003 白銀のワンダーランド

 ああ、ここはまさに白銀のワンダーランド!


 雪、雪、雪。


 今年も雪山に来られるなんて夢みたいだぜ。


 たくさんのスキーヤーにボーダーたち、クリスマスに街を襲った大雪は、ゲレンデでは恵みの雪のようだった。何時間もかけ電車を乗り継ぎたどり着いたのは長野県の山奥にあるスキー場。そこに隣接するホテルが例の俺が『当選した』それである。


「まあまあね。私のお気に入りのガルミッシュ・パルテンキルヒェンと比べるのはあれだけど、雪質は良さそうね」


 がっちり膝まである黒のダウンジャケットを着込んで、手には缶コーヒーを握る沙也加がそう言う。あの肩のロゴは、たぶんお高いブランドのものだ。そう、俺だけで来ているわけではないのだ。まあ、光輝さんが保護者としてついてくるのはいいとして、なぜ沙也加、お前も着いてきた?

 

「そのガル……なんとかは分からないけど、沙也加は滑れるんだっけ?」


「あ、当たり前じゃないの。ドイツは世界で最もスキー人口が多い国のひとつなのよ。その数1200万人。隣国のオーストリアやスイスにまで滑りにいくのよ。特に上り坂や下り坂を滑ったり、その登山技術を駆使して雪山を駆け抜ける山岳スキーはヴィルヘルム・パウルケがスイスのベルナー・オーバーラントをスキーで横断したのが始まりと言われているわ」


「その……、沙也加はあれだ。ソリ専門……」


「ぷっ……」


 光輝さん、差し込むタイミングが絶妙過ぎる。吹き出しそうになるのを堪らえようとはしたのだが、沙也加の眉間にシワが寄っている。おいおい、美人さんが台無しじゃないか……。くっ、我慢できない! 俺はどうしようもなく込み上げてくる笑いを抑え込むので必死だ。


「むぅ……。いいのよ、ひとには得手不得手があるものよ。す、スケートだったら、凄いんだから!」


「ほう。それはどの程度のものでいらっしゃるのかね。沙也加嬢?」


 俺はスキーもスノーボードも、もちろんスケートだって得意だ。中学の頃は親父と二人でウィンタースポーツは遊び尽くした。なんならカーリング勝負だって負ける気はしない。滅多にないあおりのチャンスに俺はじょうじる。


「いや、キミト君。沙也加は幼い頃から有名なスケートアカデミーに通ってて、オリンピックのメダリストの指導も受けてるんだ」


 光輝さんが小声で残念そうに俺に言うが、その声を沙也加は確実に拾っていた。


「ま、マジっすか!?」


「キミト、あなたはトリプルアクセルはできるのかしら? ああ、別にトウループでもサルコウでもいいわよ」


 いつもの年下のくせに俺を見下す目線。うん。こうでなくては。


「いいえ……。すんませんでしたぁ!」


 俺は直角に腰を折り頭を下げる。下から沙也加の表情を窺うと機嫌はもう直ったようだ。これだからウチのお姫様は扱いが大変である。


「でも、キミト。残念だけどあなた、スキーもスケートもできないんだから」


「はっ? どういう……」


「ああ、キミト君。僕達は自分で支払ってホテルは予約したけど、君のは一応手続きがあってさ。海外にいる兄さんに電話して電子同意書ももらった。で、そのときに頼まれたんだよ、みっちり勉強、しごいてくれって……」


 光輝さんが頭をきながらそう言う。


「お、おぅ……。い、いや、でも俺、勉強道具なんてもってきてないしさ……」


「ああ、それは宅配便でホテルに送ってある。もうロビーに届いてるんじゃないかな?」


「あぅ……。そ、そうですよねぇ。受験生はつれぇぜ。では、光輝先生、よろしくお願いいたしゃーっす!」


 今度は光輝さんに向けて直角お辞儀を披露する。


「いや、先生は、沙也加なんだよ……」


「はあ!?」


「だって、僕より勉強できるしさ……。それに、ちょっと野暮用やぼようもあってね。ごめん!」


 逆に光輝さんの方が俺に頭を下げた。


 いや、さ……。入試直前の受験生の面倒を高校1年生がみるってのはどうなのさ?


