第19話 満月に舞う
キオは薄暗い森の中を歩いていく。その後ろをユニスが離れずについてくる。二人は青白い光を放つ結界に守られていた。森の魔物たちは結界を壊そうと牙や爪を突き立てるが、その程度では魔女の結界はびくともしない。
「……すごい魔法ね」
その結界の頑強さに驚いたようなユニスの呟きが聞こえた。そして何よりも青白い光を放つ結界は
「とても綺麗」
ユニスが少し前を歩くフードの少女を眺めている。その目にはまだ警戒心が宿っていた。当然、目の前の少女が魔女ではないかと疑っているのだろう。しかし、そんな視線も気にせずに、キオは前を向いたままユニスに話しかけた。
「あなたのお母さんは……亡くなっているの?」
「はい。私が七歳の時に病気で。もともと体が弱かったので母との思い出はベッドの上のものばかりです。ですが、そこで母はいろんなお話を聞かせてくれました。兄たちの小さい頃の話とか、父との馴れ初めとか。恥ずかしげもなく、とても楽しそうに」
ユニスは懐かしむように話している。それをキオは足を止めずに黙って聞いていた。
「そのお話の中に、今向かっている丘の話があったんです。この季節にとても綺麗な景色が見られた、と。その光景は私の人生の中で二番目に尊いものだった、と母は語っていました」
キオはやはり足を止めずに問いかける。
「なぜ今日じゃないといけないの?来年だってあるでしょう?」
「……結婚が決まっているんです。2ヶ月後には、私は帝国貴族の嫡男と結婚して、帝国に渡っているでしょう。もうこちらに戻ってくることはないかもしれません」
「……結婚するのでしょう。なら相手に伝えれば、来年戻ってくることだって」
「できません。だって、これは政略結婚ですもの。あちらが欲しいのは、私ではなく私の名前。こちらの希望が通ることはないと思います」
キオは愕然としていた。それもそうだろう。キオは外の世界の婚姻事情をほとんど知らなかった。キオが知る夫婦とは、お母さんとお父さんだけだったわけで。政略結婚なんて絵本の世界だけだと思っていたのだ。しかも絵本では……
「……王子様が助けてくれたりとかは」
「え?……ふふっ!そうね、王子様がいてくれたら良かったのだけど」
キオの可愛らしい問いに、つい笑ってしまうユニス。キオはなんだか恥ずかしくなった。キオの恋愛観はなんとも乙女チックであったのだ。
「好きではない人と結婚するのは良くないことだと思うわ。そんなの……」
「おかしいですか?」
「…………」
「私もおかしいと思います。でも、この世界にはおかしくて理不尽なことがたくさんあるのでしょう。それはきっと、あなたも感じているのではないですか?」
ユニスは問いかける。しかしキオは答えない。答えることができなかった。その問いかけに同意してしまうと、自分が世界に負けてしまった気がするから。
「あなたの考え方を否定はしません。とても良い考えだと思います。ですが、これは無理やり決められたことでもありません。ちゃんと私も同意して決めたことなのです」
「何故?」
何故、同意したのかとキオは問う。それにユニスは、はっきりと答えた。
「私の大好きな街、ルナピエーナを守るために。……ただ、この街を離れる前に一度だけ、母が言っていた光景を見てみたかったのです」
もうすぐ森を抜けて、丘に出るころだ。でもその前に、キオにはやらなければならない仕事が残っていた。キオは振り向く。視界には、結界が解かれる瞬間を待ち侘びている魔物たちの群れがいた。
「いい加減しつこい!」
そう言ってキオは結界を解く。と、同時に目の前に空気の散弾を放った。小さく、細く、無数の弾が魔物の群れに炸裂する。一発一発の威力は小さいが、複数の相手に対してであればとても有効な戦術だ。弾に当たった魔物たちは後方へと吹き飛ばされ、鳴き声を上げて逃げていく。しかし、群れの中には大型の魔物も存在していて、彼らは空気の散弾程度では止まらない。こちらに向かって突っ込んでくる。キオは空気を風の刃に変えて、巨体を切り裂いた。これは先日の魔導師の魔法。まあ威力は魔導師アルク・ナバスに到底及びもしないのだが、魔物程度には十分すぎる。戦闘は一瞬で終了し、キオはユニスに声をかける。
「行きましょう。もうすぐゴールよ」
鬱陶しい木々が消え、視界が開ける。薄暗い森の中から明るい丘へと。目の前にはとても大きくてまん丸な月が見える。そして、月の光に照らされた真っ白の花畑が広がっていた。とても幻視的な風景。
「綺麗……。花が月の光を反射して……、え?」
ユニスが思わず言葉を発した瞬間、風が吹いた。風に吹かれてキオのフードが脱げてしまう。そして、
――白く光に照らされていた花畑は、一斉に空に舞い上がった
二人が花だと思っていたものは、生き物だった。月光蝶。満月の夜に羽化し、月に向かって飛び立つ珍しい蝶々。それらの羽は微かな魔力を帯びていて、月の光を反射する。この丘は、月光蝶の産卵場所であったのだ。
二人の少女の前をヒラヒラと舞う月の光。
月光蝶たちの舞踏会。
子供から大人になるためのセレモニー。
蝶々たちは、こんなに立派に育ったのだと誰かに見せつける様に美しく踊っている。
その光景は、本当に絵本の中の世界みたいで。この光景を前にしたら、魔女だとか領主のお嬢様だとかは些細なことだ。二人の少女は、言葉を発することはない。満月に向かって飛び立つ勇姿をただただ見つめるだけであった――
再びキオとユニスに時間が流れ始めた。目の前には、もうただの草花しか残っていない。だけど、二人の目にはまだ輝きの残滓が残っている。
「……ありがとうございます。とても、とても綺麗でした。きっと母もこの光景を見たのでしょう。私は今晩のことを決して忘れはしない。この美しい光景と、そして」
ユニスはキオの方を向いて、右手を差し出す。フードが脱げてしまったのでキオの顔がはっきりとわかる。
「私のわがままを聞いてくれた、優しくて可愛らしい
「…………」
キオは何も答えない。ただ、ぎこちない動作でゆっくりとユニスの右手を優しく握った。
――それはきっと友好の証。たとえ、相手が魔女であっても。たとえ、相手が領主のお嬢様であっても。この夜の冒険を経験してしまえば関係ないのだろう。
そこへ、遠くから声が聞こえる。何やら物騒な音と共に。
「お嬢様ー!ユニスお嬢様ー!いらっしゃれば返事をしてくださいっ!」
「いけない!カタリナの声です。私を探しにきたのね」
ユニスは慌てた声を出す。カタリナの声は近づいてくる。そして、
「お嬢様っ!こんなところに!」
気高く凛々しい声と共に、森の木々が切り倒されてその人物が姿を現す。鎧に身を包んだ女性。キリッとした顔つき。ブロンズの髪は、動きやすい様にシニヨンでまとめている。腰には鞘を携えている。剣は既に抜かれており、その剣を持つ右手には、
それはそれは美しい
(っ!魔導師!?)
