九 鎌鼬 その二
その夜。
いち早く触書きの情報を得た御用商人たちは、寄り合いと称して夕刻から御法度の談合をし、いかに儲けるか考えていた。その中に讃岐屋の顔はなかった。
夜更けまで続いた談合が終わり、
四人連れの影が、日本橋室町の小間物屋平助の家の障子に映った。
平助は、また商家の主たちが謡の稽古にかこつけて儲け話の寄り合いをしたな、と思った。小間物の商いで出入する商家の女たちから、最近の謡の稽古と称する寄り合いで旦那様が遅く帰宅するため寝不足だ、と聞かされていたからだ。
平助が明かりの下に
四人連れがほろ酔い加減だったため、平助は、酔って一人だけ一行に遅れたな、と思ったが妙に外が気になり手を止めて外へ出た。
通りの先に提灯が二つ揺れて話し声と笑い声が聞こえた。提灯に照らされた一行の他に人影はない。障子に動いた人影は気の迷いだったと思い、平助が家に入ろうとしたその時、通りの先の提灯が激しく揺れ、一瞬、闇が影となって風のように動いたかに見えた。
同時に、ぎゃあっ、と絶叫が響き、提灯が地面で燃えあがった。そして、ひたひたと足音が遠のき、その後に静けさが広まった。
平助は燃える提灯めがけ走った。斬られたのは二人だった。
平助が辻斬りを番屋に知らせると、すでに手代らしき二人が知らせに来ていた。二人とも、
「辻斬りは鎌鼬の仕業だっ」
と言った。人影のような黒い影を見た平助は、それが人だったか判断つきかねていた。
皐月(五月)十六日。朝餉の刻。
いきなり藤兵衛の長屋の戸が開いた。
「親方っ。信州屋の旦那がっ」
正太は荒い息をしたまま次の言葉が出てこない。
「鎌鼬に殺られたってのか」
「そうなんでさっ。ゆんべ、材木問屋の紀州屋さんといっしょにっ」
「信州屋で殺られちまったのかっ」
藤兵衛は言葉を無くした。真っ先に浮かんだのは大工仕事の手間賃だった。昨日で信州屋の仕事はほぼ終っている。今日は午前中に片づけをし、午後は、藤兵衛たちを労って、信州屋が謝礼の酒の席を設ける手筈だった。
「女将さんは、御店で、と言ってましたが手代の話じゃ、紀州屋さんと同じ寄り合いに出た帰る道中って話です。今、日野先生が検視してるようなんです」と正太。
本来、商人の談合は、不当に物価を吊り上げて御政道を乱すとして御法度である。これを犯した商家の主は市中引き回しのうえ遠島、家族は江戸所払い、御店は取り潰しの憂き目を見る。実際は日頃の恨み辛みから主は市中引き回し中に百姓町人の石礫を浴びて怪我をし、遠島の前に病没するのが落ちだった。
徳三郎が検視していると聞き、藤兵衛は、斬殺だ、と察した。
「いってえ、寄り合いで何を話したんだ。なぜ信州屋の旦那が殺られたんだ」
「噂では鎌鼬に殺られたと」
唐十郎は隣りの長屋で話を聞いていた。しばらくすると、藤兵衛が興奮して唐十郎の長屋に現われた。
「旦那っ。信州屋と紀州屋の主が殺られましたっ。これで給金がお預けになっちまう」
「藤兵衛。信州屋へ行こう。伯父上が居るから構わぬ」
これで二件目だ。伯父上が話したように、商人たちの不正が始まったのか。いや、不正か否か不明だ。刀で斬られたなら下手人は何を企んでいるのか。御政道に手抜かりがあるのか。
「へい、わかりやした」
藤兵衛は己の長屋へ戻ってお綾に、急いで唐十郎の朝餉を支度するよう言い、正太に、
「日野道場へ『唐十郎様は日野先生の元へ行くゆえ、道場へは参りません』と伝え、その足で信州屋へ行けっ」
と使いを頼んだ。
「がってんですっ」
「まてっ。飯を食ったかっ」
「はい、食いましたっ。行ってきますっ」
正太は長屋を跳びだした。
その頃。
