最速の運び屋 後編
ヒロはスマートフォンを握りしめ、家の前でタクシーを待っていた。ユキの熱は一向に下がる気配がなく、顔色は悪くなる一方だ。心細そうな妹の姿が脳裏に焼き付き、焦燥感が募る。一刻も早く病院に連れて行かなければならない。
「どこまで?」
ちょうど一台のタクシーがヒロの前で止まり、運転席から無精髭を生やした若い男が顔を覗かせた。その男は、眠そうな目をこすりながら、ダルそうに尋ねた。
「あの、電話で手配した者ですが……」
ヒロは、スマホの画面を確認しながら答えた。男は、小さく舌打ちをすると、面倒くさそうに後部座席のドアを開けた。
「ああ、どこまで?」
「妹が熱を出して、〇〇病院までお願いします」
ヒロの言葉に、男の態度が一変した。眠そうな目が一瞬にして鋭くなり、口元が引き締まる。
「まじか! そういうことなら先に言えって」
男は、シートベルトを外し、車から降りてきた。その声には、先ほどまでの怠惰な雰囲気は微塵も感じられない。
「先も何も、さっき会ったばかりですが……」
ヒロは、男の突然の剣幕に戸惑いながらも、急いでユキを抱きかかえて出てきた。ユキは、ぐったりとしており、顔色は土気色だ。浅い呼吸を繰り返し、時折苦しそうに咳き込む。
「おいおい、ほんとにぐったりじゃねぇか」
男は、ユキの姿を見て、眉間に皺を寄せた。その表情は、まるで我が子の身を案じる父親のようだった。
「これは、ちょっと本気で行くぜ」
男は、ユキを後部座席に乗せると、慣れた手つきでシートベルトを締め、毛布をそっとかけた。そして、ハンドルを握りしめ、アクセルを踏み込んだ。タクシーは、まるで獲物を追う獣のように、暗闇に包まれた街を疾走する。
「お兄ちゃん……」
ユキが、弱々しい声でヒロの名前を呼んだ。ヒロは、ユキの手を握りしめ、力強く言った。
「大丈夫だ、ユキ。もうすぐ病院に着くからな」
ヒロは、ユキの額に手を当て、熱を確かめた。
「もう少しの辛抱だ。頑張れ、ユキ」
*
「あの、すみません……」
ヒロは、後部座席でユキを抱きしめながら、恐る恐る声をかけた。タケシの運転があまりにも急で、ユキがさらに具合が悪くなってしまうのではないかと心配になったのだ。
「えっと、大丈夫なんですよね!?」
ヒロは、バックミラー越しにタケシの顔を見つめた。しかし、タケシは顔色一つ変えず、涼しい顔で答えた。
「安心しろ、怪我ひとつさせねぇ。安全運転だ」
彼の言葉とは裏腹に、タクシーは猛スピードで交差点を駆け抜け、車線変更を繰り返しながら、他の車を追い越していく。それでも、ユキはシートに体を預け、静かに眠っているようだった。
「この国道はな、サーキットなんだよ」
タケシは、まるで独り言のように呟いた。彼の目は、獲物を狙う鷹のように鋭く、道路の先を見据えている。
「はぁ?」
ヒロは、タケシの言葉の意味が分からなかった。しかし、彼の運転技術は本物だった。車は、まるで路面に吸い付くように安定しており、急カーブも難なくクリアしていく。
「昔、走り屋やってたからな。こんな道、朝飯前よ」
タケシは、不敵な笑みを浮かべながら、ギアをシフトアップした。タクシーは、さらに加速し、闇夜を切り裂くように疾走していく。
病院のエントランス前にタクシーが滑り込むように止まった。ヒロは慌てて財布を取り出そうとしたが、タケシはそれを制した。
「えっといくらですか?」
ヒロが尋ねると、タケシは顔をしかめ、ハンドルを叩いた。
「バカヤロー! そんなもん後でいいから早く妹を連れて行ってやれ!」
タケシの剣幕に押され、ヒロは深く頭を下げると、急いでユキを抱きかかえ病院の中へと駆け込んだ。
病院内は、薄暗い照明と静寂に包まれていた。受付には誰もいない。ヒロは、不安を覚えながらも、ユキを抱えたまま診察室へと向かった。
幸いにも、当直の医師が一人残っており、ユキはすぐに診察を受けることができた。様々な検査の結果、幸いにも重い病気ではないことが判明した。
「点滴だけ打って帰りますか」
医師は、疲れた様子でヒロに尋ねた。
「はい、お願いします」
ヒロは、医師に深く頭を下げた。
数時間後、病室のベッドでユキはスースーと寝息を立てていた。点滴の効果か、彼女の顔色も少し良くなっている。ヒロは、安堵の息を吐き、ソファに深く腰掛けた。
「よかった……」
ヒロは、心の中で呟いた。張り詰めていた緊張が一気に解け、どっと疲れが押し寄せてきた。
「あ、そうだ」
ヒロは、ハッとして立ち上がった。タケシにお礼を言わなければ。
エントランスに戻ると、駐車場でスマホをいじっているタケシの姿があった。ヒロは、駆け寄り、深々と頭を下げた。
「あの、本当にありがとうございました。妹は、おかげさまで無事に回復しました」
タケシは、スマホから顔を上げ、ヒロを見た。
「そうか、よかったな」
彼は、いつものようにぶっきらぼうな口調で答えたが、その目はどこか優しい光を宿していた。
「そうか、よかったな。その代わり、帰りもひいきにしてくれよ」
タケシは、ニヤリと笑った。その笑顔は、どこか悪戯っぽく、それでいて温かさを感じさせるものだった。
「もちろんです、こちらこそよろしくお願いします」
ヒロは、心からの感謝の気持ちを込めて答えた。
病院での会計を済ませ、ヒロは眠っているユキを優しく抱きかかえ、再びタケシのタクシーに乗り込んだ。
「お嬢ちゃん、大丈夫そうだな」
タケシは、バックミラー越しにユキの様子を確認すると、安心したように呟いた。
「ええ、おかげさまで」
ヒロは、感謝の言葉を繰り返した。
タケシは、エンジンをかけると、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。病院を出て、家路につく。車内は静かで、ユキの寝息だけが聞こえる。
「寝かせてやりたいので、ゆっくり走ってください」
ヒロは、タケシに頼んだ。
「おう、任せとけ」
タケシは、頷いた。
いつもなら荒々しい運転をするタケシだが、今日は違った。彼は、まるで赤ん坊を乗せているかのように、細心の注意を払って運転していた。道路の段差を避け、カーブでは速度を落とし、ブレーキも優しく踏む。
そのおかげで、ユキは目を覚ますことなく、静かに眠り続けた。ヒロは、そんなタケシの優しさに、心の中で感謝の言葉を繰り返した。
「本当に、いい人だな……」
ヒロは、バックミラー越しにタケシの横顔を見つめながら、そう思った。タケシは、一見無骨に見えるが、実はとても心優しい男だった。
「なんだよ、俺の顔見てニヤニヤして」
タケシは、照れ隠しのように、ぶっきらぼうに言った。
「いや、なんでもないっす」
ヒロは苦笑した。タケシのおかげでユキが助かったかもしれない。そう思うと、感謝してもしきれなかった。
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