【完結】風のレクイエム(作品230729)
菊池昭仁
風のレクイエム
第1話
「あらやだ、夕立が来そう。あなた、お布団を取り込むの手伝って」
「これは強く降りそうだな? 黒い雨雲に稲妻が走って近づいて来ている」
私は庭に干された夫婦の布団をそれぞれ家の中に取り込んだ。
その直後、激しい驟雨がやって来て、なんとか布団や洗濯物を濡らさずに済んだ。
「危ないところだったわね?」
「濡れなくてよかったな?」
2人の子供たちはそれぞれ独立し、この家を出て行った。
私は60才の還暦を迎え、会社を定年退職していた。
会社からは再雇用を打診されたが辞退した。
今まで自分の部下だった連中に仕事を命じられ、使われるのも御免だったし、いつまでも会社に居座ることにも抵抗があったからだ。
自分も会社にいる時、偉そうに顎で自分を使っていた上司が定年になっても会社をうろつくのが私も嫌だったからだ。
老兵去るのみ。
子供たちからも手が離れ、女房とふたりで慎ましやかに暮らすには多少の蓄えもあり、年金暮らしも悪くはない。
「今日の夕食は何が食べたい?」
「何でもいいよ、良子の食べたい物で」
「何でもいいっていうのがいちばん面倒なのよねー。
じゃあ、お蕎麦と天ぷらにするわね? 海老はないけど」
「天ぷらだから海老じゃなきゃダメだなんてことはない。
君の揚げる天ぷらは旨いから天種は何でもいいよ。あとはビールがあればそれでいい」
「私、揚げ物だけは自信があるの」
そう言いながら洗濯物を畳む妻、良子。
良子は私よりも3才年下だった。
私が28、良子が25才の時に結婚をした。
職場恋愛だった。
恋愛期間は2年ほどだったと記憶している。
会社の同僚や上司に気付かれないようにと、秘密の付き合いが始まった。
私たちが親密になったのは、会社での飲み会の席だった。
酔った私たちはそのまま良子の家に泊まり、初めての朝を迎えた。
その時彼女は初めての経験だったようで、私は嬉しかったのを覚えている。
まるで新車にでも乗ったような気分だった。
私たちの生まれた60年代は、アメリカの文化が日本文化の中心だった。
ダイアナ・ロス、マイケル・ジャクソン、マドンナ、スティービー・ワンダー、そしてマハラジャやベルファーレなどのディスコ全盛時代、バブルの絶頂期だった。
良子はハマトラのファッションに聖子ちゃんカット、私は石津謙介のブランド、VANを好んで着用していた。
日本の企業は世界を席巻し、このまま繁栄が永遠に続くものと誰もが確信していた。
それから40年近くが過ぎた現在、日本の衰退は政治も経済も、目を覆うばかりのものになってしまっていた。
良子が下の子の聡を妊娠してからは、私たち夫婦は寝室も別々になり、レスになった。
単なるパパとママという役が与えられただけの夫婦になってしまっていた。
夫婦ではあっても、そこにはかつてのときめきはなくなっていた。
すべてが子供中心の生活になっていた。
そんなある日、性欲に耐えられずに妻を誘ったが、
「しょうがないわねー、早くしてよね? 子供が起きてしまうから」
と、パジャマの下だけを脱ぐ良子。
それから一週間後、私が再び妻にアプローチをすると、キッパリと妻は言った。
「そんなにしたければ、そういうお店に行って来れば? 私は別に構わないから」
それ以来、私は一度も良子に夫婦関係を迫ることはなかった。
会社のお局である峰岸佳代子がこう言っていた。
「長く夫婦をやっているとね? 夫婦の営みなんて、お互いの身体を使ったオナニーみたいなものよ」
そんな時だった、私が留美子と付き合い始めたのは。
留美子にも旦那がいた。いわゆるダブル不倫というやつだった。
留美子は取引先の事務員をしており、ひときわ美しく、男性社員たちの目を惹いていた。
私たちはとても気が合い、自然にお互いを意識し始めていった。
「田所さん、今度一緒にランチしませんか?」
「いいよ、何が食べたい?」
「うーん、焼肉かな?」
「ランチで焼肉?」
「ヘンですか? それじゃあディナーにしましょうよ」
その夜、食事をしてからスナックに移動してカラオケを歌い、私たちはホテルに入った。
飲み屋街のはずれにあるラブホテル。キスをした後、留美子は私にこう言った。
「お互いに結婚しているんだから、これが最初で最後。約束してね?」
「もちろんだよ」
だがその約束を破ったのは留美子の方だった。
私たちはその後も度々逢瀬を重ねた。
留美子の夫婦は子供が出来なかった。
はじめのうちはそれなりに努力はしたようだが、いつの間にかそれが苦痛となり、夫との性行為は次第に減っていったという。
夫から愛されない妻、妻から愛されない夫。
私たちの利害関係は一致した。
お互いに恋はしても、それを愛に昇華させるつもりはなかった。
私と留美子は単なるセフレとしての付き合いに徹しようとした。
不倫とは、満たされない日常で空いた隙間を埋める行為だ。
そこに夢はない。夢を持ってはいけないのだ。
誰にも知られなければ、誰も傷つけることはない。
柔道やプロレスのように、肌を合わせるスポーツのような物だと思えばそれで良かった。
その方が精神的にラクだったからだ。
何処に行くでもなく、デートをするわけでもなく、ただホテルで会って「体を合わせる」だけの関係。
それが私と留美子の虚しい恋のあり方だった。
それでも私たちは満足していた。