その魔導師の証を見た瞬間、キオはフードを被り、臨戦態勢となる。
「ああ、よくぞご無事で!まったく、お一人で森を抜けるなどと……、貴様は何者だ?」
そこでカタリナはようやくキオの存在に気づいたようだ。カタリナも臨戦態勢へと入る。右手に青白い光が集まっていく。このままでは戦闘になると察したのか、ユニスはカタリナの下に駆けて行き、唐突に寝転んで
「イタタタタ、お腹がスゴクイタイー!」
などと、役者も真っ青の迫真の演技をしてみせた。
「なっ!お嬢様大丈夫ですか?ちなみに手で押さえてるそこはお腹ではなくお胸です!」
「とにかく凄く痛いんです!カタリナがその右手で撫でてくれないと治りません」
カタリナはユニスの唐突な行動にあたふたとしていた。が、結局ユニスの無茶振りに負けた様で、剣を鞘に納めてお腹を撫で始める。そんなやり取りをしている最中に、ユニスからキオに視線が送られた。その視線を受け取ったキオは少しの逡巡の後、森に向かって走り出した。
「あっ!待て!貴様には聞きたいことが」
「カタリナ!集中してお腹を撫でてください!イタタタタ」
「お、お嬢様」
―――― ――――
キオが走り出してからどれくらい経っただろうか?カタリナはずっとユニスを膝枕しながら右手でお腹を摩っていた。腹痛など嘘であろうが、万が一もある。すると、膝の上のユニスが「そろそろいいかな」などと呟いて、すくっと立ち上がった。これにはカタリナも呆れるしかない。
「はぁ、もういいですか?お嬢様」
「ええ、ありがとう。もう治りました」
「……それで、先程の少女は何者ですか?道中、何かに切り裂かれている魔物を見つけましたが、もしや彼女が?」
「さあ、どうでしょう?」
カタリナの質問をはぐらかされた。そして、優しげな眼差しで見つめられる。
「……それよりもありがとうね。カタリナ。必死に探してくれたのでしょう?あなた泥だらけよ」
そう。上等な身なりや本人の立ち振る舞いで目立ってはいないが、土や草木で汚れてしまっていたのだ。カタリナはその言葉を聞いて、自身の選択を後悔した。
「…………申し訳ありません、お嬢様。こんなことになるのなら、最初から私がお嬢様をここまで」
「いいの。あなたは私の事を考えてくれていただけ。お父様もそうなのでしょう。……それに今日は、良い出逢いがあったのです」
とても嬉しそうに、月を見上げながらユニスは語る。
「それはそうと、カタリナ。あなた、お母様が一番に尊いと思った光景ってわかるかしら?この丘の幻想的な光景が二番目だなんて、いったいどんな景色を見たのでしょう」
ユニスの言葉にカタリナは思い出す。庭で楽しそうに遊ぶ三人の子供たち。その子供たちの姿を眺めているベッドの上の穏やかな女性を。その顔はとても――
「ふふ。そうですね。それはきっと……」
そんな二人の前を、寝坊して遅れてしまった一匹の月光蝶がヒラヒラと、月に向かって飛んでいった。
―――― ――――
走る走る走る走る――。私は走る。心臓が痛い。肺が苦しい。それでも何故だか体は軽い。どうしてだろう?わからない。わからないけど悪くない気分だ。最近、自分のことなのにわからないことが多い気がする。不思議だなぁ。うん。不思議だ。
街に着き、門を超え、宿屋の階段を駆け上がる。部屋の扉を力いっぱいに開ける。
バンッ!!
うわ!びっくりした。思ったより大きな音が鳴ってしまった。彼はまだ寝ていたのだけど大きな音で飛び起きた。
「出発するわ!」
「あれ?キオ。まだ日は昇ってないけど……」
呑気な声で聞いてくる。説明するのも面倒だし。今の私は少し興奮しているみたいだから、彼の言葉は気にしないことにした。私はふと自分の右手を眺めた。先ほどの彼女との、ユニスとの、握手の感触が残っている。その手の温かみがまだ少し残っているような気がする。うん。なんだかわからないけど、やっぱり悪い気分ではなかったから。だから私はこう言った。
「いいから。行きましょう…………ブリキ!」
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