タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
「ん?」
どうやら私は眠ってしまっていたようです。頭がスッキリして、おおっ、身体が自由に動きます。自分で身体を起こすことができました。暗い部屋の様子からすると、もう夜中になってしまっているようです。ですが何の音でしょうかあの音は? なにか硬質なものを乾いた木の棒でリズミカルに叩いているような感じです。暗さに目が慣れてくると布団の隣にお盆が置いてあることに気づきます。その上にはおにぎりが3つ整然と並んだお皿の上にありました。緑色の包装の小サイズのペットボトルのお茶も。このメーカーのはあまり飲まないのですけど贅沢を言っては罰が当たりますね。冷たいおにぎりをあっという間に完食、お茶も一気に飲み干してしまいました。私、ちょっと時間が経って固くなってしまったくらいのものが好きなんです。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
ずっとあの音が繰り返されています。誰かドラムか何かの練習をしているんでしょうか。立ち上がり障子戸を開くと、空には美しくまあるいお月さまが見えます。月明かりで照らされた部屋を振り返ってはじめて照明器具のたぐいが無いことに気づきます。敢えて電化しないというようなこだわりでもあるのでしょうか? 尿意をもよおした私はお手洗いを探して廊下を進みます。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
心なしか、あの音のペースが早くなってきている気がします。それに焦り? そんなのは気のせいかもしれませんけど……。
「あれ? 音が止みましたか」
急に世界から音が消えてしまったかのような無音。風の音も、虫の鳴く声も聴こえません。あの少女も老女も寝てしまっているのでしょうか、なんだか自分ひとりこのお屋敷に取り残されてしまったような気がしてきました。いえ、ひとりは慣れてるんですけどね。
想像していたよりも広いお屋敷です。たくさんの和室が並んでいるのですが誰もいないようです。廊下のつきあたりに目的の場所らしき扉が見えました。
「厠って、いつの時代の表現ですか……」
半紙に墨で書かれた漢字が一文字。おそらくこれって私のために扉に貼られているようです。その木の扉の奥にはなんと木造りのトイレ。はじめて見ました。板敷きの床に長方形の穴があり、汲み取り方式のようです。おおっ、これってどう処理しているのでしょうか。専門の業者さんなんていないですよね。ですけど、驚くことに無臭です。誰も使っていないということはないのでしょうけど……。穴の底は真っ暗で確認できません。これ床が抜けて落ちたらヤバいやつですね。私は早々に用を済ますと廊下に戻ります。
いま何時なのでしょうか。スマホがないと不便です。
「ああ……」
スマホを思い浮かべたせいなのかは分かりませんが、自分のことを思い出しました。たしかせっかくの休日を趣味の小説の執筆に当てようと……。行き詰まって気晴らしに外出して、急に雨が降り出して。それからどうしたんだっけ? ぼんやりと黒いワンボックスカーが脳裏に浮かびますが何でしょうか、ちょっとそこからの記憶がはっきりしません。
とにかくここが何処なのか、そして日付です。今日は土曜なのか日曜なのか。せっかく最近見つけることができた就職先……。もしも無断欠勤なんてしてしまったら大変です。夜遅いはずですけど背に腹はかえられません。あの女の子かお婆ちゃんを探して聞かなければ。
「このお屋敷が無人だとすると、別の場所に住んでいるのでしょうか?」
夜の静かな空気の中に私の独り言だけが響きます。
少しして広くて立派な玄関を見つけました。
そこにあったのは間違いなく私の靴です。ぽつんときれいに左右並んでいます。さらに、手前の床にあるのは私のスマホじゃないですか。見覚えのあるスマホケース、私のもので間違いありません。
ちゃんと電源も入ります。
「ふう、これで連絡が取れる……、あれっ?」
アプリが見当たりません。どういうこと? いや、緑色のSNSのアイコンがぽつんと。
「LINER? 一文字多くないですか。なんぞこれ?」
タップするとSayoという日本人形の頭部の写真アイコンだけあります。私の数少ない友人や家族、会社関係の人達の情報は消されているようです。あの女の子の仕業なのでしょうか? 怒りを通り越して尊敬してしまいそうです。私の足りない頭でも可能ならばぜひ弟子入りしたいくらいです。
「へっ!?」
『逃げてください!』
チャット欄にあったのはその一文だけ。
現在の時刻は左上に小さく表示されていて深夜2時。その2時間前に発信されたようです。逃げろとはどういうこと? 取り敢えず私は『それはどういう意味ですか?』と返信しました。少し待ってみますが返事はないようです。もう寝てしまったのでしょうか。
何の手がかりもなく、頼みのスマホも魔改造が施されているようで私ではなんともしようがありません。仕方なく靴を履き屋敷の外に出ます。
「マジか……」
眼前には月明かりに照らされた黒い森、いや山か……。四方八方、木々の生い茂る山々に囲まれています。ここはどこかの山の中、私の住んでいたのは言ってみれば都会に近いところで山なんて近くにはありませんでした。彼女のメッセージと黒いワンボックスカーの記憶からすると私は誘拐されてしまったのかも。でもどうして私なんかを誘拐した?
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
またあの謎の音が聞こえてきました。考えても仕方ありません。とにかくこの場所を離れなくては。
「ん? あれは光……」
遠くに小さな光が現れては消えてを繰り返しています。目を凝らして見ているとあれは車のライトのようです。この屋敷へと繋がる山道をこちらへ走ってくるようです。本来なら人に出会えるということは願っていたことですが、この状況はきっと逃げるべきなのでしょう。私は目の前の小道に向かって走り出し、走れるだけ走ると脇の木々の中へと身を潜ませました。こういうとき普段の運動不足が悔やまれます。はあはあと息を整えながら車が通り過ぎるのをじっと待ちます。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
ブオーンっと記憶にある黒いワンボックスカーが舗装されていない道をかなりの速さで通り過ぎました。夜の暗さではっきりとは見えませんでしたが男が二人乗っているように見えました。私は一呼吸おくと道へ飛び出し再び走り出しました。足がもつれそうになりますが、なんとか転ぶことなく走り続けます。途中、立ち止まりながらもひたすら道を進みます。きっとこの道は町か村か助けを求められそうな人の生活圏へと続いているはずです。
月明かりとこの道のおかげで私はなんとか前へと進めています。もう走ることもできず歩いているのですけど。
「あれは人家の明かり?」
深夜ですけどポツポツと人工の照明らしきものが見えてきました。ああ、やっとです。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
タン、タン、タタン。タタタ、タタタタタン。
「うわっ!」
ひときわ強い照明に私は目を瞑りました。
「対象を発見! 身柄を確保する」
気づけば私は黒服サングラスの男たちに囲まれていたのでした。
三
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