第7話 聖痕
「ははははは!苦しそうだな青年よ。だが私が来たからには大丈夫だ。今、助けてやろう!」
突如、池の上空から力強い声が聞こえた。青年は混濁する意識の中で視線を声の方へと向ける。魔女も声に反応するように振り向いた――。刹那、命を刈り取る音が聞こえた。風の刃が空気を切り裂きながら魔女へと迫る。池の水面は波立ち、周りの木々は裂かれていく。
魔女が目の前に二重の結界を展開した。一層目の結界と風の刃が交錯する。拮抗する間もなく、刃はすぐさま結界を切り裂いた。
刃は二層目の結界に到達する。刃の威力が少し落ちているのか、数秒の拮抗。その余波は後ろの屋敷にまで及び、屋敷の窓が割れていく。魔女は結界に魔力を送り続けているのだろうか。端正な顔が苦しそうに歪んでいる。それでやっと均衡が保てている状態に思えた。そして遂に二層目の結界も切り裂かれる、と同時に風の刃も威力を無くして霧散した。
「きゃっーー!!」
結界が破られた衝撃で魔女が後方へと吹き飛ばされた。
バシャン!意識が逸れたのだろう。青年を捉えていた水牢はただの液体へと戻ってしまう。青年はようやく空気のある地上へと解放された。ゼェゼェと急いで酸素を取り込む。
「ほう?我が一撃を防いだか、存外やるものだな魔女よ」
急な乱入者が再び言葉を発する。そこで、ようやく乱入者の姿をはっきりと確認できた。短く整えられた金色の髪は月の光で輝いている。精悍な顔は自信に満ち溢れている。そして何より見るからに上等で、美しい真っ白なローブを身にまとう姿はまるで――魔導師のようだった。
「いや、いきなり魔女と決めつけるのはよしておこう。万が一ということもある」
そう言うと、男が自己紹介を始めた。
「我が名はアルク・ナバス!神樹セフィロトより選ばれし魔導師である!魔女がこの森に隠れているという噂を聞きつけ確認に来た次第だ!」
「「!?」」
(ホントに魔導師かよ!魔女狩りとしてここに来ているのか?でも、ダヤンの話なら魔導師殺しに対応していてそれどころじゃないってことだったんだけど……)
「そこの黒いローブの少女よ。君は先ほど魔法を使っていたな?もし私と同じ魔導師だと言うのなら、証である聖痕をみせたまえ」
そういって魔導師は白いローブをたくし上げ、自身の腹筋をあらわにした。いや正確には、脇腹に刻まれた聖痕を見せつけたかったのだろう。
補足をするならば、魔導師と魔女の違いについて、〝世間に認められているかどうかの差〟というのは正しい。しかし、ではなぜ魔導師は認められて、魔女は認められていないのか。その理由が聖痕である。
聖痕は、神樹セフィロトに遣わされた者の証。神の遣いであれば、魔法を扱えるのも納得であろう。しかし、聖痕がないのに魔法を扱えてしまうというのは悪魔に憑かれているとしか考えられない、という理屈。結果として、世間から認められず、魔女は迫害されてきた。
美しい。美しく、神々しい。あれはホンモノだ。誰が見たってわかる。神に選ばれた証。
青年は魔導師の聖痕を見て素直にそう感じた。その感想と共に脳裏に嫌な思い出が蘇る。
――「ごめんね……こんなの気持ち悪いよね……。」
強く優しく暖かく、まるで本当の姉のように慕っていた女性が泣きそうになりながら、その右腕を左手で隠していた。いつも右腕には包帯が巻かれていて、だから彼女の右腕に刻まれたそれを誰も知ることはなかった。でも、その日俺は彼女のそれを見てしまったんだ。
肉に直接刻まれた、決して聖痕などとは呼べぬ不出来な落書きを。自分の子供を魔導師だと騙るための産みの親のエゴを。
つい「気持ち悪い……」と、言ってしまった――
「なんだやはり聖痕は刻まれていないのか?それどころか、私の聖痕を直視できないとはやはり魔女だったようだな!」
魔導師が声を一層大きくする。一方、魔女は顔を背けていて、確かに聖痕を見ていない。というよりも、耳を少し赤くして、魔導師の逞しい腹筋を直視できていないだけかもしれない。魔女とて少女だ。
「私に聖痕はないし、魔女であることは認めるから早くローブを下ろして」
「ほう、私の輝かしい聖痕を前に遂に認めたか。まあ、無理もない。誰であろうと見れば本物だとわかる。聖痕とはそういうものだ」
さらに魔導師は続ける。
「だというのに、ただの人間であるにもかかわらず愚かにもこの聖痕を真似て、自分も魔導師だと主張するものがいる。まったく嘆かわしい。神に対する冒涜だぞ。奴らも魔女と対して変わらぬな。要らぬ存在だ」
――ああ、だめだそれ以上は
「そんな肉に刻んだ落書きなぞ聖痕なわけがないだろう。
義手の青年の中で、目の前の魔導師と過去の自分がダブってしまった。
「だから、早くローブを下げろっていってるのよ!」
そう言って魔女が腕を振るった。池の上空にいる魔導師の周りに結界が完成する。……耳を澄ませると何かが結界にぶつかり、キンキンと音を鳴らしている。
「ほう。やはりなかなかの密度だ。私の風の鎧では破れぬとは」
魔導師はようやくローブをおろし、その腕を一閃させる。風の刃に結界はいとも容易く破られた。
「だが、私の敵ではないな」
魔導師がゆっくりと高度を下げてくる。格の違いを感じ取ったのだろう。魔女の顔には焦りが見えた。
「では魔女狩りと行こう」
いよいよ戦闘が始まるといったその瞬間、魔女と魔導師の間に立つただの人間が一人。
「何のつもりだ、青年。……私の目には〝魔女を庇っている〟ように映るのだが?」
「庇っているわけじゃない。ついさっき殺されかけたばっかりだしな。それと、助けてくれたことには感謝してる。ありがとう」
青年は魔導師に感謝している。それはそうだろう。なんたって命の恩人なのだから。だけど……
「ただ、……今はとにかく、アンタを一発ぶん殴ってやりたい気分だ!」
そうだ。義手の青年は、魔導師にダブった過去の自分をぶん殴りたいだけだったんだ。
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