夜光

 潮風市中心部 路地裏


 夜の帳が下りた街は、政府からの節電呼びかけもあって、いつも以上に深い闇に包まれていた。煌々と輝いていたはずのネオンサインは消え、街灯もまばらにしか点灯していない。人通りはほとんどなく、時折聞こえるのは、どこかの家の窓から漏れるテレビの音や、遠吠えのような風の音だけだった。

 そんな静寂に包まれた路地裏に、一人の少女がふわりと降り立った。まるで月の光を浴びて輝く水面のような美しい銀髪と、吸い込まれそうなほど綺麗な紫色の瞳を持つ少女は、周囲の闇とは対照的に、まばゆいばかりの光を放っていた。

 少女は、サロペットのポケットから何本かのスプレー缶を取り出すと、壁に向かって何かを描き始めた。シュッシュッという音が静寂を切り裂き、闇の中に白い線が浮かび上がる。少女の手は、まるで踊るように軽やかに動き、やがて一つの絵が完成した。

 それは、翼を広げた鳳凰だった。漆黒の闇を背景に、鮮やかな色彩で描かれた鳳凰は、力強く、そして神々しい。

 その姿は、まるでこの暗闇を照らし、光を取り戻す希望の象徴のようだった。

「~♪」

 少女は完成した絵を見て満足そうに微笑んだ。そして、鼻歌を歌いながらその場を後にしようとする。

 だが、そこに酔っ払いの男がやってきた。

「なんだぁ、こんな時間にぃ」

 呂律の回らない口調で話しかけてきた男は、フラフラとおぼつかない足取りだった。少女は面倒くさそうに男を見た後、何事もなかったかのように再び歩き出す。

「ちょっと待てよぉ」

 男は、少女を掴もうとする。だが、その手は空を切った。

「あれぇ? 幻覚かぁ」

 男は、少女を掴もうとした手をぼーっと見つめながら、そんなことを呟いた。

 そして、そのままフラフラと歩き去ろうとするが、ある壁を見てその動きは止まる。

「おお、おおお!」

 そこには、少女の書いた鳳凰があった。

「こいつはぁ、いい!」

 男は、そのアートを見ながら大げさに手を叩く。

 その酔っ払いの男は、自分こそが後にSNSを騒がせるストリートアーティスト「ミライ」の最初の鑑賞者であることを知る由もなかった。



 首相官邸近く 高級料亭の一室


「総理、このままだと本当に食糧危機になりかねないぞ」

 農林水産大臣の言葉に、総理は重々しく頷いた。窓の外は、太陽の光が届かない薄紫色の空。その不気味な光が、部屋の中にまで暗い影を落としている。

「備蓄米の解放は、一時的な効果しかありません。すでに各地で買い占めや転売が横行し、価格高騰に拍車がかかっています」

 経済産業大臣が、料理に伸ばす箸を止め。深刻な表情で報告書をテーブルに置いた。

「このままでは、国民生活が破綻してしまう……早急に物価統制を敷くべきではないか?」

 総理の政友でもある財務大臣が、強い口調で訴えた。しかし、閣内で比較的総理と距離の遠い法務大臣は首を横に振った。

「物価統制は、自由経済の原則に反します。市場メカニズムを歪め、かえって供給不足を招く恐れもあります」

「しかし、このままでは国民が餓死してしまう!」

 財務大臣は、声を荒げた。

「落ち着いてください。私たちは、冷静に議論しなければなりません」

 総理は、両手を挙げて二人を制止した。彼の額には、深い皺が刻まれている。

「物価統制は、確かに有効な手段かもしれない。しかし、その副作用も考慮しなければなりません。国民生活への影響、企業への負担、そして我が党への批判……」

 総理は、一つ一つ問題点を挙げながら、慎重に言葉を選んだ。

「しかし、総理。このままでは、国民は……」

 財務大臣が、再び口を開こうとしたが、総理はそれを遮った。

「分かっている。しかし、性急な判断は避けなければならん。国民の生活を守るためにも、慎重に検討を重ねる必要がある」

 総理は、深く息を吐き、窓の外を見た。薄暗い空を見つめながら、彼は、この国の未来と、おそらく暗い自身の未来を案じていた。



 潮風学園 生徒会室


「んんー」

 生徒会室の椅子に深く腰掛けていたシホは、大きく伸びをした。書類の山と格闘し、ようやく緊急時の備品チェックリストが完成したのだ。