愛のない、カラダだけの付き合いに。
第2話
私と留美子は愛のないセックスに没頭した。
私たちは夫婦や恋人同士では出来ないような行為を、より強い快感を求めて研究者のように#実験__・__#を繰り返してしていた。
ふたりでアダルトショップを訪れ、色々なオモチャや道具も購入した。
「これなんかどうかしら?」
「うーん、いいけどピンクよりは黒の方がいいんじゃないか?」
「それじゃあ黒で」
私たちはコンビニで商品を選ぶかのように、様々なアダルトグッズを購入した。
ホテルに入り、先程購入したばかりのグッズを枕元に並べ、大分彼女が潤って来たタイミングで、黒くて太いバイブにスキンを被せ、ゆっくりと彼女の中にそれを宛がってやった。
「痛くない?」
「んっ、あっ、大丈夫、だよ。ゆっくり、ね・・・」
バイブと留美子の淡いアンダーヘアが、履いていたパンティに押さえつけられ、雨で倒れた稲のように倒れていた。
決して使い込まれてはいないピンク色のそこは、留美子らしいものだった。
そんな美しい彼女の花園を穢すかのように進む、黒々としたバイブレーター。
「あっ・・・、はうっつ・・・」
「じゃあ、始めるよ」
「うん・・・」
私は手元のスイッチを入れ、ゆっくりとリズミカルにその出し入れに集中した。
バイブが振動し、ちょうど入り口にあたる部分で回転する、それに内蔵された真珠のようなプラスチック球。
恐る恐る小鳥の舌のように小刻みに振動するもう一方をクリトリスに当てると、留美子の声がハイトーンボイスへと変化し、バイブの音と彼女の喘ぎ声がホテルの部屋に響き渡る。
「かなりいいみたいだね?」
「んんんっ、あう、あう・・・、うううっー、あうぐっ、いや、ダメ! ん、ん、ん、はうん」
やがて留美子はカラダを硬直させた後、動かなくなってしまった。
まるで電池が切れた人形のように。
私はバイブを引き抜き、スイッチを切った。
コンドームには白濁した愛液が絡み付いていた。
私は彼女に添い寝をして肘をつき、目を閉じてビクン、ビクンと跳ねる彼女をじっと観察していた。
とても昼間、てきぱきと事務処理をこなしていた留美子には見えなかった。
それが私の優越感でもあった。
(俺は誰も知らない留美子を知っている)
ようやく強いエクスタシーから戻って来た留美子は、
「上手ね? 頭の中が真っ白になっちゃった。
でも、やっぱりこっちの方がいいかな?
生がいちばん。うふっ」
留美子の私への奉仕が始まった。
「フェラは裏筋を舐めるより、亀頭の方が感じるんだよ。特に上の方が」
「こう?」
留美子はそれを口から外すことなく言った。
「うん、いい感じ。そのまま続けて」
彼女は私の優秀で熱心な生徒だった。
「今度、旦那にしてあげなよ、喜ぶから」
「旦那の話はしないで。気が散るから」
留美子は寂しそうにそう言うと、その行為を中断し、彼女は口から私の#ジュニア__・__#を外した。
「ごめん、余計な事を言って」
「ううん、そうじゃなくて・・・。そろそろ入れて欲しい・・・」
恥じらうように留美子が言った。
「それじゃあ仰向けになってくれる? 足を開いて」
私がベッドサイドにあったコンドームを取ろうとした時、留美子はそれを制した。
「つけなくても大丈夫」
「じゃあ、外に出す?」
「ううん、中でいいよ。どうせ私、妊娠しないから」
私は再び前戯のおさらいをして、十分に潤いが増したのを見計らい、挿入を開始した。
私たちはお互いの名前を呼び合い、同時に果てた。
めくるめく快感がカラダを貫いた。
小休止の後、私はハンガーにかけてあったスーツのポケットから錠剤を取り出し、留美子にそれを見せた。
「これ、凄くいいらしいよ? 使ってみる?
銀行の支店長から貰ったんだけど?」
「危険なやつ?」
「俺も初めてなんだけど、銀行の支店長も愛人と試して良かったそうだから、大丈夫だとは思うけど」
「やってみようか? その時はその時だしね?」
「じゃあ俺が先に飲んでみて、大丈夫だったらルミもやってみることにしようか?」
「うん、そうしよう」
私はそれをビールで流し込んだ。
そしてお互いの身体を楽しみながら、10分ほどで効果が表れ始めた。
プラシーボ効果もあってなのか、ペニスへの血流が多くなり、更に硬さを増して全身の神経が鋭敏になった。
「どうやら効いてきたみたいだ」
「それじゃあ私も・・・」
留美子もそれを服用した。
留美子は数分で効果が表れ始めたようで、待ち切れないように濃密に舌を絡ませて来た。
「なんだかカラダが熱い・・・」
私たちは正常位から様々に体位を変え、最後は留美子が上になり、騎乗位のまま激しく腰を動かすと、留美子の絶叫と共に私たちは共に絶頂を迎えた。
「これって、ヤバイよね? ハアハア」
「はあ、はあ、ちょっと休憩・・・」
クタクタになった私はシャワーを浴び、帰り支度を始めた。
私たちはお互いにシャワーを浴びることはなかった。
彼女は余韻を楽しみたいからと、行為の後はそのまま下着をつけるからだ。
いつもの逢瀬が終わっても、そこに満足感はなかった。
強烈な背徳感が残るだけだった。
(俺たちが悪いんじゃない、俺たちを放置するアイツらが悪いんだ)
そう思わなければ不倫など続けることは出来ない。
私たちの身体だけの関係はしばらく続いた。
第3話
「おかえりなさい、先にお風呂でしょう?
今日はハンバーグにしたの、温めておくわね?
