彼の影を追って

HerrHirsch

少女を遺して

 数多の銃声の中を駆けまわる。隣には焼死体、腕の中には幼女が一人。僕は足を止められない。砲弾爆弾銃弾ロケット弾、あらゆる閃光が死の香りを臭わせて僕の近くを通り抜ける。轟音爆音が鳴り響き、永遠に思えるほどの長い時間、耳が遠く遠くなる。突発性難聴か何かかと疑ってみれば、近くでフラッシュバンが投擲されたらしい。周りの人も三半規管をやられて歩みを止めるか、僕のように地球へ頭突きを試みていた。

「…だっ……いじょうぶ、か?」

 這って、幼女に語り掛ける。まだ6歳ほどに見える、非常に小さな女の子。彼女をなんとかして無事に母親の元へと届けることが、僕にとっての唯一の使命。

「問題、ない。」

 幼女は淡々と応えて、手を差し伸べてくれる。僕は左手でそのかわいらしい手を取って、再び駆けだす。銃弾と砲弾と爆弾とロケット弾。変わらない昼の流れ星たちは死を振りまいて、僕はその合間を縫って駆け抜ける。僕を守るものは少ない。ヘルメットと、防弾チョッキと、ニーアーマー、そして厚底ブーツ。そんなものも、実戦ではあまり役には立たないことはこの目で見て来た。一瞬で消し飛ぶ人間の四肢、そしてついさっきまで話していたはずなのにそこで頭から血を流している兵士。ここは、戦場だということを改めて思い知らされる。

「記者だ!保護してく――」

 目の前の機関銃を撃つ兵士にそう言葉をかけようとすれば、迫撃砲の砲弾が陣地を一瞬で石器時代まで遡らせてしまう。この線上でどう生き抜くか。僕は思慮を止められない。この大通りは危険だ。陣地だった場所のすぐ近くに存在していた5階建てのアパートに駆け込む。

 と、そこには政府軍の兵士が居た。

「大丈夫か!」

「ああ!記者だ!保護を頼む!」

 銃声の飛び交う中で、僕はついに一定程度の安心を得る場所を見つけた。

「分かった!こっちにこい!」

 ここはアフリカの親日国。砂漠の砂埃が僕らの眼を霞ませるが、言葉はしっかりとその情報を伝達してくれる。

「急ぐぞ!第七小隊、後退する!」

 僕らは一蓮托生、命を懸けて、命を守るために、命を奪う道を進む。

「十時方向!対戦車擲弾!」

 銃弾が交錯する。命が3つ飛び散り、朱色に地面が染まっていく。

「クリア!」

「クリア!」

「前進するぞ!総員乗車!貴方たちも乗ってください!」

 兵員輸送車の荷台に飛び乗る。窓から、そして荷台からも銃撃を続け、全員が乗ると速やかに発車。それでも銃声は鳴りやまない。幼女の耳を塞ぎ続ける手が、大分痛くなってきた。しかしなんにせよ、このままいけば何とかなる。

「ぐはっ」

 隣の兵士がやられる。それでも車両は速度を緩めない。

「ニカム!くそっ、伏せておけ!」

 もう一人の荷台の兵士が僕らに言う。言われた通り、すぐに荷台に寝そべって、常夏の太陽に体を焼く。

 車両が急カーブしたかと思えば、横を通り抜けるロケット弾。そして後ろに立つ土柱が、数瞬前の攻防の恐ろしさを伝える。

「くそがくそがくそが!」

 大量の銃弾を撃ち返す兵士たち。走り抜けては後ろから追いかけて来る反政府軍に手榴弾をプレゼントする。

 いくつも咲く爆裂の花は、地に鉄血の根を下ろす。僕らはひたすらそれにおびえて、永遠無事を祈るばかり。


 しばらくすると銃声がまばらに、遠くから響いてくるくらいになって、やっと僕らは安全圏へやってきたのだと分かる。輸送部隊に引き渡されて、日本人の同僚と会うことが出来る。

「久し振りだね。」

「カメラどうしたんだ?」

「撃たれた。代わりがこの子だよ。」

「カメラの代わりに幼女か…。」

「うん。わらしべ長者もびっくりでしょ?」

 そんな冗談を言い合える仲間に恵まれて、僕は空中へ身を投じる。母国へ帰る。それはこの戦場を見た外国人誰もが願う希望。僕も例に漏れず、政府の派遣した巨大な鉄鳥の胃に入り、祖国の土へ足を下ろす。


「ここが日本だよ。」

「へいわ。」

「そうだね。」

 第一の感想がそれというのは、なかなかに険しいことなのだが、それでも僕は彼女の精神が安定しているということを喜ぶ。彼女の両親は、死体で見つかった。遺体は無事回収され、僕らと共に本土へ戻った。


