九十九
うーん。何かとても良いことがあったあと、とてもとても嫌なことがあって、さらに酷い目に遭った気がします。えっと、公園? たぶん公園。そんな場所のぼんやりとした情景がかすかに残っています。
「お目覚めになられましたか、ツクモさま」
薄い桜色の和服を着たお嬢さんが私の寝ているすぐ側で正座しています。というか何故私は寝ているのでしょうか? とにかくご挨拶をせねばと起き上がろうとしますが、身体に力がはいりません。
「あれ?」
「どうぞご無理をなされませんよう。ツクモさまはお力を大きくお使いになった反動で動けなくなっているのでございます。恐れながら私が……」
お嬢さんの細い腕が背中にまわるのを感じます。その小柄で華奢な身体がよせられて私の上半身を起こしてくれる。艷やかでまっすぐに伸びる黒髪が目の前にある。何の匂いだろうか甘くて心地いいです。
「あっ、これはすいません……です」
「ツクモさま、どうぞお構いなく」
ここは畳敷きの広い和室です。少し薄暗いのは障子から入る光が弱いせいなのか、わずかに聞こえる雨音から外の天気が窺い知ることができました。
「あ、あの……。いまツクモさまと仰られたかと思うのですけど。それは何なのでしょうか? 私は……、私? あれれ」
自分の名を告げようとしますが、おかしなことに口から出てきません。
「あなたはツクモさまでいらっしゃいます。まだお疲れのようですね。いまお食事をお持ちいたしますので少しお待ちくださいまし」
和服の少女は立ち上がると、私のために外の景色が見えるよう障子戸を静かに大きく開いてくれました。実際行ったことはないのですが、まるで高級旅館か料亭にあるような見事な日本庭園がそこにはありました。ここはどこなのか尋ねる前に彼女はそのまま廊下の先へ行ってしまいました。どうもまだ頭がぼんやりとしていて思考の整理がうまくできません。起こしてもらいましたが腕も上がりませんし首はかろうじて上下には動きますが自由にまわりを見ることができません。これは一体……。
ベンチ、そして鉛筆。なぜかそんな単語が頭に浮かびますが意味が分かりません。あと、おしり。ますます意味不明です。私はどうかしてしまったのでしょうか?
しばらくすると廊下をあるく足音がします。さっきの和服の少女、それともうひとりいるのでしょうか。
「お待たせいたしました」
彼女の透き通るような気持ちのよい声。その手には御膳が持たれています。そしてさらに小柄な真っ白な髪の老女が私を見ています。かなりの御高齢であることがその皺の深い顔から分かります。ですが、その表情からは何の感情も読み取ることができません。老女は私に少し頭を下げると正面にちょこんと座る。隣に座る少女が私の口へお粥を運んでくれ食事が進みます。とても薄味のお粥ですが、身体に水分とほどよい塩分が染み渡っていくような気がします。無表情なお婆ちゃんに見つめられていなければ、とても素敵なシチュエーションなのでしょうけど贅沢はいってもいられません。私はこの不思議な状況を把握しなければならないのです。
お粥を食べ終えて、ぬるめのお茶を飲ませてもらい一段落。そこでようやく老女は口を開く。
「いくつかご質問をさせていただきたいのじゃが、よろしいですかの?」
「は、はあ……。何故かいろいろと記憶が曖昧になっているようでして、ご期待に応えられるかは疑問ではありますけども……」
「ふむ。この子から聞いたとおり自分のことすら覚えていない様子。それは問題ありませぬ、おいおい記憶も戻りましょうぞ。それでお伺いしたいのは意識を戻される直前、何を見たのかということ」
「何を見たか……、ですか?」
私は仕方なく、さっき浮かんだ言葉を老女に告げる。きっとイカれた奴だと思うに違いないと思いましたけど他に話せることもありません。
「ほう。公園にあるような木製のベンチ。それに鉛筆。そして何かの穴の中へと吸い込まれ……。あとは尻というのが不明じゃの、これの解釈はいかがしたものか……」
意外なことに老女は私の話を前のめりで聞いてきました。それに隣の少女はその可愛らしい瞳を大きく開いて驚いているようです。えっと、おしりに驚いているのではないですよね……。
「
「お、おばあさま。で、でも……」
「まだ、お前は疑っておるのか! この罰当たり者が。一族の血を引くのならいいかげん掟に従わんか!」
「は、はい……」
なんだなんだ? 何が起こっている?
「ツクモさま、我らはこのあと用がありますゆえ、もうしばらくゆっくりなさってくだされ」
老女がそういうと、いま名前の明らかになった小夜さんが俺の身体を支えて再び寝かせてくれる。やはりいい匂いがする。ずっと嗅いでいたい。そんな願望も虚しく、二人は俺を置いてどこかに行ってしまった。さて私はどうなってしまうんでしょうか……。
二
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