悪いけど先に寝るから。
明日、美緒のこと、部活に送って行かなくっちゃいけないの」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい。食べ終わったら食器はシンクにつけておいて下さいね?」
私はそのまま風呂場へ行き、湯船に体を入れた。
まだ留美子の身体の記憶が残っている。
私は留美子の中に入っていた自分のペニスに触れた。
3年前にこの家を建てた。
家を建てることで夫婦の関係も修復出来ると期待したが、駄目だった。
良子は娘の美緒の部屋で寝て、私は12帖もある広い寝室で、キングサイズの大きなベッドでひとりで寝ていた。
ある日、私は有給を消化するために、平日に家で休んだいた。
子供たちが学校に行き、ふたりだけになった時、良子を誘ってみたがいつものように拒否された。
「これからお掃除やお洗濯に食事の後片付けとか、主婦は日中は何かと忙しいのよ。
そんなにしたかったら、外でして来ればいいのに。
私が気付かないようにしてくれれば浮気しても構わないわよ。
私はあなたの相手はもう出来ないから」
その日以来、私は二度と妻を誘うことはなかった。
結婚はゴールではなく、スタートなのだ。
恋人同士だったふたりが結婚を意識すると、幸せのスピードも加速してゆく。
そして結婚への具体的な準備が始まり、やがてマリッジブルーを迎える。
それは女だけではなく、男にもある。
結婚への迷いが生じるのだ。
共に人生を歩くことへの戸惑いと不安。
本当にこの人でいいの?
この女で本当にいいのだろうか?
恋をすると何も見えなくなってしまう。
友だちや家族、職場の人などへの気遣いや見栄もある。
中には二股を掛けて付き合っていた相手ときちんと別れることが出来ず、または昔の恋人が忘れられずに恋の残り火がまだ燻っている人もいるかもしれない。
そのまま結婚式を終え、ハネムーンへ。
一緒に暮らし始めると、やがて現実が見えて来る。
料理自慢の彼女が作ってくれていたお弁当は、実はお義母さんが作ってくれていたもので、料理は苦手で嫌いだったりする。
真面目そうに見えていた彼がギャンブル依存で金銭感覚が麻痺していたり。
結婚した途端、お互いにイヤな事を無意識に始めるようになる。
休日はあれだけマメにデートに連れて行ってくれた夫は家でゴロゴロしてばかり。
奥さんの料理もレトルトやコンビニのお惣菜になったりするかもしれない。
結婚とは人生の修行なのだ。
自分の魂を磨くための修行。
すなわち結婚とは「我慢」である。忍耐なのだ。
結婚すると大抵の人は安心してしまう。気を抜いてしまうのだ。
「もう彼女は俺の物」
「彼は私だけの物」
でもそれは違う、夫婦とは花なのだ。
変わらぬ愛情を注ぎ続けなければ、夫婦という愛の花は枯れてしまう。
ドライフラワーのように干からびてしまうのだ。
緊張感のない夫婦はすべてが「当たり前」だと思ってしまう。
子供が産まれ、成長して自分たちの元を離れて行く。
残された夫婦には男女の恋愛感情は既に消え、「親しい同居人」としての老後の人生が始まる。
夫は定年を迎え、役職も消え、することもない。
仕事仕事で生きて来た夫には、これと言った趣味もなく、放ったらかしにしていた妻への執着が強まる。
妻の行くところに常に付き纏うようになる。
日中のスーパーに
「濡れ落葉」とはよく言ったものだ。
私は風呂から上がると、冷蔵庫から缶ビールを出して独りで食事を始めた。
見もしないテレビを点けて。
これがいつもの生活だった。
私はそれが普通の夫婦の生活だと諦めていた。
食べ終えた食器をシンクに沈め、歯を磨いてベッドに入った時、携帯にLINEが入った。
留美子からだった。
今日もすごくよかった
またね おやすみなさい
私もすぐに返信をした。
愛しているよ 留美子
おやすみ
携帯を枕元に置き、私は眼を閉じた。
第4話
「ねえ、アナルっていいのかなあ?」
「ルミは興味があるの?」
「ちょっとだけ」
1回戦が終わり、ベッドでのピロートークで留美子が言った。
「俺のは亀頭が大きいから、最初は痛いらしいよ。
痛いというより、苦しいって言ってたかなあ?
でもそっちの方がいいっていう女もいるけどね?
男の前立腺を刺激するような感じなのかもしれない」
「そうなの? 痛いんだ」
「太いウンチが出るから大丈夫のように思うけど、最初は痛いらしいよ。
中から出るんじゃなくて、外から入れるわけだからね?
前に一度、前立腺を攻められたことがあったけど、ウンチが出そうな気がして途中で止めてもらった。
便秘の時はいいかもね?」
「ちょっと今、便秘気味かも」
「じゃあやってみる?」
「ウンチが出ちゃったらどうしよう」
「ベッドでは拙いから、バスルームでする?
