第18話 月下の出逢い
女性は森の中を全力で走っていた。女性にとって、こんなにも全力疾走をするのは十八年生きてきた人生で初めてのことだった。息が乱れる。肺が酸素を渇望する。全身の細胞まで酸素が供給されていない。体は悲鳴をあげて、もう走るなと伝えている。だが、足を止めることはない。止まってしまったら後ろで牙をぎらつかせながら追ってくる狼みたいな魔物の餌になってしまうからだ。護身用に持ってきた小銃も無駄に撃ちすぎて魔力が空になってしまっている。魔物たちにとっては、こんな狩りやすい獲物が目の前に用意されている状態なのだから、とても嬉しそうに追いかけてくる。
(苦しい。息ができない。もう止まってしまいたい。ほんと、カタリナの言うことを聞いとくべきだったのかなぁ)
自身の従者の怒っている姿が頭に浮かんできた。ピンチの時にはいつも助けてくれる彼女も今はいない。女性は必死に足を前に運んだ。森に似つかわしくない上品な服は、ところどころ破けてボロボロになっていた。高級な髪留めもどこかへ落としてしまって、艶のある金紗の髪が乱れてしまっている。しかし、女性はそんなことも気にせずにとにかく前へ。
後ろから獣たちの荒い息遣いが近づいてくるのがわかる。もうすぐそこまで迫っている。嫌だ。こんなところで魔物たちの餌になって終わる人生は嫌だ。そんなことを考える女性の目の前に一筋の光が差し込んだ。
(あれは、森の出口!?森を出れば魔物たちも諦めるかも?誰かが助けてくれるかも?)
女性はそんな淡い期待を胸にとにかく走った。そんな何かの遊びみたいに、線を越えたら「はい終わり」なんてなるはずもないのはわかっていた。ただ、そんな風に希望を持たないと今にも足は止まってしまう。
光が近づく。最後の力を振り絞り全力で走る。あと少し。もうちょっと。光が目の前に広がる。ゴール!視界は開けて、周りには平野が広がっている。女性の足は瞬間、役目を終えた様に動かなくなる。そして、足がもつれて転けてしまった。
女性の後ろには……そんなゴール!とかなんとか関係のない涎を垂らしながらニヤけている魔物たちがいた。それはそうだ。獲物はもう動けない。あとは美味しくいただくだけなのだろうから。魔物たちが女性に飛びかかる。諦めて、目を瞑る。
「ああ、私の選択は間違っていたのでしょうか?でも後悔はしません。私はただお母様と同じ光景を見たかっただけなのですから」
目の前を凄まじい速度で駆け抜ける風。女性は何事かと、目を開けた。視界の中には、今にも牙を突き立てようとしていた魔物たちが、何か透明な壁にぶつかったみたいに宙に飛ばされる様子が映っていた。魔物たちは鳴き声を上げて森の中に帰っていく。彼らは、一瞬で立場を理解したらしい。この場にいては、今度はこちらが狩られる側になるのだと。誰かさんと違って生存本能がちゃんと機能しているみたいだ。女性は振り向いた。そこにはフードを被った人影が一つ。フードを被っているが女性は倒れているため下から覗き込む形になっている。黒い髪と赤い瞳。まだあどけなさの残る少女のようだった。女性はおそるおそる尋ねる。
「これは魔法?あ、あなたは魔導師かしら?それとも………………魔女?」
フードの下の少女の眼光が、ギラリと鋭く光った様に感じた。
―――― ――――
キオは眠れなかった。何故だかはわからないが、眠れないのならしょうがないと窓から月を眺めている。本当に今日は綺麗な満月だ。キオは顔には出さないが内心でそう思っていた。そうして部屋から出る少女が一人。一応、隣で寝ている青年を起こさない様にゆっくりと。キオは散歩に出かけた。
宿屋は割と門から近い場所にあったため、街の外まで足を伸ばした。門番は……うつらうつらと半分寝てしまっている状態だ。大丈夫かなこの街、と思いながらキオはバレない様に門を抜ける。
「風が気持ちいい。空気もすごく澄んでるわ」
キオは独り言を呟きながら歩いている。目の前には大きな満月が。そよ風が吹き少女のフードを揺らしている。外に出る時には、念のためにフードを被ることにしているようだ。その視界の中に小高い丘が入った。この辺りならあの丘が最も月に近づけそうだ。そう思いながら歩いていると森の入り口まで来てしまった。どうやら丘には森を抜けないといけないらしい。キオは、ロニの言葉を思い出す。
――「数年前からここら辺の魔物が凶暴になっているみたいだ。気をつけないとね」
特段、キオにとっては魔物など取るに足りない相手なのだが、これ以上は散歩の範囲を超えてしまうと判断してキオは踵を返した。そこへ、背後から音がした。誰かが転ぶ音と、魔物の荒い息遣い。そして――
「ああ、私の選択は間違っていたのでしょうか?でも後悔はしません。私はただ
瞬間、キオは意識せずに女性へと襲いかかる魔物へ空気の壁を打ち出していた。そして、やってしまったと思うフードの少女。
「これは魔法?あ、あなたは魔導師かしら?それとも………………魔女?」
「…………」
どうしようか、と目の前に倒れている金髪の女性を見る。女性はビクリと肩を震わせた後に、意を決した表情で言い放った。
「助けてくれてありがとうございます。そして……、不躾で申し訳ないのですが、私をあの丘まで連れて行ってくれませんか?」
女性はキオが行こうか迷っていた丘を指差した。これにはキオも驚いた。そんなことを言われるとは思ってもみなかったから。
「…………わたしが魔女かもしれないのに?」
「かまいません。あなたが魔導師か魔女かは聞きません。今日しかないんです。お願いします!」
そう言って女性は立ち上がり、深々とお辞儀をする。輝く金色の髪が真っ直ぐに垂れる。ボロボロだが、服はとても上品だとみてわかる。髪の毛も毎日手入れしているのだろう。そんな、きっと上流階級だろうお嬢様が何故こんな森にいるのだろうか?とキオは訝しんだ。ただ、
「なぜ丘に行きたいの?」
「…………今は亡き母が言っていました。年に一度、この時期の満月の夜、その丘の光景が綺麗だったと。母が綺麗だと感じた光景を私も見てみたいのです」
キオは何も答えない。数秒の間を置いて森の方へと歩き出す。
「何をしているの?早く行きましょう。月が沈んでしまうわ」
「!!ありがとうございます!」
金髪の女性は小走りでキオの後を追った。
「私はユニス・エーデンバイトと申します。よろしくお願いいたします」
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