 少々して、少女の引き取り手が居ないことが分かり、僕は進んで保護を引き受けた。僕はカメラマン。ある程度の稼ぎはあるし、貯蓄癖が付いているから子供一人を養うのに不足はない。

「君と一緒に暮らすというのは、なかなか不思議な感覚だけれど。」

 僕は彼女の名前と年齢を知り、その境遇に同情した。それしかできない自分が嫌だったから行動を起こして偽善を果たすことにした。やらない善よりやる偽善、それはカメラマンをしてきて幾度もであってきた生死の分かれ道で、より適した選択をするにあたって重要となると判断した大きな要素の一つだ。

「わたし、孤児。あなた、里親。よろしく。」

 拙い言葉だが、単語はしっかり理解していて、実に教養深い。この少女がいずれ歩むであろう大いなる道に、僕は期待と希望を抱いて育てていくんだ。


 幼稚園。彼女は髪色の事でいじめられたらしい。

「気にして、ない。違いを怖がるのは、人のさだめ。」

 気にしてないはずもないけれど、僕はそれを口には出さず、彼女の頭を撫でた。僕にとって彼女のその意地は、とても重要な物のように感じられた。

「ルールはルール。先生には、言った。」

 そこら辺の棲み分けはしっかりできているようで安心した。後日、いじめた子の親から正式に対面で謝罪があった。僕は彼女の意思を尊重して、

「ルールを守るように。」

とだけ伝えて、それ以上は胸の内にしまった。彼女の砂地になじむ薄茶色の長髪と、オアシスを思わせる碧眼は、確かに日本人とは到底思えない。しかし、それでも彼女は日本人だ。僕がそれを保証する限りは。


 運動会。彼女はかけっこで一番を獲った。ついでと言わんばかりにリレーでも圧勝。圧倒的な運動神経によって、他者の追随を許さない。その走る姿にカメラを向ければ、自然と熱が入り歓声が脳裏に響く。

「やった。」

「流石だね。」

 こういう所は年相応、彼女は撫でれば喜んでその笑みを向けてくれる。世のパパママが享受しているであろう子供の恵みのなんたるかを思い知らされる。

 ダンスを踊っている彼女は、どこか気だるげだったけれども、それでもきびきびとした動きは周囲を引っ張っていた。

「あ、貴方夜月ちゃんのお父さん?」

「ええ、里親ですが。」

「お世話になってます~。夜月ちゃんにうちの子がいじめから助けてもらったみたいで、これ、せめてもの気持ちです。」

「え、初耳…ありがたく、夜月と頂きます。またお礼は近々。」

 そうして、彼女は情けを以って饅頭を手に入れた。お礼に実家から来たキュウリの糠漬けを返礼した。その後しばらく交流が続き、彼女は幼稚園でのびのびとやれているようだと改めて知れた。


「行ってきます。」

 小学生。薄紫色のランドセルを背負った天使は、小学校に羽ばたいていく。彼女は非常に素晴らしい学力を示して、世界を学び続けていた。特に社会学に関しては専門書を読み漁り、ニュースを見れば僕も分からない言葉の羅列を並べて説明してくれた。

「お父さん、そんなことも知らないの?」

 彼女に父と呼ばれるようになってからしばらく経った。それもまた素晴らしい恵みで、その一言だけで僕は仕事の疲れを吹き飛ばせた。

 彼女はすくすくと育って、小学六年生になるころには立派な淑女に育っていた。ちなみにだが、テーブルマナーは大分しつけるのに時間がかかった。手で食べたがるのを必死で止めるのに骨が折れた。


 中学生。彼女はどんどん育った。テストは満点を何個も取ってきて、成績は5ばかり。勉強を趣味と言い捨て、好きな事に打ち込む姿は撮っていて実に幸せになれた。

「お父さんってなんか不思議な感じ。」

 僕と彼女の間には、不思議な関係が成立していた。家族というよりは、親友のような。

「ちゃんと野菜も食べなよ。」

「むぅ~。アスパラガス嫌いなんだよね。」

「ちゃんと育たないよ?背も胸も。」

「それはこまる。嫁の貰い手は多い方がいい。」

 こんな冗談を言い合える家族はそんなに無いと思う。僕はそれが素晴らしく素敵に思えた。彼女の頬張るアスパラガスが、幸せの匂いを向かいの僕まで届けて来たみたいに。


 そんなある夜。僕は彼女とコンビニへ行った。

「なにを印刷するの?」

「保険証の写しが要るんだ。」

 その時、運命は動いた。銃声。それが脳裏に、あの時の光景を思い出させる。

「嘘だろ……。」

 僕は、遥か前方に咲く閃光の小花を眺めて、夜月を抱えて踵を返す。

 でも、死は後ろからやってきた。

 何も感じない。何もない。その先にあるのは、先立つことへの無念だけだった。

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