隣がすぐトイレだし」
「大丈夫かな? リョウのそれにウンチがついたらイヤだな」
「もちろんコンドームは着けるよ。ルミにもバイ菌が入ったらいけないから」
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「いいよ、痛かったら止めるからね?」
「うん」
私たちはバスルームへと移動し、エアマットを敷くと留美子を四つん這いにさせた。
「なんだか恥ずかしい・・・」
「そう? ルミの肛門、とてもキレイだけどね?」
「いやん、そんなに見ないで」
「ごめんごめん、じゃあ始めるよ」
すでにヴァギナの方は十分に潤っているようだった。
私は備え付けのローションを、衛生上問題がないことを確認した。
ローションを右手に取り、それをたっぷりと留美子の肛門に塗りつけた。
留美子の腰が引けた。
おそらく冷たかったのだろう。
ペニスにコンドームを被せ、ペニスにもローションを塗った。
これで準備は整った。
「痛かったら言うんだよ。ゆっくり入れるからね?」
「うん」
私は小さな留美子の尻に手を掛けると、まずは指でアナルをよくマッサージした。
「あう、ふーっ・・・」
「始めるよ、まずゆっくりと息を吐いて」
「ふーーーっ、ふーーーっ」
「そうその調子、じゃあ入れるよ」
亀頭の3分の1が入った時、留美子が叫んだ。
「い、痛い、痛い!」
「止めた方がいいね?」
「大丈夫、入り口さえなんとか通過すれば大丈夫だと思う」
私は笑った。
「そこまでしてやらなくても」
「どうなるのかやってみたいの」
私はさらにローションの量を増やし、ペニスにもそれを塗った。
すると先端部分の進入に成功し、根元まで挿入が完了した。
「大丈夫?」
「う、うん、はあ、はあ、なんとか・・・」
私は二穴攻めをしてあげようと、同時にバイブをヴァギナへ挿入した。
「あんあん、すごい、すごい、両方だなんて、ズルいっーーー、うん、はあはあ、いい、すごくいいの!」
ペニスはゆっくりと動かし、バイブはいつものスピードで出し入れを繰り返した。
薄い皮一枚を隔ててバイブの振動がペニスに伝わる。
「あっ、ダメ、トイレ!」
留美子は慌ててトイレに駆け込んだ。
水を流す音が聞こえる。
しばらくして、留美子がトイレから出た来た。
「どっさり出た」
「それは良かった」
「リョウはお医者さんみたいだね?」
「エロ医者だけどね?」
「はははは、そうだね?」
「アナルセックスは締め付けが強いから男にはいいけど、女はあまりやらない方がいいよ。
慣れてくると快感は高まるようだけど、肛門が緩くなって、歳を取るとオムツが早く必要になるかもしれないから」
「ホントに?」
「そういう噂もあるようだけど」
「もう、いい加減なんだからあ」
「ルミは好奇心が旺盛だからな?」
「そうしたのはあなたでしょ?」
留美子はチャーミングに笑った。
私たちのセックスはスポーツジムのインストラクターと、そのメンバーのような関係だった。
理想の快感を得るための、愛のないトレーニングとしてではあるが。
そこに旦那から相手にされない留美子の悲しみがあった。
それは私もお互い様ではあるが。
第5話
新婚当時は愛妻弁当を持って会社に行っていた。
同僚や上司からはよく冷やかされもしたものだった。
「おっ、田所の愛妻弁当はいつも凄いなあ?
カネ出すから俺の分も作ってくれるよう、美人な奥さんに頼んでくれよ」
「課長の奥さんの愛妻弁当には敵いませんよ。
また食べたいなあ、課長の奥さんのビーフシチュー」
「いつでも来いよ、女房も喜ぶから」
「ホントに行っちゃいますよ」
「私も行きたい!」
「私もいいですか?」
「じゃあ今度の土曜日、うちでバーベキューでもやるか?」
「さんせーい!」
同じ課の茜と由利子も大場課長の家に呼ばれることになった。
彼女たちも抜け目はない。下四半期の人事考課が迫っていたので課長の奥さんを味方にして、どうやら評価を上げようという魂胆らしい。
茜は私よりも3つ後輩で、由利子は5つ先輩だった。
課長の家は郊外にあるため、私たちは酒が飲めない由利子のクルマで送迎してもらうことになった。
課長の家に向かう途中、私たちは色々な話をした。
「大場課長の奥さんはね、元、うちの会社に勤めていた人なのよ。
私の5つ上の先輩」
「じゃあ相当おばさんですよね?」
「茜、ここから歩いて行くつもり?」
「冗談ですよ、係長は美熟女ですから」
「#熟__・__#は余計よ」
「ごめんなさーい。係長は美女だから」
「そう、それでよろしい。アハハハハ」
「うふふふふ」
係長の由利子は35才、旦那と小学生の女の子がいた。
「田所のところのお子さんは? 今いくつだったっけ?」
「長女が3才で、もう一人は今、女房の腹の中です」
「あらそう? それはおめでとう。予定日はいつなの?」
「再来月です。今は実家に子供を連れて里帰りしています」
「じゃあ田所さん、相当溜まってますね?」
「バカね、自分でAVでも見てやってるに決まってるでしょ。田所はまだ若いんだから。
それとも風俗?」
「えー、田所さんてムッツリなんですね? あはははは」
「あはははは」
私は苦笑いをしていた。
まだ留美子と付き合う前のことだ、当然、女が欲しいのは確かだった。
かと言って、風俗に行って性病を移されるのも拙い。
係長の言う通りだった。
課長の家に到着した。
「いらっしゃい、いつも主人がお世話になっています。
ささ、みなさんこちらへどうぞ。
炭もいい具合になっていますから、早速始めましょうか?
田所さんもお久しぶりね?」
「すみません、折角のお休みにお邪魔して。
奥さんのビーフシチューを目当てにやって来ました」
「たくさんあるからお替りしてね?」
「お言葉に甘えて来ちゃいましたー、これケーキとお花です」
「ありがとう、気を遣わせちゃったわね?
あらプモリのケーキじゃない! 私の大好物よ、それにフリージアも」
「お好きだとお聞きしたので」
「わあ、奥さん凄い美人!
いつも課長にはお世話になっています!」
「そんなお世辞はどうでもいいから、じゃあそろそろ始めるか?
そこにあるビールでもワインでも、なんでも好きなやつを飲んでくれ。
まずはTボーンステーキからいくか?
夕べから付け込んで置いたんだ、隠し味にレモンとオレガノ、それからコーラを入れてある」
「えー、コーラもですか?」
「甘味もあって肉も柔らかくなるんだよ」
「知らなかったです」
「待ってろ、直ぐに焼けるから。
少しレアな方が旨いんだが、大丈夫か?」
「お任せします」
「私は大丈夫です」
「すみません、私はウエルダンでお願いします。
お腹が弱いので」
「良し分かった、茜君はウエルダンな?」
「はい、すみません」
奥さんが大きな鍋を運んできた。
「お待ちどうさまー、リクエストのビーフシチューよ。
お口に合うかどうか? 三日前から仕込んで置いたの。
火を入れては冷蔵庫に入れて。
今回はテール肉を使ったんだけど」
課長の奥さんは自慢げにそれを皿に取り分けてくれた。
最後にニンジンやブロッコリーなどの温野菜を乗せ、生クリームを回し掛けた。
「おいしそー、いただきまーす!