信州屋の店の土間で、与力の藤堂八郎が小間物屋の平助から事件の様子を聞く間、裏庭では、日野徳三郎が信州屋と紀州屋の主たちの刃傷を検視した。
平助から事件の様子を聞き終えた藤堂八郎が言う。
「やはり刀傷ですか」
「如何にも。見事な太刀筋だ」
徳三郎はそう答えた。二人の仏に残る太刀筋は、讃岐屋に押し入った賊を仏にしたものと同じだった。
「讃岐屋の押し込みも、これと同じ太刀筋とお考えか」と藤堂八郎。
「儂もそれを気にしておるのだ」
信州屋と紀州屋が、讃岐屋に押し入った賊を斬殺した同じ下手人によって斬殺されたとしたら、理由が分からぬ。徳三郎は浮かぬ顔になった。
「讃岐屋の賊を仏にした太刀筋と同じではないのか」
藤堂八郎は徳三郎を見て不審な顔をしている。
「同一の太刀筋と見て良かろう」
徳三郎がそう話していると唐十郎と藤兵衛が信州屋に現われた。
「おお、来たか。藤堂様。これは私の甥で、師範代補佐をしておる唐十郎と申す」
徳三郎は藤堂八郎の疑問を唐十郎の紹介にすり換えてしまった。
「甥の日野唐十郎です。伯父上と藤堂様にお願いしたい事があって参りました。
実は」
唐十郎の話を聞き、藤堂八郎は信州屋の店へ入っていった。
しばらくすると、
「不幸がなければ修繕終了の祝いの席を設けるのですが祝いの席の代わりにしておくんなさいまし」
与力の藤堂八郎の口利きで、信州屋の番頭が言葉を濁しながら、女将に代わって当初の五割り増しの手間賃を藤兵衛に払って詫びた。
昼四つ(午前十時)。
唐十郎と徳三郎、藤兵衛、日野道場への使いから戻った正太の四人は、信州屋を出て大川端を歩き、日野道場へ向かった。
唐十郎が長屋住まいを始めるに当たり、徳三郎が動いたのは言うまでもない。そのため、藤兵衛と徳三郎の付き合いが生じた。
道すがら、藤兵衛は訊いた。
「先生。讃岐屋の賊を斬った下手人が、信州屋と紀州屋を斬ったとお思いですか」
「太刀筋は同じと思う」
徳三郎は語尾を濁している。
「伯父上。賊と商人が、同じ者に殺られる訳は何ですか」
「儂もその事が気になっておる」
讃岐屋に押し入った賊が殺られたのは、それなりの手合いが押し込みに気づき、天誅を下したと言える。しかし、そのような者が、なぜ信州屋と紀州屋の主を斬殺せねばならぬか、徳三郎と藤兵衛同様、唐十郎も解せなかった。
四人を追って影が走っていた。気づいたのは唐十郎だけだった。それほど、徳三郎は事件を深く考えていた。
道が曲がると追手の気配が消えた。だが、行く先から物売りの声がし、野菜の棒手振りの老婆が歩いてきた。唐十郎は身構えたが、他の三人は何も気にしていなかった。すれ違いざま老婆から、
「刀をいつも身につけなさいまし」
と若い女の声がしたが老婆は声長く野菜の名を言っただけで、唐十郎に話してはいなかった。
「旦那。あの刀はどうしました」
老婆から投げかけられた思いを確かめるように、藤兵衛が言った。
「長屋の刀箪笥に置いてある」
「あの刀、最初とだいぶ気配が違ってきやしたぜ」
「如何様にか」
当初は苛立ちのようなものがあったが今は気配が消え、人が周囲に慣れて会う人ごとに挨拶するように和やかになっている、と藤兵衛は言う。
「それでは人と同じではないか」
「あっしにとっては似たようなもんです」
「あの刀、私が帯びたら、どうなると思う」
「いいんじゃありゃあせんか。今なら」
二人の話を正太は黙って聞いていた。徳三郎は妖刀の話に無関心で、無言のまま日野道場に着いた。
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