十一 特使探索方

 皐月(五月)十六日。暮れ六つ(午後七時)。

 長屋に帰ると穣之介が来ていた。

「つい先ほど、今回の件で父上が奉行所から特使探索方を仰せつかった。

 奉行所も二つの事件を懸念している。やはり下手人はかなりの手練れだろう。

 小間物屋から何か聞けたか」と穣之介。

 唐十郎は、平助が聞いた商人たちの触書に関する儲け話を話した。


「やはり、御法度の談合か。

 奉行所は商人の先走りを気にし、

『奉行所が商人を威圧するため、商人たちの談合潰しに鎌鼬なる刺客をさし向けた』

 と勘ぐられぬよう、特使探索方を組織するらしい」

 穣之介は、奉行所の使いが徳三郎に話した、特使探索方の意図を説明した。


「鎌鼬なる者は一度は讃岐屋を救っている。誰も奉行所が刺客を放ったなどとは思うまい」と唐十郎。

「だが、あの一件で抜け荷が発覚し、讃岐屋は咎めを受ける羽目になった」

 穣之介は讃岐屋に同情的だ。


 表沙汰にはならなかったが、賊が入って讃岐屋清兵衛の抜け荷が発覚し、讃岐屋清兵衛は厳しい詮議を受けた。その結果、一ヶ月の商い禁止と、抜け荷の儲け全てを御上(奉行所)に献上し、主の遠島と家族の江戸所払いを免れた。奇妙な沙汰だった。

「抜け荷の結果なれば仕方あるまい」

 穣之介は言った。本来の御法度からかけ離れた手ぬるい沙汰に、納得ゆかない唐十郎である。

「今回の件が、鎌鼬なる刺客による談合潰しなら、次に殺られるのは誰であろうか」

 穣之介は父に話したように、次に殺られる者に目星をつけた方が良いと思った。


 唐十郎も同じ事を考えていた。むやみに事件を追っても解決しない。江戸市中を造り直すには多くの資材と人材が必要だ。それらの調達に多くの商人が動く。今後も談合が行なわれる可能性は高い。

 唐十郎の意を汲み、藤兵衛が言う。

「江戸市中の修繕となりぁ、材料と人足と食い物、岡場所ですぜ」

「資材はおもに土と石と材木。諸々の工事道具。食い物。そして物を運ぶ運脚と作業する人足・・・」と唐十郎。

 信州屋は味噌と醤油の味噌問屋で、紀州屋は材木問屋、讃岐屋は廻船問屋である。運脚と人足を集める口入れ屋は数知れない。


「なれば、次は食い物だな」と穣之介。

 江戸商人の構成は問屋が頂点である。大店の問屋の下に仲買人がいて、その下に大店から行商までの小売がいる。流通経路が複雑になっても、この三者の関係は変わらぬ。問屋の一声で商品の値は思いのままである。

 商品を値上がりさせぬため、奉行所は毎月、問屋に商品の値を報告させている。

 商品の値は、問屋に銭を工面する両替屋の貸付金利で変動する。両替屋は米の値で両替する銭と貸付金利を決める。

 つまり、米の値で銭の価値、ひいては商品の値が決まるのである。

 資金不足の問屋は仕入れのため、両替屋から銭金を借りる。大量に仕入れるには大量に銭金を借りるので市中の問屋に出まわる銭金が増え、両替屋の銭金が減るため金利が上がる。金利を上乗せされて、商品の値はさらに上がる。

 すると、これらの不条理を避けるため、公儀(幕府)が資金を投入する・・・。


「米屋の寄り合いはどこで行なわれるか、知っているか」

 唐十郎は藤兵衛を見た。

「知りません。明日、調べましょう・・・」

「藤兵衛。仕事はいいのか」と穣之介。

「鎌鼬をどうにかしませんと、施主もおちおち仕事を頼めねえってもんですぜ」

「ならば、私も同行しよう。なあに、道場は坂本に頼んでおく」

 坂本右近はいずれ師範代になるであろう、と唐十郎も一目置く師範代補佐の門人である。

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