すごいですこれ! たいめい軒よりも美味しいです!」
「たくさん作ったからいっぱい召し上がれ」
「はい、遠慮なく!」
「今日はお子さんは?」
「上の子は高校生で彼氏と出掛けたよ。
下の中坊は野球、家には寄り付かんよ。
子供が大きくなるのは早いぞ、今のうちにうんと可愛がってやれ。
ほら、係長と田所君の方はもう焼けたぞ」
課長は私たちの皿に肉を乗せてくれた。
「課長、ウマいです!
肉が柔らかくてとてもジューシーです!」
「そうか? どんどん食べて飲んでくれ。
そのトウモロコシとトマトは俺が育てたウチの庭で獲れた物なんだ。
食べきれなければ持って帰ってくれ。俺たち家族では食べ切れないからな?」
私たちはたくさん食べて飲んだ。
彼女たちの課長夫妻への胡麻擦りも上々だった。
「課長、奥さん。今日はたいへんごちそうになりました!
もう一週間何も食べなくても大丈夫です!
どこかの美食レストランで食事をしたみたいでした!
こんなご馳走、食べたことありません!」
課長夫婦はお世辞だとは分かっていても、とても満足そうだった。
「また遊びに来てね?」
「そんなこと言うと、泊まっていっちゃいますよ」
「部屋はたくさんあるからな? 今度はみんなで泊りがけで来るといい」
「では、その時はよろしくお願いします」
「奥さんとお話が出来て、とても楽しかったです」
「ごちそうになりました。では失礼します」
「気を付けてな?」
「また来て下さいね?」
「はーい!」
私たちはたくさんの野菜と酒、そして奥さんの手作りだというジャムを各々いただいて帰途に就いた。
帰りの車中で茜がすぐに眠ってしまった。
バックミラーで係長がそれを確認すると、
「茜は子供みたいね? もう寝ちゃったの?」
「そうみたいです。
課長の家では凄く気を遣っていましたからね? 彼女」
「まずは茜の家ね? それから田所んちでいいかしら?」
「すみません、遠回りさせてしまって」
茜のマンションに着いた。
「茜、着いたわよ」
「えっ、あっすみません。私、寝ちゃってた。
今日はありがとうございました。
また、月曜日からよろしくです」
「じゃあな?」
「お気を付けて」
茜を降ろし、由利子は私の家に向かってクルマを走らせた。
「疲れたわねー? 課長の夫婦は完璧過ぎて疲れちゃった。
あれが理想の夫婦なのかしら? ウチとは大違いだわ」
「係長のご夫婦は、今でもラブラブなんでしょう?」
「もう5年もレスよ」
「こんなに素敵な奥さんを抱かないなんて、勿体ないなあ」
「あなたなら抱いてくれるの?」
「喜んで、アハハハハ」
私は多少、お道化てみせた。
係長が本気で言っているのではないと思ったからだ。
すると由利子のハンドルを握っていた左手が、私の股間にやさしく置かれた。
「ごめんなさい、シフトレバーと間違えちゃった」
その日、私と係長はラブホに入り、お互いの性欲をぶつけ合った。
由利子の下着は黒。
どうやら彼女の今日の本当の目的は、始めから私だったようだ。
第6話
「こんなにイカされたの、初めて。もう喉がカラカラ」
「冷たいジャスミン茶で良ければ、持って来ますよ」
「田所ってそういうところがニクイのよね?
男のくせにさりげないやさしさがある、夫とは大違いだわ」
「そうですか?」
「奥さんはしあわせね? いつもこんなに愛されて」
「どうでしょう? 結婚すると女は変わりますからね?」
「男もね。
というより、男が冷たくなるから女もそっけなくなるんじゃないのかしら?
釣った魚にエサはやらないみたいな」
「僕はあげ過ぎたのかもしれません」
「羨ましいわ、うちの旦那なんか、もうキスもしてくれないのよ」
「うまくいきませんね? 男と女って」
「ホントね? 私たちはいい相性なのに。
なんだかんだ言ってもさあ、カラダの相性が良くないと夫婦は長続きはしないわ」
私は話題を変えた。
「係長も凄く良かったですよ。お世辞じゃなく、本当に20代後半のカラダですよ」
「オッパイは小さいけどね?」
「僕は小さい方が好きです、敏感だから」
「田所はエッチなんだからあ。
うちのひとなんか、結婚する前でもクンニリングスなんて一度もしてくれなかったのよ? 信じられる?