「ふふっ、この沙也加先生に任せなさい! 勘解由大路の人間に失敗は許されないのよ。この私があなたを合格に導いてあげるわ!」


「い、いや……」


 胸を張ってそう言う沙也加に結局俺は、何も言うことができなかった。


「別に僕は現役で受かんなくってもいいと思ってるけど……」


 光輝さんのフォローはまったくフォローにはなっていなかった。


 


「おおっ、大きくて綺麗なホテルじゃないっすか。想像していたより新しそうな建物で、これは期待できますね!」


 俺は目の前に見えてきたホテルの感想を光輝さんに述べる。


「ああ、違うんだ。こっちは僕と沙也加が宿泊するんだけど、君のはそこから専用の送迎バスが出ているはずだよ」


「えっ?」


 光輝さんの指差す場所。そこにはびた金属製のバスの停留所の標識があった。


「えっと、あと数分で来るみたいだね。明日の昼には沙也加が勉強の指導に向かう予定だから今日はゆっくりするといいよ」


「へーい……」


 そう言って二人とも俺を置いて行ってしまった。まあ、タダで泊まれるんだし文句はいえないけど。


 そのホテルのものらしきマイクロバスが時間通りに到着した。黒いサングラスに白いマスクをした運転手さんは、俺の乗車を確認するとバスをゆっくり発信させた。どうもこの時間は俺だけのようだ。窓の外の雪景色を眺める。長野県でもかなり山の奥にある場所だ。こんなスキー観光がなくても人は生活してきたのだろうけど、平野の街暮らししか知らない俺にとってはそれがとても偉大なことのように思えた。きっと、ここにしかない歴史や文化のようなものがあるのだろう。でも、まあ……。一番後ろの席に座った俺の位置からでも運転手さんの後ろ髪がはっきりと見えた。別に住んでる人たちが時代から取り残されているというわけでもないわけで……。


「到着いたしました」


 三十分は経っていないと思うけど、バスはほぼ一本道、それも対向車が来たらアウトな感じの細い道を登ったり、下ったりしながら進んできた。途中、ここから落ちたらただでは済まなそうな崖のようなところも通ってきて、ゆっくり景色を眺めるどころではなかった。スリルなんて求めていない俺の精神力は多分半分以下になっていると思われる。


「ん? あれ?」


 俺が降りるとバスはもときた道を帰っていく。これはホテルというよりもだな……。


 俺の目の前にあったのは一件の古民家だった。いや、古民家というより、昔話にでてくる庄屋様のお屋敷だ。光輝さんたちの宿泊する近代的なホテルとのギャップにいささか驚いただけのことである。きっと最近はこういった風情ふぜいのある感じの宿泊施設がウケるのだろう。もしかすると、そういった歴史ロマンに憧れて訪れた女子大生のお姉さんグループと仲良くなれるチャンスがあるかもしれない。


 どこにも宿泊施設であることを示す看板は見当たらなかった。あの『当選』から申し込みまですべて光輝さんに丸投げしていたので、そのホテルだか宿だかの名称も俺は知らないのだけど。


「すいませーん」


 玄関らしきところの扉の前で俺は呼びかける。数分待つが反応はない。


 その扉は時代劇に出てきそうな横にスライドする引き戸だった。ここに沙也加が入ればきっと長々と日本家屋における扉の歴史なんかを俺に説明してくれるに違いない。そんなことにさほども興味の無い俺は何も考えずにその引き戸に手をかけた。

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視点は死転? 卯月二一 @uduki21uduki

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