十五 賂

 祝言から五日後。

 皐月(五月)二十三日。五日後の午後。


「御上から御触書が届きまして」

 越後屋の手代の松吉が日野道場に特使探索方を訪ねてきた。

 徳三郎は、道場の穣之介と坂本右近、唐十郎を座敷に呼び、藤兵衛に使いを走らせた。


 松吉の説明によれば、御触書は勘定方からで、

『再度寄り合いを開き、天下普請における物価統制のために、各種価格を定めて報告せよ』

 との旨があり、目標とする物価が示されてあったとの事だった。


 徳三郎は訊いた。

「勘定吟味役の名はあったか」

 触書は沙汰と異なる。正式に物価統制の触書を出すなら、勘定吟味役荻原重秀の認が必要だ。

「いえ、勘定奉行彦坂重治様の名だけでしたが、御触書の書状を届けた役人が、若年寄稲葉正休様からの御沙汰だと」と松吉。

「指示された価格で商いをしたらどうなる」

「儲けが少ないため、品物によっては運脚の手間賃にも事欠くかと」

 松吉は目を伏せた。

「それでは商いにならぬな」

 徳三郎は腕組みして考えた。越後屋幸吉は、唐十郎が初めて会ったにも関わらず、賂を渡そうとした。唐十郎は強請に繋がる話をしていない。


 唐十郎は徳三郎の思いを察して松吉に訊いた。

「先日、主は私に賂を渡そうとした。あのような事を勘定方に行なっていたのか」

 大店の主たちは、物価統制の沙汰や御触書を変更させるために勘定方に賂を渡し、賂は勘定奉行彦坂重治から若年寄稲葉正休へ渡っていたはずだ。若年寄稲葉正休や勘定奉行彦坂重治は、それを見越して沙汰や御触書を出していたはず。

「あれは何のための賂だ。説明してくれぬか」

 唐十郎は松吉を睨んだ。


「・・・・」

 松吉は何も話さない。徳三郎が穏やかに言う。

「唐十郎、そんな怖い顔で詰め寄っては、松吉も話せなくなりますよ。

 松吉は我らを信ずるが故、ここに来たのであろう。真実を話してくれぬか」

「はい。主は、鎌鼬は御上の刺客、特使探索方も勘定奉行彦坂重治様の手の者と思っておりました。

 御上は、手前ども商人たちが菓子折りを献上して物価統制価格を高く設定してもらうのを狙っていたようでした。そのため、主は、菓子折りを出さぬ場合の刺客が鎌鼬だ、と思っておりました。

 ですが、唐十郎様は菓子折りをお持ち帰りになりませんでした。主は、特使探索方は正道の者と判断し、ここに私を差し向けたのです」

 松吉は畏まってひれ伏している。

「そうだったか」

 徳三郎をはじめ、皆、平静を装ったが驚きを隠せない。


 徳三郎は、はたと思いつき、穏やかに言った。

「松吉。主は、特使探索方がどこの配下か、他の商人たちに話したのか」

「いえ、誰にも話しておりません。特使探索方が正道との考えは、主と私の間で語られているだけです」

「他へは話してはならぬぞっ」

「はい、わかりました」


「過去にも、賂を渡した事があったのか」

「はい、ございました。菓子折りを送りました」

 松吉は、主が勘定所に賂を渡した事を気にして暗い顔になっている。

「今となっては過去に菓子折りを送った証拠は無い故。気にせずとも良いぞ。

 今までどおり、

『鎌鼬が出没する故、寄り合いはできぬ。赤字にならぬ最低限の卸値にせねば、御店が潰れる』

 と勘定所に伝えるのだ。他の卸問屋にも、そうするよう連絡しなさい」

 そう言って徳三郎は松吉に笑顔を見せた。


「菓子折りを渡さずに、正当な価格にするのですねっ」

 松吉の問いに徳三郎は頷いた。

「この事、勘定吟味方に知らせる。

 勘定所が、

『卸問屋が価格統制に応じぬ』

 などと言っても、不当な価格統制は、勘定吟味方の吟味で明らかになるはずじゃ」

「帰って主に伝えます。皆様の事は他言無用、と主に話します」

 松吉は皆にお礼を言ってひれ伏して御辞儀し、笑顔でその場から立ち去った。



 松吉が帰った後、徳三郎はあかねに言った。

「松吉が話した件を堀田様に伝えて下さい」

「分かりました。勘定所が賂を要求している証が掴めると良いのですが」

 勘定奉行に賂が渡り、その結果、触書が変更になったとの正式な証拠はない。

 勘定吟味方が触書の変更を吟味すれば、勘定所は、

『諸物価値上がりのため、卸問屋の組合から、赤字で商売にならぬから統制価格を上げて欲しい、と要請があったため価格を上げた』

 と逃れるだけだ。

 仮に、越後屋幸吉を証人として、過去の物価統制に関わる経緯を証言させても、越後屋の偽証が問われるか、あるいは、報復を恐れて越後屋が証言を拒むかである。

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