肆 他者像幻視 その二
夫の死後、夫の母が、私たち親子の生活に色々と口を出すようになりました。
夫の生前は、あまり干渉してこなかったのですが、彼の死によって、
もちろん孫を心配してのことだというのは、重々承知なのですが、あまりに干渉が過ぎると、こちらもウンザリしてしまいます。
パートのストレスと重なって、私は徐々に義母を憎むようになっていました。
そして息子がまた、あの言葉を発したのです。
「ママ。その人だあれ?」
その時私は、義母の顔を思い浮かべたことを、はっきりと認識していました。
しまった――と思った時は、手遅れでした。
「あ、ばあば」と、息子が言ったのです。
その後義母の<ドッペルゲンガー>は、すぐに消えてしまったようです。
後はどうなったか、もうお分かりですよね。
そうなんです。
その日義母は、急に心臓発作を起こして、亡くなってしまったのです。
私は、心底震えあがりました。
だって、そうじゃないですか。
息子に誰かと訊かれて、反射的に人の顔を思い浮かべないことなんて、出来る筈もないのですから。
そして私は、原因が自分にあるのではないかと思ったのです。
つまり私が誰かを憎むと、息子の前に<ドッペルゲンガー>が現れて、その人を死に至らしめるのではないかと。
確かに<ドッペルゲンガー>が現れた時、私はパートの先輩や義母に対して憎しみを抱いていました。
しかし、夫の場合はどうでしょう?
もちろん夫婦生活の中では、些細な諍いは避けて通れませんが、当時夫に対して、憎しみを抱いていた覚えはありません。
それとも、それは表面上のことで、心の奥底では夫を憎んでいたのでしょうか。
そんなことを考え始めると、私は頭がおかしくなりそうでした。
そして何とか、息子が<ドッペルゲンガー>を見なくて済むような方法はないかと、色々と調べてみたのですが、そんな都合の良いものは見つかりませんでした。
そして私は、考えあぐねた挙句に、息子と一つの約束をしたのです。
「ママの後ろに誰か見えても、すぐに消えてしまう人だから、『だあれ?』って、ママに訊かないようにしてね。約束よ」
私にそう言われた息子は、きょとんとした表情を浮かべましたが、根が素直な子ですので、すぐに約束してくれました。
それから暫くの間、息子は私に「後ろの人はだあれ?」と訊かなくなりました。
時々私の背後を気にしている素振りを見せたのですが、約束は守ってくれました。
そのことが少し不憫ではあったのですが、そういう素振りを見せた時は、違うことに興味を引いて、誤魔化すようにしていました。
やがて息子が成長すれば、<ドッペルゲンガー>を見なくなるのではないかと、淡い期待を胸に抱いていたのです。
しかし、その期待が粉々に打ち砕かれる日が来たのです。
その日私は、息子と二人で、久々の外食に出掛けていました。
大好きなお店のハンバーグを食べた息子は、とても上機嫌でした。
幸せそうな息子を見る、私の顔も自然と緩んでいたのでしょう。
思えば、息子が<ドッペルゲンガー>を見るようになって以来、私は常に思い悩んで、険しい顔をしていたのかも知れません。
私のそんな顔を見て安心したのか、息子が言い出したのです。
「ママの後ろの人、いっぱい増えてるけど、大丈夫?」
その言葉を聞いた私は、自分の顔が引き攣るのを、ありありと感じました。
そして反射的に息子の口を塞ごうとしたのですが、手遅れでした。
「その人たち、だあれ?」
その瞬間私の脳裏に、様々な人の顔が浮かんでいったのだと思います。
私との約束を破ったと気づいて、息子は涙を浮かべて謝りました。
「ママ。ごめんなさい。もう言わないよ」
その言葉を聞いて私は悟ったのです。
息子が一度見た<ドッペルゲンガー>は、顔を得るまで消えないのだと。
そして私の背後で増え続けるのだと。
そのことが、幼い息子に多大なストレスを与えていたのです。
だからあの日、息子は我慢しきれずに、「だあれ?」と訊いてしまったのでしょう。
翌日になって私は、様々な人の死を知ることになりました。
それは私の父であり、知人であり、かつての友人でした。
もしかしたら、急死された若手ミュージシャンの方も、そうだったかも知れません。
その後も、息子は時々、どなたかの<ドッペルゲンガー>を見ています。
あれ以来、息子に「だあれ?」と訊くことを禁じることは、止めております。
いつか息子が、<ドッペルゲンガー>を見ることはなくなるのでしょうか。
あるいは、私の<ドッペルゲンガー>を見ることがあるのでしょうか。
そんなことを思いながら、日々静かに暮らしております。
私の話は、ここまでとさせて頂きます。
本日私が目隠しをしておりますのは、万が一にも私が皆様のご尊顔を拝見して、息子がその<ドッペルゲンガー>を見ないようにとの、執事様のご配慮です。
何卒ご了解下さいませ。
了
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