「あら、お疲れですか、生徒会長?」

 アヤノが、シホの肩を揉みながら、にこやかに話しかけた。

「ふふ、そんなことしても、生徒会長にはなれないわよ」

 シホは、アヤノのマッサージを受けながら、からかうように言った。

「別に、そういうんじゃなくて、普通に心配してるのよ」

 アヤノは、笑って手を止めた。

 シホは、アヤノの言葉に少しだけ心が温かくなるのを感じた。普段はライバル関係にある二人だが、この異常事態の中で、自然と協力し合うようになっていた。

「まあでも、ようやく備品のチェックリストができたわね」

 シホは、机の上に置かれた分厚い書類の山を見つめながら、安堵の息を吐いた。

「これで、本当にここが避難所として使えるようになるわけですね」

 アヤノは、まだどこか現実感がない様子で呟いた。

「分からないわ。でも、ニュースでも食料不足が深刻化しているって報じてるし、この備蓄が役に立つ日は必ず来ると思う」

 シホは、真剣な表情で答えた。

「そうですね……でも、余計な争いがおきなければいいですけどね」

 アヤノは、不安げな表情で窓の外を見た。薄暗い空の下、人々は不安を抱えながら、それぞれの生活を送っていた。

「そうね……私たちにできることは、できる限りの準備をすることだけ。あとは、祈るしかないわ」

 シホは、アヤノのほっぺたを指でつつきながら、優しい表情で言った。

「もう、生徒会長ったら」

 アヤノは、頬を膨らませて抗議したが、その顔には笑顔が浮かんでいた。

 それは、お互いの不安を隠すための笑顔だった。



 カフェ 「翠嵐」


「承知いたしました、品物が入ったらご連絡ください。では、失礼いたします」

 リカは、受話器をそっと置き、深くため息をついた。

「またダメだった……」

 アキは、リカの表情を見て、心配そうに声をかけた。

「コーヒー豆なら、まだありますよ! それに、太陽が戻ればすぐにこんな状況変わりますって!」

 アキは、根拠のない励ましをしながらも、リカの肩を優しく叩いた。

「そうね、アキちゃんありがとう」

 リカは、アキの言葉に少しだけ笑顔を見せた。しかし、その笑顔はどこか寂しげだった。

「抹茶も手にはいらん。困ったものじゃ」

 ノースリーブの和メイドの服に、フリルのパフスリーブという少し大胆な格好をしたアマネが、困り顔で姿を現した。

「そうなのよね……コーヒー豆も、もうほとんど残ってないし……」

 リカは、深刻そうな顔で呟いた。彼女の店は、厳選されたコーヒー豆と、アマネが作る本格的な抹茶スイーツが人気だった。しかし、永夜の影響で物流が滞り、必要な物資が手に入らなくなっていた。

「どうなっちゃうのかしら……」

 リカは、不安そうに窓の外を見つめた。薄暗い空の下、人々は足早に通り過ぎ、街はどこか寂しげな雰囲気に包まれていた。

「店長、大丈夫ですよ! きっと、なんとかなりますって!」

 アキは、再びリカを励まそうとした。しかし、彼女の言葉にも、どこか力強さが欠けていた。

「そうじゃ、ドーンと構えるのじゃ」

 アマネは、いつも通りのゆったりとした口調で言った。

「ふふ、ありがとう。アキちゃん、アマネちゃん」

 リカは、二人の言葉に少しだけ元気を取り戻した。

「二人とも、本当にありがとう。私は、この店を、そしてあなたたちを守りたい。だから、絶対に諦めない」

 リカは、決意を新たにした表情で二人を見つめた。

「店長!」

「店長」

 二人は、リカの言葉に感動した様子で声を上げた。

 リカは二人を抱き寄せる。アキは安心した表情、アマネは相変わらずの感情の読めない表情だったが、二人ともリカの抱擁に身を委ねた。

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太陽が消えた夏 アールグレイ @gemini555

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