私には散々しゃぶらせておいて」
「だから係長はフェラが上手なんですね?」
「そう? なら良かった。
あなたも凄く上手だったわよ、あれだけで軽く2,3回イッちゃったもの」
「凄く濡れてましたよ、ビショビショでした」
「だって久しぶりだったんだもん」
そう言って、係長は私に身を寄せ、戦線を離脱してぐったりしているペニスに触れた。
「何で結婚なんかしたんだろう? 私」
「旦那さんのことが好きだったからじゃないんですか?」
「おそらくね? でも今はその記憶がないの。
別れるのも面倒だし、それに子供もいるしね?」
私は由利子の乳首を舌先で転がし始めた。
「あっ、またするの? 帰れなく、なっちゃうじゃない・・・」
「だって係長が悪いんですよ、僕のを触って#起こす__・__#から」
「硬くなって、来たわよ。んっ、はううっ・・・」
滑らかな白い肌に美しい小顔。淫らに濡れる唇に潤んだ瞳。
私は夢中で由利子と舌を絡め、乳首を抓んだ。
「お願いもっと強く!」
「こんなカンジですか?」
私は彼女の耳元で囁くように息を吹きかけ、舌で耳を
「ダメ、耳は、弱、い、の、うっ、はう」
「じゃあここはどうです?」
私は彼女の膝を舐めた。
「いやんっ、くすぐったい!」
「くすぐったいということは、性感帯になりうるということですよ、係長」
そしてそのまま爪先へと移動し、小さな5本の指をすべて口に含むと、ねっとりと舐めた。
今度の係長の反応はかなりいいものだった。
「き、汚い、わよ、はあ、ううんっ・・・、あうあう、んーー、はあっ」
「そろそろ、インサートしますね?」
「また外に出してね? まだ生理はあるから」
「どこがいいですか?」
「本当は中に出して欲しいけど、お顔に出して頂戴」
「いいんですか? じゃあちょっと待って下さいね? 準備しますから」
私は由利子の口と鼻だけを出して、目や髪をタオルで覆った。
「これで大丈夫です。
眼に入ったり、髪に付着すると大変ですからね?」
「随分慣れているのね?」
「男のマナーですよ。会社のマナー研修で習いました」
「ばか・・・」
十分に潤んだ蜜口に男根を挿入し、ピストン運動を始めた。
ズブブ ヌチャ ズブブ
「あっ、ごめん、なさい、出ちゃう、出そう!」
ブシュ
由利子が潮を吹いた。
とても温かいお湯のような感触が伝わる。
私は由利子よりも先にイッてしまいそうになり、慌ててそれを抜き取り、彼女の顔に精液を掛けようとした。
「お口に、お口にちょうだい! 飲んであげる!」
私は予定を変更し、係長の口の中にそれを放出した。
涎と一緒にゴクリ、ゴクリとそれを飲み干す由利子。
由利子は体を海老のように反らせると、少し遅れてエクスタシーが押し寄せたようで、ビクンビクンとカラダを震わせていた。
「すいません、飲んでもらっちゃって」
「なんだか飲みたくなっちゃったの、田所の精子」
「ありがとうございます」
そして由利子は体を起こして言った。
「これで最後にしましょう。このまま続けると、本気で田所を好きになりそうだから」
「わかりました」
私たちはきつく抱き合った。
私の肩に由利子の涙が落ちた。
由利子は泣いていたのだ。
それ以来、私たちは何事もなかったかのように普通に接した。
半年が過ぎた頃、係長が離婚したらしいと茜から聞いた。
おそらく彼女は、私を道連れにするのを躊躇ったのかもしれない。
由利子は女房と子供たちから私を奪うことを断念したのだった。
由利子はそんな大人の女だった。
私は本当に愛されていた。
第7話
ホテルを出て、その日は留美子と食事をすることにした。
「めずらしいわね? 食事に誘ってくれるなんて」
「何が食べたい?」
「焼鳥にビールかな?」
「少し並ぶかもしれないけど、いい店があるんだ。そこにしようか?」
「任せるわ」
私は留美子のバッグを持ち、手を繋いで繁華街を一緒に歩いた。
温かくて小さい手だった。
カラダの関係はあっても、留美子の手に触れることはあまりなかった。
留美子とのセックスだけの関係を続けるのにはもう限界に来ていた。
彼女が時折見せる寂しくて哀しそうな横顔を見る度に、私は胸が締め付けられる思いがした。
私は留美子を本気で愛してしまいそうになっていた。
私は良子との離婚を考え始めていた。
妻の良子から愛されていない自分、やがては家を巣立って行く子供たち。
父の日が軽ろんじられるように、子供にとって父親の存在は希薄だ。
つまり家族にとっての私は経済的な支えであれば事が足りるということになる。
そして留美子たち夫婦には子供がいない。
不倫と浮気は違う。
浮気とは遊びであり、短い期間で消滅するものだ。
「ほんの出来心でした、ごめんなさい」
男の性と女の性とは根本的に異なる。
何が?
男は常に新鮮な精子が必要で、古い物を外へ放出したがり、そして自分の子孫を残したいという欲求に駆られている。
女はそれを受け入れるべく、生理が来て排卵が起きる。
男も女もお互いの性を理解できない男女は多い。
それは本当の性の快感を知らないことにも起因する。
英雄 色を好む
ナポレオンはチーズの匂いを嗅いで「おお、ジョセフィーヌ!」と遠征の地で言ったそうだが、命がけの任務に当っている男は、自分の遺伝子を残したい意欲が強くなる。
医者や弁護士、政治家や経営者、芸能人や警察、ヤクザなどの命に係わるギリギリの中で生きている人間には複数の愛人が存在することが多い。
トップアスリートなどの、戦いの中で気持ちが高揚している人間も同じで、選手村等ではコンドームが支給されているという。
女は誰彼構わず体を許すわけではない。
特に日本人女性の場合は欧米人女性と比べ、「
そこへ至るまでのプロセス、ストーリーと大儀名分が必要なのだ。
相手に自分を捧げるための自分を納得させる理由が。
それなら抱かれてあげても仕方がないわね
「まずは食事して、それからホテルでしょう?」
そう、彼女たちはセックスがしたいのではなく、「恋愛」がしたいのだ。
韓流ドラマに人気があるのは、そういう部分が割愛され、美しい恋愛の心情だけが描写されているところにある。
それが悪いとは言わない。
「ホテルが先なんて信じらんない、私はそんな淫らな女じゃないわ」
それならそういう男と付き合えばいい。
草食系と呼ばれる男と。
充実した性生活は生活の一部なのだ。
食欲、睡眠欲、性欲。
それが人間の三大欲求だからだ。
では不倫とは何だ?
