かったわ。あなたが飲んでいたあの薬の事だけど」


「……うん。あの薬がどうかしたの?」


「あなたは心の臓が弱いと言われて飲まされていたけど。本当は違うの」


 オーレリアは驚きのあまり、口の中がからからに乾くのがわかった。エリーシュカは真面目な顔でこちらを見た。妹よりも白金といって良い髪と淡い蒼の瞳のエリーシュカは清楚で儚げな感じだが。性格は穏やかだが芯はしっかりとしていた。

 そんなエリーシュカはオーレリアにこう告げる。


「……あの薬は。弱い毒なの。フルーレ侯爵はあなたにそれを飲ませるつもりだったのよ。まあ、エリクシス殿が別の薬に秘かに変えていたのだけどね」


「……そうだったの。エリクシス殿が」


「敵の目を欺くためにはこうする他なかったと。アルスター公爵はそうおっしゃっていたわ」


 エリーシュカの言葉にオーレリアは無言になる。こうしてお茶会はお開きになった。


 王宮からアルスター公爵邸に戻る。オーレリアは正式にエリクシスと婚約した。やっと彼女に自由で平穏な日々が訪れる。


 こうして一年後にはオーレリアとエリクシスは結婚した。アルスター公爵位を父から受け継ぎ、エリクシスは正式にスフィア家の当主ともなる。

 オーレリアはエリクシスと夫婦仲は良かったという。


 ――end――







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