肆 他者像幻視 その一
最後を務めさせていただきます。
故あって、名前は伏せさせていただきます。
また、このように目隠しをしていること、子連れであることの不調法につきましても、予めお詫び申し上げます。
訳は追々、ご理解いただけるものと存じます。
さて、今宵私から皆様にお話しさせて頂きますのは、世に謂う<ドッペルゲンガー>なる物に纏わるお話でございます。
皆さまは、<ドッペルゲンガー>と謂う物について、お聞きになったことが、お在りでしょうか?
そうです。自分と生き写しの幻視、生霊の類です。
<自己像幻視>などと呼ばれるそうですね。
そして自分の<ドッペルゲンガー>に出会えば、必ず死に至るという、不吉な現象のことです。
何故このように、既に世間に流布している怪奇現象について、わざわざこのような場を借りてお話しするかという理由につきましても、追々、ご理解いただけるものと存じます。
それが始まりましたのは、今から丁度一年前のことでした。
息子が五歳になったばかりの頃です。
その時私は、息子を幼稚園に迎えに行った帰りでした。
自宅に向かう道を歩いていると、突然この子が、私の背後を指さして言ったのです。
「その人だあれ?」
しかし私たちの後ろには誰も歩いておらず、人の気配はありませんでした。
不審に思った私は、息子に尋ねました。
「誰か見えるの?」
すると息子は、同じ方向を指さしながら、駄々を捏ねるように言ったのです。
「あそこに立ってる人。あの人だあれ?」
しかし息子の指さす先には、誰もいません。
私は少し薄気味悪くなって、息子を傍に引き寄せました。
すると突然息子が大声で言ったのです。
「あ、パパだ」
「えっ?パパがいるの?どこに?」
驚いて私が問い詰めると、息子は不思議そうな顔で私を見上げました。
「あそこにパパがいるよ。あれ?もういなくなっちゃった」
息子はそう言うと、また不思議そうな顔をしたのです。
私は何だか訳が分からないまま、息子を連れて帰宅しました。
その時でした。
夫の会社の人事の方から、私の携帯に電話が入ったのです。
その方のお話では、夫が仕事中に急に苦しみだし、救急搬送されたというのです。
驚いた私は、取るものも取り敢えず、夫が搬送された病院に駆け付けました。
しかし手遅れでした。
既に夫は、急性の心不全を起こし、亡くなっていたのです。
心不全の原因は不明でした。
特に前兆もなかったですし、夫の職場環境も、過労死するようなものではなかったのです。
五歳の子供と二人取り残された私は、文字通り呆然としてしまいました。
義父母や夫の会社の方々の力を借りて、何とか通夜葬式は済ますことが出来ましたが、その先どう生きて行けばよいのか、途方に暮れてしまったのです。
遺族年金を受け取ることは出来ましたが、僅かなものでした。
私は生活のために、近所のスーパーに、パートに出ることにしたのです。
スーパーの仕事は、慣れないせいもあって、かなりきつかったです。
加えて、少し意地の悪い先輩の方が一人いて、かなりストレスが溜まってしまいました。
そんなある日曜日のことでした。
息子の幼稚園がないので、日曜日はパートのシフトは、入れないようにしていたのです。
そのことで、例の意地悪な先輩から、嫌味を言われたりしたのですが。
天気が良かったので、息子を公園に連れて行ったのです。
公園で幼稚園の友達と偶々会ったので、その子と遊んでいる息子をベンチで見守っていました。
私はその間中も、パート先の意地悪な先輩のことを考えて、むしゃくしゃしていました。
すると息子が突然遊びを止め、私の方に走って来たのです。
「ママ。その人だあれ?」
息子は私の背後を指さして言いました。
私は息子の指す方を振り向きましたが、そこには誰もいませんでした。
「そのおばさん、だあれ?」
息子の言葉に、私は後ろをもう一度見直しましたが、やはり誰もいません。
「あ、いなくなっちゃった」
息子はそう言うと、また友達の方に戻って、遊び始めたのです。
私は訳が分からず、楽しそうに遊ぶ息子を、呆然と見ていました。
翌日、私がパートに行くと、職場がざわついていました。
あの意地悪な先輩が、前日に急死していたのです。
それを聞いた私は、思わず夫のことを思い出しました。
昨日の状況が、夫が亡くなった時と、全く同じだと気付いたかからです。
その日帰宅した私は、息子に問い質しました。
「昨日公園で、ママの後ろに誰か立っていたの?」
「うん。知らないおばさん」
息子は怪訝そうな表情で答えました。
「そのおばさん、どんな人だった?」
「最初は顔がなかったけど、ママに訊いたら、おばさんの顔になった」
それを聞いた私は、言葉を失くしました。
確かに昨日、息子に「だあれ?」と訊かれた時に、パートの先輩の顔が、頭を
そして夫が亡くなった時のことも思い出しました。
あの時息子に、「だあれ」と訊かれた時、一瞬夫の顔が過ったような気がしたのです。
その時私の頭に、以前何かで読んだ、<ドッペルゲンガー>という言葉が浮かびました。
そして思ったのです。
息子は、他人の<ドッペルガンガー>を見ているのではないかと。
その<ドッペルゲンガー>は最初顔を持っておらず、息子が私に、「だあれ」と訊いた時に、最初に私の頭に浮かんだ顔が、<ドッペルゲンガー>に貼り付くのではないかと。
私は不思議そうな顔で私を見る息子が、とんでもない怪物に見えてきたのです。
そして事態は、それで終わりませんでした。
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