第2話 景子 曽祖父との別れ

 景子が七歳のときに両親は離婚した。家の中の緊張した空気は子供だった景子にも感じられたが、離婚の理由がわかるほどの年齢にはなっていなかった。景子は両親の争いの場に触れないよう遠ざけられていたし、曽祖父が景子を頻繁に連れ出すのも、その理由もあったのだろう。

 ともかく離婚の結果、母親は一之瀬家を出ていき、以降、二度と景子には会いに来なかった。景子は、家の中では母親の話をしてはいけないということを敏感に感じ取った。そもそも母親を恋しがって泣くほどには、母との間に絆はなかった。

 弟は幼すぎてわかっていなかった。母親が出て行っても、一之瀬家では世話をしてくれる女性の存在には困らなかったし、弟はとっくにその女性のほうになついていた。

 景子には母がいなくても、大好きな曽祖父がいた。まだ若かった父には再婚の話がいろいろあっただろうが、父は再婚をしなかった。仕事でほとんど家にいない父と景子はもともと疎遠で、絆はできていなかった。両親の離婚を機に、さらに父は景子から遠ざかった。景子と父は、会話するのは一週間に一度あるかないか、という状態になっていた。


 景子は日本刀や武道にさらに惹きつけられるようになった。曽祖父の語る話はすべてが大好きだった。母親が一之瀬家から出て間もなく、景子は曽祖父に連れられて道場へ行き、剣術と居合術を習い始めた。服も道具も道場も師匠もすべて曽祖父が選び、準備を整えてくれた。稽古の送り迎えも曽祖父だった。

 大人になってから思い返すと、剣術の師範も、居合術の師範も、曽祖父に気を遣って、かなり景子を特別扱いしていたということはわかるが、その頃の景子は武道が楽しくて仕方がなく、同い年の友達と遊びたいとも思わなかった。もちろん、同い年の友達もいなかった。道場には子供も来ていたが、景子のそばにはいつも曽祖父がいて、他の子供と仲良くなるような機会はなかった。それになにより、景子はあらゆる面で特別扱いされており、あえて友達になろうとするような子供もいなかった。


 曽祖父が亡くなったのは景子が九才のときだ。母親が出て行ったときは泣かなかった景子が、このときは大泣きして手がつけられなかった。さすがに父親が仕事にもいかず、ずっと景子のそばにいたのを覚えている。景子は大泣きに泣き続けたが、泣き止んだ時には、すでに大人の入り口に立っていた。

 どんなときでも絶対に受け止めてくれる、曽祖父という安全な居場所がなくなったことを子供なりに理解し、自分の足で生きていくのだとさとった。女の子が九才で大人の入り口にたつのは、それほど早熟というわけでもない。それに景子には曽祖父が残してくれた武道の道があった。


 曽祖父が亡くなっても師範たちの景子に対する特別扱いは変わらなかった。特別扱いはされていたものの、景子自身にも素養はあったのだろう。それは先祖代々受け継がれてきた武家の血筋というものなのかもしれない。景子は剣術も居合術も順調に昇級し、段位を獲得し、昇段していった。


 中学に入学すると景子は剣道部に所属したが、幼いころから選び抜かれた一流の師範について鍛錬してきた景子の腕は傑出していた。剣道部に所属する同級生は、ほとんどが子供の頃から剣道道場に通っていた。したがって幼いころから道場内の規律を守るよう躾けられており、景子に対しても尊敬や礼儀をもって接してくれた。

 景子はクラスメイトとはあまりなじめずに浮いていたが、部活の仲間たちに囲まれて落ち着いた学生生活を送っていた。それでも、一之瀬家の娘であることで、ときにはやっかみや嫉妬をうけたり、逆に遠慮されたり持ち上げられたり、そうした事件がたびたびあり、景子は大学になったら生まれた土地を離れたいと思うようになっていた。

 一之瀬家、というしがらみのない人生を送ってみたいと考えていた。

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流星の庵 Ryusei no iori  第二部~星の光を拓くもの Naomippon @pennadoro

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