「奥さんや子供もいるのに、そんなことをするなんて許せない! 裏切りよ!」
結婚はお互いの妥協の上に成り立っている。
そこには「家族なんだからやって当然」という甘えがあると私は思う。
妻は夫に対して無意識に「働いて当然」「家にお金を入れて当然」「残業してくれて当然」だと思い、夫は妻に「家事をして当然」「育児をして当然」「旦那の性処理をして当然」だと考える。
それは夫婦ではない。ただの他人同士の同居生活だ。
人は愛するために生まれた。
出会いも別れもある。そしてその中に学びがあるのだ。
「いい女だなあ。いいケツしてるなあ」
「素敵な人、抱かれてみたい」
結婚している人間がそう思った段階でそれは「不倫」だ。
キスをしたら、食事をしたら、セックスをしたらと浮気の基準は様々だろう。
だが私は思う、そういう感情が湧いたらそれは不倫なのだと。
「倫理にあらず」
案の定店は満席で、私たちは30分ほど外で待たされた。
「すごく繁盛しているのね?」
「素材はもちろん、備長炭にも拘っているオヤジなんだ。
そしてタレが違うんだよ。四国で作られているらしい」
「タレだけを?」
「そうみたいだよ。それにここの焼鳥は冷めにくい。
カウンターに電熱ヒーターの付いた鉄板が敷いてあり、そこに焼鳥を置く仕組みになっているんだ」
「へえー、冷めた焼鳥とピザは美味しくないもんね?」
ようやく入店することが出来た。
「何がいい?」
「シュウに任せる」
「なんでもルミはお任せなんだね?」
「だってあなたに任せておけばハズレはないもの」
そう言う彼女に私は見惚れた。
留美子はいい女だと思う。
聡明で美しく、乳房も小さくスレンダーで、すっかり床上手にもなっていた。
何より彼女との会話がラクで楽しいものだった。
お互いの体を知り尽くした私たちは、何でも話すことが出来た。
親や友だち、そしてお互いの配偶者にも言えないことも私たちは話すことが出来た。
「じゃあとりあえずナマを2つと若鳥と純鶏、シロと皮、それからレバーをタレで5本ずつ下さい、あとキュウリとトマトも」
「あいよ!」
留美子はよろこんでいた。
「すごく美味しい! こんな美味しい焼鳥を食べたのは初めて!」
「それは良かった。
ルミ、俺と一緒に暮らさないか?」
「・・・」
「もう限界なんだ、君を本気で愛してしまった」
「・・・」
「お互いに離婚しよう、そして・・・」
留美子は食べかけの焼鳥を静かに置いた。
「それは駄目、出来ない」
「どうして!」
「私は初めからあなたを愛していたから」
「・・・」
「出来ないの、あなたが好きだから。
誰よりもあなたが好きだから・・・」
「俺は留美子が・・・」
「別れましょう、私たち。
決めていたの、あなたからそう言われた時がさよならの時だって」
「留美子・・・」
「楽しかったわ、今まで本当にありがとう、シュウ・・・」
カウンターにポタポタと私と留美子の泪が落ちた。
それは不倫ではなく、純愛の泪だった。
そして私たちはお互いの夫や妻に知られることもなく、お互いに愛した記憶を葬むり去ることにした。
第8話
留美子と別れて25年の歳月が過ぎ、私は今年還暦を迎えた。
今はこうして夕食に天ぷら蕎麦を食べながら夫婦の会話もなく、テレビの音がその夫婦の溝を埋めていた。
老人とは恋愛を忘れた者をいう。
その意味においても私は既に老人だった。
あの日から幾度かの浮気はしたが、家族を捨てるような恋愛には発展しなかった。
私の恋愛はあの時で止まり、女を愛する感情は消え失せていた。
さっきの激しい夕立は、まるでカーテンコールの拍手のような
私の携帯が鳴った。
私はダイニングを離れ、ソファーテーブルの上に置いていたスマホへと移動した。
私はその着信ディスプレイを見て驚愕した。
その電話の着信は留美子からだったからだ。
私は留美子の携帯番号をずっと消去することが出来ないままでいた。
それはまだ留美子への未練があったからだ。
(留美子、何があった?)
良子が近くにいることに一瞬躊躇したが、すぐに私は電話に出た。
一刻の猶予もならないと判断したからだ。
「もしもし!」
「田所さんの携帯で間違いないでしょうか?」
それは見知らぬ男の声だった。
私は咄嗟にそれが留美子の旦那の声だと察知した。
頭の中が真っ白になった。
「・・・はい、田所ですがどちら様ですか?」
私は念のため確認を取ろうとした。
「宗像留美子の夫です」
私は背筋が凍った。
「近くに誰かいらっしゃいますか?」
「ええ、家の者がおります」
「そうですか? では「はい、いいえ」でお答え下さい」
「はい」
「留美子は今、入院していましてもう永くはないようです。
もし可能でしたら、一度、妻に会いに来てもらえませんか?」
「・・・はい」
「ではショートメールで病院の住所と電話番号、病室をお伝えします。
それでよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
「では、失礼します」
良子が食事を中断し、私に訊ねた。
「誰から?」
「昔の仕事仲間が入院したらしい、これから見舞いに行って来る」
「そう」
短い電話だったこともあり、良子はそれ以上詮索することもなく食事を続けた。
すぐにショートメールが届き、そこには病院の住所と電話番号、そして病室の部屋番号が事務的に並んでいた。
(留美子が死ぬ? なぜだ? 俺よりも先に? どうして?)
いろんな疑問が頭の中に
私は電気カミソリで無精髭を剃り、スーツに着替えて留美子のいる病院へと急いだ。
病室に着くと、ベッドで点滴をして酸素マスクをしている留美子と、白髪の初老の紳士がいた。
「田所さんですね?」
「はい」
「どうぞ妻を見舞ってやって下さい」
そう言うと宗像さんは席を立ち、病室を出て行った。
「ルミ・・・」
「ごめんなさいね? 夫が、どうしてもと、言う、ものだから・・・。はあはあ」
留美子は息も絶え絶えに言った。
毛布を掛けられた留美子の体がとても薄く感じた。
人間は死期が近づくと体が薄くなる。
留美子は本当に死ぬというのか?
私にはそれを受け止めるだけの心の準備が出来ていなかった。
私は泣きながら留美子の手を握った。
その手はまるで老婆の手のようだった。
「ごめん、ごめんなルミ・・・」
私は自分の立場もわきまえずに泣き続けた。
その嗚咽は廊下にまで響いていたはずだ。
「よかった・・・、最期にリョウに会えて・・・」
「最期、だなんて、言うな・・・、よ・・・」
「バチガ・・・、当たった、のね? 私は夫も、そしてあなたの、家族も、裏切った、から・・・」
「だったらその罰は、その罰は俺が受ける、べき、じゃないか!」
留美子は首を横に振って、私の手を力なく握った。
「あの日、あなたは、すべてを・・・、捨てて、私を・・・、私を、求めてくれた・・・。
とても、うれし、かった、わ・・・。
でも、出来な、かった・・・、それを、受ける、わけにはい、かな、かった、の・・・。
ごめん、なさい、ね・・・」
「ごめん、留美子。もっと、もっと早く、それを言っていればよかった・・・、俺には、勇気が、なかったんだ・・・。
俺は、俺は卑怯者だよ・・・うううう」
「とても・・・、楽しかったわ、ありがとう・・・、リョウ・・・。
しあわせに、なってね・・・、さよう・・・」
「ルミ、留美子ーーーーーーー!」
私はナースコールを狂ったように何度も押した。
医師や看護師がすぐに駆け付け、蘇生を試みたが無駄だった。
そこに宗像さんの姿は無かった。
私は葬儀には出なかった。
四十九日が過ぎ、夫の宗像さんから納骨に誘われた。
小雨の降る中、読経が始まった。
墓には私と宗像さん、そして導師様だけの参列だった。
「これで妻とはお別れです。
私も、そしてあなたも」
私たちは傘も差さずにその光景を眺めていた。
私の、私たちの愛した留美子は、こんな小さな遺骨となって墓の中に納まってしまった。
不思議と私たちに泪は出なかった。
最終話
私たちは留美子の墓に手を合わせ、墓地の駐車場へと歩いていった。
私たちは傘も差さずに雨に濡れていた。
「では、これで失礼します」
と、私がクルマのドアに手を掛けた時、宗像さんに襟首を捕まれ、いきなり殴られた。
私がよろけてアスファルトの微かな水溜まりに倒れると、宗像さんは言った。
「立て! よくも俺の、俺の女房を!」
私が再び立ち上がると、また殴られた。
私は抵抗しなかった。
抵抗出来るワケがなかった。
私はこのまま、留美子の夫に殴り殺されてもいいとさえ思った。
「どうぞ気が済むまで私を殴って下さい」
そしてまた1発、2発と殴られ、そして宗像さんの手が止まった。
「すまない、私にあなたを殴る資格なんてない・・・」
宗像さんは泣いていた。
「だが、殴らずにいられなかった。
留美子はあなたと不倫している時、私に「別れてくれ」と言った。
だが私はそれに応じなかった。
なぜだかわかるか? お前たちだけ、お前たちだけをしあわせにしたくなかったからだ!
俺は留美子に言った。
もし、どうしても離婚したいというのなら、俺は相手の家族にこの事実をぶちまけ、慰謝料を請求すると言ったんだ。
するとどうだ? 女房は、留美子はそれを撤回した。
お前の家族とお前を守るために!
それだけ妻は、お前のことを愛していたんだ!
お前に俺の気持ちが分かるか?
愛されない夫の気持ちが! うううううっ」
「・・・」
私はその場に倒れ、大の字になって灰色の空から落ちて来る雨を見ていた。
宗像さんはそのままクルマに乗って去って行った。
次第に遠くなっていく彼のクルマの音。私はしばらくの間、起き上がることが出来なかった。
どうやら旦那は留美子を愛していたようだった。
だから最期に私たちを会わせてくれたのだろう。
留美子の最期の願いを叶えてやるために。
私は泣いた。自分の愚かさと、留美子がいなくなった悲しみに。
家に帰ると妻の良子が私の腫れた顔を見て笑った。
「人の奥さんに手を出すからよ、バッカみたい、いい気味だわ。アハハハハ」
「知っていたのか?」
「ずっと前からね?」
「離婚、してくれ。俺はお前を裏切っていたんだ・・・」
「イヤよ、一生償わせてあげるんだから。
なーんてね? あなたをそこまで追い込んだのは私だもんね?
でも私は謝らないわよ、私は不倫されたあなたの妻だから。
私ね? あなたのことが怖かったの、いつもイライラしてばかりで。
だから抱かれる気もなくなっちゃったの。
愛していたし、感謝もしていた。
でも、どうしてもカラダがあなたを受け付けなかったの・・・。ごめんなさい」
そう言って良子も泣いた。
私は妻に両手をついて土下座をした。
その光景をどこかで留美子が見て笑っているような気がした。
苦しんでいたのは私と留美子だけではなかったのだ。
留美子の夫も、そして妻の良子もみんな、苦しみ悲しんでいた。
不倫とは、そういうことなのだと知った。
「もういいからお風呂に入って来たら?
そうだ、たまには一緒に入ろうか? 背中を流しっこしようよ」
そう言って妻は笑った。
『風のレクイエム』 完
【完結】風のレクイエム(作品230729) 菊池昭仁 @landfall0810
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